2016年5月26日木曜日

頭が良くない方が太極拳に向いている?

いきなり不躾なタイトルお許しください。

以前も少しお話したが、太極拳がなかなか覚えられないという方が多いと言うこと。

確かに簡化太極拳に対し伝統太極拳は技の数も多く演武時間も長い。
だから、太極拳を始めて行った時、思ったより覚えられないので、「こんなにたくさん覚えられない・・」と思ってしまうのだろう。

しかし逆を言えばそれだけ楽しみがあるということ。
すぐに出来てしまってはおもしろくない。
釣り糸を垂らした瞬間に大魚が釣れてしまったらおもしろくない。

苦労して覚えたものは覚えた時に感動があり、
たっぷり時間をかけて習得したものは一生の宝になる。

本題に入るが

私は決して頭がよくない。
勉強が苦手で学生時代は赤点ばかり。
自慢ではないが0点をとったこともある。
成績表を親に見せるのが毎回怖く、父に見せると真っ赤な顔で怒鳴られ殴り倒された。
(今では有りえないと思うが当時は普通でした)

勉強が出来ないからといって運動ができたわけでもない。
のろまな上にボール恐怖症。
とことん運動音痴で学生時代体育の時間が嫌いで嫌いで仕方なかった。
体育授業のある前日は憂鬱で毎回地獄のような思いをした。

その上、無口で人と接することを怖がっていた。
だから休み時間はいつもひとりぼっち。
学校がつまらなくて仕方なかった。
だからたまに仮病を使って学校を休むこともあったほど。

とまあ、以上が私の暗い学生時代(笑)

太極拳に関しても最初は本当に苦労した。
先生と一緒ならなんとかついていけるのに、一人になると何も思い出せない。
あまりにも思い出せない自分にビックリしたほど(笑)

そんな私でも伝統楊式太極拳を覚えました。
いえ、正確に言えば今でも間違うことはありますが・・(笑)

いわゆる
太極拳は頭で覚えるものではなく体で覚えるものだということ。

人間は習慣で動く生き物。
今まで繰り返し行ってきたことが潜在意識に伝えられ、それがセルフイメージとなり、その人の人格形成を行い、習慣や癖を作り出す。

どんなに頭で解っていても思うように動けないのは潜在意識に入ってないから。
仮にすらすら覚えたとしても、きっと忘れるのも早いでしょう。

だから腰を据えてゆっくりゆっくり覚えて行けばいいのです。
その方が確実に潜在意識に刻み込まれていくから。
人間は潜在意識に逆らうことはできません。
潜在意識に支配されているのです。

逆を言えばその潜在意識を利用すればいいということ。
潜在意識は繰り返しに弱いので、ただただ何度も何度も繰り返し練習すればいいのです。


先日、仲間とちょっとした組手を行いました。
隙を見て間合いを詰める実験。

私が攻撃側で、隙を与えないよう相手の動きを見ながら突きや蹴りでけん制する。
しかし、次にどのような動きをしようかと考えていると、気がつけば相手は目の前に。
いわゆる考えることが相手に隙を与えてしまうということ。

実戦の場面では決して考えてはいけない。
無心になることが大事。

相手に技が決まるのは考えた技ではなく、いつの間にか出た技。
いわゆる得意技。

打ち合いの練習でも、私の突きの威力を相手に最も感じてもらえるのは無心で打った時。
威力を出してやろうと考えるとパワーが死んでしまう。
そう考えることが力みを生み、本来持ってる勁力を妨げてしまう。


前回の記事で弟子に胸を打ってもらった話をしたが、
そのMさんの気功歴は約2年。
毎日毎日行っていると言う。

その2年前と比べ驚くほど勁力が上がっていた。

その掌打には、か細い腕から繰り出されるパワーとは思えないほど重い衝撃が私に伝わってきた。
しかもその衝撃は震動となって体内にまで入ってきた。

因みにMさんは普段、突きの練習や筋トレを行っているわけではない。
ただただ、毎日気功を行い、楊式太極拳を練ってきたのだ。

そういうMさんも学生時代勉強と運度が苦手だったということ。


最後に

太極拳に求められるのは頭脳でも運動神経でもない。
太極拳に求められるのは
日々の鍛練
そして、何も考えないこと。

無心こそ最強と言えよう。

2016年5月25日水曜日

含胸抜背とは?

