2018年9月22日土曜日

仙人を目指して

私は苦行により約20年前に悟りを得たが、
慢心してしまい世俗に戻ってしまった。
しかしそのプロセスや悟りで得られるものがどういうものか
今でもはっきり覚えている。

それは・・
全く恐怖や不安がない世界、
すべてを許すことでき、
世界中で起きていることすべてを理解できる。
そしてただただ幸福感だけに満ちた世界。
先に起こることすべて予知でき、
なにが起きても「知っていた」と。

そうなるまでは、毎日泣くほど辛い想いをしてきたし、
大きな交通事故で死にかけたこともある。(新聞にも取り上げられた)
いわば悟りを得るための代償であったということ。

5人を動かし、
50人を動かし、
500人を動かし、
そして20000人を動かすまでになった。



そして20年経過してこの本に出合えた。
あのマザーテレサも推奨したという本。

愛の力がどれほど強いかというのも経験した。
私は過去に婚約者がいたが彼女のためなら何でもできた。
彼女を助けるためなら危険から身を守ることはもちろん、
必要であれば海外にも飛んだし、
普通なら出来るはずのないことがどんどん出来てしまったということも経験した。

この本はこれらの精神状態がどれほどのパワーを出すことが出来るか科学的に証明したもの。
悟りが最高レベルであることはもちろん、愛の力も強い。

意外なのがプライド。
ある程度のプライドは必要だが、プライだけでは決して大きな力は得られない。
復讐心や憎悪のパワーレベルが低いのは誰でもわかることだろう。

今度は武術で悟りを得たいと思っている。
それは決して格闘家として強くなりたいのではなく、
自分の可能性をどこまで引き出せるかに挑戦したい。

因みに悟りを得るのは決して簡単ではないことはわかっている。
どんなに辛い出来事が起きても絶対挫折してはいけない。

その階段が仮に1000段だとしたらほとんどの人が2~3段で挫折してしまう。
そう言う人をごまんと見てきた。

人って意外と簡単に諦めるのだな。
だから悟りを得る者は少ないのだと思った。

人生最後の挑戦は武術で悟りを得ること。
そして仙人のようなパワーを得ること。

2018年9月21日金曜日

人間は1本足で歩いてる

人間は二足歩行しているが、実際歩いている時は1本足で歩いてる。
もし二本足で歩くとすればそれはうさぎ跳びになる。

つまり、人間は立って歩けるようになってからずっと1本足で立てるということ。
そのようなバランス機能が備わっている。

ところが太極拳で分脚(ぶんきゃく)や踵脚(とうきゃく)になるとぐらぐらしてしまう。
何故だろう?

