2021年2月20日土曜日

百の言葉より一の感覚

私に足りないことと言えば、勉強でしょうか。
正確に言えば、理論を学ぶための勉強です。

単純に、考えることが苦手なのです。

机に向かって参考書を広げても写真やイラストばかりに目が行き文字が入ってきません。
私にとってはどれも絵本になってしまうようです(苦笑)

その代わり感じることは得意です。
音、におい、見えるもの、味、触れた感覚等々。

私の武術人生は勉強することによって始まったのではなく、感じることから始まりました。
そしてそれは今も続いています。

師は言葉だけではなく、実際にそれを感じさせてくれる方です。
言葉で理解できないことも体で感じさせてもらえるので、深く理解することが出来ます。

もちろんその時点では理解だけで実際には出来ません。

もし最初に出会った師が、言葉だけの方ならすぐに辞めていたと思います。
冒頭で述べた通り、勉強が苦手だからです。

師が技を掛けて下さる時の感覚は誰よりも感じることが出来ますし、その中には膨大な情報が詰まっています。
その情報量は言葉の比ではありません。
手を触れた瞬間、本一冊分ぐらいの情報はあると思います。

逆を言えば、百の言葉より触れた一瞬の方が圧倒的に学びが多いと私は感じています。

過去にこんなことがありました。

他流推手交流会での出来事です。
ある相手と向かい合い1~2回手を回した後、相手はすぐにその手を止めてしまいました。
そしていきなり講演会が始まりました。
全く勝負しようとせずにです。

感覚人間である私に専門用語だらけの説明をされても異国語にしか聞こえません。
それでも話は延々続きました。
そして、ようやく長い話が終わりました。
多分15分ぐらいだったと思いますが、私にとっては1時間半ぐらいに感じました。

やっと真剣に手合わせしてくれるのかと思いきや、なんと言うことでしょう・・
話し終えたらさっさと私の元から去って行ってしまいました。

木枯らしが吹く寒い冬の出来事でした。

実はこういう経験は一度だけではありません。
何度かあります。

話している間に、数分でも推手をすればお互いにたくさん学べたはずなのに、一方的に話を聞かされるだけ。
しかも異国語で。
これほど退屈な時間はありません。

百の言葉より、触れた一瞬の方がたくさん学べます。

先程勝負と言いましたが、それは相手との優劣を決めるための勝負ではありません。
勝負することによってたくさん学べるからです。

ひょっとしたら、私が相手してもらえなかったのは、それにも値しないほどへたくそだと思われたのかもしれませんね(笑)

世の中には素晴らしい先生がたくさんおられます。
特に私が好意を持っている先生方は知識を自慢する方ではなく、実際に感じさせてくれる方です。
このような先生方は専門用語をほとんど使うことなく、解りやすい言葉を使って説明してくれます。

解りやすい言葉を使う先生は実践経験が豊富です。
言葉がイキイキとしているし、それが体にすーっと入ってきます。
「なるほど」と思える言葉は心で感じるのであって頭で感じることではありません。

たくさん体を動かせば心で感じることはたくさんあります。

それが武術の楽しさだと私は思います。

***

※写真は第二道場である和歌山気功サロン近くのブリッジから見た外観です。



2021年2月11日木曜日

太極拳が好きな理由100

本当に好きなことならその理由100は簡単に上がると思います。

私はいくつかある流派の中でも楊式太極拳が一番好きです。

知っているだけでも、
楊式、双辺、陳式、呉式、孫式、武式、和式、鄭子等。

少なからずとも武式以外はすべて経験し型や技の研究も行いました。
そして、楊式、双辺、陳式、呉式、鄭子の5流派の方々とは直接手合わせをさせて頂いたこともあります。どの流派も素晴らしいです。

この経験は大変勉強になりましたし、今でも楊式太極拳の可能性を引き出すための研究材料になっています。

上記流派とは別に、簡化太極拳(24式太極拳、42式太極拳等)という制定拳があります。

これらを2年程経験しましたが、制定拳は前述した伝統拳を元に、その中から護身武術の要素を省き健康目的に編纂された太極拳となります。

もちろん太極拳ですから護身として使おうと思えば使えるのですが、ほとんどの教室ではこれら指導を行っておらず型中心の稽古を行っています。

このことはかつて私がいくつかの制定拳教室で学ばせて頂いた経験によるものです。

いずれも技の練習だけ行っても太極拳ではその技は使えません。

そもそもどんな技でも100人中100人に掛かる技はありません。
それでも、その技の技術を磨くための鍛錬(トレーニング)を行わなければ太極拳の技にはならないからです。

