2025年4月19日土曜日

負ける気で挑め

 今日、弟子にいくつかのことを教えました。

「力を使うな」
「相手のペースにのるな」

この二つです。

歴の浅い人はどうしても力を使ってきます。
その力に対し力で対抗していては
いつまでたっても太極拳を知ることは出来ません。

「負ける気で挑め」という感じです。

だから、「力を使うな」と
「相手のペースにのるな」は同じ意味なのです。

太極拳では、力を使わず見えない力を使う。
これが「用意不用力」の意味。

(具体的には丹田を使いますが、長くなるので今回は割愛)

また「相手のペースにのるな」と言っても自分本位に動くことではありません。
相手のペースにのらないためにも「相手に合わせる」のです。

これを捨己従人(しゃきじゅうじん)と言います。
己を捨てる。
我を捨てる。
無我無心の状態になる。

とにかく、何も考えないこと。

そして、その結果が引進落空(いんしんらっくう)となります。

相手はいつまで立っても空を打つことになります。

これらの動きはすべて自分がコントロールしている状態です。
相手のペースではありません。

太極拳で是非とも身に付けて欲しい力です。

とにかく今日を限りに力を使わないと誓いを立てることです。

そうすれば自分の太極拳が急激に進化します。

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2025年4月6日日曜日

簡化太極拳はむずかしい?

簡化太極拳について、
「むずかしい」という意見が多いようです。

私もそう思います。

一番難しく感じるのは、下勢~金鶏独立の動作が左右両方あるところでしょうか。
この部分が高齢者にとって一番の難関ではないかと思います。

因みに伝統套路には右下勢はありません。(套路とは型のこと)

「なぜ片方しかないんですか?」
と聞かれることも多いですが、必要がないからです。

技はできるだけシンプルにしておいた方がいい。
たくさん覚えたところで実戦では使いこなせないですからね。

下勢は上段突きや上段蹴り、回し蹴りなどの対処に有効です。
しかしこれらに有効な技は下勢の他にもたくさんあります。
いわば他の技で補えばいいのです。

因みに私は簡化太極拳を1週間で覚えました。
それは土台に伝統楊式太極拳があったからです。
すべて知っている技ばかり。
あとは順番と後座(簡化太極拳の歩法)を覚えるだけです。

当会では応用として太極拳を実戦で使える稽古もします。
その時に気づくのが自然と伝統の動きになるということです。

簡化太極拳は、「武」を意識した動きではなく、
「動きやすい動き」に作り変えられているため、
実戦では簡化太極拳の動きにはなりません。

「簡化太極拳は実戦でも使える」という説もありますが、これに関しては両説あります。
そもそも簡化太極拳は健康目的で編まれた套路であるため、
実戦で使うには無理があることが容易に想像できます。

