2014年4月27日日曜日

独立歩を目標にしてはいけない

片足で立つことはバランス感覚が要求される。
だからといって、片足で立つことを目標にしてはいけないと思った。
因みに片足で立つ歩形のことを独立歩という。

なぜ片足でバランスをとることを目標にしてはいけないかということだが、武術的には片足で立つことが技ではなく、技を完成させるために片足になる必要があるから。
当たり前過ぎてわざわざ語ることでもないのだが。(笑)

例えば踵脚や金鶏独立。
蹴ろうとすれば自ずと片足立ちになる。

だから、片足立ちになることが目標ではなく、その上で蹴らなければいけないわけだ。

太極拳では蹴り技もゆっくり行う。
あのゆっくり蹴るという動作は軸感覚を養い、気を沈めることを自然と行うようになり、そして片足状態で思いっきり蹴ってもバランスを失うことなく体制を維持することが出来るようになる。
攻防一体型の中国拳法ではこの片足立ちでバランス感覚を養うことはとても重要ということになる。

いずれもバランスのとれた独立歩を目指すのではなく、目の前に敵がいると思って蹴る。
すると不思議と体が安定する。

この意識がないと、今でもバランスが怪しくなることはしょっちゅうだ。

いずれ、片足、指一本で両足で立つ相手のバランスを崩すことができるだろうか?
チャレンジしてみたい。

2014年4月25日金曜日

套路を覚えてからが出発点

私が初めて習った太極拳は伝統楊式太極拳。
あまりにも先生が気持ちよさそうに演武してるので、自分も早くそうなりたいと思った。

どうすれば先生のように力みがなく柔らかい動きになるだろうと。
そのためには早く覚えてしまうことだと思った。
先生の演武をみながらやっていたのでは、いつまでたっても力みは抜けないと。

だから、本当の太極拳は套路を覚えてからだと。
覚えるというより、覚えきってしまうという感じだろうか。

そして、今度は体にやらせる。
頭で動こうとするのではなく、自分自身に勝手にやらせるのだ。

何かを始めようとする時、決まって頭で考えようとする人をみかける。
かつての私も何か行動する前にいろいろ考えてしまう悪い癖があった。
太極拳を上手に演武するにはどうすれば?と考える。
この時点で本当の太極拳ではなくなってる気がする。(覚えるまでは無論頭を使うが)

いずれも頭の中に貯蔵されているデータは過去のデータのみだ。
過去のデータをどんなに参照しても今以上の演武ができるわけがない。

ではどうすればいいか?
私は“腹に任せる”という感じで考えている。

腹(丹田)は体の中で唯一未来のパワーを貯蔵することができる部分。

考えないで動こう。
頭を使わなければ自動的に丹田にスイッチが切り替わる。
腹は自分でものを考えることができるのでリトルブレインと言われているが、とにかく丹田にやらせる。

自分のまわりをとりまくものは空気だけではない。
水蒸気、イオン、磁気、プラズマ、宇宙線・・
さまざまなものが存在する。
その中でも自分にパワーを与えてくれるものだけを自分の中と周りに集める。

体幹から手をすぅ~~っと流していくと、空間の粘りのようなものとビリビリビリ~という磁力のような摩擦を感じる。
頭で考えたり力で動くとしているうちは決して体験できない感覚だと思う。

頭をからっぽにすることはストレス解消にも大きく役立つし、太極拳の本質を掴んでいくステップになると私は信じる。

2014年4月24日木曜日

キレイを目指すなら伝統楊式太極拳

タイトル通り、キレイになりたかったら絶対伝統楊式太極拳をすすめる。

これまで10年以上の武術経験の中で様々な武術を経験してきたが、最も美肌効果が高いのは伝統楊式太極拳だった。

私は本業が美容家なので、肌チェックは常に行っている。
肌チェックを行って良くとも悪くともその前にしたことを思い出してその原因を探る。
こうして、肌に良いことと良くないことを体で覚えてきた。

24式太極拳もいいのだが、時間が足りなすぎる。
それに技の展開が早いのでどうしても力みが生じがち。

伝統楊式太極拳は、仮に野馬分宗(のまぶんそう)にしても5回繰り返す。
1回目、2回目でしっくりこなくとも、3回目、4回目で無駄な力が抜け柔らかい動きができてくる。
繰り返すということには実に深い意味がある。

私は元ベーシストだが、ファンクミュージックを好んだ。
理由はひとつ。
ベースラインがとてもシンプルだからだ。
延々と同じパターンを繰り返す。
なのに飽きない。
それどころか、どんどん体内の躍動感のようなものが上昇し、丹田がうずき始める。
この時にグルーヴというものが生まれる。
グルーヴとは頭で感じるものではなく腹で感じるものだ。

繰り返すことは体にいい。
そして美容にもいい。
約20分ぐらいの伝統楊式太極拳を行う前と後とでは肌のツヤとハリが驚くほど違う。
それに、私は50になるのに尻がぜんぜん垂れていない。
腹も全く出ていない。

