2014年9月30日火曜日

嫌いだった形意拳が・・

形意拳を知ったのは10年前程。

当時、ほんのかじる程度に形意拳教室に参加したが、そこでは動作を直接教えてもらえず、
先生と先輩方の動きを横目で見ながらあたふたしながら必死でついていく・・
というような稽古内容だった。

動きが直線的で、
技も単調。
正直魅力を感じなかった。

が、今では形意拳が楽しくて仕方ない。
思えば、嫌いなものが好きになるとめちゃめちゃ好きになるのはすべてに共通する。(笑)

今日、ひたすら形意拳の練習をして、いろいろ気づいた。

なぜ後ろ体重なんだろう?
なぜ跟歩なんだろう?
なぜ思いっきり突かないんだろう?
なぜ直線的な動きなんだろう?
なぜ技が単調なんだろう?

これらの「なぜ」が明らかになった。(あくまでも自分の中では)

それに内家拳最強と言われる理由もわかったような気がする。

特に好きなのが崩拳。
恐ろしいほどシンプルな技。
実に男らしい。(笑)

今、試合向けに自選套路を作っているが、あまり複雑にしたくない。
というより、いろんな技を詰め合わせても、頭が動きについていけないから。。
だから凄まじくシンプルにしようと。(笑)

先日、るろうに剣心・京都大火編を観に行った。
一番痺れたシーンは、激しいアクションシーンではなく、剣心が逆刃刀を受け取るシーン。
そこまで溜めるか!っていうほど、まるでビデオを長時間一時停止したかのようなシーンだった。
そして溜めまくった後の凄まじい一斬り。
鳥肌もんだった。

これを大会でやったらさぞヒンシュクだろうな。(笑)

2014年9月28日日曜日

無様に演武してみる

来月イベントを控えているので、そのための練習を始めてる。
かといってガツガツやってるわけでもない。

これは自論だが、
カッコイイ演武をしようとするなら陰でいかにカッコ悪い練習をするかだ。(と思う)
美しい蝶も元々はキショク悪い姿だったのだ。(笑)

正直、私は自主練を人に見られたくない。
なぜなら、めちゃめちゃカッコ悪い練習をしているから。(笑)

ひたすらボーっと立っていたり・・
気が狂ったように体を震わせたり・・
酔っぱらってるかのようにぐでんぐでんに演武したり・・

去年、大会初出場ということでガムシャラに練習したことがあったが、
それでクッタクタになり、疲労は溜まる一方、筋肉痛はひどくなるばかり・・
練習効率は下がる一方だった。
そんな経験の中から今の練習法を編み出した。

力量は練習量に比例する。
だが、練習すれば練習するほど疲れる。
ではどうすればいいか?

その結果が、疲れない練習法だ。
きちんとやるのは最後の最後でいい。

演武ですら鬆身法(ゆるめる体操)だと思ってやる。
そうすると無駄な力が抜け、必要な時に必要な力だけを引き出せるようになる。

カッコ良く演武しようと思ってはいけない。
いかに無様に演武するかだ。
無様な演武をすれば美しいということがどういうものかハッキリ見えてくる。

さあ、今日もカッコ悪い練習をしよう。(笑)

2014年9月26日金曜日

じんわり汗をかくこと

太極拳をするとじんわり汗をかく。
私の場合は集中すると立禅でも汗をかく。
この汗が実に気持ちいい。

この汗は、体の中に溜まっている毒素であり、邪気である。
この汗をかいたあと、妙に体がスッキリする。
体だけではない。
頭もスッキリし、ゴチャゴチャしていた頭の中がきれいに整理され、今すべきことがハッキリ見えてくる。
人間何に優先順位を置くかで人生大きく変わるが、
今何をすべきかと考えることはとても重要。

太極拳はその気になれば畳一畳あればできる。
套路をそのまま行うことは出来ないが、進んでは戻るということを繰り返せば可能だ。

当会の会員さんで、伝統楊式太極拳を20分かけて練り、しかもそれを一日に4回もしたというのだから驚いた。
私ですら楊式太極拳を4回したことはない。
私の師匠ですら1日2回と言っていたが私もそう。
この会員さんは将来大物になるに違いない。

伝統楊式太極拳には簡化太極拳にはないやり終えた後の充実感がある。
私は教えるために簡化も少々行うが、なんというか・・体が温まってきた頃に終わってしまうと言う感じがどうしても拭えない。

例えば簡化なら収勢で終わらずそのまま4回繰り返せばいい汗をかけるかもしれない。
連環簡化太極拳と言おうか。

いずれも、
仕事が捗らない。
家事が捗らない。
こういう時は、それらをやろうやろうとせずに、一時、仕事、家事の手を休め太極拳をすることをすすめる。

間違いなくその後仕事も家事も捗るはずだ。(少なくとも私は)

2014年9月23日火曜日

筋力を超えるパワーとは?

