2017年2月19日日曜日

1+1=?

小学校で初めて習う算数。
1+1

当然答えは2。
が、それはただ覚えてるだけの数字が出てきているだけで
この問題を出された時に頭の中で本当に計算した人がどれだけいるだろう?

だから答えは1+1=2ではなく、1+1=1+1なのだ。

今や計算は電卓やスマホで簡単に計算できる。
だから、なぜそうなるかと考えてもみない。
私は電卓が出回ってきた時代に便利だなと思ったと同時に不安も感じた。

インターネットもそうだった。
便利と引き換えにコミュニケーションや礼儀を知る機会を失い、
犯罪に利用する人も出て来ると。
結果は予想どおりになった。

私はインターネットを最大限に利用しているが、
その反面いつでもこの世から消えてなくなってもいいとも思っている。

そうすることで、人に道を尋ね、そのことで人のやさしさに触れたり、
手紙を書くことで心が通じあったり、
待合せの時間を間違えたりして、何時間もその場で待ったり。
その時に遅れた人は謝り、謝られた方は相手が素直な人であると知ることが出来る。
人と人が触れ合うことで人と人との絆が強くなる。
そういう古き良き時代が帰ってくる。

話は戻るが、武術の世界でも1+1=2だと覚え込んでしまい。
逆に2が1+1で構成されていると知らない人が増えているように感じる。

私がサークルを立ち上げた時、毎回最初の15分は座学を行っていた。
ホワイトボードをつかっていろいろと説明した。
その時毎回説明したことは、太極拳とは中国武術に気功(導引術)の要素を加えたものだと。
いわゆる武術+禅が太極拳なのだ。

しかしどうだろう?
今の武術は禅の要素が省かれ健康体操やスポーツ、あるいは舞踊と化している。

そもそもなぜ太極拳を始めたのだろう?

私が太極拳を始めたのは確かに健康づくりだが、
私が一番知りたかったのは「なぜその時に太極拳を選んだか?」だ。
別にその時でなくても良かったはずだ。
10年後でも20年後でもよかったはずだ。
しかしなぜあのタイミングだったのだということ。
しかもなぜ数ある選択肢から太極拳を選んだのかということ。

この答えを見つけ出すことこそが人生であり
自分が生まれてきた意味だと思う。

太極拳をどのように楽しもうがそれは自由。
しかし、私はあえて伝統太極拳を推進していきたい。

インターネットによるスマホやパソコン、あまりにも便利なものが増えすぎて
人生とは?と考えることなどなくなってしまうのではなかろうか?

そうなって欲しくない。
なぜこの時代に生まれてきて、
なぜ自分が自分として生まれてきて、
なぜ今これを行って、
そして、どこに行こうとしているのか?

生きている間にその答えを見つけることこそが人生の目的だと私は思う。

意味なくして生命は生まれない。
意味があって生まれてきている。
偶然ではない。
宇宙に法則に従って、生まれてきた。

当会が稽古の時に気功と太極拳を分けて行う理由はそれ。
立禅である気功と、動禅である太極拳を行うことで、太極拳が誕生した意味を知ることになる。
本や誰かから得た知識ではなく。

私が感じるのは人類愛。
これ以上話し出すと止まらなくなるので今回はこの辺でやめておく。

ひとつ言えることは
太極拳は相手にとって憎しみをもった自分が映し出される鏡になるということ。