2018年12月16日日曜日

ノーモーション楊式太極拳

楊式太極拳では打ったり受けたりする動作がない。
正しく言えばあるが、それがわからないのが楊式太極拳の特徴だと思う。

他の武術や格闘技を見ていると、
打ったり受けたりする時に何かしらの動きが必ずある。
それは、
腕であったり、肩であったり、腰であったり、脚であったり、目であったり・・

しかし楊式にはそれがない。
ノーモーションなのである。

師の拳を今まで何度も受けたことがあるが、
打ってくるタイミングがわからない。
だから、壁に激突しそうになるほど吹っ飛ぶ。

その特徴となる打ち方が暗勁と言われる。
この場合の暗とは勁(力)を隠すという意味だと思われる。

例えば同じ太極拳でも陳式太極拳があるが、こちらは明勁。
明らかに打つ動作(モーション)がある。
しかし、その威力があまりにも凄まじいので
来るのが解っていてもなかなか避けきれない。

かなり動体視力が優れているのであれば、かわせるだろうが
いずれもこの陳式独自の明勁に楊式の化勁を使うのはなかなか難しい。

では、楊式の暗勁はどんな感じだろう?

私のイメージでは、風。
風は目に見えない。
そよ風から入り、その風がいきなり突風に変わる。
師に拳を突き出すと、風のようにいなされ、風の如く打たれる。

昔のアニメに赤胴鈴之助というのがあったが、
もっとも凄まじい技が真空斬りといい、自ら風を起こし風で相手を吹っ飛ばす。
子供の頃あの技にすごく憧れた。
こんな技が使えたら、悪い奴をガンガンやっつけることができると(笑)

あれはあくまでもアニメだが、
かなり共通するものはあると思う。

私が楊式太極拳の魅力にとりつかれどんどん嵌っていくのは、
子供の頃、風を扱うあの技に憧れたからだと思うし、
なにより私は風がすごく好きだから。

2018年12月15日土曜日

使えない技

氣を用いて闘う武術を内家拳と呼んでいるが、
その中でも私がウエイト置いているのが楊式太極拳。

まるでゆっくりと舞っているかのような太極拳だが、
その技の威力を知れば知る程恐ろしく、
決して使えない、
使ってはならない技であることがわかってくる。

タイトルを「使えない技」としたが、
その威力が大き過ぎるだけに使ってはならないということ。

始めばかりの頃はその技を知りたくていろいろ研究したが、
研究するためには相手がいなくてはできない。

最初は力の出し方がわからないから、
それはまるで子供のプロレスごっこのようなものだった。

しかし、ある時から徐々に力(勁)の出し方がわかってきて、
何度か相手になってもらった人を思いっきり吹っ飛ばしてしまい
危うく大怪我させてしまうところだった。

その時は小さな怪我で済んでよかったが、
下手をすれば命の危険につながる可能性も少なからずあったということ。
その頃から私は本気で楊式太極拳の技をかけることを完全封印した。

最近ではDVDや動画サイトでも太極拳の技の用法が紹介されているが、
双方で十分な打ち合わせをした上に、安全性を配慮し行っているはずだし
危険な技はそのまま出来ないから相手役に演技をしてもらわないといけないこともあるだろう。

そもそも何の技をかけられるか解っていれば相手役もそれに備えることができるし、
受け身を使うこともできる。

だから、
本当の楊式太極拳の恐ろしさは決して見せることはできないということ。

その力は相手の攻撃の威力が大きければ大きいほど相手へのダメージも大きくなる。
全速力で走って壁に頭をぶつけたらどうなるだろう?
打ち所が悪ければ即死だろう。

それほど恐ろしい技を身につけて一体何になるのか?
今まで何度も思ったことがある。

しかしその使わない技を使えるようになるための鍛錬は非常に奥が深く、
普通のトレーニングでは決して身につけない、筋力や不思議な力を身につけることができる。
そしてそれは健康や治療に役立てることができる。

それに、アメリカでは護身のために銃を所持することが許されているが
日本では猟銃以外は所持することは許されていない。
仮に銃が持てなくともナイフはいくらでも手に入る。

そんなものを突き付けられたり、
銃口を向けられたらどうすればいいだろう?
警察を呼んでも間に合わないし、逃げることもできなかったら?

