2022年2月26日土曜日

スルーとは

皆さんはスルーという言葉をどのような意味で使っておられるでしょう。

便利に使われる言葉ですが、
スルーという言葉がなかった時代は「相手にしない」という意味だったかと思います。
いわゆる、相手にするほどの者ではないという意味。

しかし、どうも違う意味で使っている方もおられるようです。

それは
「自分では相手に出来ないから逃げる」

苦手な相手。
厄介な相手。
だから避けたい、逃げたいという意味です。

私は論争など衝突が起きそうな時、
いつもあることを基準に「スルー」するかどうかを決めています。

その相手との接触が自分にとってプラスになるならゴー。
マイナスになるならスルー。

但し、自分に非がある場合はその点だけは必ず謝罪するようにしています。
それは自分の心を常に清らかにしておきたいからです。
もし心に闇があれば闇を引き寄せてしまいますから。

こんな風に常に自分が成長出来る機会かどうかを考えて行動しています。

2022年2月25日金曜日

距離

昨夜の夜間クラスは3人で稽古しました。

入会したばかりのSさんにとってたくさん指導が受けられるのははいいのですが、
先輩方の稽古風景を見る機会がないので、久しぶりに楊式剣の一段を披露しました。

私は現在某カルチャーで講師をしていますが、
契約時に店長さんに伝えられたことが2つあります。

「生徒さん達に先生の技を見せてあげて欲しい」
「なるべくスキンシップを心掛けてあげて欲しい」

前者は、教えるばかりで先生が自分の腕前を見せないため、モチベーションが下がってしまうというもの。
後者は先生と生徒の距離感について触れられていました。

私自身、覚えたての頃は嬉しかったので人に見せたいと思ったものですが、
今はその逆です。
「見せたくない」に変わってしまいました。

まだまだ未熟なのですが、
内家拳の神髄に触れる域に来ると、自然とそうなるようです。
人に見せたい宝物と見せたくない宝物があるという感じでしょうか。

ですから、今はなるべく見せられるものは見せようと意識しているし、
毎回稽古で動きを見せながら皆さんと平等に手を合わせることも心掛けています。

距離感に関しては難しいと思います。

距離を縮めすぎると学ぶ意識が薄れ意欲が落ちてしまうし、
距離があり過ぎると疎外感を与えてしまいます。

いずれも学びの場で依存心(甘え)が生じると生徒は成長出来なくなってしまいます。

教室の環境づくりもなかなか大変です。
仲間がいれば仲間と助け合ったり刺激し合ったりも出来ますが、
そうでない時は同等の環境に近づけるため臨機応変に対応することが大事だと思っています。

武術だけでなくどんなことにも柔らかい力を使えるようになりたいものです。





2022年2月19日土曜日

真似る

太極拳で上達する最速の方法はなんでしょう?

そう、
「真似る」ことです。

先生の動きを徹底的に真似る。

いきなり自分なりにやろうとしたり、
オリジナルを出そうとすると確実に遠回りになります。

そもそも太極拳の動きにはひとつひとつ技や勁を出すための重要な要素が含まれているので、それを無視した動きをしても太極拳にはなりません。

YouTubeなどを真似てやっても、YouTube先生はあなたの動きを見てはくれません。
動作が合ってるのかどうか?
それにひとつひとつの動作の意味を質問できるわけでもありません。

私が太極拳を始めた時は、まずは師を完コピしようと思いました。
師の動きがとてもカッコ良かったからです。
だから真似るというより成りきっていましたね。
なりきりパワーです。

上達の遅い人は自分でやろうとしています。
自分でやろうとするから壁にぶつかってしまい、どんどん出来ないスパイラルに陥ってしまいます。
そのスパイラルから這い出すのに労力を費やし疲れてしまいます。
わざわざ自らそれを選択してしまっているのです。

頭を切り替えましょう。

単に真似ればいいのです。

子供は親を真似て成長します。
やったことのないことは自分では出来ないですから。

上達の早い人を見ていると師の動きにとても似ています。
逆に遅い人は完全我流になっています。
真似ていないのです。

太極拳の目的は套路を覚えることではありません。

準備体操を覚えるように套路もさっさと覚えてしまいましょう。
套路は鍛錬法なのですから。
鍛錬法を覚えることを目標にするのはおかしくありませんか?

