2017年7月29日土曜日

見せない芸術

今、丁度楊式気功をやり終えた。

体がすぅーっと軽くなり、気分もスッキリ。
体にたまっていた毒のようなものが煙のように消えていってしまったような感覚。

楊式太極拳に魅せられ15年
この太極拳に出会えてよかったと思える瞬間。

楊式を何かに例えるなら「風」が一番しっくりくる。

これまで演武力を高めるため表演にも力を入れてきたが
今はその表演意識を壊そうとしている。

もう誰にも見せなくても良いのに
まだまだ見た目を意識している自分がいることに気付く。

この表演意識が完全にゼロになった時、
今まで見たこともない素晴らしい世界に行けるような気がしてならない。

見た目を意識すると必ず力が入る。
スーツを着ている時と素っ裸で風呂に入っている時との違いのようなものだろうか。

表演服を着ていると見た目柔らかく見えるが、
表演しようとしていること自体力が入っていることに気付く。
だから表演で放鬆に至ることはないと思う。(あくまでも私は)

力を抜くとなにが良いか?

気の通り道である経絡が開き気血のめぐりが良くなる。
芯から体が温かくなり免疫力を上げる。
温泉に浸かっている時のような気分を味わえる。
肌のハリ艶が断然良くなる。
力に頼ろうとしない分体に隙間が生まれそこに筋力ではない力が入ってくる。

因みに放鬆とは頭の中も空にしなければそれに至ることはない。
頭の中を空にすると〝つながる”感覚を味わえ、
そして、多くの〝気づき”が得られる。

水の入ったコップに水を入れることが出来ないように、
一度コップの中の水を捨てなくては新しい新鮮な水をいれることは出来ない。

これまで私は芸術性も重視してきた。
理由はこれまで何度も書いてきたが、すべて自分に必要なこととしてやってきた。

その私が今、芸術性を捨てようとしている。
いや、正確に言えば見せる芸術を捨てようとしている。

これからは見せない芸術を求めて行きたいと思っている。

新しい自分に出会うために。

2017年7月25日火曜日

苦悩、努力、涙、そして新たな道 4 ありがとう

体育館入口付近の廊下で去年拳術チャンピオンOさんとばったり会う。
そして、Oさんは笑顔で手を差し出し「おめでとうございます」と。

私は自体が把握できず
「え?なにがですか?」と聞き返した。

するとOさんは「入賞されてますよ」と。

私は信じられなかったので「え?噓でしょ?」と聞き返した。
確かに場内アナウンスで私の名は呼ばれなかったように思えた。

この時、横にいた弟子は、飛び跳ねて喜んだ。
「えっ?!やったぁ!やったぁ!すごい!」
まるで自分ごとにように喜んでくれた。

私はそれでも信じられなく、順位表を見るために走ろうとしたその時
場内アナウンスが流れた。

「入賞された〇〇選手、表彰式を行いますので表彰台までお越しください」と。
私の名が呼ばれた。

ようやく私は自分が本当に入賞したと知った。
呆気にとられている私の横で弟子が私の分まで喜んでくれた。
そして表彰台に走った。

私は3位、銅メダル。
表彰台で賞状を受け取る時
何故か涙がこみ上げてきそうになったのを必死に堪えた。

おそらくこの5年間、自分と葛藤しながらも
死に物狂いで頑張ってきたことを思い出していたのだと思う。

暑い日は汗だくで、
寒い日は凍り付きそうな程の冷たい風に打たれながらも、
朝も昼も夜も夜中も頑張ってきた。

そんな私の姿を見て、そこに居合わせた人や通りすがりの方から励ましの言葉やエールを頂いたり、顔見知りの方もいつも応援してくださった。
人の温かみを感じる瞬間であり、そして多くの方々から力を頂いた。
本当に有難いことだった。

