2013年7月30日火曜日

太極拳を通じて・・

私がサークルを始めた理由。
私の答えはいつだって変わらない。

共感できる仲間が欲しいから。
一人より二人、二人より三人。

最近、何人かの会員さんが頻繁に私にメールをくれる。
そして太極拳の話に花が咲く。

これこそが私が10年前から望んでいたこと。
とても幸せを感じる瞬間だ。

「楽しかった」「頑張りたい」「上達したい」「早く覚えたい」「表演服を着たい」「気を感じるようになりたい」
そんな言葉をもらうと、「よっしゃ!」って思うし、俄然やる気も増す。

私は正真正銘の生身の人間。
人間らしく感じて、そして人間らしく生きて行きたいだけだ。

そして、太極拳という世界共通語で日本だけでなく世界中の人と手をとりあい、そして笑顔で接したいと思う。

2013年7月27日土曜日

通背拳の威力は遠心力

今日は、ブログを通じて知り合った北京大学の老師を訪れ、始めて通背拳というものを教わった。
なんでもお父様がジェット・リーの師匠で、あらゆる中国武術に精通しておられる。
とにかく、とても元気な先生で一緒に居るだけでもいっぱいパワーをもらえた。

通背拳の手を大きく振り回す動作はとても豪快で、今まで携わってきた中国武術にはない動きだけにとても新鮮だった。

私は手が長すぎるのが悩みだったが、逆にいえば通背拳にはうってつけだ。
手長猿の動きを真似た拳法だが、そういえば、子供の頃友達に手長猿とからかわれたような気も。。

ひとまず老師に手本を見せてもらうのだが、あまりにも動きが早く手がどう動いているのか全く見えない。
近づいたらえらいことだ。

実際にハンドミットを使って、老師に打ってもらったら、物凄い音と共にとてつもない衝撃が走った。
こんなもん当たったらとてもじゃないがタタじゃすまない。

とにかく、手が伸びきるところまで伸ばして大きく豪快に振り回す。
その遠心力が威力になるわけだ。

もしこれを受けようとしたら、受ける手が大変なことになると思う。
最初は、自分の腿や腕、肩にパンパン当てて練習するのだが、お蔭でアチコチ真っ赤っかに。

それにパンチと違って、手の甲全体を使うので、拳よりはるかにヒットする面積が広い。
その上遠心力が働いているから威力が大きいとのこと。

因みに、腕を大きく振り回すので肩こり解消にとても良さそうだ。
実際、繰り返し練習していると肩がどんどん軽くなった。
準備運動としてもいいのでは?と思ったほどだ。

今年中に型を習得し、来年の伝統拳大会ではこの通背拳で出場してみようと思った。

考えるな、感じろ

これはブルース・リーの名台詞だが、
本当にそうだと思う。

これは中国武術に限ったことではなく、なんにでも通じる。

ビジネスで絶好調だった時も、頭では一切考えずに行動した。
考えると行き詰まり、頭を空にすると営業でバンバン契約がとれた。
お蔭で会社での営業成績はNo.1

あとは、仕事の関係上人前でスピーチする機会が多かったが、
考えるとロクなことにならない。
この時も頭を空っぽにし、自分に任せるという感じだ。

どこから得た言葉なのか、自分でもびっくりするような言葉が口からポンポン出てくる。
もちろん、なにもしないでそうはならない。
そうなるまで涙を堪えるような下積み期間が何年もあった。

これを武術に置き換えると、
役に立つのか立たないのか解らない武術を毎日懸命に練習して、
それが本当に必要になった時、
何も考えないことで日頃の練習の成果が炸裂すると考えられる。
だから、どれだけ頭の中を空っぽにできるかが勝負。

頭を空っぽにすると、“何か”が体内に入ってくる。
“それ”を感じ、“それ”に身を任せる。
しかし頭でイロイロ考えていると“それ”が入ってこない。

いわゆる無我無想の状態になる。
言い換えれば瞑想状態になるということが大事だということがわかる。

全国大会での本番前もそうだった。
あの時の私はコンニャクのようにリラックスしており、気分はまさにハイだった。
まるで遊園地で初めての乗り物に乗る前みたいに、わくわくした気分だった。