その答えは・・

意識しているから
更に正確に言うならば意識し過ぎているから

ぐらぐらする人のほとんどが、足を上げよう上げようとしている。
その上げようとしている意識が軸感覚の邪魔をしているということになかなか気づけない。

では、なぜ教室までぐらつくことなく歩いてこれたか?
意識しながら一歩一歩踏み出して歩いてきただろうか?
多分そんな人はいないはず。

足を上げる度にぐらぐらするのは、意識するということのスパイラル(悪循環)から抜けられなくなっているケースがほとんど。

ここでひとつアドバイス。

上達するということは上達の妨げになることを切り捨てて行くことでもあるということ。

うまくいかない方法を何度繰り返しても、決してうまくいかない。
寧ろそのことを学習しなさいというメッセージ。

もしぐらつくことで悩んでいるのであれば、
今日からでも「変わろう」と考えて欲しい。

うまくいかない方法に固執するのではなく、
うまくいかない方法はバッサリ切り捨てる。
ゴミ箱に捨てる。

そしてその固執している時間をうまく行く方法を探すことにあてる。

いつも言うことだが、
上達するには素直になること。
素直こそ最強であり無敵であるということを知って欲しい。

もう一度思い起こして欲しい。
人間はいつも1本足で歩いている。
つまり1本足で歩くことのできることに長けている。

それにもうひとつ。
私が指導する際にいつも言う事だが、
足を上げようとしないこと。
上げるのではなく放つ。

分脚の時は爪先から、
踵脚の時は足裏から、
氣を発射する。

足を上げようと力を入れてはいけない。
バランスを失うばかりか氣の通りを阻害する。

実際に蹴ってみるとわかる。
力んで蹴ろうとするのと脱力して蹴るのとでは脱力して蹴る方が圧倒的にパワーがある。
脱力することで氣が流れるからだ。

「できない」
という気持ちをゴミ箱に捨てる。
そして、
「できる」と信じる。

これだけで、自分の太極拳がぐんと変わるはず。

2018年9月16日日曜日

覚えられないことを喜ぼう

太極拳をなかなか覚えられないことを落ち込む人がいる。
気持はわからないでもないが、
私は覚えられないことで落ち込んだことは今まで一度もない。

そもそもなぜ落ち込むんだろう?
それはきっと他人と比較しているからではないだろうか?

ならば、仮に伝統楊式太極拳の套路(型)を全て覚えたとする。
では、その型の一番最初に出て来る起勢という技の勁を使うことができるだろうか?

誰かにしっかり両手を握ってもらう。
その手を力を使わず解くことができるだろうか?
これが出来なければ起勢を習得したことにはならない。

ほとんどの人が力一杯握られると力を入れて手を解こうとするだろう。
しかしこれではうまくいかない。
そもそも手を解こうと思うこと自体失敗する。

なにも思わない。
手をスッと前に出すだけ。

自分流に言うならば解こうとする前に解く。
考えてから動くのではなく動いてからゆっくり考える。

私は過去に飛び込みの営業をしていたことがあるが、一日100件以上まわる。
そしてことごとく断られる。
断られるだけならまだいい。
怒鳴られたり罵声を浴びたりすることもある。
最初は落ち込んだ。
泣きたくなるほど落ち込んだ。

しかしその後落ち込む必要がないことがわかった。
理由はかんたん。
契約がとれるまでまわってないだけということに気付いたのだ。

仮に100件に断られて挫折するとする。
しかしもしかしたら101件目に契約がとれたかもしれない。
ほとんどの人があと一息というところで挫折する。
その理由は「あなたはそれでも成し遂げたいか?」ということを試されているから。

それが解ってからは、奇跡が起きた。
100件回ってなんと10件の契約を取ってしまったのだ。
飛び込み営業で10%の確率で契約がとれるなんて、恐らくないのではないだろうか?
さすがの社長もぶったまげていた。

私は落ち込むことをやめ、何軒目に契約がとれるだろう?とワクワクしながら一軒一軒回った。
中には私が妙にニコニコしているから不思議がられたこともあった。
その笑顔につられて契約したと話してくれたお客さんもいた。

話はこれで終わらない。
私はこの落ち込む必要がないことがわかってから
更に奇跡を起こした。
アポイントの営業で100発100中契約をとれるようになった。
全く断られることがなくなったのだ。
もうその時は自分でも魔法の世界にでも入ったかのような気分だった。

こんなふうになれたのは、私は考えてから行動するのをやめてからだ。
断られたらどうしよう?
怒られたらどうしよう?
罵声を浴びたらどうしよう?
そんなことより、契約がとれた瞬間の嬉しいことだけを考えて無心で行動した。

これは武術にも通じる。

「考えない」
「勝ち負けを意識しない」
ということ。

話を戻す。

太極拳を覚えられないことを落ち込むのをやめてみよう。
というか落ち込む必要がない。
他人と比較するのをやめよう。
「誰それがどんどん先に進んでいるのに自分はなかなか覚えられない」
そんなことを思って一体なんのメリットがあるだろう?