私が5年前始めて大会に出た時、すでに決めていた。
4年で勝負を決めると。
そして引退しその後は思いっきり伝統の修行をしようと。

最後の最後に私は嘘ではない自分の演武をし、そしてメダルもとることができた。
これ以上最後に相応しい結果があるだろうか。

今まで頑張ってきて本当に良かった。
最後まで諦めないで本当に良かった。

自分の演武をし、
そして皆の期待に応えることが出来た。

どちらかを選択しなければならなかったはずなのに、
どちらも達成できた。

そしてこれからは自分を偽ることなく、本当にやりたかった修行に専念できる。
今まで味わったことのない達成感と共に開放感が得られた。

*****

今まで私のことを応援してくださった方々に心から「ありがとう」と言いたいです。
絶不調の中、最後の舞台で奇跡が起きたのは、間違いなく皆さんのお陰です。

私のことを心から心配してくれ、励ましてくれ、優しい声をかけてくれ、笑顔で手を振ってくれ、涙を流してくれ、エールを送ってくれ、盛大な拍手をして頂いたこと、本当に嬉しく励みになりました。
私が悔いなく選手人生を終えられたのは本当に皆さんのお力によるものです。

そして、私にこのような素晴らしい機会を与えてくださった府連盟の方々に心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。




<過去5年間の大会全実績>

2013年
奈良県武術太極拳競技会 剣刀種目 3位
全日本武術太極拳選手権大会 剣刀種目 18位

2014年
奈良県武術太極拳競技会 拳術種目 優秀賞
奈良県武術太極拳競技会 楊式太極拳 2位
奈良県武術太極拳競技会 呉式太極拳 2位
奈良県武術太極拳競技会 剣刀種目 2位
全日本武術太極拳選手権大会 剣刀種目 14位
中国伝統武術近畿交流大会 拳術種目 銅賞
伝統武術観摩交流大会W1-GP 形意拳 銅賞

2015年
奈良県武術太極拳競技会 拳術種目 優秀賞
奈良県武術太極拳競技会 楊式太極拳 2位
奈良県武術太極拳競技会 剣刀種目 2位
全日本武術太極拳選手権大会 剣刀種目 10位
中国伝統武術近畿交流大会 器械種目 銀賞
中国伝統武術近畿交流大会 拳術種目 6位

2016年
奈良県武術太極拳競技会 拳術種目 優秀賞
奈良県武術太極拳競技会 楊式太極拳 2位
奈良県武術太極拳競技会 剣刀種目 2位
全日本武術太極拳選手権大会 剣刀種目 10位
中国伝統武術近畿交流大会 器械種目 4位
中国伝統武術近畿交流大会 拳術種目 8位

2017年
奈良県武術太極拳競技会 拳術種目 優秀賞
全日本武術太極拳選手権大会 拳術種目 23位
中国伝統武術近畿交流大会 器械種目 銅賞
中国伝統武術近畿交流大会 拳術種目 5位

2017年7月23日日曜日

苦悩、努力、涙、そして新たな道 3 執念の形意棍

遂に選手人生最後の演武の時間がやってきた。

それまで絶不調ながらもそれなりにリラックスしていた自分とは異なり
今度は闘志を燃やす自分がいた。

舞台裏集合場所で入場のため一列に並ぶ。
いつもの自分なら気持ちを緩めるためにも周りの選手と会話を楽しむのだが、
今回は誰とも一言も口を利かなかった。

気が散ることを避けたかったからだ。

そして選手入場と共に会場に入る。
この時の気分は先程と同じよう勝負に出ようと腹は決まっていたが、
あとは自分を信じるしかないと思っていた。

初出場から2年連続入賞した近畿大会だったが
3度目である去年の形意拳は自選種目だけに出場選手の身体レベルが非常に高かったことと
もう一種目は棍から手を何度か滑らせてしまい、惜しくも敗退。
48歳から始めた形意拳、50を超えた今、とても若い人に敵わない。

いずれも去年の悔しさもあったので
そのリベンジを果たしたかった。

コート袖で、何度か軽く棍を振ってみる。
やはり調子が出ない。
相変わらずドームの天井はゆっくりと回っており、
棍を握る手も力が入らず、いつでもすり抜けそうな感じだった。