太極拳の技では力(腕力)を使いません。
それよりも大事なことは相手を感じることです。

相手を感じるためには、推手や散手による崩し合いを行わなければその腕を磨くことは出来ないですし、感じる力(気感)を強くするための気功による鍛錬も必要です。

制定拳の教室ではこれら気功、実戦推手、実戦散手は省かれ、
健康、表演、競技などを楽しむための太極拳となります。

伝統拳と制定拳、
自分に合った方が選ぶのがいいでしょう。

本題に戻します。

私は数ある流派の中でも楊式太極拳が好きな理由は100以上あります。
今、書き出しているところですが、このままいくと恐らく1000は超えると思います。
引き続き書き出して行こうと思います。

あなたは自分の太極拳の良さを100以上言えますか?

「健康にいい」「覚えやすいから」など、いわゆる受け売り言葉ではなく、
自分が感じたこととしてです。

私が楊式太極拳が好きな理由をあえてひとつあげるなら、
相手を傷つけないからです。
風のように捌き、風のように打ちます。
技をかける方も掛けられた方もすごく気持ちいいのです。

闘いと言えば、お互いに闘争心を剥き出しにし、相手を倒すことに気持ちが行きますが、
陽式太極拳は逆に興奮した相手を落ち着かせることが目的になります。(少なくとも私はそう捉えています)

とはいえ中にはかなり危険な技もあります。
それは武器を持った相手だったり、あきらかに殺意を持っている相手に対してに対応するために持っておいた方が良い技となります。(護身用の拳銃のような感じでしょうか)

いずれも、
打てば相手を更に興奮させるのは当然ですが、
太極拳では先制攻撃しません。
もし打ってきたならば技を掛けることになりますが、
打たれても気持ちいいとなれば結果はどうなるでしょう?

争いは争いを生みますが、
陽式太極拳の目的は沈静と友好です。

私が楊式太極拳をこよなく愛する理由です。



2021年1月30日土曜日

心が周りを変える

2008年
経済破綻で東京から実家へ。

当時、営んでいた海外事業はとても順調だった。
しかしそれに危機を感じた某国内会社から圧力を掛けられ破綻へと追い込まれた。
28年間の東京暮らしが終わった。

東京での28年間は、数多くのことを学ぶことが出来、私を大きく変えてくれた。
そして何より、太極拳と出会えた。
ここから私の第3の人生が始まる。

私は実家の小さな屋根裏部屋に籠り、残された僅かな方法で負債を全て返済。
そして貯えを作った。

お金だけではない。
体力を落とさないよう毎日ウォーキングと太極拳を行った。

実家での2年間、
居間でも、
家の前の道路でも、
近くの公園でも
近くの学校のグラウンドでも、
所構わず練習した。

毎日2~3時間練習し、記録をつけた。

なぜそれほど練習に打ち込んだかは
東京の恩師に教わった太極拳が忘れられなかったから。

いつか再開する時、
変わった自分を見て欲しい一心で毎日稽古に励んだ。

居間でも練習したが、その時は家族に煙たがられた。
しかしどうしても体が勝手に動いてしまう。

その後状況は変わった。
家族からの目は熱心だなに変わった。
道路で練習している時も家の窓から私の練習姿を見る母。
応援してくれなくとも、そうして遠くから見てくれるだけでも励みになった。

それから5年後、
奈良に今の太極拳教室である春日伝統太極拳を立ち上げた。
陽式太極拳を仲間と共にやる夢を叶えた。
初日は嬉しさのあまり興奮し、朝まで眠れなかった。
7年間閉じ込められ続けた思いがようやく開花した日だった。

***

家族の目があって練習が出来ないと言う話をよく聞く。
おそらく鬱陶しがられることを気にしているからではないだろうか。
私の場合は家族への遠慮よりもやりたい気持ちを止める方が難しかった。
それほど私にとって太極拳の存在は大きかった。

もし本当に鬱陶と思われたのだとしたら、
それは途中でやめるからではないだろうか。

人というのは何か新しいことをしようとすると応援どころか足を引っ張ろうとする。
なぜなら自分を超えて欲しくないから。

だから応援してくれる人を大切にしないといけないと思う。
本当に相手のことを考えてくれているのだから。

もし家族に煙たがられたら、それは自分が成長するということ。
周りに鬱陶しいと思われるのは途中でやめてしまうから。

熱心に変われば反対していた家族だっていずれきっと遠くから応援してくれる。
少なくとも私はそれで夢を叶えた。

そしてこれからも常に新しいことに挑戦し続けます。


最後まで読んでくださりありがとうございました。



2021年1月16日土曜日

「出来ない」から「出来る」へ

たまに稽古中に落ち込む人を見かけます。

ここで考えたいです。

落ち込む理由はなんでしょう?