これ、伝統楊式の隠された美容効果。
論理的に説明することもできるが長くなるのでまた機会があればと。

とにかく一度体験されてみて欲しいと思う。
太極拳はとても気持ち良く、そして、どんどんキレイになる最高のエクササイズなのです。

2014年4月21日月曜日

人は人によって成長し変わる

昨日行った青空太極拳ではかなり自分なりに感じるものがあった。

かつてこれほど気持ちのいい太極拳があっただろうか。
ひとつ言えることは会員さん向けの模範演武ではなく、思いっきり自分のしたい演武。
中からナニモノかに突き動かされるように体が操られているようだった。

それは美であり、術でもあり、ヒーリングでもあったように思う。

もうひとつ感じたこと。
人は人によって成長するということだろうか。

私はこれまでの人生で何万人という人と接してきた。
人を知るためには自分を知らなければならない。
人の痛みを知るためには自分が痛みを知らなければならない。

大自然の中で行う太極拳も地球、宇宙との一体感が得られ大変気持ちいいが、
人の中で行う太極拳も明らかにそれとは違う気持ち良さがある。
特に今回は見せるための太極拳ではなく、自分が本当にしたい太極拳を表現するという感じだった。

私の演武を動画撮影されている方もおられたが、私が感じて欲しかったのは見た目の演武ではなく、私が何を感じているか。
それをカメラに収めることはできない。
音楽もCDで聴くよりライブの方が確実に演奏者の魂がダイレクトに伝わってくる

20代の頃、音楽活動をしていた私が10年近くかかってわかったこと。
人を動かすには自分が動かなければならないということ。
人を気持ちよくさせたかったら、自分が気持ち良くならないといけないということ。
その時こそ一体感が生まれることを知った。

ひとりでやる太極拳も楽しいが、大勢でやる太極拳も確実に楽しい。
そのためにも人の中でやらなければ、人を動かすことのできる太極拳は生まれないのではないかと思えてならない。

2014年4月10日木曜日

太極拳はカンタン

私の口癖。
「簡単でしょ」
サークルで指導している時、頻繁に口にする言葉。

これは私が勝手に思っていることだが、元々とてもシンプルだった太極拳が時代の流れと共に多くの人に親しまれるようになり、それに伴い指導者も増え、その結果非常に複雑化してきたように思う。
情報が多すぎるのだ。

たった一つの動作でも、あまりにも気にかけないといけないことが多すぎる。
それを気にして動こうとすると頭がついていかず、身動きとれなくなり挙句体中に力みが入ってしまう。
ガチガチの状態で、これが健康的と言えるだろうか?
美しいと言えるだろうか?
はたまたこれで戦えるのだろうか?

一度、白紙に戻してみよう。
頭をからっぽにし、本能に身を任せる。
すると実は太極拳がとてもカンタンであるということに気づく。

私の師匠は、弟子に套路を教えない。
ただついて真似るしかない。
だが、真似ているだけでも自然と覚えることができる。

いや、むしろいろいろ説明されない方が師匠から出ている空気を感じることが出来る。
その空気こそ太極拳で一番大事なことではないかと思う。

太極拳の技は早く動けばとても簡単な動作だ。
相手を倒そうとすれば、姿勢や動作、細かな注意点など気にしなくとも、自然と出来ていたりする。

太極拳は喧嘩するための武術ではない。
自分の身を守るための武術だ。
いつ、どんな災難に遭っても、老若男女問わず自分で自分の身を守ることのできるすぐれた護身用武術。

その上、健康、美容効果もすこぶる高いから願ったり叶ったり。
しかも曲線を描く動きだから、見た目もとても美しい。
美しくしようとしなくとも、美しいのだ。
見ているものを魅了する不思議な力がある。

これだけのことが得られる太極拳。
まったく難しくはない。
多すぎる情報に惑わされないよう。

私も、会員さんになんとか覚えてもらおうとついつい言葉数が増えてしまう傾向があるが、これからは言葉数を減らして行こうと思う。
情報の迷子にならないよう。
そして太極拳を心底楽しんでもらえるよう。

2014年4月7日月曜日

力みを抜くことは本当に難しい

一昨日、恐らく6年ぶりになろう恩師と東京で再会。
私に初めて太極拳を教えてくださった師だ。

その後どのように変わられたのだろうとドキドキだったが、お会いした瞬間、雰囲気お変わりなく懐かしい気分になるとともに少しホッとした。

太極拳と言えば、健康志向、表演志向など様々だが、師匠は完全に武道家。(ご自分では武術家とは仰らない)
ひたすら自分の中の“強さ”を求め日々修行しておられる。

今回、師匠を見て感じたことは、とても柔らかくなられたということ。
武術そのものだけでなく、人格的にもとても柔らかい空気を感じた。
以前の師匠はとにかく恐かった。
目つきが鋭く、触れるとこちらが痛い思いをするので近づくことすらできなかった。