先日仲間と勁力の試し合いをした。
片方が受けて片方が打つ。

私はなんとなく拳をひょいっと突き出した。
すると受けようとしていた仲間がまるで車にでも跳ねられたかのようにすっ飛んだ。
正直ビックリした。

まあ、車に跳ねられるというのは大袈裟かもしれないが、とにかく想像以上に飛んだ。
私がしたことは、何も考えなかったということと、自分を信じたということだけだろうか。

今までは打とうとして打っていた。
しかし私にはほとんど筋力がない。
突きの練習や、腕叩伏せなどそういうトレーニングは全くしていない。
だから打とうとしても所詮知れている。

実は私は好き好んで体を鍛えることをしないでいる。
体を鍛えてしまうとついつい筋力に頼ってしまい勁力が出しずらくなるからだ。
丹田も意識しずらくなる。
いずれも私の体系はひょろひょろ。

ただ、試合のために足腰だけは強くなるよう少々トレーニングしている。
あと、器械を自在に操れるようになるために少し重めの木刀で練習したりもする。
それ以外の筋トレは一切しない。

というより、立禅や太極拳そのものが未知の力を引き出すための特殊な筋トレだから。

それにしても筋力を使わずどうして相手を飛ばしたり、動いたりできるだろう?
私にもよくわからない。
自分ではない何者かがスっと入ってきて自分の腕を動かしているような感覚。

手で打とうとしても自分の筋力を超えるパワーは出せない。
が、丹田を使うとそのパワーは筋力を超えていくらでも増大する。
科学では証明できない分野だと思う。

そしてひとつだけ言えるのはこれはコツではないということ。
毎日ひらすら鍛錬あるのみだと思う。

2014年9月9日火曜日

套路を覚えてからが始まり

私が最初、太極拳を始めた時は套路を覚えるのが楽しかった。
先生や先輩方のように最後まで通せるようになったらどんなにいいだろうと。

が、今は覚えることより練ることのほうが楽しい。
今も大会向けに新しい套路を覚えたり、自選套路をつくったりしているが、早くこれらを終わらせ練りたくて仕方ない。

練るとは、練習するという意味と、気を練るという意味の二つの意味があると解釈しているが、
いずれも練らなければ得られないものは多い。
じっくり煮込んだスープがおいしいように、即席では決して得られない味がある。

武術にしても、やり込んでいけば行くほど、様々な気づきが得られ、そして、内外相合(ないがいそうごう)といわれるよう、意と体が一致し、体のすみずみまで意識が行き届くようになる。
それは足や指先にも脳があるかのような感覚。
覚えるまでは脳が指令を送っていたのが、今度は手や足が自ら動き出す。

容易く言えば「体で覚える」ということになるが、
それをクリアすると今度は導かれるような感覚が得られるようになる。

気功の時間で「操り人形のように」といつも説明するが、それは套路でも同じこと。
操られているような感覚になるまでやり込む。

かといって套路の練習をやり過ぎると逆効果。
疲れてしまって長続きしなくなるからだ。
一日1~2回を毎日行うのが一番いいと思った。

2014年9月8日月曜日

青空太極拳で体感できること

昨日の青空太極拳は久しぶりに晴天にも恵まれ、しかも初参加の方も数名おられ、楽しい時間を過ごすことができました。

そもそも青空太極拳の意義は?

  • 普段サークルで行っている練習の成果を出す機会として。
  • 朝の部と夜の部の会員同士の交流の場として。
  • 普段、時間の都合でできない気功に時間が掛けられること。
  • 厳しい時間の制約がないのでゆったりと楊式太極拳を全套路通すことができること。
  • 気功や太極拳を知らない人に体験してもらう機会として。
  • ご家族、お友達と一緒に参加できる機会として。
  • 野外で行うことで天と地、そしてその狭間にいる自分を感じやすいこと。

まだまだいろいろあるが、私が最近主眼としてるのは、「共に感じたい」ということ。

サークルでは気功や太極拳を基礎から指導しているが、それはこれらをやる上でとても重要なこと。
しかし、指導する側も指導される側も正確に行うことに意識が行くので、“感じる”ことは難しい。
自分の動きを気にしている間は本当の太極拳にはならない。
少なくとも「気」を感じるためには、完全に脱力し、邪念を捨て、自分の中の意識に集中せねばならない。

人は他人のことはよく見えるが、自分のことはなかなか見えない。
気功はそういう意味で自分を見つめ直す、いわゆる禅なのだ。
“己を知る”ということだろうか。

己を知ることが出来なければ本当の意味で他人を知ることは出来ない。
自分が痛い経験をしなければ人の痛みがわからないのと同じだ。

以前、雨に打たれながら青空太極拳を行ってから、確実に自分の中で目指そうとするものが変わった。
先ほども述べたように「共に感じたい」
だから、昨日は、「今日は指導はしないので、皆さん自分なりに感じてみてください」と伝えて始めた。

助言を与えることも大事だが、自分で探求することも大事。
だから、青空太極拳は目の前の大自然を眺めながら、大自然の空気を吸いながら、そして
美しい音楽だけに集中し気を沈め気を高める。

昨日は私も自分に意識を向けることができたので、パワースポットである石舞台で自然との融合を感じ、体の周りにジワジワというエネルギーに包まれる感覚を得ることができた。
その時感じたことは、心地よさ、安らぎ、そして勇気だろうか。