2018年9月16日日曜日

覚えられないことを喜ぼう

太極拳をなかなか覚えられないことを落ち込む人がいる。
気持はわからないでもないが、
私は覚えられないことで落ち込んだことは今まで一度もない。

そもそもなぜ落ち込むんだろう?
それはきっと他人と比較しているからではないだろうか?

ならば、仮に伝統楊式太極拳の套路(型)を全て覚えたとする。
では、その型の一番最初に出て来る起勢という技の勁を使うことができるだろうか?

誰かにしっかり両手を握ってもらう。
その手を力を使わず解くことができるだろうか?
これが出来なければ起勢を習得したことにはならない。

ほとんどの人が力一杯握られると力を入れて手を解こうとするだろう。
しかしこれではうまくいかない。
そもそも手を解こうと思うこと自体失敗する。

なにも思わない。
手をスッと前に出すだけ。

自分流に言うならば解こうとする前に解く。
考えてから動くのではなく動いてからゆっくり考える。

私は過去に飛び込みの営業をしていたことがあるが、一日100件以上まわる。
そしてことごとく断られる。
断られるだけならまだいい。
怒鳴られたり罵声を浴びたりすることもある。
最初は落ち込んだ。
泣きたくなるほど落ち込んだ。

しかしその後落ち込む必要がないことがわかった。
理由はかんたん。
契約がとれるまでまわってないだけということに気付いたのだ。

仮に100件に断られて挫折するとする。
しかしもしかしたら101件目に契約がとれたかもしれない。
ほとんどの人があと一息というところで挫折する。
その理由は「あなたはそれでも成し遂げたいか?」ということを試されているから。

それが解ってからは、奇跡が起きた。
100件回ってなんと10件の契約を取ってしまったのだ。
飛び込み営業で10%の確率で契約がとれるなんて、恐らくないのではないだろうか?
さすがの社長もぶったまげていた。

私は落ち込むことをやめ、何軒目に契約がとれるだろう?とワクワクしながら一軒一軒回った。
中には私が妙にニコニコしているから不思議がられたこともあった。
その笑顔につられて契約したと話してくれたお客さんもいた。

話はこれで終わらない。
私はこの落ち込む必要がないことがわかってから
更に奇跡を起こした。
アポイントの営業で100発100中契約をとれるようになった。
全く断られることがなくなったのだ。
もうその時は自分でも魔法の世界にでも入ったかのような気分だった。

こんなふうになれたのは、私は考えてから行動するのをやめてからだ。
断られたらどうしよう?
怒られたらどうしよう?
罵声を浴びたらどうしよう?
そんなことより、契約がとれた瞬間の嬉しいことだけを考えて無心で行動した。

これは武術にも通じる。

「考えない」
「勝ち負けを意識しない」
ということ。

話を戻す。

太極拳を覚えられないことを落ち込むのをやめてみよう。
というか落ち込む必要がない。
他人と比較するのをやめよう。
「誰それがどんどん先に進んでいるのに自分はなかなか覚えられない」
そんなことを思って一体なんのメリットがあるだろう?

自分の中で頑張ったと思えるならそれでいいではないか。

覚えられないということは、覚える楽しみがいつまでも残るということ。
目の前のおいしいケーキを一気に食べるのもいいが、
チビチビ食べるのもいい。
食べてしまったら楽しみがなくなってしまう。

少なくとも私はなかなか覚えられない時にこう考える。
「なかなか覚えられないけど、この楽しみは明日にとっておこう」
こう思うだけ。

もし次の日も覚えられなかったら、
「楽しみがまだ続く。嬉しい」
こう思うだけ。

「落ち込むな」と言っているのではない。
落ち込む必要がないということ。

だから、「覚えられないことを喜ぼう」なんだ。

実は私はこれから覚える套路があるのだが、楽しみにとってある。
「いつかこの套路を覚えることができるよう、そのためにも今すべきことを頑張ろう」
そう思ってわくわくしながら毎日を過ごしている。