ガチガチに緊張していた私がそういう状態になれたのは、まさに“気”の力だった。
気の力が奇跡を起こした。

そして本番演武中は、楊式ならではのゆっくりとした動きなのに、風を感じていた。

風はやっぱり気持ちいい。

2013年7月23日火曜日

楊式太極拳と中国武術

昨日から三大内家拳のひとつである八卦掌の練習を開始した。
私としては、太極拳、形意拳、八卦掌の3本柱で行こうと思っていたけど、
形意拳を始めて1年で感じたこと。
どうもしっくりこない。

しかし形意拳、いや五行拳を身に付けておくことはとても意味深いと思っている。
なぜなら太極拳にはこれといって先手攻撃のような技が見当たらないからだ。
(気が付いてないだけだと思うが)

形意拳も先手攻撃ではないけど、崩拳などは防御することもなく中段突きで突進するスタイルだから、身の危険を感じた瞬間には突っ込まないと間に合わない。

相手がミサイルを打つ前に打たないとやられてしまうということだ。
まあ、その中でも太極拳はそのミサイルを迎撃するパワーをもっていると考えられるが。

なので、太極拳と形意拳をセットで練習することはとても有効であると思う。

八卦掌はフットワークを使うので、相手をかく乱させるのにいい。
多分、八卦掌の技を掛けられたら、実際に打たれなくともかなりイライラすると思う。
あっちでチョロチョロ、こっちでチョロチョロ、
八卦掌の使い手であるある人が言った。
猫が獲物を弄ぶようにしながら、なぶり殺す感じだと。

やられるほうはたまったもんじゃない。(苦笑)

今後の予定として、興味ある中国武術には積極的に触れて行こうと思う。
何ごともやってみないと解らないし、論ずることもできない。
その中でも、私の場合は、きっと楊式太極拳に立ち戻ってくるような気がする。

自分の体に一番しっくりくるという感じだし、なによりどんなに歳をとっても出来るのが楊式太極拳の一番の魅力だからだ。

***

本文中で述べていることはあくまでの私の勝手な解釈です。
人それぞれ捉え方は違うと思います。

2013年7月21日日曜日

無意識こそ最大の力なり

昨日は、一番仲の良い武術仲間と二人で野外練習を行った。

練習には一人でしかできないことと、二人でしかできないことがあるが、
二人の場合は、推手や散手、或いはお互いの勁力を確かめ合う練習ができる。
昨日行ったメニューをあげると・・

  • 推手
  • 散手(組手)
  • 試し打ち(棚、擠、摔)
  • 崩し合い(開立歩、馬歩、中定歩)
  • 気の確認

推手ではきちんと丹田から動けているか、勁力が伝わっているか確認しあい、
散手(組手)では楊式太極拳の技の用法を研究。
試し打ちでは、発勁による破壊力を確認しあう。

私が最も得意とするのは棚(ほう)
実際は手へんに朋と書くが、手の甲で打ち払う形ので攻防法だ。
散々、剣を振り回して来たので、特に右手の棚にはパワーが備わっているように感じる。

擠(せい)は片方の手首にもう片方の手を添え両手で打つ攻撃法だが、
意識すればするほどパワーダウンするようだ。
力強く打とうとすればするほど、逆に意識と呼吸が合わずスカスカになってしまう。
逆に意識しないで普段の練習通りにやったら相手が勢いよく吹っ飛んだ。

崩し合いは気功や形意拳の歩法で立ち、中心軸に手をあて押してもらう。
どこまで粘れるかという練習だ。
意識を丹田に据え、相手の力をうまく地へ流してやるという意識が重要だと認識させられる。

気の確認は今回初の試みだ。
みぞおちに拳をぐぐぐっと押し付けてもらう。
この時に腹筋を使って防御しようとしてはいけない。
意によって気をみぞおちに集め、まずは相手の力に逆らわず受け入れる。
そして集めた気を一気に爆発させると、相手が吹っ飛ぶ。
一か八かでやってみたが、意外に飛んだので私自身が驚いた。(笑)

相撲にも指相撲とか腕相撲とかいろいろあるが、
太極拳では気による、気相撲という感じだろうか。
結構楽しい。(笑)

いずれも相手を打つ時、考えてはダメだということを再認識させられた。
自分を信じ、ただ練習通りに手をスッと出すという感じが、最もパワーを発揮するということがわかった。

逆に考えれば、本当の窮地に追い込まれた時こそ普段の練習の成果が出ると考えられる。
窮地に追い込まれた時は考えることなんてできないからだ。
だから最も必要な時に最も大きな力が発揮できるのではないかと思った。

