某SNSのある投稿を見て私はショックを受けてしまった。
そのタイトルが
西洋格闘技に20秒で惨敗した中国伝統武術というもの。
西洋格闘技とはいわゆるボクシングスタイルの格闘家で、
中国伝統武術とは太極拳武術家。
結果は西洋格闘家の圧勝で、太極拳武術家はわずか20秒でTKO
格闘家は武術家に対し先制の左ジャブから始まり隙を見てすかさず右フック、
その後連続パンチを浴びせ、倒れた武術家の頭部を更に連打。
あまりにも呆気ない勝負で、見ていて胸が痛くなった。
武術家は頭部から出血したらしいが映像ではよく確認できなかった。
いずれも深刻なダメージを受けなくて良かった。
私がこの試合に対し思ったことは、西洋格闘技であればグローブを着用すべきだと。
素手で後頭部を連打すること自体下手をすれば命に関わる。
一方、太極拳武術家はグローブを着用することは出来ない。
掌を多用する太極拳ではグローブを着用してしまうと太極拳のほとんどの技が使えなくなってしまう。
というより、それ以前にこの試合そのものが無意味であると言いたい。
そもそも太極拳は格闘技ではない。
闘うための武術ではないと私は認識している。
内乱が多かった中国で武装した敵から自分の身や家族の身を守るために生まれた護身術である。
決して試合会場で闘うことを目的としてして生まれた武術ではなく、
自分の命を守るために、敵を戦闘不能状態まで追いやることが目的である。
それ故に狙うところは
眼球、コメカミ、後頭部、耳、喉、心臓、胃、肝臓、腎臓、膀胱、脇腹、金的、肘、膝等を攻撃し瞬時に敵を戦闘不能状態にする。
眼球への攻撃は視力を奪い、耳への攻撃は聴力を奪う。
喉には頸動脈や脊髄がある部位であり、ここを攻撃すると呼吸障害や脳の機能に障害を与え、失神だけでは済まない深刻なダメージを与える。
心臓への攻撃は心機能停止に至らせたり、胸骨陥没により心臓を破壊する。
他の内臓への攻撃は気を打ち込み内部破裂させるので、出血具合によっては死に至る。
関節への攻撃は肘や膝を折りこれもまた戦闘不能状態にする。
又、ある時は指先で点穴を付き、やはり敵を身動きできない状態にする。
太極拳は見た目柔らかく美しい舞踊のように見えるが、
綿の中に針を隠すと例えられる通りその技は残酷極まりない。
しかしそうでもしなければこちらが殺されてしまうのだ。
よって、太極拳はルールある格闘技の場で使える技は皆無に近い。
だから太極拳は決して闘ってはいけない。
前にもブログで取り上げたが、もし暴漢等に襲われそうになったら、逃げるが一番。
護身術を使うのは最後の手段であり、
太極拳の目的は危険をいち早く察知するための聴勁を鍛えることにある。
いずれも、私としては武術家は格闘家と試合をして欲しくない。
武術は強さを競うために生まれたのではなく
生死のかかった状況で自分の身を守るために生まれたものなのだから。
2017年8月18日金曜日
2016年5月26日木曜日
頭が良くない方が太極拳に向いている?
いきなり不躾なタイトルお許しください。
以前も少しお話したが、太極拳がなかなか覚えられないという方が多いと言うこと。
確かに簡化太極拳に対し伝統太極拳は技の数も多く演武時間も長い。
だから、太極拳を始めて行った時、思ったより覚えられないので、「こんなにたくさん覚えられない・・」と思ってしまうのだろう。
しかし逆を言えばそれだけ楽しみがあるということ。
すぐに出来てしまってはおもしろくない。
釣り糸を垂らした瞬間に大魚が釣れてしまったらおもしろくない。
苦労して覚えたものは覚えた時に感動があり、
たっぷり時間をかけて習得したものは一生の宝になる。
本題に入るが
私は決して頭がよくない。
勉強が苦手で学生時代は赤点ばかり。
自慢ではないが0点をとったこともある。
成績表を親に見せるのが毎回怖く、父に見せると真っ赤な顔で怒鳴られ殴り倒された。
(今では有りえないと思うが当時は普通でした)
勉強が出来ないからといって運動ができたわけでもない。
のろまな上にボール恐怖症。
とことん運動音痴で学生時代体育の時間が嫌いで嫌いで仕方なかった。
体育授業のある前日は憂鬱で毎回地獄のような思いをした。
その上、無口で人と接することを怖がっていた。
だから休み時間はいつもひとりぼっち。
学校がつまらなくて仕方なかった。
だからたまに仮病を使って学校を休むこともあったほど。
とまあ、以上が私の暗い学生時代(笑)
太極拳に関しても最初は本当に苦労した。
先生と一緒ならなんとかついていけるのに、一人になると何も思い出せない。