そんな場面に出くわす確率は極めて低いだろうが、
私は今まで危険な目に遭ったことが何度もある。

ある時は半狂乱の男にいきなりビール瓶で殴られその場で気絶。
救急車で運ばれ何針か縫うことに。

他にも暴力団に絡まれたり、
複数の若い男たちに囲まれ袋叩きにされたり。
酔っ払いに絡まれ喧嘩を売られたり・・

最近では夜の繁華街に出ることはほとんどないのでそのような目に遭うこともなくなったが、
少なからずともそういう可能性はゼロではないということ。

刃物を持って刺されそうになったら?
無差別殺人のように、その場でその殺人犯を抑えなければ、
罪もない人たちが次々に殺されることだって考えられる。

だから、
使えない技(使っていはいけない技)を使えるようにしておく必要はあると思う。
警察が拳銃を携帯するように、
一般人も自分で自分の身を守る手段が必要だということ。

そして一生その技を使うことがないことを祈るばかり。

2018年12月14日金曜日

脚を上げるのではなく下ろす?

踵脚(太極拳の蹴り動作)の時、
上げている方の脚が実なのか虚なのか考えてことがあるだろうか?

踵脚の時、上げている方の脚が虚であり、
片足で支えている方の脚が実である。

虚実でいうならば、意識しなければならないのはどちらかといえば実の方。
もっと正確に言えば、実を意識してから虚に行く。
しかし脚を上げる時9割がた以上の人が虚の方に意識が向いてしまう。

※実とは意識が向いている状態や重い状態のことであり、虚とは空とか無の状態で、重さでいえば軽い状態。

エレベーターが上がる時は実は下がっている。
一番上に滑車がついていて、エレベーターが上がる時、錘が下に降りているのである。

エスカレーターも同じ。
昇りのエスカレーターは降りている。
見えていないだけで、昇っているステップの下で降りている。

ロケットは上に上がるが、上に引っ張っているのではない。
ロケットエンジンを下方向に噴射して、それによってロケットが上がる。
つまりロケットは下方向へ力が働くことによって宇宙まで飛び立つことができるのである。

観覧車は上からの景色を眺めたいから乗るものだが、
観覧車は昇ると同時に降りている。

当り前といえば当たり前のことなんだが、
なぜか踵脚になると、ほとんどの人が上げる脚の方ばかりに気がいってしまう。

例えばバスケットボールを床に打ちつけると跳ねかえって上がる。
シュートする時ジャンプするが、ジャンプするためには下方向へ力を加えねば上がることはできない。

何が言いたいか?

つまり踵脚などで脚を上げるということは、
脚を下ろすということ。

そう、実の脚(片足で支えている方の脚)に。

脚を上げようとするのは間違い。
脚を上げるのではなく実の脚に全体重を落とす。
それによる気の跳ね返りで脚が上がる。

上げようと思ったらダメってこと。

数々の例を出したが、上がるためには下への力(沈む力)が絶対必要。

これからは上げる方の脚ではなく、
十分脱力して支えている側の足裏に意識を向けてみよう。
そうすると全身の重さが足裏に落ち、それが地面から跳ね返ってくる。
その結果脚が上がる。

上げるのではなく
ゆるめて沈む。

今日から意識して套路を練ってみよう。

2018年12月7日金曜日

技の名称どう読む?

当会では技の名称を日本語読みしている。
理由はわかりやすいから。

例えば楊式太極拳に攬雀尾という技があるが
それを「らんじゃくび」と呼んでいる。
中国語では「ランチュエウェイ」
英語の場合は「Grasp The Bird's Tail」
発音をカタカナにすると「グラスプ・ザ・バーズ・テール」となる。

外国語をそれなりにかじったことのある方なら解ると思うが
中国に行ってまんま「ランチュエウェイ」と言って通じるだろうか?

日本語なら棒読みしても通じるが、
中国語も英語もイントネーションで聞き取っている部分が多いので通じない場合が多い。

例えば踵脚(とうきゃく)
これを中国語読みすると「ドンジャオ」になる。
しかし私が台湾の先生から習った発音は「トゥンチャオ」だった。
発音する時はトゥにアクセントを持ってくる。

そもそも外国語をカタカナにすること自体無理があるわけで、
先程の攬雀尾を英語読みで「グラスプ・ザ・バーズ・テール」と発音してもまず通じないと思う。
発音的には「ぐぁーっぷだぶぉーずてお」と言えば通じそうだ。

私は貿易の仕事をしていた関係で、
日本でまだ売られていないアメリカ製品に名称をつけていた。
日本にないものは辞書にもないわけで
それをわかりやすくするためカタカナ読みにする必要があったからだ。

例えば、Rhodiolaというハーブ(植物)があるが、当時は呼び方がなかった。
だからロディオラとカタカナ読みにした。
今ではネットでロディオラとネット検索すれば14万近くヒットするが、当時はひとつも出てこなかった。
それもそのはず、まだ日本にはなかったのだから。