そして自分の番が回ってきた。
コート袖に立ち棍を持って包拳。
立ち位置までゆっくり歩き進んだ。

立ち位置についた時、こう思った。
一発目の劈棍が勝負だと。
ここでいつもの力が出せればあとはなんとかなるだろうと。

ゆっくり息を吸い、棍梢(棍の先)で天を突く。
この時棍に命が宿った気がした。
そして、半歩踏み出し、私は大きく棍を振り下ろし最初の劈棍を決めた。
棍梢がブルンと震える。

先程同様、眩暈も動機も脱力感も消えていた。

絶好調ではないが、
なんとかなる・・
そう思った。

もうあとは流れに任せた。
私の好きな横棍、そしてそれに続く鑚棍
伸び伸びとした動きができた。

ぶっ倒れてもいいと思っていたが、実際に倒れてしまうと大量減点。
倒れるわけにはいかない。
スタミナを保ちながらも、一発一発力一杯棍を振った。



演武の後半に差し掛かった頃から、残っているスタミナを使い切ろうと思った。
そこからは持てる力を振り絞り、棍をぶんぶん振り回す。

恐らくこの時の私は殺気だった状態だったと思う。
仲間からの声援や涙を無駄にしたくない!

そして私の演武はいつになく荒々しく激しくなっていった。
周りの選手が私を避けるのがわかった。

そして最後の見せ場である連環斜劈棍では、
最後の力を振り絞り力いっぱい棍を振り下ろす。

ここでは低い位置まで棍を振り下ろすのだが床は叩かない。
しかしあまりの勢いに棍が加速してしまい床を思いっきり叩いてしまった。
この時に審判席の空気が変わったことを感じた。

最後は舞花転身跳棍。
棍を回し跳びながら転身し、収式に入る。
最後は棍把を床に打ち込み気を沈める。
ドーンという音がドームに鳴り響いた。

終わった。
全てが終わった。

思いっきりだっただけに荒々しい演武になってしまったと思うが、
こちらも悔いはなかった。
というより、不調を言い訳にしたくなかったのだ。
不調だからと審判はそれを配慮してくれるわけではない。

不調もまた実力。
やる時はやる。
それが私が53年間貫いてきた精神。

確かに上を狙いには行ったが、
終わった時点でそのことはもうどうでも良くなっていた。
とにかく自分は絶不調の中、ノーミスでやりきった。
それだけでも十分だった。

その足で観覧席に戻ろうとしたら、
観覧席の廊下で目を赤くし涙ぐんでる弟子が私の帰りを待っていてくれた。
悔しいことがあっても決して泣かない弟子が、泣いている。
もう言葉は何もいらなかった。

本気で私を心配し、
本気で応援してくれてたんだと思った。
その場でずっと泣かれてしまったので取り乱しそうな自分を抑えるのに必死だった。

ありがとう。
本当にありがとう。

しかし自分の演武は決して美しい演武というものではなく
恐らく魂の叫びに近かったように思う。
荒々しく殺気立った演武。
他の選手は皆大変素晴らしかっただけに入賞はないだろうと思っていた。
それでも私はもう十分だった。

皆から頂いた拍手や声援、
仲間からの励ましの言葉や賞賛、
両手で思いっきり手を振ってくれたO先生、
私の体を最後まで気遣ってくれたHさん、
私のために泣いてくれた弟子。

すでに金メダルを遥かに超えるものを皆からもらっていた。

その時場内アナウンスが聞こえた気がした。
一人一人名前が呼ばれる。
場内が煩かったのでアナウンスがよく聞こえなかったのだが、
私の名は呼ばれなかったように思えた。
やはり届かなかったか・・と。

やむを得ない。
自分はやりきったんだと。

いずれも一応順位を確かめるために貼り出された順位表を弟子と観に行こうとした。
が、その時・・

続く

苦悩、努力、涙、そして新たな道 2 奇跡の形意拳

自分の立ち位置まで進む時、なぜか気持ちは落ち着いていた。

恐らく、上を狙う演武をしようとするのではなく、
いつも通り自分の演武をしようとしていたからだろう。

立ち位置に付き、無極式から太極式に入った時である。
大きく息を吸いながら両手を上に広げたその時、
なんとも言えない柔らかい光に包み込まれたような気分に・・
そして何かが自分の中に舞い降りてきた。