自分の中で頑張ったと思えるならそれでいいではないか。

覚えられないということは、覚える楽しみがいつまでも残るということ。
目の前のおいしいケーキを一気に食べるのもいいが、
チビチビ食べるのもいい。
食べてしまったら楽しみがなくなってしまう。

少なくとも私はなかなか覚えられない時にこう考える。
「なかなか覚えられないけど、この楽しみは明日にとっておこう」
こう思うだけ。

もし次の日も覚えられなかったら、
「楽しみがまだ続く。嬉しい」
こう思うだけ。

「落ち込むな」と言っているのではない。
落ち込む必要がないということ。

だから、「覚えられないことを喜ぼう」なんだ。

実は私はこれから覚える套路があるのだが、楽しみにとってある。
「いつかこの套路を覚えることができるよう、そのためにも今すべきことを頑張ろう」
そう思ってわくわくしながら毎日を過ごしている。



2018年9月14日金曜日

切らない割らない

冬の検定に向け個別に指導を始めているが、
その度に伝えているのが
「切らない」「割らない」

太極拳をまだよく理解できていない初心者は
定式が終わりだと思ってしまう。

それならば套路として繋ぐ必要がなくなる。
なぜ繋がっているのだろう?
私はこのことをずっと考え、研究してきた。

ここで頭を切り替えてみる。
定式は過渡式であり、過渡式が定式と。

因みに「定式」とは型の練習でよく指導される、技が終わった部分とされているところ。
「過渡式」は定式と定式の間の部分。
制定拳では過渡式のことを「通過動作」などと表現される。

しかし太極拳の技に終わりはない。
それに通過動作もない。
実は通過動作と思っているところに太極拳ならではの秘技が隠されている。

逆を言えば過渡式がなければ太極拳にはならない。

この辺のことを言葉にするのは難しいので、
当会の稽古で学んで頂きたいと思う。

いずれも太極拳で套路を練る時は決して切ってはならない。
切ること、即ち相手に隙を与えることになる。
常に動いているから隙がなくなる。

川の流れのように連綿と動く。


次に割らないということ。
これは足運びをする時に、ドスンと足を落とさないということ。
太極拳の歩法はドスンドスン歩くのではなく、
肩の位置を変えず音も立てず静かに歩く。

これには二つの理由がある。

ひとつは相手に動きを読まれないようにすること。
もうひとつは静かに足を置くことで普段鍛えにくい筋肉を鍛えることができるということ。

普段歩いている時に、物音を立てずに歩こうなどとするだろうか?
赤ちゃんが寝ているそばを歩くときとか、
試験に遅刻して静かに教室に入る時とか、
そんなもんではなかろうか?

いずれもこの歩法によって、強靭な足腰をつくることができる。
だから、薄氷の上を歩くように、
そして割らないように歩く。

当会の検定では姿勢と歩型、そしてこの2つをみていく。

切らないことを相連不断(そうれんふだん)といい、
割らないことを出歩如猫(しゅっぽじょびょう)という。

切らない
割らない

これを意識して動くと太極拳の功夫(実力)は格段に上がる。

2018年8月8日水曜日

丹田はアホ

いきなりアホだなんて失礼。

しかし本当のこと。
丹田はおだてに弱く、騙されやすく、馬鹿正直で嘘も見抜けないほどアホなのである。

私はこんなアホな丹田と55年近く付き合ってきて、
小さいながらも様々な願望を叶えてきた。
そう、このアホな丹田をうまく騙して(笑)

人を騙すのはサプライズ以外は罪なことだが、自分を騙すことは罪にはならない。
と言っても、自分に嘘をつくわけではない。

自分に嘘をつくというのは、自分の思ってる気持ちややりたいことを抑えたり、その反対のことをしようとすることであって、丹田を騙すのとは意味が全然違う。

だから一番いいのは、自分に嘘をつかず丹田をうまく騙す。

子供の頃は根拠もなくなにか漠然と無限の可能性を感じるものだが、
それもそう。
子供はまだ経験が少ないからマイナスなことを考えない。
観たテレビや映画、読んだ本、音楽などから刺激を受け、それらから受けた影響で自己実現を目指そうとする。
ただただワクワクした気持ちで自分の可能性だけを考える。

このワクワクしている状態こそが丹田が最も活発に働いている時。

そもそもおかしくないだろうか?
腹の中には腸や内臓しかないはずなのに、一体どこでワクワクを発生させているのだろう?
それは腹を解剖しても出てくるものではない。
肺の中を切り開いても、中身は空気であって、それと同じようなもの。

東洋医学では、人間の体は、氣と血と水で出来ていると言われている。
血は血や肉や骨であり、水は体液。
どれも目に見える。

しかし氣は目に見えない。
しかし人間の体にはその見えないソレが確実に存在するということ。

その氣こそが人間の生体レベルを上げ、自己実現のパワーを発揮する。
なぜなら氣はエネルギーであり宇宙そのものだからだ。

自分には太極拳を覚えられないんじゃないだろうか?
他の人のようにうまく出来ないんじゃないだろうか?
などとマイナスなことを考えると丹田はそれを信じてしまう。
丹田は騙されやすく馬鹿正直だからだ。
そしてそれが実現してしまう。

そう、
真面目になり過ぎないこと!