もしかしたら教わったことがすぐにできないからではないでしょうか?

今までも何度か伝えてきましたが・・

太極拳では(ごく簡単なことを除いては)今出来ないことはすぐにも出来ないのです。

私自身、今出来ないことに対し落ち込んだことは一度もありません。
今まで教えてくださった先生方からも今すぐできるようになりなさいと指導されたこともありません。

太極拳の先生は知っているのです。
今すぐできないことを。

太極十年不出門という言葉がありますが、太極拳を修得するには10年掛かるという意味です。
ただ、この言葉には誤解が生じるかもしれません。

10年やれば太極拳が修得できるわけではありません。

この10年とは、今やっていることに対しての10年です。
いわゆる、今から10年後の未来に伏線を張る作業をしているのです。

今出来ないことに対し落ち込むのは今日限りにしましょう。
上達の妨げになるだけです。

そうではなく出来るようになっている10年後の自分を今から喜ぶんです。
少なくとも私はそうしています。

稽古中に落ち込んだりイライラしたことは一度もありません。
今出来ないことはすぐにはできないからです。

出来ないことがあったらこう考えています。

「どうすれば出来るようになるだろう?」

これだけです。

私がしかめっ面しながら稽古しているのを見たことがある人はいないと思います。
いつも楽しみながら稽古しています。
落ち込むことなど何もないからです。

「出来ない」から「出来る」へ伏線を張る。
そして、そのプロセスを楽しむ。

それだけです。

心から太極拳を楽しみましょう。



2020年12月30日水曜日

カッコ悪さを心掛ける

普段私が心掛けていることです。

といっても今は習慣化していますが・・

因みに格好悪さを目指し始めたのは武術を始める前からでした。

例えば人前でスピーチする時など完璧にやろうとするのではなく、「どれだけ不完全にできるかやってみよう」と心がけていました。

ハードルを足元まで下げるんです。
こうすることでリラックスすることが出来、すらすら喋ることが出来ました。

このことは武術にも取り入れています。

カッコ良くやろうとは絶対に思いません。
そんなことを思って自撮りすると、とんでもない映像を目の当たりにすることになります。

カッコイイというのは結果であり、目標ではないと思うからです。

カッコ良くなるためには、カッコ悪いことをどれだけやったか?

これに尽きると思います。

因みにカッコよくやろうとするとどうなるでしょう?

ガチガチの動きになります。
勁力落ちます。

良いことはひとつもありません。

動きが滑らかで勁(ちから)が出せる状態は自然体です。
もっと言えば超自然体です。

超自然体の中に人目の意識はありません。

逆を言えば人目を意識しなくなれば、動きが滑らかになり勁力が上がるということになると思います。

目指すはカッコ良さではなく、超自然体です。



2020年12月24日木曜日

動中求静の次は静中求動

動中求静の次は静中求動を目指す。

そもそも動中求静とは雑念のない超脱力状態で、天地と繋がりながらゆっくり動くことを意味していると私は解釈しています。

私は風と水が大好きですが、風に吹かれたり、波にゆられたりしていると、ずっとでもそうしていたくなります。
その時の心の状態は雑念がまったくなく、とても安定しています。
上がることも下がることも自由自在にできる状態といいましょうか。

太極拳ではまず套路を覚えます。
できるだけ早く覚えてしまいましょう。

太極拳はゆっくり長く続けることが大事といわれますが、套路をゆっくり覚えるということではありません。
套路を覚えた段階ではまだ太極拳の力の半分も出せていないということが後に解るようになります。

套路を覚えたら「覚えなきゃ」という気持ちを捨てましょう。
なんなら忘れたっていいのです。

私は忘れてもいいように、自撮りした動画を保存してあります。
忘れたらそれを見て思い出すようにしています。

なかなか覚えられないという人は目標を立てていないのではないでしょうか?

