2017年7月9日日曜日

最後の東京体育館

先程東京から戻った。

全日本引退試合、過去最高の演武が出来た。
とてもリラックスして挑めたし、
最後の最後まで気持ち良く演武できた。

途中で息が切れることもなく、
スタミナが切れることもなく、
大舞台である東京で、
私が学んできた伝統形意拳を思う存分やれたし
最後に相応しい演武が出来た。

そして、とても爽快な気分で東京体育館を後にすることができた。

5年間どうもありがとう。

2017年7月7日金曜日

心を開くこと

これから東京へ向かい、最後の試合に挑もうとしているのに
ずっとやるせない気持ちが続いている。

私は常に皆のことを理解しようと努力しているのだが・・

理解を求めているのではない。
しかし出来れば理解し合いたいとは思っている。

私が今していることは師から受け継がれたこと。
師を尊び、師から受け継いだことを伝えることが私の使命だと思っている。

私のことを否定することは私の師を否定するも同じ。
私に自分の考えを押し付けようとするのもまた私の師を侮辱するも同じ。

私の師もまた師を尊び、毎日修行に励んでおられる。

誰もが思うことだろう。
自分のことは何を言われても構わないが、
自分が愛する人のことや自分の家族、
また自分が尊敬する師をのことを否定されたら強い悲しみと憤りを感じるだろう。

私が今やるせない気持ちになっているのは、
心を開いてくれないこと。

心を閉ざしてしまったら、
すべてのことが良くないことへと向かってしまうことは誰もが経験していることだと思う。
それに気づいて欲しい。

辛い思いをするのは自分自身。
そして、私はその辛い思いをしている人と向き合わなければならない。
これもまた辛い。

打開策はただひとつ。
心を開くこと。

2017年7月6日木曜日

引退

何度も考えた末、
今年で大会を引退することにした。

ということで今年が最初で最後の拳術での引退試合。

私がこれまで師から学んできたこと、
そして自分が今まで積み上げてきたこと、
それを出し切りたい思う。

最後の東京体育館が自分の中で最高だったと言えるよう。

張り合うべからず

太極拳は人と張り合うための武術ではない。

自分の修行。

自分の可能性をどこまで引き出せるか?
それが太極拳に求められる修行の意味だと思う。

仲間同士と太極拳を行っていると、力の差を感じることもあるだろう。
私としてはありのままにそれを受け入れて欲しいと思う。

遅れをとってしまったからとか、
どうしてもあの人に敵わないとか、
誰それには負けたくないとか、
劣等感を感じてしまっているとか、

そのようなつまらぬプライドや煩悩は捨て去ろう。
そのこと自体が禅の道から外れるものであり、
いわば太極拳の修行から外れることになる。

自分がなんのために太極拳を始めたのかもう一度よく思い起こして欲しい。

人と張り合うため?
そうではないはず。

私は誰とも競わないし争いもしない。
だから優越感も劣等感もない。
ペースが乱れることもない。

ただ、自分の可能性を知るためにすべきことを全うするのみ。

2017年7月5日水曜日

大自然を目の前に

都会生まれの都会育ち。
その都会暮らしににも疲れを感じるようになり自然を求めこの地に。

当時は近代的なものを追い求め
そして人にもまれることが好きだった。
しかし今は自然の中で静かに生きて行きたいと思うように。

先日、キトラ古墳で青空太極拳を開催したが、
その美しい光景を目にした時、ここで太極拳を行いたいと思った。

自然の美しさを目にしたとき、
ただその空間にいるだけでもなんとも言えない幸福感を感じる。

その美しい大地に立てていることに喜びを感じ、
天に向け手を広げたくなる。

そのゆったりとした時間の流れに、ゆっくりと体を動かしたくなる。
すべては感じるがままに。

当会では年に何度か青空の下で気功と太極拳を行うが、
元々これを始めたのも心が求めるがままに。

美しい景色を見るとそれカメラに収めたくなるように
大地を踏みしめ手を広げたくなる。

今回の青空太極拳もそんな風に心が思うがままに企画した。

皆と円になって歩きたい。
自然に合う美しい音と音楽が欲しい。
大地と風と光を感じながら思考スイッチを完全にオフにし「無」になりたい。
ゆったりとしたそよ風のような楊式太極拳を皆で行いたい。

いつも思う。
楊式太極拳は本当に自然に調和すると。


大自然を目の前に思うこと。
その中にいるだけでも心地いいが、もっともっと自然を感じたい。
自然と一体化したい。

それが当会が目指す禅であり太極拳である。

2017年6月30日金曜日

推手大会を行うにあたって


当会では今年8月に始めての推手大会を予定している。

といいつつ、どのような形で行うか今も尚、思案中なのだが。

まずは個人戦は男女混合で
単推手、双推手、四正推手の3種目

男女を分けることも考えたが、
太極拳が体格や力の差で戦う武術ではないことを考えると男女混合が自然だと。

種目として自由推手を取り入れるかどうかも悩んだか今回は見送ることにした。
いずれは自由推手も取り入れて行きたいと考えている。

他には紅白対抗試合や団体戦なども検討中。

いずれも今年は会内だけで行うため参加者数も少人数であることを考えると、
いわゆる散打試合のような緊迫した感じではなく、
推手練習会の延長のようなアットホームな雰囲気で行おうと思っている。