いずれも、
今、日本で一般的に使われている和製英語(カタカナ英語)は最初に誰かが発音しやすく直したものであって、決して英語圏で通じるように直したものではない。
しかもその意味がわかるまで、その言葉の意味すらわからない。

これと同じように先程の攬雀尾をランチュエウェイと棒読みするより
らんじゃくびと呼んだ方が、漢字がぱっと浮かぶし、
感覚的に鳥の尻尾ということがわかる。

意味としては鳥の尻尾を掴んで撫でるような動き、
或いは鳥を抱いて背中から尻尾を撫でるような動き、
どちらにしても、日本語読みの方が直感的に解りやすい。

このように太極拳を始めとする中国武術の名称はとてもユニークだと思う。
日本では動作そのものの意味を名称とする場合が多いが、中国では比喩が使われる。

実は私は比喩が大好き。
感覚的に意味がわかりやすいし、なにより楽しい。

だから、当会ではあえて中国語読みをせず日本語読みにしている。
私が勝手にそうしているわけではなく
当流派ではそのように伝わっているからである。

2018年12月6日木曜日

よろめく脱力

套路を練る時、特に意識していることは「脱力」

毎回どこまで脱力できるか?
自己ベスト記録を作ろうと試みている。

そして昨日、楊式太極拳の全套路(型)を練っている時に最高記録が出た。

それは決して良いものではなく
脱力し過ぎで大きくグラッとよろめいてしまうというものだった。
しかもなんでもないところで。

しかし、よろめいたからと言って、武術的にダメとは全く思わない。
そのよろめきを力に変えることが出来ればそれはそれでアリだと。

いずれもここまで脱力できるようになったことは自分の中では嬉しい。
あとは、よろけることなく脱力するにはどうすれば良いかというのが今後のテーマになりそう。

いわゆる沈むことだけを意識するのではなく、
上へ引っ張られる力も意識する必要があるということ。

「上虚下実」という状態。
沈む感覚と浮遊する感覚。
この状態になると、いきなり体の中にパワー(光)がドワッと入ってくる。

自分の身体が光体になり、
その光が体内で膨張し体外へと溢れ出しそうになり、
何かと一体化したような感覚。

もうその時は自分の中に意識はなく、
ただただ、自分の身体が無意識に勝手に動いてくれる。

そのような境地に至れるよう、
更に鍛錬を積もう。

2018年12月1日土曜日

始めは処女の如く後は脱兎の如し

読み方は、
はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし

この意味は、
始めは弱々しく見せかけて敵を油断させ、あとで一気に素早く攻撃すること。

楊式太極拳の戦術を一言で言うとするなら、この言葉がぴったり当てはまる。

私が始めて師の楊式太極拳を見た時は、
まるで舞っているようでとても闘っているようには見えなかった。
「これで本当に戦えるのか??」
そこに強い興味を抱いた。

ある時、師が突いてこい言うので
私は師の顔面目掛け拳を突き出した。
ところが突いたはず場所に師はすでにおらず、
気がつけば私の体は宙を舞い、床に崩れ落ちた。

まさに「処女の如く脱兎の如し」だった。

そして次に思ったことは、
師には敵わないということ。
こんな不思議な技を使われてしまったら手の出しようがない。
なぜなら打っても打っても空を打つことになり、一瞬で崩されてしまうからだ。

もし仮に誰かが私の突きを手で受け次に反撃してきたのなら、
私はまた同じようにその突きを受け反撃しただろう。
いわゆる反撃の繰り返し。

しかし楊式太極拳では突いた瞬間に崩されるから、反撃の余地がない。
一瞬で戦意喪失。
とても平和な武術だと思った。

私は男だから処女の気持ちは解らないが、
元々、体つきが華奢で弱弱しく見えるらしく、それ故によく喧嘩を売られる。
相手にしてみれば「コイツなら勝てそうだ」と思うんだろう。
(最近はほとんどないが)

しかし喧嘩はしたくない。

私が多少怪我する程度なら構わないが、相手に傷を負わせるのは避けたい。
相手がどんな人間であろうと人を傷つけたり怪我させたりするのは本当に辛い。
今でもそういう人たちのことを想うと心が痛む。
(仮に本人が忘れていても)

いずれも楊式太極拳は平和求める武術であることがわかる。
勝てば恨みを買うだけだが、
打った相手が転んでしまう程度であればそうはならないし、
その相手に「是非弟子にしてください!」なんて言われれば
映画のワンシーンみたいでカッコいい。

あくまでも妄想だが(笑)