2016年9月30日金曜日

放手

今までひとつだけしっくりこなかった用語がある。

いわゆる肩肘身体をゆるめながら気を流し勁が使えるようにする訓練法。
流派によって様々な呼び方をするが、当会では放手と呼ぶことにする。

放つとは発射するという意味があるが、発射する前には溜める必要がある。

水道の蛇口をひねると勢いよく水が飛び出すが、それは常に水圧がかかっているから。
マンションなどで言えば、屋上に貯水タンクがあり、それによって水圧を生み出している。
水は上から下へ流れるからだ。

これが放手。

その他にも放つという言葉には
放出、放射、放水、放火、放電、放光などの言葉がある。

因みに、勁力とは筋力ではない力。
打とうと思うと出ない力。

どうしても最初は、これまでの習慣で頭で考えて動こうとする。
頭で考えて動こうとすると動くのは筋肉。

ではどうすれば勁を使うことが出来るか?

私もまだまだ研究段階だが、その辺のことを当会では指導している。

いずれも先程言ったように、溜めなければ発することはできない。

だから気功が大事なのだ。

気功を行わない太極拳は本当の意味での太極拳にはならない。
だからといって太極拳ではないという意味ではない。
形から入るのも良いと思う。

いずれも気功を行うと、
自律神経の働きを高め、治癒力を高め、細胞が若返り、体に元気が蘇ってくる。
非常にメリットが多い。

当会が気功を重視する理由だ。

2016年9月27日火曜日

悪口は陰でお願いします

人は他人が理解できないと、他人を悪く言うことがある。
逆を言えば、悪口を言うということは他人を理解できていないと言うこと。

理解できないということは勉強不足ということ。
だから理解できるようになるために人に揉まれながら学んで行けばいい。

避けてばかりいては決して学ぶことは出来ないし、楽しくなる人生もつまらないものになってしまうかもしれない。

人は誰でも人より優位に立ちたい。
しかし他人を悪く言ったり、蹴落とそうとする行為は好ましくないと思う。
それで本当に自分に実力が備わるだろうか?

人生とは修行と私は考える。

他人を悪く言ったり蹴落としたりしようとする行為は自分の非力さを認めているようなもの。
意味がない。

仮にそのような方法で自分が上に行けたとして、その位置の重圧に耐えることが出来るだろうか?
上には上にしか解らない辛さがある。

適材適所。
人は常に自分の相応しい位置にいる。
まずそのことに感謝しよう。

上に行きたければ修行すればいい。
そもそも、己を鍛えなければ上の世界の重圧に耐えることなどできない。

***

因みに私は普段感情が一定している。
理由もなく機嫌が悪くなったりすることはない。
どちらかといえば私は普段いつも機嫌がいい。

なぜなら毎日が楽しいから。

いや、厳密に言えば楽しくないこともたくさんある。
悩んだり、悔やんだり、心を痛めたり・・

しかしそれらにはすべて理由があり、私はそこから逃げようとはしない。
何故辛い想いをしなければいけないのかその原因をなんとか探そうとする。

探そうと思わなければみつかることはない。
しかしその原因が解った時、その辛さは幸福感に変わる。

人を理解すること。
人を許すこと。

***

約35年前、住み込みのバイトで貯めた33万円を握りしめ、成功を夢見て上京。
しかし3ヶ月でそれを使い果たし、それからはカーテンも布団もない6畳一間のアパートに住み
食べることもできなかった私は飲食店でバイトし、まかないだけで空腹を抑えた。
どうしても空腹が抑えられない時は、飲食店裏のゴミを漁ったこともあった。
冬は毛布一枚にくるまって朝まで凍えながら、寝ても寝れない夜を何度も過ごし
昼間は腹が減らないようバイトの時以外は極力動かないようにしていた。

