2018年11月23日金曜日

套路を減らそう

かつて何千円、何万円、いや何十万もしたものが
今では百均やコンビニで安価に買える時代になった。
電池や電球、腕時計、電卓・・

電池も高級品で、当時は単三電池2個買っただけでも裕福な気分になったものだ。
アルカリ電池などは高価で手が出なかった。
腕時計はデジタル時計なら当時1万円以上は当り前。
今ではそのデジタル時計が100円で買える。
電卓も同じ。
電卓のテレビCMを見てはいつか欲しいなと夢見ていた。

それどころかティッシュペーパーですら貴重品だった。
ティッシュ1枚使うのにも罪悪感を感じたものだ。
鼻をかむのも躊躇した程なのに、
こぼしたものをふき取るのにティッシュを使う時など親の目を盗んで使ったものだ。

とにかく今は何でも安く手に入る時代。
お陰で家の中は物だらけ。
買っても幸福感すら感じず、どこに何があるかも、何を買ったかすらもどんどん忘れていく。

これほど物が溢れてくると、今度は減らしたくなってくる。
人間ってとことんわがままだ。
物に囲まれるのが幸せだと思っていたのに、シンプルな生活を求めることに幸せを求める時代になってきている。


太極拳も同じ。
最初はたくさん套路を覚えたくなる。
次々とレパートリーを増やしたくなる。
しかし増えてくると今度はストレスを感じるようになる。
増えすぎて練習しきれなくなるからだ。
「練習しないと忘れてしまうのではないか?」という強迫観念にかられ、
罪悪感を感じるようになる。

ストレスを解消したくて始めた太極拳なのにこれでは本末転倒。

私は太極拳だけでも今までに簡単なものも含め8つの套路を覚えた。
楊式、陳式、孫式、呉式、双辺、24式、42式、入門などなど。
その内6つは断捨離した。
理由はかんたん。
たくさん覚えるよりひとつを極めたかったから。

私が師を選ぶ基準はなんでもできるマルチプレーヤーの先生より、
ひとつのことに卓越している先生に付きたいと思う。
そして私もそのような先生になりたいと思う。

形意拳にしても、たくさんの套路を覚えたが、
今は五行拳と十二形拳しか練習してない。

その五行拳にしても漫然とやるのではなく、1回の動作にじっくり時間をかける。
私が家で行う形意拳は音もせずまるで太極拳のようにゆっくり。

速い動きもやれば出来るのだが、あえてしない。
呼吸が乱れるような練習をしても身に付くのは功夫ではなく多少の筋肉だけ。

速い練習をしなくては速く動けないのでは?と思うかもしれないけど
そんなことはない。
普段ゆっくりしか動かない私も絶対乗り遅れてはいけない電車に乗り遅れそうになると、
走っている若い学生たちをゆうに追い抜くほどのスピードで走れるし、
階段も2段跳びで駆け上がることができる。
そんな私は50過ぎのいわゆる中年男。

人間イザとなれば普段以上の力を出せるということ。
だから練習はゆっくりでいいし、ゆっくりの方が早く確実に身につく。

八卦掌も8つの基本以外はやるつもりはない。
8つあれば十分。
あとは自然と応用技が使えるようになってくる。
(まだ研究段階だが・・)

そんなわけで、ごちゃごちゃになっていた私の武術レパートリーも、かなりスッキリした。

今では「やろう」とするより「やらない」と思うようにしている。

練習をしないのではない。
すべきことを決めて、それに集中するということ。
「あれもこれもやらないと」などと考えていては集中どころかストレスが増えるだけ。

例えば今日、私は閃電手と五行拳と十二形拳だけをかるく行った。
あと走圏だけをやろうと思ってる。

八極拳の名手李書文の有名な言葉に
「千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ」というのがあるが、
多くの技を覚えるより一つを極めよという意味になる。
確かに李書文は圧倒的な強さだった。

「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と言われた、
崩拳の達人、郭雲深や尚雲祥は崩拳だけで敵全員を倒したと言われるが
その姿勢や生き様にも憧れる。

さて、ストレスを感じる套路コレクターになるか?
それとも一つを極める達人を目指すか?