さて、ここでだが、
当会で行う試合を推手という形で行おうとするのには理由がある。

まずは演武を競う大会。

正直これは判定基準が難しい。
審査する側の好みもあるだろうし、何を審査基準とすべきかも難しい。
もしこの演武大会が美しさを競う大会であるならば、
当会が目指す勁力を身につける道から外れてしまう。
演じようとすること自体勁力を落としてしまうからだ。
それに美しく演じたからといって武術的な功夫が向上したことにはならない。

次に散打試合。
いわゆる自由組手。

太極拳を実戦として使えるかどうかを試すのには良いのだが、組手には怪我がつきもの。
女性が大半の当会としては怪我人を出すわけにはいかない。
そもそも当会は格闘を目的とした教室ではない。
気功と太極拳によって身につけた、ゆるみと軸感覚と勁力開発によって、
それを健康や生活向上、護身に役立てて頂きたいというもの。

結局、推手が最も適しているということになる。

推手は、いかに気功に時間をかけているか?
いかに力みのない正しい套路練習を行えているか?
推手で言う、聴勁、走勁、化勁、発勁を正しく理解できているか?
散手によって太極拳技法が正しく身についているか?
これらすべてを明確に判断することができる。

それに勝敗がはっきりしているから、判定もしやすく、本人も納得がいく。
勝てば自信につながるし、負ければいっそう努力するきっかけになる。
推手試合なら演武大会でつきものの採点への不満もない。
それに防具も必要なければ、怪我をすることもない。

安全かつ、太極拳の本当の実力を知る機会になるし、
推手を行うことによって伝統の太極拳の練習方法を深く理解するきっかけにもなる。

いずれはこの推手大会を徐々に拡大させていきたいと考えている。

それは太極拳を正しく理解することになるし、正しい練習を行うきっかけにもなる。
そのことにより病気しない丈夫な体をつくり、体丸ごと若返らせることにつながり、しかも護身術も備わる。

推手大会を行う意味は非常に深い。


ところで先程、
聴勁、走勁、化勁、発勁 という専門用語を出したが、
これを言い換えると、
聞く、許す、導く、与える となる。

聞くは相手を知ること。
許すは相手を受け入れること。
導くは相手を思いやること。
与えるは相手に知ってもらうこと。

これは真の人間関係を築くことと同じ。

自分のことばかり理解してもらおうとするのではなく
まず相手を理解しようとすること。
その機会として、許し、導き、与えるということになる。

2017年6月29日木曜日

1:58の形意拳

先日、弟の絵が大阪の有名なギャラリーに展示されたので観に行った。

これまで何度弟の絵を観に行っただろう?
しかし弟は、兄である私の表演や試合を一度も観に来たことがない。
まあ、いいのだが・・

今回展示された弟の絵を観て思ったこと。

「すばらしい!」
「父の息子の絵だ!」
鳥肌が立つほど感動した。

値札をみるとそれなりの価値がついていたので、それもまた嬉しかった。
自慢の弟だ。

弟の作品は今まで日本最大の展覧会で毎年入選。
もう数えきれないほど。
これまで何度か特賞をとったこともある。

しかし私は正直弟の絵が好きになれなかった。
モチーフもそうだが、色遣いが一辺倒で伝わってくるものがなにもない。
ほとんど魅力を感じなかった。

以前、弟に何故ああなるのかと尋ねたら、絵の具を買う金がないと言った。
その時私は本気で弟に絵の具を買ってやりたいと思った。
まあ実際は買うまでには至らなかったのだが。

その後また弟に尋ねてみた。
何故ああなると。
弟が本気を出せばもっともっと独創的な絵が描けるはずだと思っていたから。

その答えは、いわゆるその傾向があるという理由だった。
私はようやく理解した。
弟は自分の描きたい絵を描いていたのではないと。

これと同じように
私もまた、今、自分がやりたい形意拳ではない練習を行っている。
いや、形意拳の套路そのものは好きなのだが、問題は時間制限。
私の形意拳は2分ではとても収まらない。

収まらない理由は
手数があるからではない。
全くその逆で、一発を打ち込むのにそのパワーをチャージする時間が欲しいということ。

形意拳が他の流派と大きく違う点は、圧倒的に手数が少ないこと。
連打して徐々に相手にダメージを与えるのではなく、一発で倒すところにある。

これでもかと言わんばかりに打ちまくり、息を切らせてしまい、
足元がふらついてしまっているのはとても形意拳とは思えない。
私が知る形意拳は速筋中心の無酸素運動ではないからだ。

「発勁如虎」という言葉通り、一発で獲物を狙おうとする虎と同じ。
駆けあいになり長距離走になったら草食動物には敵わないからだ。

だから本来鍛錬法である套路でその一発を打つためには力を溜めなければならない。
その部分をしっかりやろうとしたら2分ではとても足りない。

自制しながらも2分以内に収めようと早く動いてみる。
1:58
何度はかっても同じタイム。
いつも時間との戦いだ。

昨日、弟子に自分のその演武を目の前で披露した。
人に見せるのは好きではないが、弟子の意見を聞きたかったから。

演武し終わると弟子は心から感動してくれた。

もう、私はこれでも十分だと思った。
私のことを一番良く知ってくれている弟子に評価されるのが一番嬉しい。

傾向対策は大事だと思うが、
かといって自分の武術を捨てたくない。
いかに時間内に自分の武術を収めるかが私にとっての課題。

今になって弟の気持ちがよくわかる。

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ヘッダー画像は私のブログを愛読してくださっているAさんのお友達の写真家ringoさんの作品です。
素敵な絵葉書ありがとうございます。とても癒されます。