2018年5月27日日曜日

嫌いこそ物の上手なれ ~最初の2年をどう使うか?~

先日、稽古中にこんな話が出た。
「早く套路を覚えるより、長く基本を積んだほうが結局早い」と。

太極拳を始めるとまず套路を早く覚えたくなる。
そして套路を覚えると新しい套路を覚えたくなる。
特に師から基本を積めと指示されない限り、ほとんどの人がそうだと思う。

実は私の中で妙なことが起きている。

私は太極拳が好きで太極拳を頑張ってきた。
そして太極拳で実績を得たいと思って頑張ってきた。

しかしどういうわけだろう?
苦手な形意拳ばかりが評価される。
実際、私の手元にある賞状やメダルは形意拳ばかり。

太極拳の評価にしても決して悪くはない。
楊式太極拳では県大会2位、全国10位。
しかし入賞した種目は形意拳だけ。

苦手意識を持っているだけに、入賞した時はいつも嬉しさよりも先に驚きがあった。
なぜ苦手な形意拳が?と。

その後になってようやくその謎が解けた。

基本を積んだ期間が最も長いのが形意拳だったからだ。
最初の2年は三体式站椿功(立つ鍛錬)と
劈拳、鑚拳、崩拳の3本だけを毎日打ち続けた。
炮拳と横拳をやり始めたのはその後。

三体式站椿功は片足15分、両足30分を毎日行った。
五行拳に関しては広さ100メートルの広場で往復200メートル。
これを毎日5~10往復ぐらいしたから距離にして1000~2000メートルは打ったことになる。
因みに最高記録は1日5000メートル。
とにかく毎日、立ちまくり、そして打ちまくった。

確かに歴で言えば太極拳の方が圧倒的に長い。
太極拳歴15年に対し、形意拳歴6年。

しかし太極拳の基本功をやり始めたのは大分経ってから。
実は最初の太極拳はあまりにもぐちゃぐちゃで、
先生やそのまた先生からもダメ出しをもらったほど。
それぐらい私の太極拳は酷かった。
太極拳に関しては15年経った今ようやく腰を落ち着けて基本に取り組むことが出来ているように思う。

結局、基本を飛ばして套路ばかり覚えても結局基本に戻らなくてはならないということ。
それに後からやる基本は最初にやる基本よりずっと時間がかかる。
なぜなら長年染みついた悪い癖を直す作業から入るから。

私が地味な形意拳の基本功を頑張れたのは、先生の適切なご指導のお陰であることはもちろん、
それより大きな理由は形意拳が嫌いだったから。
なぜその嫌いな形意拳を頑張れたかと言うと、
それをやらないと一番やりたい八卦掌に行きつけなかったから。
いわば八卦掌というニンジンに喰いつきたいがために形意拳を我武者羅に頑張った。

結果的にはその先生の元で八卦掌に行きつくことは出来なかったが、
2年間基本功をしっかりやらせてもらえたお陰で、自信をつけることができたし、
何よりその後、武器も含め23種もの套路(型)をサクサク覚えることができた。
基本が出来てるから、形を覚えるだけ。
そして覚えればすぐに完成されてしまう。
(あくまでもそのレベルでのことだが)

もし私が基本をないがしろにし套路ばかりを追っていたら今の自分はなかっただろう。
ぺらぺらの形意拳になっていただろうし、
相手を圧倒させるような突きも満足に打てなかっただろう。

ところで、嫌いだった形意拳。
今では?

大好きになってしまった(笑)

八卦掌がやりたくて頑張ってきたのに、八卦掌より形意拳の方が楽しく、
練習もついつい形意拳にウエイトを置いてしまう。

ということで、
嫌いなものに打ち込むというのも悪くない。

基本は絶対大事だし、どうせ後でやることになるのだから
最初にやっといた方が絶対にイイ!と声を大にして言いたい。
最低でも最初の2年は基本だけに費やすべき。


2018年5月26日土曜日

上達のために心掛けたこと

結論から言うと、
上達したかったら師を見ること。

そんなの当り前と思われるかもしれないが、
意外とこれが盲点だったりする。

当会の会員さんに陰口を言う人は一人もいない。

お互い尊重し合い、励まし合い、協力し合うとても素敵な人ばかり。
それが唯一の私の自慢だろうか。

「あの人の〇〇が出来てない」
「あの人の〇〇が良くない」
「あの人がなぜ認められてるのか?」
「あの人より私の方が上」

こんなことを考えて上達できるだろうか?

そもそも人の粗探しをするのは自分が努力したくないことの現れ。
上達する人は人の粗探しなどする暇もなく時間さえあれば練習する。

人は誰でも人より優位に立ちたいと思う。
しかし、人の粗探しをして仮に自分の方が優れてると思えたとして
それが一体何のメリットになるだろう?
そんなことをしていたら、いずれ自分が取り残される羽目になりかねない。

どの世界でもそうだが、この世界でも慢心したらおしまい。
人より自分が優れていると思った時点で負けていることになる。
なぜならそう思うことはブレーキを踏むのと同じことだから。

前を向いて歩こう。
仲間のことを自分の比較対象にするのではなく、
お互いに同じ目標をもって頑張れる仲間として思えばもっともっと楽しくなる。
困っていたら助けてあげよう。
それが本来の人間のあるべき姿だと思う。

上達したかったら、人の粗探しをやめること。
こんなこと当り前過ぎて書いている自分ですら恥ずかしいが、
とにかく言いたかったことは、
上達したかったら見るべきものだけを見るということ。

人は見たものに影響される生き物。
良い手本を見れば良くなるし、
悪い手本ばかり見ていると知らず知らずと自分の腕を落とすことになる。

私が駆け出しの頃、
最初から最後まで先生の動きばかりを見ていた。
だから他の人が出来ているかどうかというのは今でもほとんど覚えていない。
何故なら見ていなかったから。

といっても、先輩や仲間は本当に有難い存在。
先輩や仲間がいるからこそ頑張ってこれた。

いずれも上手くなりたかったら上手い人だけを見る。
腕を上げたかったら腕のある人だけを見る。
強くなりたかったら強い人だけを見る。

自分より劣る人を見て安心することは
ブレーキをかけているのと同じことだということを忘れないように。