これが私の東京での音楽生活の始まり。

いずれも私は一度も勤めたことがない。
いつも一から。


前事業もポケットマネー4千円からスタートした。
しかしそれから約600人の組織リーダーになり、顧客数も3000人を超えた。
年商は約60万から十数年後には約5000万円へ。
6畳一間のボロアパートから日本とカナダの両生活が出来るように。

いずれも始める時はいつも一人。
だから、良いことも悪いことも全て自分の身に降りかかる。
逃げることは出来ない。

その中で学んだことは大きい。

しかし人生、七転八倒。
かつての組織は完全崩壊し、私自身も燃え尽きてしまった。
当時、生きる意欲さえ失いかけていた頃に出会ったのが太極拳。

これが私にとって第三の人生。
約10年の下積みを経て、ひとつの夢を抱き一人でサークルを立ち上げた。

その後の経過は決して順風満帆ではない。
本業である事業はメーカー側により取引を打ち切られ、生活は一気に大転落。
サークル運営を維持するために、老後資金としてコツコツ貯めていた貯金を全て投じ、それでも賄えず借金生活突入。
食もままならず、半世紀以上も生きてきて、またもや惨めな生活に。

何故そこまでして太極拳サークルを維持したかったか?

それは、皆の笑顔を見続けたかったから。
皆の笑顔こそ私にとっての生きがいだから。

今も尚、自分自身との闘いは続いている。

***

私のことを悪く言うのは構わない。
ただ、悪口は陰でお願いしたい。

生きること、夢を達成させることに必死なんだ。


とはいうものの、先程も言ったように私は今起きていることをすべて理解している。
まだまだ未熟な私だが、それぐらいの人生は歩んできたと胸を張って言える。

生まれてきたことに感謝し、
生きている間に出来る限りのことをしよう。
いつもそう思っている。


とてつもなく、とりとめもない文章になってしまった。。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

2016年9月25日日曜日

空気と闘う

来月、再来月行われるイベントのために久し振りに散手単練を行った。

散手は技の練習。
単練はひとりで行う練習。

いわゆる、空気を相手に闘う。

普段行っている太極拳の套路(型)は、流れがスムーズになるよう、
また元の位置に戻ってこれるようにつくられている。

套路はいわゆる数ある技をネックレスのように繋ぎあわせたものだが、
実際、闘うことを想定して技の練習を行うとまた違った動きになってくるのがわかる。

私は20代の頃ずっと作曲、編曲活動を行ってきたが、
その際に注意しなくてはいけないのは
ひとつの曲としてきれいにまとめるために、ある程度きまったルールを守らなくてはならない。

それは起承転結をつくることと、
あとは極端に音量のばらつきが出ないよう配慮すること。
リズムもきちんと整えないといけない。
そうでなくては、曲にならず、ただただ不快な音になってしまう。

リズムを整えることをクオンタイズといい、
音量のばらつきを抑えることをコンプレッションという。

楊式太極拳も同じく、同じリズムで演武を行う。
これにより気を練ることができ、体内エネルギーのレベルを上げることができる。

また、太極拳の演武では肩の高さを一定に保つことも大事。
肩が動くと敵に動きを読まれるからであり、
同時に高さを一定に保つことにより足腰を鍛えることが出来る。
それになにより美しい演武となる。

音楽も音の粒立ちを揃えると聴きやすくなるが、太極拳でも一定に保つことで得られるメリットは多い。

話がそれそうなので戻すことにする。

散手単練を鏡の前で行って思ったことだが、
套路にはない独特の美しさがある。
動きながら考えることは、小さな力で大きな力が得られるようにすることだが、
その時に美しく動こうなどと微塵にも考えていない。

だが套路を演武するよりもはるかに美しい。
少なくとも私はそう感じた。

前にもブログでとりあげたが、いわゆる「強いは美しい」
太極拳を武術として体を鍛え技を練れば、それそのものが芸術にもなるということ。
しかも体を丈夫にする。

しかし現実はどうだろう?
単に美しく動こうとして怪我をする人があまりにも多い。

何故こうなってしまったのだろう?