当会では西大寺教室と花吉野教室で、
伝統套路でありながら覚えやすくシンプルな8式太極拳を練習しています。

この套路は実戦でそのまま使えるものばかり。
しかも下勢~金鶏独立のようなハードな動きはありません。
初心者がいきなりこれをやると膝腰を痛めます。

それより太極拳の根幹である「八法」をしっかり身に付けるべきで、
これらをとても短い套路で学ぶことが出来ます。

体力に自信のない人、高齢者におすすめです。


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2025年3月29日土曜日

からをわる

丹田は誰でも感じることができます。
感じることが出来ないのは感じようとしていないだけ。

また、感じることの妨げになっているのは、丹田を覆う殻があるからです。

その殻は…

力み、恐怖心、虚栄心、羞恥心、頑固さ、雑念、エゴ、コンプレックス、過剰思考、固執

等など。

すべて煩悩です。

これらが自分の可能性を塞ぎこんでしまっているのです。

それでも、これら煩悩と共に生きたいでしょうか?
私は経験の中から必要のないものだと悟りました。

丹田はたまごのようなもの。

丹田を開放し、自由になり、自分の可能性を広げたかったら、
単に殻を割るだけでいい。

思い切って割ってしまえばいいのです。

すると体がスッと軽くなり、
心がキラキラ輝きだし、
丹田のパワーを感じることができます。

捨てられないのなら、割ってしまえばいい。

毎日指導していて、そう思うことが多々あります。

私はそれを言葉で指導することもありますが、
どちらかといえば態度で示しています。

指導する時は先生らしく振舞うのではなく、自分らしく振舞っています。
いわゆる素のままです。

「先生らしくない」と思われるかもしれませんが、
言葉巧みに指導するより、
「見せる」ことが私にとって最高の指導だと思っているからです。

太極拳で新しい世界を見たいと思うなら、
殻を割る。

そして自由になって欲しいと思います。



2025年1月16日木曜日

聞く、やる

今日はちょっと驚いたことがありました。

入会して半年僅かのTさんの気功の動作を見ていたのですが、
姿勢がとにかく綺麗。
背中が真っすぐ伸びており、どの動作をしていても崩れないのです。
私が知る限りこれほど早期に姿勢を獲得した会員さんは初めてです。

後に他の指導員に聞いた話、
先日、検定対策講習会で合格必勝法をお話したのですが、
それを早速実践されたとのこと。
僅か30分程の講義でしたが、
私の講習会の話を聞いてとても感動されたとのことでした。

その方法は、
私が僅か半年間のトレーニングで初出場ながら全国大会入りした時のやり方。

私は必ず上達する方法を指導します。
それをすぐに実践する人もいれば、何年経っても始めない人もいます。
前者の上達スピードは圧倒的に速く、群を抜いています。

太極拳に限らず、私は今まで様々な試験や資格等に挑戦してきましたが、
先生や先輩のアドバイスは絶対に聞き逃しません。
そしてそれを必ず実践します。
そして、そのほとんどが早期に目標達成に繋がりました。

聞くも、
聞き流すも、
やるも、
やらぬも自由。

本気で上達したいなら成功経験者に習うことが一番なのです。



2024年12月28日土曜日

ただ真似る

昨夜中級クラス無事終わりました。
中級クラスでは、普通クラスの次へのステップとして用意されているクラスです。
普通クラスで行っている4種目に対し一定以上の力をつけたら参加出来ます。

私が太極拳を始めたばかりの頃、同様に4種目の稽古を行っていました。
先輩方の楊式剣の演武を見て「これやってみたい」と思ったのが当時最も意欲を掻き立てられた出来事でした。
同時に師に太極拳の技を掛けて頂いた時の感覚は、20年以上経った今でも鮮明に覚えています。
その不思議な技に驚き、完全に魅了されました。

その後は無我夢中で練習しました。
「早く先輩に追いつきたい」「早く先生に近づきたい」という一心で。

私は約半年で楊式太極拳の全套路を覚えました。

何をしたか?
実に単純です。

師の動きを真似る。

これだけです。

稽古に来るたびに「見ては真似見ては真似」の繰り返しでした。

太極拳をやっていると思わぬところで壁にぶつかることがあります。
しかしその壁は自分自身で作り出していた幻想であることに後で気づきます。
そもそも壁などないのです。

ある程度太極拳を経験した人はどうしても途中まで作った粘土細工に手を加える形で直そうとします。
その形が間違いであっても。
だから抜け出せなくなるのです。

ダメならやり直す。

これでいいのです。

これは逆を言えば「失敗を引きずらない」ということにもなります。

もし、今思わぬところで壁にぶつかっていると感じているなら、
ダメなことを引きずっていませんか?

ダメなものはダメなんです。

さっさと諦めて、また先生の動きをみて真似ればいいのです。
実に簡単なことなのです。

それなのに、どうしてハマってしまうのか?

それは自分を捨てらないからです。
今まで頑張ってきた自分が可愛いばかりダメな部分も残しておきたいという妙なトリックに引っかかってしまうのです。

もう一度言います。

ダメならさっさと諦めてやり直す。
師の動きを真似る。

これだけのことです。

そうすれば日々進化することができます。
時間を節約出来ます。
太極拳の世界がどんどん開けてきます。

そして同じ動きが出来るようになったら次は「師の空気を真似る」です。

太極拳で一番楽しいのはここからです。

2024年12月1日日曜日

光と影

私が師匠から学ばせてもらったのは氣です。

一般的に人は人を見る時どこを見るでしょう?
恐らく本人そのものではないでしょうか?

私の場合は人を肉体の存在としてみることはあまりありません。
その人から出ている光や煙をみています。
一般的に言われるオーラですね。

「そんなものを見ていては学べないじゃないか?」と言われそうですね。

こう考えてみてはどうでしょう?