人生をハッピーに過ごしたいならアホになるのが一番。

「覚えられるに決まってる!」
「あの人が出来るんだから私にもできる!」

根拠なんかいらない。
そう思えばいいだけ。
そうすると願望実現のために必要な人、情報、物がどんどん集まってくる。

願望は叶えるものではなく、引き戻されるものなんだ。

太極拳で推手を行う時、崩されるかどうかわからないというのは結果を決めていないから。
先に結果を決めてしまう。
こうすることで、自分の丹田と相手の丹田、そして天地の丹田が繋がり、
自在に自分の思い通りに動くことができるようになる。

恐がる。
心配する。

これらふたつの要素は常に願望実現の邪魔をする。

ごちゃごちゃ考えない。
何度も言うがアホなろう!

私が演武する時は、何も考えていない。
ただただ、気持いい自分になれることだけを考えて動いている。
心が丹田というパワーを使って体を動かしている。
自分はその操縦士。

頭で考えない。
心で良いことを思う。
それだけ。

仮に失敗したところで、地球が滅亡するわけでもない。
何の心配もいらない。

とにかく楽しむ。
これに尽きると思う。

覚えられないのでは?
うまくできないのでは?
失敗したらどうしよう。

こんなしょーもないことはその場でゴミ箱に捨てること。

こんな風に丹田とうまく付き合って、自分がなりたい自分になって欲しいと思う。

乱筆乱文失礼しました。

***

誤字がみつかりましたので訂正しました。
2018/8/31

2018年8月7日火曜日

得意技

「あなたの得意技はなんですか?」
と、聞かれたらなんと答えるだろう?

正直まだ太極拳修行始まったばかり。
まだ満足に得意と言えるものなんかない。

でも、好きな技はある。

楊式太極拳なら、提手上勢(ていしゅじょうせい)

好きな理由はシンプルな割に効果絶大だから。
護身術としても真っ先におすすめしたい技だ。

双辺太極拳なら単鞭(たんべん)だろうか?
これはシンプルというより、僅かな力で大きな効果が得られるから。

形意拳なら、崩拳(ほうけん)
これもまた実にシンプルで、尚且つ破壊力が大きい。

八卦掌に関してはまだ研究段階なのでわからないが
あえてあげるなら黄竜反身(こうりゅうはんしん)だろうか?
これまたシンプルかつ相手に与えるダメージが大きい(と思われる)

こう考えてみると、私は派手な大技より、
地味な技の方が好きなようだ。

好きな理由は体をほとんど動かすことなく大きな効果が得られるからだが、
一番の理由は疲れないのがいい(笑)

本来、闘うということは非常にパワーを使うもの。
口喧嘩でも疲れるのに、殴り合い(スパーリング)などもっと疲れる。
風邪をひいて、寝込んでる時も体がウイルスと闘っている時は物凄く体力を消耗する。

出来れば、手を触れずに自分の身を守ることができたらどんなにいいだろうと思う。
そんな馬鹿げた夢を本気で叶えようと思っている。

私は映画観賞も好きだが、もっぱら洋画を好む。
武術やってるのだから、カンフーアクションが好きだと思われるかもしれないけど、
実は言うほど観てない。
ブルースリーの映画もほとんど観たことないし、
ジャッキーチェンにしても全部観たわけではない。

洋画を好む理由はいろいろあるが、
簡潔に言えばシンプルでハッピーエンドだからだろうか。

早い話がシンプルが大好きなのである。

最近観た映画ではカウボーイ&エイリアンズというちょっとふざけた感じのタイトルだが、
まあ、中身もそこそこという感じで、
それよりも主役であるダニエル・クレイグが町を仕切っている大佐のドラ息子が町の住民に銃を乱射しながら悪ふざけしているところを、たった金蹴り一発でのしてしまうというシーンが実に爽快でよかった。
特に、表情ひとつ変えずよそ見しながら倒したことが気に入ってしまった。