太極拳を行って健康になるのなら私は内外問わず心から応援したいが、
体を壊してしまうのならそのやり方が間違っているということを受け入れ
すぐさま止めて欲しいと思う。

そう願ってやまない。

2016年9月23日金曜日

気のパワー

昨日、ついうっかり車のドアに指を挟んでしまった。
勢いよく閉めようとしたドアに挟まったので、その時の痛みはかなりのものだった。

親指の腹の部分は内出血し、どす黒い紫色に。
爪の付け根あたりからは出血。

しかし、不思議なことに血が流れ落ちることはなく、
そのままあずき大ぐらいの大きさに膨れそのまま固まった。

指の痛みがジンジンからドクドクに変わり、
私は指に気を送った。

その後著しく変化が起きた。
約30分程で紫色だった指が赤に変化し、60分程でピンク色に。

そして今朝起きたらほとんど解らないぐらいになっていた。
指を強く抑えても痛くもない。

50代にしてこの凄まじい治癒力。

気功を行うと体が強くなると言われるが、怪我や病気の治りもすこぶる早くなる。
これは治癒力が高くなっている証拠。

大事なことは自分の偉大なる力を信じることだと思う。

2016年9月20日火曜日

この季節こそ気功

先日、会員さんの前でも話したことだが、私はこの季節必ず体調を崩していた。
いわゆる季節の変わり目。

それがなくなったのは気功と太極拳を始めてから。

ちょっと喉がいがらっぽくなったり、体全体が熱っぽくなったりするのだが、
気功をするといつしか消えてしまう。

当会で行っている気功に激しい動きはない。
ひたすら体をゆるめ、
そして立禅により気を巡らせながら溜めて行き、
そしてそれを今度は放出させる。

当会で行っている気功は健康効果も非常に高いが、
同時に勁力を増大させることもできる。
いわゆる病気をしない体づくりに留まるとなくその上を行けるということ。

気功を行うと、気血の巡りがよくなる。
じっと立っているだけでも、じんわり汗ばんでくるほど体が熱くなる。
まるでお風呂上りのようだ。
いわゆる、これは気血の巡りがよくなっていることを示す。

人間は常に病原菌と闘っている。
その戦いに敗れると病気になり、完全に破れるとこの世を去ることになる。
なぜ闘わなければならないかというと、常に自分自身が強くあるため。

もし、地球上にウイルスがなかったとしよう。
そうすると戦う必要がなくなってしまう。
恐らく人間の寿命は半分、いやそれ以下になるだろう。

いずれもその道の研究から体温が上がると免疫力が上がることが解っている。
気功を行うことは体温を上げるだけでなく気血の巡りがよくなるから
更に大きな効果が得られると考えられる。

そのようなわけで気功は誰にでもおすすめ。
筋トレをしないのに気功だけで体が強くなる。

私はたまに武術仲間や弟子に思いっきり体を殴ってもらう。
体や脚もガンガン蹴ってもらう。

因みに私の胸板は薄くアバラが見えるほど。
確かに打たれれば赤くなるがすぐに引く。
なによりも痛みをほとんど感じない。

心も体も強くするには闘うことが大事。
無論、自分自身と。

2016年9月13日火曜日

進化する伝統拳

太極拳は大きく分けて伝統拳と制定拳に分かれます。

伝統拳は創始者から伝わる伝統太極拳が親族、伝人、継承者、弟子によって受け継がれてきました。
ご存知の通り400年前にビデオなどあるわけもなく、師から弟子へと伝わってきたということになります。

特に歴史に残る名手といわれる武術家達は、師から技を盗みそれを何年もかけ鍛練し技を磨く者が多かったと言われます。
楊式太極拳の創始者である、楊露禅ですら最初は陳式太極拳の稽古風景を盗み見し、技を覚えたと言い伝えられています。