人の形や動作を見る時、アウトラインを見ているはずです。
いわゆる外側です。

しかしオーラを見ていてもラインを見ることは出来ます。
そうです。インラインです。

オーラを見れば、オーラも見え、体の形もぼんやり浮かんできます。
そうやってみることで、全体の動きが見えてきて、
しかも気の流れなども感じることが出来ます。

私が師から学びたかったのは、師の気の体です。
いわゆる雰囲気をまず真似ようとしました。

その結果どうなったかというと、確かに雰囲気が似てきて
先輩方からは「先生みたい」と言われるようになりました。

その一方、動きが滅茶苦茶になりました。
見えているオーラが大きかったので、それをそのまま再現しようとしたのでしょう。
動きが大きくなりすぎて大きく乱れてしまいました。

先輩や師からそのことを指摘された時は、ショックでしたが、
受け入れるしかありませんでした。

それからは師の動作を細かく見るようになりました。
そして徐々に正しい動きを身に付けました。

さて、これは遠回りだったでしょうか?

いいえ、そうは思いません。

この順番で合っています。

人から影響を受ける時って、
その人そのものより、その人から出ているオーラだと思います。
だからオーラを真似ようとすることは自然な流れだと思います。

もし最初の時点でそれをやろうとしなければ、
時間と共に師は単なる先生になってしまいます。
憧れの存在ではなく、教えてくれる人になります。

そうなるともう師のオーラ(氣の体)を見ようとはしなくなるでしょうね。
それどころか動作さえ見なくなることすらあります。
いわゆる依存です。

私は未だに当時、師が放っていた氣をハッキリと覚えています。

そして「あの体から放たれている氣はなんだったんだ?」と今でも自分に問いかけます。

動きもカッコよかったけど、
出ている氣がカッコよかった。

あの感じに近づきたい。

そんな気持ちで今も修行に励んでいます。

***

2021/1/1撮影




2024年11月12日火曜日

自分を弱くする落とし穴

自信が亡くなった時、自分より弱い人を探すことがあります。

これは自分の弱さを誤魔化すために
相手より優位に立ちたいという心の表れです。

残念ながらこれをやっているうちは成長することができません。
当然です。
自分より弱い人を見て満足しているのですから、伸びようがありません。

強くなりたかったらどうすればいいか?

以前推手交流会でも伝えましたが、
強くなりたかったら強い人と出来る限り時間を共にすることです。

人だけではありません。
モノや情報、食べ物、全てです。
すべてをパワーのあるもので身を固めます。

テレビでネガティブなニュースを見て安心する人がいます。
対岸の家事の如く、自分事ではなく、
「自分でなくて良かった」と安心するのです。
本当にそれでいいのでしょうか?

弱い人を見て「可哀そう」と思ったり哀れんだりすることもあるでしょう。
しかしずっとそこに居てはいけません。
時間を共にした分だけマイナスパワーを受取ってしまいます。

気が付けばネガティブなものばかりを選んでしまう。
そして心がどんどん萎んでいきます。

なぜそうなったかは、必ずキッカケがあるのです。

自分の立場を確立するために、弱い者を選ばないように。

最近の言葉で言えば「マウントをとる」です。
実際に相手に対し言葉を掛けなくとも、
そう思っていること自体がマウントをとっているのです。

あなたが相手している人は本当に相手のためでしょうか?
もしかしたら自分のためかもしれませんね。
これって意外と気づかないものです。

強くなりたかったら強い物だけを観て、強くなるだけのことをする。

あなたが知っている著名人の中で、
誰でも良いので強い人を思い浮かべてみてください。
そういう人たちが弱い人を見て安心しているでしょうか?
いいえ、常に自分より強い相手を見ているはずです。

太極拳をはじめたのは、単に套路を覚えるためではなかったはずです。
最初の動機を見失ってはいけません。
「初心忘るべからず」です。

健康になりたい。
強くなりたい。
若さを維持したい。

そう思って始めたのではないでしょうか?

自分の周りを弱者で固めてお山の大将になってはいけません。
口に出さなくとも心の中でマウントをとることは
本当に意味で器の小さい人がすることです。

強く美しくなるためにも自分の周りをパワーのあるもので固める。

これは強くなるための鉄則です。

そうなれば弱い人を自分の比較対象としてではなく、
今度は実際に助けてあげることのできる人間になれます。

素晴らしいことだと思いませんか?