2018年4月27日金曜日

太極拳の源流

様々な説があるが、私は楊式太極拳が太極拳の始まりだと思っている。

そもそも太極拳の定義とはなんだろう?
ぱっと浮かぶのはゆっくり奇妙な動きをする武術??
少なくとも私のイメージはそうだった。

あの動きから連想するのは
手品師、霊媒師、占い師、魔法使い、超能力・・

あの神秘的な手の動きからそういうものをイメージしてしまう。
だから最初から太極拳は力任せの技ではなく不思議な技を使うのだろうと思っていた。

では、実戦の時もゆっくり動くのだろうか?
いいえ、実際、技を使う時の太極拳は速い。
他の流派の武術と変わらぬぐらい速い。
あくまでも見た目は。

というのも、技を掛ける側は速いとは思っていない。
なぜなら速く動こうとしていないから。

太極拳の考えかたに捨己従人(しゃきじゅうじん)というのがある。
己を捨て相手に従うという意味。
いわゆる、太極拳の使い手側から速く動くということはない。
もし速い動きになったとしたらそれは相手がそうさせているだけのこと。

相手が動かなければこちらも動かない。
相手がゆっくり動けばこちらもゆっくり動く。
相手が速く動けがこちらも速く動く。
相手が力を使ってくればこちらは勁を使う。
違うのはここだけ。

太極拳が他の流派と圧倒的に違うのは化勁。
決して相手の力とぶつかり合うことはない。

その化勁も幾種類もあり、特に楊式太極拳の化勁は独特。

今まで、陳式、呉式、楊式、武当派の方と手合わせをしたことがあるが、
中でも一番不思議な力を使うのが楊式だった。
そしてやはり楊式に一番興味を抱いてしまう。

因みに演武のカッコよさで言えば陳式が一番だと思う。
剛と柔、緩急をつけた動きが独特でその躍動感ある動きは見る者を惹きつける。

しかし私は楊式に一番魅せられる。
その理由はやはり神秘性だろうか。
演武はあくまでも連綿と動くので陳式のような躍動感はない。
下手をすれば見ていて眠くなってしまうこともしばしば。

しかしそれこそが楊式の狙いでもある。
陳式が見せる太極拳なら楊式は見せない太極拳。
楊式は決して手の内を見せない。

だから演武だけ見ていても決して楊式の凄さは解らない。
というか、解ってしまったらダメなのだ。

今回タイトルを太極拳の源流としたが、
私が勝手に太極拳を定義づけるとしたら「技が見えない、力を使わない拳法」
これに一番当てはまるのが楊式太極拳。

太極拳の五大流派である陳式、楊式、孫式、呉式、武式の中の陳式以外は
すべて楊式から派生した流派。
しかも陳式は本来太極拳とは呼ばず砲捶と呼んでいた。
実際、陳式太極拳の一路は太極拳らしい動きだが
二路に太極拳らしい動きはなく、長拳や南拳、査拳等の動きよりも力強く激しい。
少し真似事をしたことがあるが、とても私の心臓ではついていけない。

結果、私が思う太極拳の源流とは流派ではなく、形のないものだと思っている。

太極拳の源流と言えば、陳式太極拳や伝説の仙人である張三豊と言われることがほとんどだが、仙人が山の中で野獣などから身を守るために陰陽説を元に編み出された技がやがて様々な人に伝わり太極拳へと発展していったと考える。
その中でも最も太極拳を世に広めた人物が楊式太極拳の開祖である楊露禅。

いつから太極拳が太極拳と呼ばれるようになったかは歴史を紐解いても明らかになっていないが、今のところ楊露禅が編み出した拳法が太極拳の始まりだとする説が最も有力とされている。

なにが言いたかったか?

いわゆる、太極拳の源流は形ではないということ。
仮に陳式や楊式の套路だけを覚えたところで、それは源流を覚えたことにはならない。

源流は陰陽思想であり、
それが理解できなければ太極拳を知ったことにはならないし、
私もまだ知ることのできない一人であるということ。

その答えを知る方法は修行あるのみだと思っている。