一方、制定拳は競技や検定用として制定された太極拳なので、姿勢や動作などきめ細かな指定があり、それによって誰が行っても動作が統一されるよう制定されています。
制定されていることによって審査しやすく、又、集団演武を行う際も全員の動きに統一性が生まれ見た目も美しいです。

さて、伝統拳と制定拳の套路(型)はずっと同じスタイルが守られているでしょうか?
いいえ。
私が知る限り伝統拳も制定拳も常に進化と退化を繰り返しています。

因みに、以前もブログでお話ししましたように、進化が良く、退化が必ずしも悪いとは限りません。

因みに伝統拳の進化とはどういうものでしょう?
それは師のお考えによって異なります。
健康を重視する師であれば、武術的要素を省き体に負担がなく覚えやすいものに変えていくでしょうし、逆に武術志向の高い師であれば、積極的に体を鍛え高度な技を練れるように変えていくでしょう。

このように伝統拳は受け継がれていくことによって進化と退化を繰り返しているのです。
健康効果を重視することが進化とするなら、武術志向の師にとっては退化と考えるでしょうし、
逆に武術的要素を重視することが進化なら、健康志向の師にとっては体に負担が掛かることを懸念し退化と考えるかもしれません。
いずれもこれらは私が解釈することではなく、師によって考えは異なるということです。

私はこれらがどちらに傾くことなく、健康効果を十分得ながらも、強く美しい太極拳であるよう研究し、しかも学び手が戸惑うことのないよう今の伝統スタイルを極力維持しています。
いわゆる私が勝手に套路に変更を加えたりすることはありません。

仮に多少ぶれたとしても最小限にとどめていますし、どちらが正しいとか間違いというものではなく、どちらも武術的視野からみれば正しいのです。

但し、今後設立予定の武術班ではその理念や目的に従い、進化していく太極拳を行う予定で、
いわゆる強く美しく生きた太極拳を目指します。


ところで制定拳はどうでしょうか?

制定拳は基本的に武術的要素よりも、どちらかといえば健康効果を狙ったもので、先程も話したように採点しやすいよう細かく制定されています。(少なからずとも制定拳を経験した私の勝手な解釈です)

とはいうものの、年々変わっているのも事実です。
高齢者の愛好家が多いことから、体への負担を最小限にしようという配慮でしょう。

又、最近では勁力を養うため内面も重視しながら極力ゆっくり動くようにと指導しているようです。
これらのことから察するに制定拳もまた伝統スタイルに近づけて行こうという動きがあるように感じています。

いずれにしても、時代と共に変化していくのはごく自然なことです。
伝統拳も制定拳もその時代にあったスタイルを求めそれを広めようという動きがあります。

だから、「套路を覚えたからもういい」ということはないのです。

人も時代も太極拳も常に進化しているのです。

2016年9月9日金曜日

心を柔らかく

指導していると
なかなか柔らかく動けず悩んでおられる方がおられる。

その時、感じることは心が硬くなっているということ。

だからリラックスしてもらうことを考える。

柔らかい口調で話かけてみたり。
つまらない冗談言ってみたり。
肩を叩いてみたり。
肩を揉んでみたり。
体をさすってみたり。

リラックスリラックス・・

心の緊張は体の緊張に繋がり、
それによって肩がこり、
筋肉の硬直で血行不良が起こり
体調を崩しやすくなったり
美肌が損なわれたり・・

とにかく、何一ついいことないのだ。

リラックスすることの楽しさ、素晴らしさを知って欲しい。

リラックスすることは美容、健康に繋がるだけでなく、
強くもなれる。


体の緊張を解くにはどうすればいいか?
それは心の緊張を解けばいい。

心の緊張を解くにはどうすればいいか?
それは体の緊張を解けばいい。

とにかくリラックスリラックス

2016年9月8日木曜日

まず聞くこと

私は人とコミュニケーションを図る際に必ず質問をします。

体調どうですか?
お仕事どうですか?
ご家族の方は元気ですか?
最近どこか出かけられましたか?