この一瞬で先ほどまで起きていた眩暈、動悸、発熱、手の震え、脱力感すべてが消え去り
ふわぁーっと中から力が湧いてきた。
息をゆっくり吐きながら三体式(形意拳の基本の構え)に入る。

最初は鷂形から始まる。
いつも私はここで十分気を溜めてから一気に打ち込む。
その時、独立歩になる時間が長くなるが、揺れることなく安定していた。













この時自分は本来の力が蘇っていることを自覚した。
あとは、意識よりも先に体が動き、気がつけば
河北派の打たない踏み込まないいつもの自分の形意拳を行っている自分がいた。

自分の演武をしている!
そう思った。




収式に入る前、崩拳を一発入れ、最後は横拳で終わるが、
その崩拳では体全身から全エネルギーを炸裂させた。
仲間が私の崩拳には殺人的パワーがあると言ってくれたが、それを最後に打ち込んだ。

選手人生最後の形意拳。
奇跡が起きたことによって、全く悔いのない自分らしい演武ができた。
最高の気分だった。

そして包拳をしてコートを立とうとした時、
コート袖や観覧先から「好!」という歓声と共に大拍手が起きた。
知るはずがないのに、まるで私が極限状態であったことを知っていたかのように。
拍手が全くない選手もおられるのに何故私にこれだけの拍手が?
私は嬉しさのあまり涙が出そうになった。

そして選手控え位置に戻った時、
体調がまたおかしくなった。
体がとめどなく熱くなり頭も熱っぽく。
その時、既に出番を終えていた八極拳の拳友がそんな私の状態を見て
心から心配してくれ扇子で一生懸命私に風を送ってくれた。
なんと有難いことか。。
しかもこの拳友は金メダリストのチャンピオン。

その拳友に「この扇子をしばらく貸してもらえないか」と伝えたら快く貸してくれ
それを持って観覧席に戻った。
そして席には、サポートを頼んでいた弟子が私の帰りを待っていてくれた。

私の体調を知っていただけに心配もあったのだろうが、
演武がとにかく凄かったと言ってくれ、
仲間と一緒に感動して泣いていたという。
その仲間は去年の金メダリストチャンピオン。
その想いが伝わりまた私もまた目頭が熱くなってしまった。
本当に嬉しかった。

私はすぐに次の種目の出番があったので、
再度コンディションを整えねばならなかった。
弟子が扇子で手がつりそうなほど一生懸命扇いで風を送ってくれた。
水分補給をし、栄養補給をし、汗を拭い、
そして休まず風を送ってくれた弟子のお陰でなんとか熱っぽさを下げることができた。

そしてその時場内アナウンスが流れた。
入賞者の名が順に呼び出される。
これだけ皆私のことを応援してくれたんだ・・
私は自分の名が呼ばれることを祈った。

しかし私の名が呼び出されることなく場内アナウンスは終わった。
全日本と同じだった。

自信の演武だっただけに悔しかったが、仕方ない。
大会向けの演武ではなかったし、元々覚悟していたことだったから。

応援に来てくれた弟子や先生方、そして拳友仲間。
都合により急遽来れなくなった拳友。
それに、地元奈良から応援してくれている私の生徒達。
私の体を心配してくれ、心から応援してくれ、
そして感動で涙してくれたこと

このことを思うと、手ぶらで帰るにはあまりにも申し訳ない・・
次の種目も自分らしい演武をするか、
それとも勝負に出るか、
迷いに迷った。

そして決断した。
形意棍で持てる力を振り絞ろうと。
途中でぶっ倒れようが、
棍がへし折れて粉々になろうとも
とにかく力を出し切ろうと。

次の出番の集合時間まであと20分。
私は腹を決め集合場所に向かった。

続く

2017年7月18日火曜日

苦悩、努力、涙、そして新たな道 1 思わぬ障害

2017年7月16日
私は静かに選手人生にピリオドを打った。

私の形意拳の演武が終わった時、観覧席が湧いた。
この4年間でこれほどの拍手を頂いたのは始めて。
何故私に?