太極拳の功夫を身に付けるための鍛錬法なのです。
だから早く覚えてしまいましょう。

とにかく「見る」「真似る」
これだけでメキメキ上達します。



2022年2月11日金曜日

毒針を持った太極拳

当会では稽古にきたら自主的に準備運動をしてもらっています。
「準備運動は絶対必要か?」と言えば必ずYesとは限らないと思っています。

どういうことかと言いますと、
常日頃から内家拳(太極拳等氣のパワーを用いた武術)を意識した動きが出来ていれば、それがすでにウォーミングアップや内家の鍛錬になっているわけで、更にウォーミングアップする必要はないと思う訳です。
(もちろん稽古以外の時に太極拳スイッチを切っている人はしなくてはいけません)

たまに稽古前にストレッチをしている人を見かけますが、
これもまた必要ないと言えば必要ありません。
体の柔軟性がなくなったからと言って体が弱るわけではありません。

それに伝統太極拳で腕や脚を伸ばすことは最もしてはいけないことです。
理由は体内の氣の流れをつくるのによろしくないということと、
武術的に手足をピンと伸ばす行為は怪我の元になるからです。

しなくてはいけないことは「伸ばす」ことより「弛める」ことです。

生徒時代、ある太極拳教室に通っていた時、稽古前に腕立て伏せをしている人がいました。
「なんのためにしてるんだろう?」と思いました。
確か他の武道をされている人だったと思います。

因みに師が柔軟運動や筋トレをしている姿を一度もみたことがありません。
しかし師は人間離れした強さをお持ちです。
円を描くような柔らかい動きと相まって、鋼のような強靭な体、
そして大砲のような威力の発勁。

しかし着替えの時に見た上半身は胸板が厚いわけでもなく、腕が太いわけでもなく、どちらかといえばひょろっとされています。
ほぼ私と同じような体系でしょうか。

どこにも鋼のような分厚いものは見当たりません。

不思議です。
まるで目に見えない鎧をまとわれているような感じです。

これが私が知る内家拳です。

鋭い突きやパワフルな蹴りが出来たらとてもカッコイイです。
しかし、それをミットやサンドバッグではなく、鉄壁や鉄柱に対して出来るでしょうか?

それに、そのパワフルな突きや蹴り、何本打てますか?
10代20代ならそれなりに打てるでしょうが、
息が上がってしまったらもう闘えません。(体験談)

本当の内家拳を知ったら、いきなり暗黒の宇宙に放り出されたかのような恐怖を感じます。
いかなるパワーもブラックホールに吸い込まれてしまうようなイメージでしょうか。

少なくとも私はそれを何度も経験してきました。

太極拳の強さは柔軟性や筋力ではないのです。
一言で言うなら空間(宇宙)との融合です。

ひらひらと優雅に舞っているかのように見える太極拳。
もしかしたら、そこには毒針が隠されているのかもしれません。



2022年2月6日日曜日

これまでの60年、これからの60年

私は来年還暦になりますが、

これまでの人生を振り返って思うことは「人生って結構長い」です。

そして今後更に60年元気に生きようと思っています。

太極拳を始めて変わったことは、

階段を駆け上がれるようになった、
重い物を軽々と持ち上げられるようになった、
速く走れるようになった、
いくらでも歩けるようになった、
息がきれなくなった、
風邪をひかなくなった、
怪我をしなくなった、
怪我の治りが早くなった、
煙草をやめることが出来た、
酒をやめることが出来た、

あげだしたらキリがないほど変わりました。

つい最近まで学生だと思われていた私ですが、
何故それほど若くみられるのでしょう?
ただ、あと60年生きることを考えれば丁度いいのかもしれません。

今思うことは太極拳に出会えて本当に良かったと。
そして今後一生続けます。