2024年7月4日木曜日

体力と気力が落ちたら辞める?!

先日当会員Nさんのお母様が入会されました。

70近いとは思えない程、スリムで若々しいお母様でしたが、
先日転倒によって怪我をされ、それを理由に太極拳を始められることになりました。

丁度、お母様と入れ替わるように本日某会員が退会しました。
退会理由は「怪我によって体力と気力が落ちたから」とのこと。

Nさんのお母様と全く同じ理由なのに、
この方は太極拳を辞めることを選択されました。

今や誰もが知っている通り、体力と気力を取り戻すことが出来るのが太極拳です。

病気になれば病院に行きます。
そして、病気にならないように太極拳を始めるのです。

この方は太極拳で得られる効果が全く解っておられないのでしょう。
残念なことです。

因みに私は21年前、体力とメンタルが衰退したことを理由に太極拳を始めました。
毎日起きる頭痛、肩こり、腰痛、
そして5分も歩くことが出来ないほど体力が落ちていました。

メンタルも落ちていました。
かつて営業をしたり、セミナー講師をしていた私が、
人と目を合わせることすら怖くなってしまったのです。

本当に落ちるところまで落ちました。

しかし今はどうでしょう?
歩くことが困難どころか、今では階段ですら駆け上がります。

そして鋼のようなメンタルを身に付けました。
今こうして道場を維持しながら講師活動もバリバリやっているのがその証拠です。

特に太極拳は軸を鍛えます。
コケない体をつくるには太極拳が一番いいです。
その理由や原理などすべて実践を交え説明出来ます。

体力の衰えやメンタルの衰えを感じている方は、
是非一度当会で行ってる伝統太極拳の体験に参加されてみてください。
続ければ必ず今以上に元気にパワフルになれます。














#春日伝統太極拳 #気功 #太極拳 #病気 #若返り #エイジング #転倒防止 #怪我の予防 #免疫力増大 #治癒力増大

2024年5月29日水曜日

最大の敵は「依存」

やさしい先生だからこそ頑張ろう。

(ここで言う「先生」とは師であり指導員のことです)

厳しく叱ったりすることがなくとも、
先生によって表現は様々
生徒に上達して欲しい気持ちはどの先生も同じです。

決して出来ているから叱らないのではありません。
特に初心者(最初の1年)は「出来ていなくて当たり前」と思って取り組んで欲しいです。

太極拳はすぐには仕上がりません。
套路の順番を覚えたことは太極拳を覚えたことにはなりません。
順番を覚えてからがようやく太極拳の始まりです。

順番を覚えたことは英語でいうアルファベットを覚えた程度のレベルだと思ってください。
まだ英語は喋れないのです。

太極拳をそれなりに習得するには月まで歩いて行くぐらいの時間が掛かると思ってください。
月まで徒歩で約10年掛かります。

順番を覚えた後にすべきことは山ほどあります。
太極拳の修行おいては一生学びがあります。
どんなにやっても飽きることがなくいくらでも楽しさがあります。

先生がやさしいからと甘えてはいけません。

厳しい先生は本気で上達して欲しいという気持ちが素直に出ているのです。
優しい先生も本気で上達して欲しいという気持ちは変わらず、
厳しい先生に比べ辛抱強く耐えている(見守っている)のだと思ってください。
出来ているからやさしいのではありません。

やさしくとも指導されていることを一言も聞き逃してはいけません。
自分の勝手な解釈で出来ていると勘違いし先へ先へ進もうとしないことです。

今、先生に言われたことを直すために
その部分を何度も何度も徹底的に繰り返しましょう。
出来るようになればきっと先生は認めてくれるでしょうし、
褒めてもくれるでしょう。

いわば、褒められないのは叱られているのと同じことだと思ってください。

私が最初に出会った先生はやさしい先生でした。
一度も叱られたことはりません。
しかしそれに甘えることはありませんでした。

やさしい先生だからこそ
「先生に同じことを言わせない」
「先生に教わったことを出来るようにしよう」
「先生の期待に応えたい」
「先生に認められたい」
「教えてもらった感謝の気持ちを結果で返したい」

そんな気持ちで取り組みました。

結果、私は半年で楊式太極拳を覚えました。
周りの先輩達に驚かれました。

自分を一番ダメにするのは「依存」です。
「甘え」は成長を止めます。

自分で自分の尻を叩き、先生の期待に応えるべく努力すれば、
それが先生にとって一番嬉しいことなのです。

私は、希望であればどれほどでも厳しく指導出来ます。
学生時代は鬼教師による精神教育で学問や道徳、礼儀を叩き込まれました。

もし本気で上達したかったら遠慮なく言って下さい。
厳しく指導します。
落ち込んでも泣いても容赦しません。

その代わり上達することは保証します。

どちらがいいかは自分で決めて下さい。


2020年4月9日撮影

2024年5月26日日曜日

2時間と10年は同じ

かつて出会ったある老師が次のように仰いました。

「初日に習った2時間と10年は変わらない」

その時はピンとこなかったですが、時間が経つにつれこの言葉の意味がとてもよく解るようになりました。

当会では最初に姿勢、脱力法、歩形、歩法、套路、推手、散手を90分の稽古で学びます。
そして10年経っても私は同じことを教えるでしょう。
初日に教えることと10年後に教えることはなにも変わらないのです。