ということで今回の練習で得た収穫は非常に多い。

2013年7月20日土曜日

気の感じ方

気功をじっくり行ってから太極拳を始めると、確実に浮遊感のようなものを感じる。
体が浮くというより、手足が空気と同じぐらい軽くなった感覚だ。

手を動かす動作はまるで水の中で手をかき回すような感覚。
ゆっくりゆっくり動いているのに空気の抵抗を感じる。
その手のひらに感じる空気の感触が気持ち良くて仕方ない。

なにかうまい例えはないかなとずっと考えていたのだが、今朝ひとつ思い浮かんだ。
走っている車の窓から手を出すと、空気の圧力を感じるが、あれに似ている。

最近のクルマはエアコン搭載が当たり前だから窓を開けることはほとんどないと思うが、
私が免許をとったばかりの頃は、エアコン付きかどうか迷う程、搭載していない車もいっぱいあった。
夏は窓を全開にして走るしかない。
そして窓全開で風にあたっていると実に気持ちいい。

ブログのタイトル通り私は風が大好きだ。
下手すれば台風レベルの突風ですら心地よく感じてしまう程、風フェチだ。
だから、車をやめてバイクにしたほど。

いずれも、車は早いスピードで走っているから空気の圧力を感じるのだが、
太極拳のあの超スローモーションの動きでも、それと似たような感触が得られる。
しかも動きがゆっくりになればなるほど。

だから空気ではないのだ。
気なのだ。
それは、磁力によって引き合ったり反発しあうような感覚にも似ている。

それを手っ取り早く体感する方法として、両掌をパンと叩き、そのまま両手を擦り合わせる。
そして両手をゆっくり広げ気のボールを抱えるようなポーズをとると、気を感じやすい。

しかし、私の中ではこれは反則技。
物理的な力を使って無理やり感じようとしているわけで、それは気ではなく、もしかしたら両手に刺激を与えた感覚が残っているだけなのかもしれない。
なので、これで感じる気に対しては少々懐疑的だ。

私がとる方法は、抜筋骨でからだをユルユルにし、それからいくつかの気功のポーズで体内にじっくり気を巡らせる。
サークルでは時間の都合上、早回しで行っているが、ひとりでやる時はこれだけに40~50分はかける。

これをやってから太極拳を行うと、前述したとおり浮遊感を感じれるわけだ。

こればかりはやはり実践して体感するしかないと思う。

2013年7月19日金曜日

ヒーリング太極拳

先日、親しい武術仲間でもあり先輩でもある方とサークルのことであれこれ話をしていたのだが、
私が目指しているサークルは、どちらかというと武術系ではなく、心身の疲れを癒し活力を取り戻すことをしたいと思っている。

なので、「伝統太極拳」というより「ヒーリング太極拳」って謳った方がしっくりくるような気が。
冗談ぽくそう言ったら、相手も「いいと思いますよ」とのこと。(笑)

私が空手を習っていた時は、ちょっとでも突きがなってないと、大声で怒鳴られたり、後ろから思いっきり蹴飛ばされたり。
剣道も習っていたが、やはりそんな感じだった。
というより、当時は学習塾でも、ちょっとでもボーっとするとチョークが飛んで来たり、問題を解けないと棒で頭をどつかれたり。
ごく普通のことだった。

まあとにかく、その痛みと悔しさをバネに頑張るのだが、今そんなことをしたらどうなるんだろう?
というより、私は荒っぽいことを好まない。
争いを好まない平和主義者だし、それが例え愛の鞭だとしても暴力を好まない。

私が理想とする武術は相手と睨み合い戦うための太極拳じゃない。
戦えば怪我をするし、下手をすればどちらかが死んでしまう。
生半可な武術を身に付けると、人はそれを試したくなるようだが
弱い者苛めをするのが武術家なのだとしたら、それほどカッコ悪いことはないと思う。

もし、トラブルに捲込まれそうになったら向かい合わず背中を向けて一目散に逃げることだ。
太極拳で培ったインナーマッスルは火事場の馬鹿力を発揮すると言う。
それに太極拳で培った持久力とで、相手が追いつけないほど逃げればいい。

もし追いつかれてしまったら、一か八かの体当たりを決めるだけだ。
技など考えている暇なんてない。
気功で鍛えた体はそうそう簡単に壊れやしない。

話を戻そう。(笑)

