2018年12月1日土曜日

始めは処女の如く後は脱兎の如し

読み方は、
はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし

この意味は、
始めは弱々しく見せかけて敵を油断させ、あとで一気に素早く攻撃すること。

楊式太極拳の戦術を一言で言うとするなら、この言葉がぴったり当てはまる。

私が始めて師の楊式太極拳を見た時は、
まるで舞っているようでとても闘っているようには見えなかった。
「これで本当に戦えるのか??」
そこに強い興味を抱いた。

ある時、師が突いてこい言うので
私は師の顔面目掛け拳を突き出した。
ところが突いたはず場所に師はすでにおらず、
気がつけば私の体は宙を舞い、床に崩れ落ちた。

まさに「処女の如く脱兎の如し」だった。

そして次に思ったことは、
師には敵わないということ。
こんな不思議な技を使われてしまったら手の出しようがない。
なぜなら打っても打っても空を打つことになり、一瞬で崩されてしまうからだ。

もし仮に誰かが私の突きを手で受け次に反撃してきたのなら、
私はまた同じようにその突きを受け反撃しただろう。
いわゆる反撃の繰り返し。

しかし楊式太極拳では突いた瞬間に崩されるから、反撃の余地がない。
一瞬で戦意喪失。
とても平和な武術だと思った。

私は男だから処女の気持ちは解らないが、
元々、体つきが華奢で弱弱しく見えるらしく、それ故によく喧嘩を売られる。
相手にしてみれば「コイツなら勝てそうだ」と思うんだろう。
(最近はほとんどないが)

しかし喧嘩はしたくない。

私が多少怪我する程度なら構わないが、相手に傷を負わせるのは避けたい。
相手がどんな人間であろうと人を傷つけたり怪我させたりするのは本当に辛い。
今でもそういう人たちのことを想うと心が痛む。
(仮に本人が忘れていても)

いずれも楊式太極拳は平和求める武術であることがわかる。
勝てば恨みを買うだけだが、
打った相手が転んでしまう程度であればそうはならないし、
その相手に「是非弟子にしてください!」なんて言われれば
映画のワンシーンみたいでカッコいい。

あくまでも妄想だが(笑)