何年やっても何十年やっても基本は不動です。
そしてその上に様々な技術や勁を学び感覚を身に付けていきます。

因みに私は一度しか合ったことのない師から教わったこともそのほとんどを覚えています。
覚えたいという意欲がありましたし、
「忘れてはならない」と思いその後しっかりメモをとりましたから。

その教えは10年経っても20年経ってもずっと私の中で生きています。

何が言いたいかというと、
「今」を大事にして欲しいということです。

「そのうちできるようになるだろう」
と漫然と練習をしていても上達することはありません。

大事なことは教わった基本をしっかり頭に叩き込んでそれを実践しようとする意欲です。

師は必ず重要なことを教えてくれます。
それを聞き逃してはいけまぜん。

仮にその時に解らなくとも解らないなりにメモに取っておけば、いずれ解る日がきます。
そして解った時、それが大変貴重な宝物であることに気づきます。

せっかく貴重な時間を割いて稽古に参加しているのですから、
わずか90分集中することで一生ものになる技を身に付けることも出来るのです。

もちろん体を動かしたいということで参加するものいいでしょう。

しかし、上を目指すなら、
だらだらしたり、ぼんやりしながらやるのではなく、
しっかり意識を高めましょう。

そうすれば90分の稽古が自分にとって生涯の財産になるでしょう。



2024年5月1日水曜日

太極拳は足

本日、初級クラス、個人レッスン3つ無事終わりました。

今日感じたことは、歩法の重要性です。
「太極拳は足」と言われますが、長く太極拳をやっていると本当にそう思います。

実際に発勁する時、手で押そうとしますが、これでは十分な力は出せません。

発勁は天地と調和した状態から一気に足裏から接触点までの圧を高める感じになると思いますが、その時に重要になるのが「足」です。
なので、単に足を前にストンと置いて体重を載せるだけではダメなのです。

歩法はきれいに歩くためではありません。
十分なパワーを引き出すために重要な要素です。

このような正しい歩法を身に付けると足腰が驚くほど鍛えられ、ちょっとやそっとではコケない体を作ることが出来ます。
老後に向け是非身に付けたい力です。

もうひとつは勁力の波です。

勁力というのは考えて出せる力ではなく逆に考えないで出せる力です。
だから考えてひょいと引き出せる力ではありません。
故にその感覚を体で覚えるしかないのです。

「パワーが出ない」
「パワーを出そう」
「今日は調子が出ない」
どれも雑念です。

こんなふうに雑念が沸くと力が分散してしまいます。
力を集めるには、何も考えないことです。
欲を出さないこと。
頭も体も空っぽにすれば、「何か」が体に中に入ってきて、そして出て行きます。

因みに「空っぽにしよう」とも考えてはいけません。
難しいですね。

#奈良 #気功 #太極拳 #勁力 #歩形 #歩法 #脱力 #無



2024年3月24日日曜日

弱さを認める

自分の弱さを認める。
弱さを隠そうとしない。

イイカッコしたがる人がいますが、
イイカッコしようとする心そのものがすでに力んでいる状態なのです。

背伸びしようとすれば足が疲れます。
イイカッコは疲れるのです。
それなら踵を降ろし足裏全体を地に着けた方がラクではないですか?

私の場合、常にありのままの自分でいるよう心掛けています。

「先生らしくない」と思われているようですが、構いません。
世界中に無数の先生がいる中で、
一人ぐらい先生らしくない先生がいたっていいじゃないですか。

だから、今後も立派な人を演じるつもりはありません。

そもそもイイカッコしたところで何のメリットもありません。

そう言いながらも
全くそういうところがないかといえば、そんなことはありません。
やはり人間ですからカッコつけたい時もあります。
しかしそういう時に限ってミスします。
これが余計にカッコ悪い。

自分の弱さを認めましょう。

そうすれば肩の力が抜け、
体全身の余分な力が消えていくでしょう。

ここからが太極拳の本当のはじまりです。

さあ、
弱くて、
力も抜き切った自分に何ができるでしょう?

この時に太極拳の本質が見えてくるはずです。

太極拳やりたかったら、
イイカッコしたり、
やせ我慢したりのをやめましょう。

自分の弱さを認めることが太極拳の強さのはじまりなのです。



2024年1月26日金曜日

集中する

会員さんの練習を見ていると、今自分がすべきところを放ったらかしにして他人がやっているところをしようとしたり、まだ進んでないところを「見て欲しい」と言ってくる会員さんもいます。
おそらくYouTube等で似たような型を見つけて覚えてくるのでしょう。

指導者の立場からすれば、一番やって欲しくないことです。
(気持ちは解りますが)

私が高校受験の時、音大付属高校に進みたかったのでピアノの先生について習っていたことがあります。
先生は受験のため私のレベルに合った曲(ソナチネ7番)を選んでくれ練習するようにと言われました。