その前日、私は最後の調整のため練習に励んだ。
今までなら前日に練習をすることはなかった。
本番三日ぐらい前になるとかるく体をほぐす程度で、それよりも体を休めることに専念した。

しかし、今回は最後の試合。
全日本では思いっきり自分の演武をしてきたが、評価は過去最低。
私の全日本デビューは8.68から始り去年は8.75
しかし今年はまさかの0.3以上のランクダウン。

無論覚悟はしていた。
上を狙いに行くのではなく、私は東京の舞台で自分の形意拳をやりたかったから。
ただ、私のことを心から応援してくれていた仲間達に申し訳が立たない。

そもそも私が大会に出場しようとした理由は目立ちたかったからではない。
会の代表になった以上、生徒が誇れる先生になりたかったから。
だからこの4年間死に物狂いで頑張ってきた。
その結果が4年で8回受賞。

最後の舞台となる熊取では、悔いが残らないよう点数を取りに行くのではなく
自分らしい演武をするつもりでいた。
だから、二番弟子が見に行きたいと言ってくれたが、断った。
メダルを取りにいくのではなく、嘘偽りなく自分の演武がしたかったからだ。

とは言うものの、その言葉は心に残った。
だから本番直前まで、取りに行く演武をするか、自分らしい演武をするかの葛藤があった。
無論套路を変える時間などなかった。
力いっぱい大きく演武するか、それとも自分らしく静かに演武するかだ。

前日はそんな想いがピークになり、
気がつけば今まで以上に練習している自分がいた。
全く疲れなかった。
多分、気力で練習していたのだろう。

その後に自分の体に異変が起きた。
突然襲われた酷い眩暈。
目の前がぐるぐる回り出し、立つこともままならい状態に。
焦ったが、この時点では放っておけば治るだろうとそれほど心配はしなかった。

しかし時間が経てば経つほど症状が酷くなり、
足がもつれ倒れそうになったり
横になっても天井がぐるぐる回り、軽い吐き気も催し
一向によくなる兆しがない。

その状態を弟子に伝えた。
この日の夜は大阪での教室があったのだ。
彼女は今夜の稽古は私が代理でやるので先生は病院に行ってくださいとのことだった。
救われる思いだった。

弟子は今まで人前に立つのは苦手だから自分には出来ない、
一時は指導員になることを辞めたいとまで言っていたのに、
自信がないながらも、私を気遣うあまり、そのように申出てくれた。
嬉しかった。

その足で救急病院に行き、30分にわたり点滴を打ってもらった。
そしてその後の症状はかなり軽くなり、後は体をゆっくり休めて明日に備えようと思った。













翌朝の状態は悪くはなかった。
午前10時半頃に熊取に到着。
私は弟子に頼んでタイムを計ってもらうことにした。
形意棍でタイムを計ることをずっとしていなかったからだ。

練習用コートに立ち演武を始める。
そこで気付いた。
おかしい・・
いつものような力が出ないし、
少し動いただけなのに、動悸が激しく、手も足も全く力が入らない。
独立歩では全てと言っていいほど、右へ左へとよろめき、棍の定式も定まらない。
体の熱がどんどん上昇し、気がつけば汗びっしょり。
そして天井が回り出した。

この時、私の体はまだ治っていないことを自覚した。

悔しくてならなかった。
この日のために毎朝毎晩練習を積んできたのになんてザマなんだと。
最後に相応しい演武どころか、
二本足で立つことすらままならない状態でなにが出来ようか?

しかし落ち込んでもいられない。

最後の神頼みではないが、本気で神の力をお借りしたいと思った。
私はしばらく体を休めその後、抜筋骨で体を十分ゆるめ、
天と地を十分意識しながら立禅を行った。
やはり立禅の効果は絶大だ。
心がどんどん落ち着いてきた。

そして、いよいよ本番。
コート袖に立ち自分の出番を待っている間のその時、
まだ体の状態が万全でないことに気付く。

上を見るとドームの天井がメリーゴーランドのようにぐるぐる回っている。
相変わらず力が出ず、まるで空気の抜けた風船のようだった。
手は震え、拳をしっかり握ることすら出来なかった。

