2017年7月23日日曜日

苦悩、努力、涙、そして新たな道 3 執念の形意棍

遂に選手人生最後の演武の時間がやってきた。

それまで絶不調ながらもそれなりにリラックスしていた自分とは異なり
今度は闘志を燃やす自分がいた。

舞台裏集合場所で入場のため一列に並ぶ。
いつもの自分なら気持ちを緩めるためにも周りの選手と会話を楽しむのだが、
今回は誰とも一言も口を利かなかった。

気が散ることを避けたかったからだ。

そして選手入場と共に会場に入る。
この時の気分は先程と同じよう勝負に出ようと腹は決まっていたが、
あとは自分を信じるしかないと思っていた。

初出場から2年連続入賞した近畿大会だったが
3度目である去年の形意拳は自選種目だけに出場選手の身体レベルが非常に高かったことと
もう一種目は棍から手を何度か滑らせてしまい、惜しくも敗退。
48歳から始めた形意拳、50を超えた今、とても若い人に敵わない。

いずれも去年の悔しさもあったので
そのリベンジを果たしたかった。

コート袖で、何度か軽く棍を振ってみる。
やはり調子が出ない。
相変わらずドームの天井はゆっくりと回っており、
棍を握る手も力が入らず、いつでもすり抜けそうな感じだった。

そして自分の番が回ってきた。
コート袖に立ち棍を持って包拳。
立ち位置までゆっくり歩き進んだ。

立ち位置についた時、こう思った。
一発目の劈棍が勝負だと。
ここでいつもの力が出せればあとはなんとかなるだろうと。

ゆっくり息を吸い、棍梢(棍の先)で天を突く。
この時棍に命が宿った気がした。
そして、半歩踏み出し、私は大きく棍を振り下ろし最初の劈棍を決めた。
棍梢がブルンと震える。

先程同様、眩暈も動機も脱力感も消えていた。

絶好調ではないが、
なんとかなる・・
そう思った。

もうあとは流れに任せた。
私の好きな横棍、そしてそれに続く鑚棍
伸び伸びとした動きができた。

ぶっ倒れてもいいと思っていたが、実際に倒れてしまうと大量減点。
倒れるわけにはいかない。
スタミナを保ちながらも、一発一発力一杯棍を振った。



演武の後半に差し掛かった頃から、残っているスタミナを使い切ろうと思った。
そこからは持てる力を振り絞り、棍をぶんぶん振り回す。

恐らくこの時の私は殺気だった状態だったと思う。
仲間からの声援や涙を無駄にしたくない!

そして私の演武はいつになく荒々しく激しくなっていった。
周りの選手が私を避けるのがわかった。

そして最後の見せ場である連環斜劈棍では、
最後の力を振り絞り力いっぱい棍を振り下ろす。

ここでは低い位置まで棍を振り下ろすのだが床は叩かない。
しかしあまりの勢いに棍が加速してしまい床を思いっきり叩いてしまった。
この時に審判席の空気が変わったことを感じた。

最後は舞花転身跳棍。
棍を回し跳びながら転身し、収式に入る。
最後は棍把を床に打ち込み気を沈める。
ドーンという音がドームに鳴り響いた。

終わった。
全てが終わった。

思いっきりだっただけに荒々しい演武になってしまったと思うが、
こちらも悔いはなかった。
というより、不調を言い訳にしたくなかったのだ。
不調だからと審判はそれを配慮してくれるわけではない。

不調もまた実力。
やる時はやる。
それが私が53年間貫いてきた精神。

確かに上を狙いには行ったが、
終わった時点でそのことはもうどうでも良くなっていた。
とにかく自分は絶不調の中、ノーミスでやりきった。
それだけでも十分だった。

その足で観覧席に戻ろうとしたら、
観覧席の廊下で目を赤くし涙ぐんでる弟子が私の帰りを待っていてくれた。
悔しいことがあっても決して泣かない弟子が、泣いている。
もう言葉は何もいらなかった。

本気で私を心配し、
本気で応援してくれてたんだと思った。
その場でずっと泣かれてしまったので取り乱しそうな自分を抑えるのに必死だった。

ありがとう。
本当にありがとう。

しかし自分の演武は決して美しい演武というものではなく
恐らく魂の叫びに近かったように思う。
荒々しく殺気立った演武。
他の選手は皆大変素晴らしかっただけに入賞はないだろうと思っていた。
それでも私はもう十分だった。

皆から頂いた拍手や声援、
仲間からの励ましの言葉や賞賛、
両手で思いっきり手を振ってくれたO先生、
私の体を最後まで気遣ってくれたHさん、
私のために泣いてくれた弟子。

すでに金メダルを遥かに超えるものを皆からもらっていた。

その時場内アナウンスが聞こえた気がした。
一人一人名前が呼ばれる。
場内が煩かったのでアナウンスがよく聞こえなかったのだが、
私の名は呼ばれなかったように思えた。
やはり届かなかったか・・と。

やむを得ない。
自分はやりきったんだと。

いずれも一応順位を確かめるために貼り出された順位表を弟子と観に行こうとした。
が、その時・・

続く