2020年7月10日金曜日

二つの気持良さ

太極拳をやると気持ちいいと言いますが、その気持ち良さの意味合いも様々ですし、又、ある程度鍛錬を積まないと解らない気持ちよさもあります。
もちろん私もまだ体験したことのない気持ちいい世界があると思っていますし、それを楽しみにもしています。

いずれも太極拳で気持ちよくなるためには、まず姿勢です。
正しい姿勢が出来ていなければ、内面で感じる気持ち良さにはなってきません。
もし現時点でも気持ちいいと感じているのであれば、その気持ち良さの数十倍になると思っていてください。

私は表演太極拳も経験してきましたが、表演の気持良さもあります。
人に感動を与えたくて懸命に練習し、そして人前で披露する緊張感と達成感、またその後の人から頂いた感想によって得られる喜び。
これも太極拳の楽しみ方のひとつだと思います。

私はよくばりなのでこれだけでは終わりません。

伝統太極拳では人に見て頂くことを目的としていません。
伝統太極拳で得られる一番のものは、強さです。
強さというと、体を鍛え上げ、喧嘩に強くなるというイメージかもしれませんが、太極拳で言う強さはそれとは異なります。

外見で言えば、伝統太極拳の鍛錬を積んでいくと、まず痩せます。
深い呼吸によって脂肪燃焼が高まり無駄な贅肉が落ちるので、太極拳を始めとする内家拳家はスリムな先生方が多いです。

先ほど無駄なものが落ちると言いましたが、それは贅肉だけではありません。
生まれたばかりの頃にはなかった、力み、こわばり、つっぱり、過剰な防衛反応や闘争心、虚栄心等、これら無駄なものが落ちていきます。

これらが付随してきた理由は、子供の頃に遡り思い起こせばいろいろその原因が浮かんでくるでしょう。
人間は生きて行く上で様々な経験を積んで行きますが、辛いことに打勝とうとすればするほど、何故が真逆の方向に走ってしまうから厄介です。
そのことが体を緊張させ、様々な病気を誘発させてしまいます。

体だけではなく心も辛いことから身を守ろうとするあまり硬くなり、先ほどのような過剰反応が起きるようになります。
大人になれば強くなると思っていたのに、そうではなかったということに気付かされます。

もし仮に子供の頃より強くなったと感じるのであれば、それは辛い事や恐怖から回避する方法を身に付けたということのように思います。
学生時代のいじめっ子がいつまでも強いかといえばそうでもない場合が多いですが、学生時代の喧嘩の強さは社会には通用しませんからね。

いずれも真の強さとはなんでしょう?

回避する能力でしょうか?

それもひとつだと思いますが、もっと強いものがあります。

それは「受け入れる」ことではないかと思います。

太極拳で得られる力は、筋肉を鍛えた力ではなく、受け入れる力です。

闘おうとするから勝敗が生じます。
もちろん勝ちを取りに行くことは素晴らしいことだと思いますし美しいことだとも思います。
しかしそのことが一生続くでしょうか?
いずれ引退時期が訪れ尻つぼみの人生になってしまってはなんだか悲しいですよね?
過去の栄光にすがるのも人生でしょうが、私なら別の道を選びます。

道場に賞状を飾りましたが、それは過去の栄光や業績に酔いしれるためではありません(笑)
「あの時出来たのだから、今もできる、いやもっと出来る」と思いたいからです。

太極拳で得られる強さは永遠です。
死ぬまで強いのが太極拳です。

闘わない、恐れない、逃げない、追わない、誤魔化さない、背伸びしない・・

川の中の水の一部分のように周りと溶け合いながら、周りに逆らうことなく流れに身を任せ、いずれ大海原へと流れ着き、そしてその後、蒸気となり天に昇る。
そんな感じです。

伝統太極拳で得られる力は、受け入れる力を身に付けることであり、この強さは年齢に依存しないので永遠です。

打たれ強く、打たれても痛みを感じなくなり、怪我をしてもすぐに治ってしまう強靭な体です。
この状態になってくると今までになかった気持ち良さを感じるようになります。
この気持ち良さはなんでしょう?

私の感覚では「空間との融合」です。

この気持ち良さは決して人には見せたくない自分だけの宝物のように感じます。

見せて気持ちい太極拳と見せたくない気持ちいい太極拳。

どちらもおいしいですが、永遠であるのは後者の太極拳です。