とにかく私は太極拳によって強く逞しくなって欲しいというより
日頃のストレスや疲れを癒して元気になって欲しいと思っている。
なぜなら私は人の笑顔が好きだから。

だから、武術太極拳というよりヒーリング太極拳。
まずは型を覚え、次に無駄な力を省き、そして気と同化する。
その気の中をゆったりと自由に泳いでもらい、悪いことも嫌なことも全て解き放ち、優雅な心とリフレッシュする感覚を得て欲しいと。

時間はかかると思うが、私の夢は全員でそのような太極拳が出来るようになることです。

2013年7月18日木曜日

太極拳によって長拳が変わる?

先ほど、私が尊敬する先生とネットを通じてお話していたのだが、
長拳をやると太極拳がうまくなるとのこと。

私の中ではかなり意外だった。
なぜなら、太極拳をする者にとって長拳をすることはマイナスになると思っていたからだ。
いわゆる速筋が育成されてしまい、太極拳で使う気や勁が通りにくくなるからだが
これは私自身の考えだけではなく、前に習っていた伝統の先生も同じことを仰られた。

因みに頂いたメッセージをそのまま掲載させていただくと・・

「長拳すると、太極拳が上手くなるよ。
股関節の緩みと、入れ方がよく分かる。架式も低くできるようになるし。
長拳は、早いばかりじゃなく、ふっと緩むところから瞬発的に力を出すメリハリが必要で、それが身に付く。」

とのこと。
結構納得させられた。

力を抜いたところから瞬発的にパワーを炸裂させるのなら、太極拳の攻撃とほぼ変わらない。
しかも股関節の使い方が頭ではなく体で理解できるのなら、こんないいことはない。
確かに、太極拳でも実戦では長拳と変わらないスピードになる。

ということで、久しぶりにカンフー体操をやってみた。
すると以前より全然スピードが出るようになっていた。
しかも蹴って片足で止めるところでは、ほとんどふらつかなくなっていた。
これには驚いた。

因みに私はここ2年程長拳をやっていない。
ずっと気功と太極拳と五行拳だけだ。

要するに普段から速い練習をしていなくとも、日頃から立つことと、ゆるめるための訓練を積んでいれば、おのずと長拳も上手くなってしまうということなのかもしれない。

2013年7月14日日曜日

大会の模様がTV放映

ブロ友さんからの情報です。

先日7月5~7日に東京体育館で行われた「第30回全日本武術太極拳選手権大会」の模様がTV放映されるとのことです。

放映日時は、7月15日(月)14:00-14:50 NHK BS1

3日間の内容を50分番組とのことですから、恐らく各種目のチャンピオンがメインのダイジェストのような感じになると思うので、私が映る可能性は限りなくゼロに近いと思います。(笑)

いずれも、出番を控えていたがために、あまり観れなかったのでテレビでゆっくり観覧したいと思います。

(因みに私は「男子太極剣・刀」種目の楊式刀です)



力を抜いて気を集める

力を抜くというと、気まで抜いてしまいそうだが、
そうではなく、力を抜いて更に気を集めるというのが正しい(と思う)

最初は誰でもついつい力んでしまう。
形を覚えようと、その形をつくろうとして力んでしまうのだ。

これは仕方のないこと。
私もずっとそうだったし、今習ってる陳式太極拳でも型を覚えている最中なのでどうしても肩や腕に力が入ってしまう。

教える側になっても学ぶということはとても大事だと思った。
時間が経つにつれて忘れて行くことも、常に新しいことにチャレンジしていれば初心を忘れることはないし、初めて学ぼうとする人の気持ちを常に理解できる。

いずれも太極拳で力むことはタブーだ。
相手の力を利用するのが太極拳なのだから、力んでしまうと力と力がぶつかってしまい、
相手の方が腕力で勝る場合は、これ負けを意味する。
だから、相手が強ければ強いほど、力を抜くことが大事だということになる。

太極拳を武術として極めていくため、月に2回程武術仲間と推手や組手をするのだが、相手が思いっきり突いてくるとついつい力が入ってしまう。
するとバランスを崩されてしまう。
しかし、力を抜くとなんなく相手の突きをいなすことが出来る。
これこそが太極拳なんですよね。

話がそれそうなので戻します。(笑)