もはやここまでかと思った。

もう、演武中にぶっ倒れてもいい。
やるだけのことをやろうと。

出番が回ってきた。
名前を呼ばれ、包拳礼をし、
コート上で足がもつれないようまっすぐ歩き、立ち位置まで進んだ。

そして、その後驚くような奇跡が起きた。

続く

2017年7月15日土曜日

なるほど

私が丁寧に指導していると、
会員さんが「あー、なるほど!」と言う。

この「なるほど」という言葉は苦労や努力の上に出る言葉である。

なるほどと言える自分になろう。

*****

先日、入会された会員さんが体験に来られたその日に
周りの初心者の方々に私の許可なく指導を始められた。
私はその場で注意した。

「教えると覚えないから教えないように」と。

あとでわかったのだが、
その方は太極拳歴12年の現役指導員とのこと。

その後、私は厳しいことを言って申し訳なかったとその方に伝えると
その方ははっきりとした口調で「当然のことです!」とおっしゃった。

誰でも最初はわからない。
さっき先生に教わったばかりなのに自分ひとりで動こうとするとどうしても思い出せない。
これが大事。

ずっとつきっきりで教えていたら、学ぶ者は覚える機会を逃すことになる。
思い出そうと努力することこそが、脳を活性化させ、若返りにつながる。

教えることも大事だが、教えないことも大事。

必死に思い出そうとし、もし仮に思い出せなくとも、
次に教えた時に「なるほど!」と思える。

この「なるほど」と思う時が人間最も吸収できる時。

教えないことも指導の一つなのである。

2017年7月14日金曜日

動かない套路

これまで約4年半、270人近く指導してきたが、
套路の順番を覚え、細かな動きを覚え、
ようやくそれらしい動きができるようになったかと思えるレベルに来た時に
どうしてもすぐに直すことのできない壁にぶつかる。

それは姿勢とゆるんで柔らかく動くこと。

套路を始めるとまず大まかな動きと順番を覚えようと思うだろう。
無論それで間違いないし、私もそのように指導している。

そして次に細かな動作を覚える。
その動きが正しく太極八法の動きに沿ったものになっているかどうか。
(太極八法とは太極拳の最も基本となる技のこと)

そして最後に残る課題が先程述べた通り。

正しい動きをしていても、姿勢が間違っていれば太極拳でいういわゆる柔よく剛を制すことにはならない。

また、ゆるんで柔らかく動けなければこれもまた同じ。

どうすれば良いか?

結局基本に戻ることになる。

ある程度太極拳の動きを習得すると出来た気分になる。
これは大間違い。
私は始めて15年になるが、まだ10ある内の3にも達していないと自分で感じている。

どうすれば良いか?

それは站椿功を行うこと。

昨日も幾人かに站椿功をすすめた。
動く套路から動かない套路へ。

正しい姿勢をつくり、そのまま木のように立つ。
気を沈め、極限まで脱力する。

私は太極拳を辞めていく人をみていつも思う。
本当に楽しくなるのはこれからなのに・・と。

映画のクライマックスを観ずに席を立つようなもの。
富士山頂に達する直前で下山するようなもの。

太極拳は套路を覚えただけでは習得したことにはならない。

それで何ができるだろう?
生活に役立つだろうか?
健康管理に役立つだろうか?
美容に役立つだろうか?
護身に役立つだろうか?