太極拳術十要の中で最も説が別れるのが含胸抜背(がんきょうばっぱい)。

漢字をそのまま読み取ると、胸を含ませ背中を抜くとなる。
背中を抜くというのはほとんど同じ解釈なのだが、
こと「含胸」に関しては解釈が分かれる。

楊澄甫の説明は以下の通り。

「含胸」とは、胸をやや引き加減にして、気を丹田に沈めることである。
胸は張ってはならない。
胸を張れば気が胸に集まって、上半身が重く、下半身が軽くなり、足を蹴り出せば浮き上がりやすい。

とある。

解釈が分かれるのはこの「胸を張ってはならない」の部分だ。
胸を張ってはならないのなら丸めなくてはならないのか?ということになる。

そのように解釈する方も多く、書籍やネットでそのような説明を何度か読んだことがある。
しかし大事なのはその前文。
「胸をやや引き加減にして、気を丹田に沈めることである」の部分だ。

胸を張ってはならないが、引き気味にするとある。
そして、更に大事なことは気を丹田に沈めるということ。

気沈丹田という言葉があるが、私は何故、この太極拳術十要の中にこの言葉が含まれないのか不思議に思ったことがある。

いわゆる含胸抜背とは気沈丹田であり、
気沈丹田は含胸抜背なのではないかというのが私の考え。
気を丹田に沈める過程で胸と背中は十分にリラックスさせなければ決してそうはならない。

試しに今日、弟子に頼んで私の胸を思いっきり掌で打ってもらった。
歩型は肩幅に立ち、腰を少し落とし気功の基本姿勢をつくる。

まずは肩を内側に入れてみる。
何度か打ってもらったが相手の勁が中に入ってくるのを感じ、何度か体制を崩した。

次に肩を内側に入れず、少し引き気味にしてみる。
すると、今度は勁が相手に跳ね返り相手が崩れた。
無論この状態は十分体をゆるめ気を丹田に沈めている。

実際に無敵と思われる達人で肩や背中を丸めている人を見たことがない。
私が今までお手合せさせて頂いた先生や先輩方の中でも肩や胸を丸めている人はいなかった。

結論として、
文字をそのまま解釈するのは危険だと思う。
それによってかえって健康を害したり、
或いは組手等の場面で思わぬ怪我することすらあるだろう。

論より証拠。
頭で考えるより感じることが大事だと思う。

<追記>
その後、気づいたことだが、それまで少林拳を主とした外家拳が主流だった頃、太極拳のような姿勢ではなくどちらかといえば思いっきり胸を張るような姿勢だった。
それに対し、楊澄甫がそうならぬよう胸も背中もゆるめなさいという意味で含胸抜背と唱えたのではないかと。
実際、楊式太極拳の創始者といわれる楊露禅も少林拳の名人だったと言われるし、当時、外家拳系の拳法から太極拳に身を移す者が多かったと考えると尚の事そう思える。(あくまでも私の推測です)

2016年5月23日月曜日

ウエスト引き締めるならコレ!

こんな簡単なことでウエストが驚くほど引き締まるのに、
何故、ほとんどの人はとてつもない苦労をしているのか?