サークルで会員さんに、「もっと力を抜いてください」というと、力どころか気まで抜けてしまう人がいます。(笑)
気の抜けたビールはおいしくないですよね。(笑)

力を抜く=気が集まる
気を集める=力が抜けている状態

用意不用力(よういふようりき)という言葉がある。
意味は「力を用いず意を用いる」ということだが、この言葉での「意」とは「気」のこと。
いわゆる力を使わず気をつかうということだ。

なかなか難しいです。。

2013年7月12日金曜日

地に足がつかない

よく言われることだけど、そもそもどういう意味だろう。

コトバンクで調べてみたら・・

1.緊張や興奮のため心が落ち着かない。
2.考え方や行動が浮ついて、しっかりしていない。

とのことだった。

そもそも太極拳では地に足がついていないと戦うことも綺麗な演武をすることもできない。
だから、緊張、興奮で浮足立っている状態ではダメだということだ。

そういえば、半年前の県大会での私の演武は緊張で完全に浮足立っていた。
手だけがシャカシャカ動いているようで、とにかく落着きがなかった。

が、今度の全日本では緊張は少しあったが、気を沈めてゆっくり丁寧にやることを意識しながら動いた。
本当は本番中も気持ちいいぐらいの演武ができれば最高なのだろうが、
あとは場馴れするしかないのだろう。

いずれも地に足をつけるためにも気(意識)をぐーーーっと落とし、足の裏まで落とさなくてはならない。
指で地面を掴もうとするとそのイメージがしやすい。
気を吸い上げたり、安定感を得るためだけではなく、「意識をここに持ってくるんだよ」という道しるべにもなる。

それで地に足がつけば、どんな動きをしても姿勢を保てるし、落ち着いた演武ができる。
先ほどの2の「考え方や行動が浮ついて・・」というくだりに関しても、
最終的には「自分を信じる」ということになると思う。
ああでもないこうでもないとイロイロ考えていると地に足がつくことなんてあり得ないだろう。

ゆっくりと深呼吸をして、無我無想となり、気を地面まで沈める。
これにより最も美しく強い太極拳を始めることのできる状態になれるのだと思う。

2013年7月10日水曜日

架式

大会前、ある先生に、もっと架式(かしき)を低くした方がいいと言われた。
それで、今部屋の中で思いっきり腰の位置を下げ演武してみたら、難なく出来てしまった。

そういえば、私の架式(腰の位置)は可もなく不可もなくといった無難な位置だったかもしれない。

なぜそうなったか、思い出した。
1年半前まで小柄な高齢女性の方々に交じって練習していたのだが、
表演の際、歩幅を合わせるためには長身である私はどうしても歩幅を狭くとらなければならない。
歩幅を狭くするということは必然的に腰の位置が高くなる。

ラクといえばラクなのだが、
私の身長で、背の低い人に歩幅を合わせようとすると、やたら突っ立って演武しているように見えてしまう。
これが集団演武での厄介どころだ。

少なくとも集団演武する時は、横一列は同じ身長の人で揃えるべきだろう。
私の時は、すぐ隣に身長差20㎝以上はあろう人と並んで演武していたので、ぶつからないよう小股でちょこちょこやらなくてはならなかった。
どうやらその習慣がこびりついてしまったようだ。(汗)

あれから何度もビデオに納めた自分の演武を繰り返し見ているのだが、
まだまだ架式を低くすることが出来たなというのをすごく感じた。

やはり集団戦と個人戦とでは頭と架式を切り替えなくてはならない。

いずれも来年のポイントアップ作戦がいろいろ見えてきた。

反省会

今回の大会では想像以上の点をもらえたので、完全に舞い上がっていたが、
いつまでも浮かれている場合じゃない。(笑)

入賞できなかったことは事実なのだ。
まあ、毎年レベルがどんどん上がっているから、初出場で入賞なんて、それこそ奇跡でも起きない限り無理なのだろうが、良くなかった点を反省し、来年の県大会の課題にしたいと思う。

まず自分で感じたこと。
  • 集合時間に遅刻してしまった
  • 試合本番中「早く終ってくれ早く終ってくれ」とマイナスなことを考えていた。(笑)
  • 最後のキメ技を急遽取りやめたこと
  • まだまだ肩の力が抜けていなかった(と思う)
  • もっと架式を低めに落とせるはず
  • 発勁動作で上体がぶれてしまった
  • 片足立ちで発勁動作をする予定のところでしなかったこと
  • 最後の虚歩のところで少しバランスを崩し体重が前にかかってしまった
  • 収勢のところで、わざとらしい演技をしてしまった
  • 後から加えた技への繋ぎ部分がスムーズでなかった