稽古が始まり、まず最初に指摘されたことは筋力で体を支えようとしていること。
バレないようにと思っていたが、すぐに見抜かれてしまった。(笑)
確かに以前の自分は筋力で支えることを避け、常に力を抜くことを心がけていたのだが、試合向けの練習をするようになってから、筋力で支える癖がついてしまったようだ。

試合と言えど、筋力に頼らない沈む力と天(宇宙)に広がる感覚で動くことができないかが今後の自分の課題になりそうだ。

推手(すいしゅ)や散手(さんしゅ)も行った。
ここでもやはり力みを指摘される。
自分の中では限りなく力を抜いているつもりなのに、まだまだ力みがあったようだ。
どこに力みがあるかは解らないが、確かに無意識ながらも相手の動きに対抗しようとする力が働いてしまっていたんだろう。

「風を起こす」という師匠のアドバイスを元に限りなく力みを排するよう意識し、相手の動きに逆らわず合わせるように集中してみた。
一瞬それが出来たようで私の相手をしてくださったお弟子さんもそれに気づかれたよう。

そして、最後は勁力、いわば貫通する力を体験させていただく。
というより、今回私が師匠にお会いしたかったのはこれを一番体得したかったからだ。
勁力のコントロールを誤ると、内臓を傷つけてしまうばかりでなく死に至ることもあるというので内心怖くて仕方ないのだが、こればかりは経験しないと決して解らないこと。

腹に指先や拳を添えられ勁を通して頂く。
気は流れるものだが勁は貫く力があるという。

そしてこの時に初めて褒めて頂いた。
丹田が出来ていると。
毎日、立禅気功をした成果だろうか。

いずれも、腹に勁を通され、数十分後から腹に鈍痛のような痛みが出てきて、それが2時間ぐらい続いた。
今回、師匠もかなり手加減してくださったのだが、10年ほど前に勁を通された時はその瞬間から翌日まで腹痛が続いた。
それもそのはず、その頃の私はまだまだ全く丹田が鍛えられていなかったからだ。

やはり師匠の勁力は本物だった。
そして自分の丹田が以前に比べ変わったということが解ってとても嬉しい気分になった。

勁力は目に見えない。
発勁も目に見えない。
本物の勁力は体内を通って相手の体を貫通させてしまう力。
意識の世界だから目に見えなくて当然といえば当然なのだが。

いずれも力みがあるうちは、この力を得ることはないだろう。
今日から、筋力に頼ろうとせずに、もっともっと力みを捨てるよう練習しよう。

今回は本当に貴重な経験をさせて頂いた。
師には心から感謝の気持ちを述べたい。

2014年4月3日木曜日

架式を落とさないと見えてこないもの

当会では、個々の体力に応じ自由な架式で練習するよう推奨している。
因みに架式とは腰の位置であり、低い架式では高い架式より脚力と軸感覚が要求される。

現在、この武術界では怪我防止のために架式を高くする傾向にあるが、あえて私はそれにはあまり賛成できない。
なぜなら、高い架式ばかりで練習していては脚力を養うことができないばかりか太極拳で最も重要な“気づき”を得られるチャンスを逃すことになるからだ。

老化は足からくる。
だからこそ、最近ウォーキングやジョギング、ノルディックウォーキングなどがもてはやされている。
人間は歩くことによって進化してきたわけだし、赤ちゃんも二本足で歩き出すことによって知能が発達する。

太極拳は脚力や軸感覚を養うのに大変優れた武術だ。
しかし、足や膝を労わってばかりいたら老化防止の役に立たないものになってしまうだろう。

「使わないものは退化する」
これは私が長年健康医学を勉強してきて到達した答えだが、もはやそれも最近ではこの考えが徐々に広まりつつあるようだ。

だから、あえて、架式を徐々に落として練習することをすすめる。
落とさなければわからないことがたくさんある。
低くするとまず最初に感じることが脚力のなさだ。
そして次に軸感覚。
低い架式で歩行するにはバランス感覚が要求される。
逆に言えば、この練習を積んでいけばバランス感覚が養われていくということになる。

そして、私がもっとも重要だと思うことは、脚力を養うことで初めて無駄な力を省くことができるということ。
最初はどうしても手で動こうとしてしまう。
しかし手で動こうとするとどうしても体の各所に無駄な力が入ってしまう。
余分な力を排することが出来なければ気の通り道である経絡を開くことができないし、健康的にもあまり効果を望めなくなる。

いずれも余分な力を抜くことで初めて太極拳の本当の素晴らし世界に入ることができる。

自分をとりまく気の存在、そして粘り、そしてその心地よさ。
空間との一体感。
地球との一体感。
宇宙との一体感。

一体感は不安や恐怖心と取り除き、癒しと勇気を与えてくれる。
そして何よりとても気持ちいい。

この世界への入り口として、足を労わってばかりいるのはやめて、積極的に体を動かしていこうと呼びかけて行きたい。