腹筋したり、
道具を使ったり、
ジムに通ったり、
水泳したり、
ウォーキングにランニング・・

もちろんこれらも効果がないわけではないが、もっと簡単な方法がある。

スワイショウだ。

当会では、毎回稽古を始める前に必ずスワイショウを行う。
硬直した体をゆるめ、邪気を払い、気の巡りを良くするためだ。
腰痛改善にも優れた効果がある。

そしてウエストを引き締める効果もかなり絶大。
騙されたと思って是非実践してみて欲しい。

1回3分でいい。
それを一日3回行う。
もちろん多ければ多い方がいい。

私の場合はキツキツだったGパンが1か月半ほどでゆるゆるになり、
その隙間はひとこぶし入るぐらい。
だから、うっかりしていると歩くたびにずり落ちてしまう。

スワイショウの回転運動によりお腹周りの脂肪燃焼が促進され、
尚且つ、全身の血行が促されるから代謝がよくなる。
いわゆる体丸ごとダイエット効果があるということ。

スワイショウならお金もかからない。
いつでもどこでもできる。

これほど素晴らしいダイエット方法はないと思う。

一応付け加えておくが、
スワイショウをしたからといって食べる量を増やしてしまったら元も子もない。
いわゆる、ダイエットしてるから食べても大丈夫という変な安心感が多くのダイエット失敗の原因。

自信のない人はレコーディングダイエットと言われる、いわゆる食べたものを記録することが望ましい。

スワイショウでダイエット。
太極拳で更にスリムに、しかも丈夫な身体をつくる。

2016年5月20日金曜日

予備勢、起勢で決まる

最近、練習で重視しているのは予備勢と起勢。

「終わり良ければ全て良し」という諺があるが、あえて
「始め良ければ全て良し」と言いたい。

予備勢は言わば立禅。
ここでしっかり気を沈め精神統一してから始めるとその後の演武が全く違う。

又、起勢に関しても既に列記とした技なのだが、
気を練ったり、沈めたりする効果がある。

予備勢では真っ直ぐ立ち、体全身を極限までゆるめる。
静を求め、邪念を払い気を沈める。
体が液化するようにイメージし沈んで大地の一部となるようイメージする。

そして起勢では静を求め、エネルギーを溜める。
気を練り、丹田にパワーを集中させ、体が動き出そうとすることを感じる。

因みに先程、演武が違うと言ったが、
それは美しい演武やカッコいい演武ということではない。
動き一つ一つに命が宿るという感じだろうか。

うまく表現できないが、
中から動き出す自分を感じながら、それに身を任せる。

私はこれを地(地球)と天(宇宙)と繋がっている状態だと解釈している。

この感覚が堪らなく気持ちいいし、幸福感さえ感じる。

決して美しく演武しようとしたり、カッコよく演武しようとしないこと。
そう思うこと自体が力みを生み出し、
天と地との繋がりを切ってしまうことになる。

ひたすら中から動き出す自分を信じる。

2016年5月14日土曜日

なかなか上達しなくていい?

ほとんどの会員さんから言われます。
「なかなか上達しません」と。

そして、私は答えます。
「それでいいんです」と。

多分今までいろいろ習ってきた感覚で、
なぜ太極拳はなかなか上達しないのか不思議に思うのでしょう。

それで「自分は頭が悪くなった」とか
「覚えが悪い」と思い込んでしまうようです。

極端な例では、自分が認知症になったと思い込んでいる会員さんも。
もちろん私はすぐさま否定します。

ハッキリ申し上げて、太極拳はすぐにはものにならないのです。
1年2年そこらでものになるものではないのです。
だからこそおもしろいのです。

どんなにおいしそうなものでも食べてしまえば終わりです。

ですが、太極拳の場合は掘れば掘るほど宝がたくさん出てきます。
掘る作業は大変かもしれませんが、深く掘れば掘るほど宝の価値が大きくなります。

そのためにも地味な練習をコツコツ毎日積み上げていきます。

当会が目指す太極拳は健康を得ながら護身術を身につけ、
最終的には自然(宇宙)と同化し、自分の存在が消える感覚を得ることです。

そこは不安も恐れも全くない世界。
ただただ無限の豊かさを感じる世界です。

自分の体がやさしい気に包み込まれ、
今までに感じたことのないような安心感を与えてくれます。

太極拳を表演として人様に披露するのもいいでしょう。
自分自身も楽しめるし、人に感動を与えます。

しかし、当会では表演はプロセスであり到達点ではありません。
もっともっと素晴らしい世界なのです。

2016年5月10日火曜日

闘うためではなく

私が太極拳と形意拳の修行を行うのは強くなって闘うためではない。

もちろん備えあれば憂いなし。
万が一に備えることは大事だと思う。

確かに学生時代から20代前半までは喧嘩ばかりしていたが、今は全くない。
いや、正確にはつい最近も某ラーメン屋で酔っ払いに絡まれ喧嘩を売られたことがある。

店の中で二人の男女が大声張り上げて怒鳴り合ってるので注意したのだ。
「うるさい!よそでやれ!」「周りに迷惑やろ」と。
というより、なぜ店員は注意しない?