などなど。

何故質問するかというと、
単純に気になるからであり、
その方に関心があるからです。

逆に私の方から自分の話をペラペラ喋ることはありません。
それが相手にどんな影響を及ぼすか少なからずとも経験から学んできたからです。

これと同じように太極拳でもまず聞くことが大事です。
聞かなければ相手のことを知ることはできません。
知ることが出来なければどんな対応をしてよいかわかりません。
どんな対応をしてよいか解らなければ相手に何を与えてよいかもわかりません。

こんなふうに考えると
太極拳の原理は社会人が日常生活でごく一般的に行っていることだということがわかります。

太極拳では相手に勝とうと思ってはいけません。
そもそも負けを知らなければ勝ち方もわかりません。

また、太極拳で相手を打ったとしてもそれは勝つことを意味するわけではありません。
相手の闘争心を沈めることが目的です。
言い換えれば和解を求めているわけです。

私の太極拳の解釈は
「聞く、許す、導く、与える」です。

これを太極拳の用語に置き換えると
「聴勁、走勁、化勁、発勁」です。

相手を知り、
相手の行動を許し、
相手に心の傷を負わせない方向に導き、
最後に相手がもう手を出さなくてもいいように与えます。

相手に心の傷を負わせないとは、相手に打たせないということです。
打たれれば怪我をします。
血が出たり、骨が折れたりするかもしれません。
それで打ったほうは本当に満足するでしょうか。

戦争で生き残った方々のお話を聞くと、
戦争とはいえ同じ人間を殺さなければならなかったことを悔やみ、償いようのない罪の意識を一生持ち続けるのだそうです。
生き残ることが幸せとも限らないということです。


聴勁(ちょうけい)とは相手を知ること。
走勁(そうけい)とは逆らわず許すこと。
化勁(かけい)とは導くこと。
発勁(はっけい)とは与えること。

私はこのように解釈します。

太極拳が平和をもたらしますように。

2016年9月7日水曜日

形意拳は低燃費?

先日の日曜日、第三回目の入門形意拳の部を行った。

前回までは三体式、歩法、劈拳までの内容だったが、今回は鑚拳と崩拳の練習も行った。

皆さんとても真剣に取り組まれいつもの空気とは明らかに違った。

形意拳もまた禅。
同じ動作を何度も何度も繰り返すので忘れることがないし、無心で打つことが出来るのが形意の最大の特徴。

複雑な表演用套路では決して得られないハイな状態に入ることができる。

さて、当会で練習している河北派の形意拳。
先日稽古前にお話ししようと思っていたのだが、話をするより体を動かした方が良いと思い詳しい話は割愛した。

私が伝えたかったことは、形意拳はとても低燃費であること。
他の中国武術は走ったり跳んだり回ったり、とにかく激しい動きが多い中、形意拳は「これで本当に人を倒すことが出来るのか?」というほどシンプルかつ静かな拳法。

なぜ動きが小さいか?
それは内功を練り気を以て打つから激しく動き回る必要がないのだ。

先程も練習場で、6つの套路を何度も繰り返し練習した。
1分程のインターバルを挟みながら約2時間ほぼぶっ通しで練習。
しかし、全く息が切れることがない。
なのにじんわりいい汗をかく。

ほどよい疲労感が心地いい。
丁度いい運動をしたような感じだ。

形意拳は力学的にも非常に科学的で合理的な拳法。
それに気功の要素が含まれているから、筋力をほどんど必要としない。
意をもって打つ。

だから息切れしない。
心拍数が上がり酸欠になることもない。
酸欠にならないから常に脳と体全身に新鮮な酸素が送り込まれる。
だから、ふらつくこともなく常に気をしっかり持つことができる。