太極拳は太極拳でしか得られない膨大な利益が得られるのに、
途中で辞めてしまうのはあまりにももったいない。

太極拳を単に套路を覚える習い事だとは思って欲しくない。

太極拳の始まりは套路を覚えてからなんだ。

2017年7月9日日曜日

最後の東京体育館

先程東京から戻った。

全日本引退試合、過去最高の演武が出来た。
とてもリラックスして挑めたし、
最後の最後まで気持ち良く演武できた。

途中で息が切れることもなく、
スタミナが切れることもなく、
大舞台である東京で、
私が学んできた伝統形意拳を思う存分やれたし
最後に相応しい演武が出来た。

そして、とても爽快な気分で東京体育館を後にすることができた。

5年間どうもありがとう。

2017年7月7日金曜日

心を開くこと

これから東京へ向かい、最後の試合に挑もうとしているのに
ずっとやるせない気持ちが続いている。

私は常に皆のことを理解しようと努力しているのだが・・

理解を求めているのではない。
しかし出来れば理解し合いたいとは思っている。

私が今していることは師から受け継がれたこと。
師を尊び、師から受け継いだことを伝えることが私の使命だと思っている。

私のことを否定することは私の師を否定するも同じ。
私に自分の考えを押し付けようとするのもまた私の師を侮辱するも同じ。

私の師もまた師を尊び、毎日修行に励んでおられる。

誰もが思うことだろう。
自分のことは何を言われても構わないが、
自分が愛する人のことや自分の家族、
また自分が尊敬する師をのことを否定されたら強い悲しみと憤りを感じるだろう。

私が今やるせない気持ちになっているのは、
心を開いてくれないこと。

心を閉ざしてしまったら、
すべてのことが良くないことへと向かってしまうことは誰もが経験していることだと思う。
それに気づいて欲しい。

辛い思いをするのは自分自身。
そして、私はその辛い思いをしている人と向き合わなければならない。
これもまた辛い。

打開策はただひとつ。
心を開くこと。

2017年7月6日木曜日

引退

何度も考えた末、
今年で大会を引退することにした。

ということで今年が最初で最後の拳術での引退試合。

私がこれまで師から学んできたこと、
そして自分が今まで積み上げてきたこと、
それを出し切りたい思う。

最後の東京体育館が自分の中で最高だったと言えるよう。

張り合うべからず

太極拳は人と張り合うための武術ではない。

自分の修行。

自分の可能性をどこまで引き出せるか?
それが太極拳に求められる修行の意味だと思う。

仲間同士と太極拳を行っていると、力の差を感じることもあるだろう。
私としてはありのままにそれを受け入れて欲しいと思う。

遅れをとってしまったからとか、
どうしてもあの人に敵わないとか、
誰それには負けたくないとか、
劣等感を感じてしまっているとか、

そのようなつまらぬプライドや煩悩は捨て去ろう。
そのこと自体が禅の道から外れるものであり、
いわば太極拳の修行から外れることになる。

自分がなんのために太極拳を始めたのかもう一度よく思い起こして欲しい。

人と張り合うため?
そうではないはず。

私は誰とも競わないし争いもしない。
だから優越感も劣等感もない。
ペースが乱れることもない。

ただ、自分の可能性を知るためにすべきことを全うするのみ。

2017年7月5日水曜日

大自然を目の前に

都会生まれの都会育ち。
その都会暮らしににも疲れを感じるようになり自然を求めこの地に。

当時は近代的なものを追い求め
そして人にもまれることが好きだった。
しかし今は自然の中で静かに生きて行きたいと思うように。

先日、キトラ古墳で青空太極拳を開催したが、
その美しい光景を目にした時、ここで太極拳を行いたいと思った。

自然の美しさを目にしたとき、
ただその空間にいるだけでもなんとも言えない幸福感を感じる。

その美しい大地に立てていることに喜びを感じ、
天に向け手を広げたくなる。

そのゆったりとした時間の流れに、ゆっくりと体を動かしたくなる。
すべては感じるがままに。

当会では年に何度か青空の下で気功と太極拳を行うが、
元々これを始めたのも心が求めるがままに。

美しい景色を見るとそれカメラに収めたくなるように
大地を踏みしめ手を広げたくなる。

今回の青空太極拳もそんな風に心が思うがままに企画した。

皆と円になって歩きたい。
自然に合う美しい音と音楽が欲しい。
大地と風と光を感じながら思考スイッチを完全にオフにし「無」になりたい。
ゆったりとしたそよ風のような楊式太極拳を皆で行いたい。

いつも思う。
楊式太極拳は本当に自然に調和すると。


大自然を目の前に思うこと。
その中にいるだけでも心地いいが、もっともっと自然を感じたい。
自然と一体化したい。

それが当会が目指す禅であり太極拳である。