一旦静かになったかと思えば、しばらくしてから男の方が私の方にツカツカ寄ってきて目の前で「兄ちゃん威勢がええなぁ」「表出ろや」と。

話を聞くと殺人未遂で出所したばかりだと言う。
しかし私にそんな脅しは通用しない。

20代の頃も暴〇団関係者に絡まれたことがあるが、
散々脅されたので頭に血が上り、隙を狙って完全に叩きのめしてしまった。
相手は血だるまになり泣きながら逃げて行ったが、私は脅されると見境つかなくなる。
いずれもこれは立派な正当防衛だと思う。
もし相手に従っていたら事務所に監禁され何をされたかわからない。

話は戻るが、さっき喧嘩売ってきた酔っ払いに対し
私は座ったまま静かに言い返した。
「やめとき、武術やってるんや」とだけ返した。

すると男はとたんに大人しくなった。
そして愛想笑いしながら、「友達になってくれませんか」と。
急に敬語になった。

もちろん断った。
殺人だの、ムショ暮らししていただの、そんなことを自慢するような男とは友達になりたくないし
正直私は酔っ払いが大嫌いなのだ。

何が言いたかったかと言うと、自分が武術を身につけていることで心にゆとりがあったということ。
もし、私が武術を身につけてなければ相手の言うがままに表に出て喧嘩になっていたかもしれない。
いわゆる闘わずして、争いを未然に防ぐことができたということ。

いずれも私が武術修行を行うのは喧嘩に強くなるためではない。
心を強くしたいのだ。

そして自分の可能性を知りたい。
死ぬまでにどこまでできるか挑戦したい。

2016年5月1日日曜日

立禅のすすめ

当会では毎回立禅を行う。

最近プログラムを変えて、歩法練習と基本功を取り入れたので立禅の時間が減ってしまったが、
一般の部で行っている稽古はダイジェスト版だと思ってもらいたい。
休憩時間を省き105分間で重要なことをしようと思うとどうしてもそうなってしまう。

特に初心者の方は、一般の部で最初の30分に行うことを家でも実践して欲しい。
太極拳の基本がここに集約されている。

立つことは動くことよりも大事。

例えば太極拳の動画を再生しながら一時停止してみる。
その状態こそ立っている状態。
跳躍動作を省き、必ず片足か両足で立っている。

動くことは立つことの連続動作なのだ。

真っ直ぐ立つことで重心が真下に落ちる。
真っ直ぐ立つことで体幹深層筋が緩み気の巡りが良くなる。
真っ直ぐ立つことで天と繋がることができる。
真っ直ぐ立つことでどの方向からも崩されにくくなる。
真っ直ぐ立つことで軸がしっかりし回転動作が安定する。

まだまだあるが、ひとまずこの辺に。

因みに立禅を行う前に背骨がまっすぐになっているか壁に背中をつけて確認してみる。
もし腰や背中に隙間ができたら、隙間ができないよう調整する。
その状態を感覚で体で教え込む。

因みに立禅は長時間しようと思わない方がいい。
まずは3分以内と決めて始めてみる。
あとは時計を見ないで行う。

立禅で十分体をリラックス出来るようになれば、いつまでもしていたくなるはず。

そもそも「やらねば」というメンタルそのものがリラックス状態ではない。

師匠の言葉を借りるなら心と体は一体。
心が硬くなれば体も硬くなる。
だから自分にとってのご褒美だと思って立禅に取り組むのがよい。

その効果が絶大であることが後にわかるだろう。

無論私もまだまだ始まったばかり。
これからだ。