形意拳はいわば武術のハイブリッドカーのような感じ。
体力の消耗は最小限なのに、一打必倒と言われる程のパワーを出すことが出来る。

これほど低燃費な拳法は他にないのではなかろうか。

2016年9月6日火曜日

太極拳で膝の痛みが消えた

その後気が付いたことだが膝の痛みが消えた。
完全に消えた。

結局解ったことは
見栄えの良い美しい演武をしようとすると膝を痛めてしまうということ。

決して競技用太極拳を否定するわけではない。
若い人はどんどんやればよいと思う。

しかし50過ぎてくると、体の中で作られにくくなるものや減っていくものがある。
自然現象でありこれに逆らうことはできない。

50代には50代の太極拳があり、
60代には60代の太極拳がある。
年代と共に変えていくのが自然なことであると思う。

ただ、どんなスポーツにも引退時期があるが、太極拳に限ってはない。
死ぬまでできる。

しかし、それはあくまでも年相応の太極拳を行った場合だ。

悲しいかな男の性というか、
「まだまだ若い奴には負けん」みたいなものがどこかにある。
そして無理をして膝や腰や筋を痛める。

私が考えることは逆。
私が若い人たちに憧れたり妬んだりするのではなく、
逆に若い人たちが憧れる様な
歳を重ねてきたものでなければ出来ないものを見せて行きたい。

私には経験がないが
話を聞く限り華道や茶道に通じるものがあるように思う。

それは若い時にはなかった根気や持続性。
この歳になってくると自己顕示欲や虚栄心もなくなってくる。
それを逆に生かし、地味すぎてやりたくなかったことに専念できる歳になったということ。

私の場合はそれが立禅。
今、禅の世界にずっぽりはまっている。

しかも立禅を行えば行うほど強くなる。
それは決して派手でカッコイイ技が決められるようになるということや、
力強い突きや蹴りが出来るということではない。

技が見えないのに強い。
突きの速度が遅いのに相手を簡単に崩すことができる。
力を使ってないのに何メートルも相手を飛ばすことができる。

こういうことをやるのに適した年齢になってきたように思う。
しかも若い頃のように「若いうちに」というような焦りもない。

死ぬまでにコツコツと積み上げて行きたいと言うような考えになってくる。

私が太極拳から離れられなくなった理由。
私が最初に所属していた会の大先輩が仰った言葉。
「太極拳は棺桶に入る直前が一番強い」と。

これは一般常識を覆すようなことだ。
歳をとればとるほど弱くなると考えがちだが、こと伝統太極拳に限ってはその逆。

因みにここは強調しておきたい。
これは伝統太極拳に限ったこと。
伝統太極拳は人前で演武を披露することを目的としているのではなく、己を鍛えるための太極拳。

鍛えるといっても筋肉モリモリになるのではない。
痩せこけていても強くなる。

そして高齢者にとっての最大の悩みである膝も腰も丈夫になる。
脳も活性化され、若々しくなる。
恐らく太極拳程、高齢者に適した鍛練法なないのではなかろうか?

いずれも私はその生き証人になりたいと思っている。

2016年9月3日土曜日

楊式太極拳の絶大な美肌効果

これは明言できることですが、
気功と太極拳を行うと確実に肌がきれいになります。
特に楊式太極拳の美肌効果は絶大です。

私は20年近く美容関係の仕事をしていたので、
自分も他人も含め無意識に肌チェックをしてしまう習慣があります。
決して鏡が好きなのでもなく、ナルシストでもありません。
自分を過剰評価したり過小評価することもありません。

ただ、講師という立場から最低限の身だしなみはしなくてはと思っているので
毎日、肌や髪の手入れは簡単ながら行っています。

因みに鏡の前でチェックするのは・・

どんな生活をすれば?
どんなものを食べれば?
どんな基礎化粧品を使えば?