確かに以前は延々と繰り広げられるバトルシーンを観るのも好きだったが、
今は観ているだけで疲れてしまう。

そんなこんなで、今武術修行しながら、
いかにラクに技を使えるかということを研究している。
箸をとって置くぐらいの力で倒すことが出来ないだろうかと。

こんなふうに考えると力ではなく勁力を鍛えようと思う。
勁力というのは筋力を鍛えるのとは訳が違う。
心を鍛え、丹田を鍛えなくてはならない。

この行いは禅そのもので、
こんなふうに自分の目標が、健康や長寿に繋がり、
これを広めていくことでその人々が病を避け幸せに過ごせることになればと思う。

2018年7月24日火曜日

1/400の太極拳

中国武術は400種の流派があると言われる。

私が知っているのは、
少林拳、査拳、蟷螂拳、翻子拳、通背拳、劈掛拳、詠春拳、洪家拳、八極拳、八卦掌、形意拳、意拳、心意拳、太極拳・・
せいぜい20~30程度だろうか?

いずれも数ある中国武術の中から太極拳を選んだ。

その一番の理由は一生できるから。

今日、ある太極拳講座で自己紹介を兼ね、太極拳に出会った経緯や今まで続けたきた理由などを皆の前で話した。

確かに私は太極拳を始めたことによって、数々の病気を克服し、健康な体を得た。
そして落ち目だった仕事も順調に回り出した。

ここで私は初めてハッと気がつく。

私が主宰する会で、あれほど頑張っていた人たちがなぜ辞めて行ったのだろうかという謎を。

元気になったからだ。
当会にきて、体調が悪くなって辞めていった人はいない。
無論、様々な理由があるが、
辞めて行く人のほとんどが太極拳によって元気を得た人だ。

それまで、病気がちで心も病み、仕事も出来ない状態になっていた人たちが、どんどん元気を得て、今や仕事で自分の能力を最大限に活かし頑張っている。
辞めていってしまったことに関しては正直残念だし辛いことだが、
何人もの人を元気にすることができたのだから喜ぶべきことだと今になって気付いた。

なぜ今まで気づかなかったのかと言えば、
元気になった本人が太極拳によるものだと気がついていないことがほとんどだからだ。
私もそうだった。
毎日激しい頭痛、肩こり、腰痛に悩まされいた私が元気になったとたん仕事が順調になり、稽古にほとんど出れなくなってしまった。

ただ、私は太極拳を辞めようと思ったことは一度もない。
ブランクもあったが、それでも太極拳は私の中でずっと生き続け、再開する機会を待っていたように思う。
その機会が転居だった。

そして、その後さまざまなことに挑戦し、
今では太極拳が私の生業になった。

さて、私は400ある中国武術の中から太極拳を選んだ。
先程も言ったように一生続けられるからだ。

太極拳は激しい運動を行わない。
だから死ぬまでできる。

太極拳はスポーツでもなく格闘技でもなく禅だからだ。

太極拳、またの名を動禅という。
禅なら一生続けられるし、常に体を浄化し、活力を得、
自分が何者でどこへ向かおうとしているのかという悟りを得ることもできる。
健康効果も美容効果も高く、護身術を身につけることもできる。

これほど一つで数多くの利点があるものもなかなかないのではないだろうか?

約15年前、私に形意拳を教えてくださった、今は亡きS先生は
「太極拳は歳をとっても強く、棺桶に入るまで続けられる」と熱弁してくださった言葉が今も深く心に刻まれている。

実際太極拳をされている高齢者の方々は他界される前日まで太極拳を続けられるという話を聞く。
だから、私も400分の1の太極拳を選んだ。

禅もじっくりやりたいと思っていたし、武術もやりたいと思っていた。
病気にならない体をつくり、不老長寿も手に入れたかった。

これらすべてを叶えてくれる太極拳に出会えて本当に良かった。