2019年11月14日木曜日

気の乱れで起こること

最近あまりにもいろんなことがあり、SNSに投稿する気になれなくなったのでしばらく気づいたことを本ブログに書き綴っていこうと思う。

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長年の筋肉の世界からようやく抜け出せたと思いきや、昨日の前半はそこに引き戻されてしまった。
気の乱れによるもの。
今日解ったことは心が乱れが気を乱し、その乱れで「立つ」感覚が消えてしまう。
なんとか姿勢を安定させようとし、自分の中でタブーである筋肉で支え、久しぶりに不快な套路鍛錬になってしまった。

逆にいえば、体を支えようとするあまり力んでしまっていた長かった時代を思い出す。
師の助言がなければ、もしかしたら今でも力で支えようとしていたかもしれない。
師の真っすぐなお言葉は本当に有難いものだと改めて感じた。

力ではない力で動こうとするとをこれほど気持ちいいことはないし、体がどんどん熱くなる。
中からじわっと汗が噴き出し、体がどんどん軽くなる。
体を支えているという感覚から、まるで茶柱が立ったかの如く沈む感覚と浮揚感覚。

武術班の稽古ではほとんど喋らないが、それでいながら弟子達は自分と同じような感覚を味わっているよう。
言葉ではなく、気で繋がっているという感じなのだろうか?
自分自身も指導スイッチをオフにできるから深い瞑想状態に入れる。

太極拳は套路を覚えてからと思っていたが、この深い瞑想状態に入ってからが始まりのような気がする。
この入口の先になにがあるんだろう?

2019年5月21日火曜日

上がると沈む、沈むと上がる

久しぶりの投稿になります。
他のSNSに走っていましたが、blogに戻ります。

今回のタイトルは「上がると沈む、沈むと上がる」

例えば手を上げる動作の時、手の中の水分がすぅ~っと下に降りて行き、丹田から下に溜まるような感覚がある。
その結果、腕の中の重いものが下に落ちるので、腕はまるで煙のごとく軽くなる。

逆に、軸足にす~っとと体の重さを預けると他の部分が軽くなる。
例えば、後ろ足を前に送る時、その間片足立ちになるが、その時や、
あるいは、片足で立つ動作や蹴りの動作など。

まず、最初の手を上げる動作や、蹴り動作で腰の位置が上がる時、ほどんとの人は上げようとしてしまう。
結果、氣が上がってしまい、上が重い状態になる。
こうなると軸がぶれやすくバランスが崩れやすくなってしまう。

上がる時は、体の中の水分がす~っと下に降りて行くようにイメージする。
そうすると、下が重くなり上が軽くなり、結果安定する。

逆も同じ。
沈もうとすると、逆にその力が跳ね返ってきて、そのパワーが上に上がって行く。
ゴムまりを地面に叩きつけると跳ね返ってくるように、ゴムまり自身が飛び上がったのではなく跳ね返った力で上にあがる。

この上がってきた力を自分のイメージする方向に向けることができるのが、氣のおもしろいところでもあり、太極拳のおもしろいところでもある。

氣というのは、意のままに操ることができる。

こういう感覚は、理解しようとしても体感できるまではそれなりに時間がかかる。
しかし知識として持っておいたほうが良い。

大切なことはとことん脱力すること。

上がる時こそ沈み、
沈もうとすると上がってくる。
そんなふうに意識していれば、地球の力や氣の力などを徐々に感じれるようになるだろう。