肌にどんな変化が現れるか、それを20年間研究してきました。

だから鏡を見ることは私にとっては仕事だったわけです。
そしていつしか肌を見るだけでその方の健康状態が解るようにもなりました。

私は太極拳の美肌効果を確かめたくて、太極拳を行う前の顔を鏡で良くチェックしてみました。
そして20分以上かけ、楊式太極拳を一通り終えてからもう一度鏡を見ました。

それはハッキリと実感できるほど
明らかに肌のハリ、艶、透明感が変わっていました。

具体的には
ほうれい線が目立たなくなり、
目尻が上がり、
まぶたにハリがうまれ目がぱっちりに。
くすんだ肌に透明感が得られ、
しかも血色もよくなり、美白効果も。
確実に美肌効果を確認しました。

今度機会があれば、どなたかモデルになって頂きビフォーアフターの画像を公開したいと思っています。

多分このようなチェックをする方はおられないのではないでしょうか?

これは顏だけではありません。
気功も太極拳も全身の血行を促します。

いわゆる体まるごと美肌効果があります。

女性会員さんのお顔を見ていると入会された頃に比べ明らかに変わってきた方を多くお見受けします。
今の私の立場から、あまりそのことに触れることはありませんが
私の中では女性がよりいっそうきれいになることはとても嬉しいことです。
表情まで変わってきますね。

ということで、只今モデル募集中です。(笑)

2016年9月2日金曜日

FBとブログについて

武術とは全然関係ない話ですが、
これまで積極的に行ってきたFacebook

武術関係の友達が増え、お互いに励まし合ったり刺激し合ったりして、
確実にプラスになりました。
懐かしい友達とも再会できたり、Facebookのメリットは大きかったように思います。
自分で自分を追い込むために自主練の記事を積極的に投稿したりもしました。

しかし、いつしか友達が増え過ぎ、
Facebookにとられる時間がどんどん増えていきました。
買った本も読まずにそのまま放置。
計画していた仕事や練習も進まない状況で、いつしかFacebookが大きなストレスに。

禁煙と同じように減煙しようとしてもなかなかうまくいかにようにFacebookも同じでした。
そこでプライベートのFacebookを当分辞めることを公言しました。
(サークルのページは今も更新中です)

それからというもの私は完全に自由になりました。
今は勉強も練習も捗るばかりです。
スマホを見る時間も激減しました。

実はスマホの小さな画面でいろいろ閲覧したり、入力したりするのはかなりのストレスでした。
スマホを手放すと人間これほど自由になれるのかと思いました。

以前、今のようにスマホ病になる前、ケータイ病にもかかりました。
ケータイが普及し始めた約20年前頃、
電話が鳴るのが嬉しかったはずなのに、
いつしかひっきりなしに電話が鳴り続け私の生活どころか睡眠時間さえも奪われるまでになりました。
私はどんどん痩せこけ頭痛、肩こりが酷くなり、めまいや立ちくらみなども起こるように。

ケータイもパソコンもスマホも文明が生み出した素晴らしいツールですが、
使い方を誤ると確実に体を悪くしてしまいます。

スマホの画面ばかり覗いていると、いい出会いも逃してしまうかもしれません。
美しい風景を見逃してしまうかもしれません。

もしかしたらスマホにマインドコントロールされてしまい、自分らしさを失ってしまうかもしれません。
検索すれば何でもその場ですぐに情報が得られる時代。
自分の中でイメージを膨らませるチャンスを失い、芸術的な能力が低下してしまうかもしれません。

因みにブログに関しては、プロフィールでも書いている通り、覚書として書き綴っています。
決してアクセスを狙ったものではありません。
私の記事に共感してくださる方が一人でもいれば十分満足なのです。
もっと言えば、私ひとりが満足すればいいとも思っています。

人に読んでもらおうと思うと、自分らしい文章ではなくなってしまうし、
そうなってくるとブログを書く意味がなくなってしまいます。

だから、見たもの、感じたこと、思ったことしか書きません。
人からの評価を得たくて書いているのではありません。
あくまでも、「自分らしさ」を失わないよう書き留めているだけです。

いずれも愛読して下さっている方には感謝申し上げます。
つたない文章ですが今後とも宜しくお願いします。