次に先生方のご意見
  • 一本調子だった(終わりを予感させるクライマックスのようなものが欲しかった)
  • 発勁動作が欲しかった

実は、自分で感じたことの中に、最後のキメ技を省いたと書いたが、もともと伝統の套路にはない技だ。
が、流れからして、最後の盛り上げに欠けるから後から自分で考え付け加えたものだ。
が、繋ぎ部分でバランスを崩す可能性があったので急遽とりやめた。
そのことが物足りなさを感じさせてしまったのだろう。

それに発勁動作に関しても何カ所か用意してあったのだが、結局2か所止まりになった。
実は練習時から発勁をするかどうかはその時の気分でやっていた。
だから、毎回套路を通しても同じものにはならないのだ。
形を決めずリアルタイムに創作しながら演武しているという感じだろうか。

いずれも会場の床は下が二重に敷き詰めたカーペットだったから、かなりフワフワ。
指を曲げて床に貼りつこうとしてもフワフワだからそれが出来ない。
だからバランスをとるためには動きまわっても自分の中心軸を常に保つしかないのだ。

とにかく片足立ちですらバランスが難しいのに、発勁動作をするとバランスを崩す可能性大だ。
そもそも発勁は手でするものではなく、腹でするものだから。

以上が、今回の反省点。
まあ、反省というか知っていて省いたことだから、次の県大会までは安全パイをとらなくてもいいよう、しっかり練習して難度の高い技術をいつでも出せるようにしようと思う。

しかし、遅刻はマズかった。(笑)

2013年7月8日月曜日

記録更新

昨夜、全日本選手権競技会を終え、東京から帰ってきた。

この3日間あまりにもいろんなことがありすぎて、とえも1回では話しきれないが、
ともかく、半年前の県大会より記録更新し、初出場ならがも上位に喰い込むことができた。

半年前と比べると0.28ポイントアップだが、これは私の中では奇跡的数字。
他の、歴20年、30年のベテラン選手や先生方にも驚かれた。
あるベテラン先生には、とても信じられないというような表情をされた。

実際に自分で半年前のビデオと今回のビデオを観比べてもまるで別人だ。
それは先生方も認めてくださり「全然違うと」
正直とても嬉しかった。

私はこの記録更新を立禅気功のお蔭だと思っている。
実際、試合向けの本格練習を始めた頃から、套路よりも気功にウエイトを置いて練習したし
それだけでもあっという間に1時間が経ってしまった。

そして、大会3日間の初日、初めて行く東京体育館のその会場の雰囲気に完全に呑まれてしまった。
出番を控えている選手達の緊張感がそうさせているのだろうか、とにかく落ち着かなかった。
当初の予定としては観戦を楽しもうとしていたが、急遽変更。
会場内の踊り場や練習場で、徹底的に抜筋骨と気功を行った。
選手は何百人といたが、気功を行っている選手は私以外ひとりもいなかった。

そして、2日目の本番の日。
やはり観戦は控えめにし、抜筋骨と気功を行った。
あえて、3階席の一番高いところまで登りつめ、そこで会場を見下ろしながら立禅気功をじっくり行った。

するとやがて会場の張りつめた空気が心地よくなってきて、しまいには温泉にでも浸かっているような感じに。
私の緊張度は完全にゼロになり、それどころか恐ろしいほど腹にパワーが溜まっていた。

あまりにもリラックスしすぎて集合時間に遅刻してしまうというアクシデントがあったが、
本番直前までの私のコンディションは練習時以上。
いわゆる今までで最高のコンディションだ。

コートに入って予備勢からは、少し緊張したが、まるで気の海を泳ぐようゆったりとした気持ちで演武することが出来た。
完全に自分の世界で、審判や観客の顏すら見えない。
焦点はひたすら地平線をぼーっと眺めるような感じだった。

これが長拳や陳式太極拳であれば、問題だと思うが、楊式の場合は大河の流れの如く。
だからOKだと思う。(笑)

目立ったミスもなく無事終り、
そして4号審判は初出場の私に8.85という高得点をつけてくださった。
無論、知り合いでもなんでもない。(笑)