当時ピアノを弾くことが楽しくてならなかった私は懸命に練習し、どんどん指が動くようになりました。
そうこうしている内に自選曲では物足らなくなり、もっとレベルの高い曲をやりたくなりました。
そこでなんとなくソナチネ1番を引いてみたら初見で割と弾けたので、「これにしたい」と思ってそれから猛練習を始めました。
この曲を弾いて先生を驚かせてやろうという気持ちもありました。

そして先生の前で「1番を練習したので聞いて欲しい」と伝え弾き始めました。
その時の先生の反応は決して良くなく、その表情はどんどん険しくなり、引き終わった後、一度も怒ったことがない先生が怒りだしました。

「まだ7番もちゃんと弾けないのになにをやってたの?!」と。

その後、先生は1番を引き出したのですが、そのピアノはまさに怒りのピアノでした。
私はやさしい先生を怒らせてしまったとをとても後悔しました。

そして私は高校受験に失敗しました。
3校全てです。
「桜散る」の通知を見て涙がボロボロ溢れ出てきました。

受験に失敗したのはピアノだけではなく
本番でトランペットがうまく吹けなかったからです。

トランペットの先生も普段はとてもやさしい先生でしたが、
受験のためにマンツーマンレッスンを申し込んでからは人が変わったように厳しくなりました。
私が受験に合格出来るよう懸命に教えようとしてくださったのでしょう。

まあとにかくクラシック音楽への道は敗退に終わりました。

ところでピアノの先生は何故あれほど怒ったのでしょう?
それは私のために選んでくれた曲の練習を放ったらかして別の曲を練習してしまったからです。
ピアノの先生も私のレベルを見て、合格出来るよう最も適した曲を選んでくれたはずです。

まあ多感な時期でしたから、自分の才能に溺れてしまったり、美人の先生の前でいい恰好したいという気持ちもありました。
まさに雑念だらけです…

とにかく今すべきことに集中する。
それが出来るようになったら、次に進む。
その繰り返しです。

与えられたことをきちんとやれば先生も認めてくれるでしょうし、
私もそうしてもらうのが一番嬉しいです。



2023年12月22日金曜日

相手は相手ではない

当会では開祖より代々伝わる伝統形式で稽古を行っています。
代表が考えたプログラムではありません。
内乱が多かった中国で生まれ徹底的に磨き抜かれた本格的な太極拳です。

太極拳が健康にいいのは「生きる」ことを意識するからです。

平和な時代ではピンと来ないかもしれませんが、
今もこうしているうちに戦争やクーデターによって亡くなる人が絶えないのです。
病気や事故によって亡くなる人も数多くいます。
だから生きようとする気持ちが心を強くし体を強くします。

当会では何故気功から始まり套路を練り、推手、散手を行うのか?

それは美ではなく技を意識した動きを習得して頂きたいからです。
動作による美を追求し過ぎると怪我をしたり体を痛めたりします。
このことは過去、競技太極拳を行っていた私自身が嫌というほど経験しました。

ところが技を意識して太極拳の稽古をすると、全く違う世界が開けてきます。
今まで見えなかった目に見えない内面の世界と空間の力です。
目に見える人間は肉体の個体に過ぎず、弱弱しくさえ見えます。
しかし空間と融合することにより自分が一つの個体ではないことに気づき始めます。

それを感じとることが出来るのは目に見えない敵と戦う意識を持つことです。

ウイルスとどう戦いますか?
気によってウイルスを跳ね返し、
入ってきてしまったウイルスは内気のパワーを上げることで撃退させることができます。

これらの力は決して美を追求して得られるものではありません。

美を追求することを否定しているのではありません。
しかし年齢や体力に見合わない動作を目指したり、
間違ったトレーニングをしてしまうと確実に体を痛めつけてしまいます。

推手や散手が苦手だという人もいます。

苦手意識を持つのは仕方ありません。
しかし私が考えたプログラムではないということを知って欲しいです。
今まで何度も戦い抜いた数多くの先生方が継いで来られた貴重な伝統稽古なのです。

心を強くし、
体を強くし、
強く生き抜くための体に磨き上げるための鍛錬法です。

もしかしたらその苦手意識は相手を意識し過ぎているからではないでしょうか?
それは大きな間違いです。

本当の強さは相手を突っぱねることではなく、相手を受け入れることです。

先ほどと逆のことを言っているようですが、
いわゆる、相手がいない時は相手を意識し、
相手がいる時は相手ではないと意識することです。

相手を相手だと意識し過ぎると推手や散手の意味がいつまでもわからないでしょう。

肉体レベルで考えるのではなく、
人は見たもの触れたものと瞬時に繋がることができます。
繋がったエネルギーは空間を経てまた自分に戻ってきます。

怖がることはないのです。

相手とは自分が送ったエネルギーなのですから。

情報過多の今、情報に流されたり、人間関係を恐れたりしやすくなりますが、
だからこそ、目にみえない力を見たり、
身に付けたりすることが必要なのではないでしょうか?

太極拳で得られる力はおそらく皆さんの想像の外にあるでしょう。
そのためにはまずやってみることをおすすめします。