「いつまでに覚える」と決めるんです。
そうすれば覚えられます。
逆に覚える気がないなら10年経っても覚えられません。

とにかくさっさと套路を覚えてしまいましょう。
なぜならその後にやることが山ほどあるからです。

歌に例えると、歌の歌詞を覚えただけでは歌にはなりません。
単なる棒歌いになってしまいます。
歌詞を覚えたら気持をこめて歌えるよう心と技術を磨きます。

太極拳も同様に、套路を覚えたら、心で動けるよう技を磨きます。
心を磨くために技を磨き、技を磨くために心を磨きます。

因みに技だけ覚えてもなんにもなりません。
DVDや動画サイトを見ながら技を覚えても、その技は使えません。
覚えただけの技は自分より上手の相手に利用されてしまうだけです。(経験談)

本題に戻しますが、
動中求静は套路を覚えてしまわないと意識できないことです。
静中求動はもっとです。

雑念のない超リラックス状態で動くには、なにがなんでも套路を覚えてしまわなくてはなりません。
忘れたくとも忘れられないぐらいに。

そして次に、止まっているかのように見える動作の中で、呼吸、脱力、気の流れ、重さの流れなどを意識するステージに上がります。

この世界は実に素晴らしいです。

手足ビリビリし、体が風船のように膨らみ、体の中を気が突き抜ける感覚、空間に溶けて行くような感覚、不安も恐怖もまったくない心が膨れ上がったような感覚、体全身が光体になったような感覚・・

もし太極拳を始めて数年でこのような感覚があるとしたら、それは嘘かもしれません。
知識が先行し架空の真実を作り出すことがあるからです。(私は何度も騙されました)

信じることも大事ですが、疑うことも大事です。
「未来を信じ今を疑う」という感じでしょうか?

とにかく、素晴らしい世界に入るためにも套路をさっさと覚えてしまいましょう。

早く覚えるための方法はひとつ。
目標を定めること。

是非、共に素晴らしい太極拳の世界を楽しみましょう。

※まとまりのない文章になり申し訳ありません。



2020年12月11日金曜日

ゆらぎ

大河の流れの如く。

楊式太極拳ではこのように例えられることが多いです。

他にも
繭の糸紡ぐように。(引き出すように)
金魚をすくうように。

などの表現を使い指導していますが、毎回こんな風に伝えても実際やるとなるとなかなか難しいようです。

「頭ではわかってるけど体が言うことをきいてくれない」

よく聞きく言葉です。
実はこの言葉の中に答えがあります。

いわゆる頭で動こうとするからうまくいかないのです。
体に気が流れ、勁(ちから)生み出させる根源は「心」です。

だからどんなに考えても無理なのです。
もっと言えば考えてはいけないのです。
頭を空っぽにし、心に聞きます。

心の状態が安定していなければ連綿と動くことはできません。
逆を言えば心を鍛えるために体をゆっくり動かしているのです。

人間の行動は心が支配しています。
心の状態が大切ということになります。

指導中、落ち込んだり、自分を責めたり、イライラしたり、ムッとする人をその場で叱ります。
そんな心の状態ではうまくいくものもうまくいかなくなるからです。

今出来ないのは当り前なのです。

そしてうまく行かない時はこう考えて欲しいです。

「うまく行かない方法が解った」と。

うまくなるためには、うまくいかないことをたくさん知ることが絶対必要です。

私自身も常に新しいことに挑戦していますが、出来ないことで落ち込むことはありません。
落ち込んでいる時間がもったいないからです。

常に「今は出来ない」「ならどうすれば出来るようになるか?」
そう考えるだけです。

話を戻します。

楊式太極拳に求められる、大河の流れのような動きは、心の状態をそうすることが大事です。
荒波を立ててはいけません。

1/f ゆらぎをご存じでしょうか?
自然界にあるゆらぎです。
川のせせらぎ、風に揺れる草や木の枝、雨音、蝋燭の炎、などのゆらぎです。

このゆらぎは心をとても安定させる力があります。
いわば心を安定させる力は自然界にいくらでもあるということです。

ということは自然と一体化することが、最強の力を得ることなのかもしれませんね。

心を豊かに安定させるためにも、自然界のゆらぎのように途切れることなくゆっくり動いてみましょう。

この行いは自己開発や自己変革ともとれますが、
いわば心のルネッサンス(再生)であると私は思っています。