ひとつ打ち明けると、
実は最後の方に見せ場をつくるため3回転の新技を用意してあった。
練習もしてあったのだが、カーペット上では滑りが悪かったので前日になって急遽その技を省くことにした。
「やっていればもっと点数よかったのに」とある先生に言われたが、
逆にそれで失敗したら減点だから、博打をしない方向に。(笑)

いずれも、私の練習方法は間違えていなかったということがハッキリわかった。
これからも套路重視ではなく套路のクオリティを上げるための気功にウエイトを置き、
いずれそれで全国入賞を狙いたいと思っている。

***

今回、応援して下さった方々に心から感謝します。
皆様一人一人の言葉が確実に力になりました。
本当にありがとうございました!


2013年7月3日水曜日

リハーサル

今日、最後の練習を終え帰ってきた。
近くにある柔剣道場だから、クーラーも扇風機もなにもない。
「汗を流しながら稽古せい!」という感じの元祖道場だ。

しかし、私は四季の中で夏が一番弱い。
体力はどんどん低下、
おまけに食欲までなくなるから、どんどんやせ細っていく。

先日、別の練習場で気功を行っていたら、ガラス越しに年配の女性(多分60~70代)がずっと私のことを観ている。
遂には中に入って来られ、気が付けば私の後で気功を真似され始めた。
キュートなおばさんだなと思った。(笑)

一通りの気功を終え、その女性に声をかけてみた。
すると、どうやら私のことを女性だと思っていたらしい。
前にも別の人に同じようなことを言われたことがあるが、私はガラス越しに見ると女性に見えるらしい。
体が華奢だからだ。

確かに、この暑い中、ロクに食べず稽古ばかりしていたらやせ細っていく一方だ。(苦笑)

「また来てもいいですか?」とおっしゃるので、
「ええ、教えることはできませんが、一緒にされるのは一向に構わないですよ」と答えた。
まあ、少しだけ気功のことを教えて差し上げたのですがね。(笑)

ということで、試合用の規定表演服も痩せっぽっちがバレないよう、大きめに作って頂いた。
店長さんがとても気さくな方で大サービスで私が2個入るほど大きく作って頂いた。(笑)
それを着て昨日は本番向けの練習。

少しは体が大きく見えるだろうか?(笑)



ツッコミどころ満載かと思いますが、大会直前ですので、どうかゆるめに観て頂けると幸いです。
今からアドバイス頂いても、パニくるだけで、とても間に合いませんので。(笑)

***

このBloggerはとても使いやすいのだが、一般的なブログの機能がなかったり、
端末によっては動画が観れなかったりするようだ。
まあ、無料で使わせて頂いているので文句も言えないが・・

2013年7月1日月曜日

気から木へと

気功をしていると、次第に気との一体感を感じる。

なかなか感じることも出来ない人もいるようだが、
私の場合は40分ほど気功をしていると、体内にかなりの気が溜まってくるし、一体感を感じる。

気功のやり方としては前回も少し触れたが、
まず体をほぐし、ゆるめ、そして邪気を払う。
そして、地から気を吸い上げる。
体内に気が巡りだし、やがて頭頂からも気が降り注がれる。
そして、手がジワジワ、ピリピリし出し、手と手の間に磁石と磁石が反発するような、或いは引き合うようなパワーを感じる。

同じポーズをとっていても同じ体験が出来ない人は、気のイメージが出来ていないからだ。

ところで、気功をしていて、何かに似ているなと。
それは木だった。

木もまた、地上から栄養と水分を吸い上げ、そして葉からは二酸化炭素を吸い込み光によって光合成が行われ酸素を放出する。
それに木に思いっきり体当たりしてもびくともしないし、台風が来ようと滅多に倒れることもない。

気功もまた、足からエネルギーを吸い上げ、気がめぐりだし、手からは気が出入りし、
そして体は大木のごとく、安定しだす。

太極拳で大事なことは軸をしっかり保ちながら重心を落とし、安定感を得ることだ。
なぜなら太極拳は攻防一体だから、体が安定していていないと使えない技ばかりだ。
受けてから打つのではなく、体の全てのパーツを使い受けるのと打つのが同時進行だ。
だから、体そのものは木のごとく安定していなくてはならない。

そのために気功を行うということはどんな方法より最短の方法であると思う。