あまりにも思い出せない自分にビックリしたほど(笑)
そんな私でも伝統楊式太極拳を覚えました。
いえ、正確に言えば今でも間違うことはありますが・・(笑)
いわゆる
太極拳は頭で覚えるものではなく体で覚えるものだということ。
人間は習慣で動く生き物。
今まで繰り返し行ってきたことが潜在意識に伝えられ、それがセルフイメージとなり、その人の人格形成を行い、習慣や癖を作り出す。
どんなに頭で解っていても思うように動けないのは潜在意識に入ってないから。
仮にすらすら覚えたとしても、きっと忘れるのも早いでしょう。
だから腰を据えてゆっくりゆっくり覚えて行けばいいのです。
その方が確実に潜在意識に刻み込まれていくから。
人間は潜在意識に逆らうことはできません。
潜在意識に支配されているのです。
逆を言えばその潜在意識を利用すればいいということ。
潜在意識は繰り返しに弱いので、ただただ何度も何度も繰り返し練習すればいいのです。
先日、仲間とちょっとした組手を行いました。
隙を見て間合いを詰める実験。
私が攻撃側で、隙を与えないよう相手の動きを見ながら突きや蹴りでけん制する。
しかし、次にどのような動きをしようかと考えていると、気がつけば相手は目の前に。
いわゆる考えることが相手に隙を与えてしまうということ。
実戦の場面では決して考えてはいけない。
無心になることが大事。
相手に技が決まるのは考えた技ではなく、いつの間にか出た技。
いわゆる得意技。
打ち合いの練習でも、私の突きの威力を相手に最も感じてもらえるのは無心で打った時。
威力を出してやろうと考えるとパワーが死んでしまう。
そう考えることが力みを生み、本来持ってる勁力を妨げてしまう。
前回の記事で弟子に胸を打ってもらった話をしたが、
そのMさんの気功歴は約2年。
毎日毎日行っていると言う。
その2年前と比べ驚くほど勁力が上がっていた。
その掌打には、か細い腕から繰り出されるパワーとは思えないほど重い衝撃が私に伝わってきた。
しかもその衝撃は震動となって体内にまで入ってきた。
因みにMさんは普段、突きの練習や筋トレを行っているわけではない。
ただただ、毎日気功を行い、楊式太極拳を練ってきたのだ。
そういうMさんも学生時代勉強と運度が苦手だったということ。
最後に
太極拳に求められるのは頭脳でも運動神経でもない。
太極拳に求められるのは
日々の鍛練
そして、何も考えないこと。
無心こそ最強と言えよう。
以前も少しお話したが、太極拳がなかなか覚えられないという方が多いと言うこと。
確かに簡化太極拳に対し伝統太極拳は技の数も多く演武時間も長い。
だから、太極拳を始めて行った時、思ったより覚えられないので、「こんなにたくさん覚えられない・・」と思ってしまうのだろう。
しかし逆を言えばそれだけ楽しみがあるということ。
すぐに出来てしまってはおもしろくない。
釣り糸を垂らした瞬間に大魚が釣れてしまったらおもしろくない。
苦労して覚えたものは覚えた時に感動があり、
たっぷり時間をかけて習得したものは一生の宝になる。
本題に入るが
私は決して頭がよくない。
勉強が苦手で学生時代は赤点ばかり。
自慢ではないが0点をとったこともある。
成績表を親に見せるのが毎回怖く、父に見せると真っ赤な顔で怒鳴られ殴り倒された。
(今では有りえないと思うが当時は普通でした)
勉強が出来ないからといって運動ができたわけでもない。
のろまな上にボール恐怖症。
とことん運動音痴で学生時代体育の時間が嫌いで嫌いで仕方なかった。
体育授業のある前日は憂鬱で毎回地獄のような思いをした。
その上、無口で人と接することを怖がっていた。
だから休み時間はいつもひとりぼっち。
学校がつまらなくて仕方なかった。
だからたまに仮病を使って学校を休むこともあったほど。
とまあ、以上が私の暗い学生時代(笑)
太極拳に関しても最初は本当に苦労した。
先生と一緒ならなんとかついていけるのに、一人になると何も思い出せない。
あまりにも思い出せない自分にビックリしたほど(笑)
そんな私でも伝統楊式太極拳を覚えました。
いえ、正確に言えば今でも間違うことはありますが・・(笑)
いわゆる
太極拳は頭で覚えるものではなく体で覚えるものだということ。
人間は習慣で動く生き物。
今まで繰り返し行ってきたことが潜在意識に伝えられ、それがセルフイメージとなり、その人の人格形成を行い、習慣や癖を作り出す。
どんなに頭で解っていても思うように動けないのは潜在意識に入ってないから。
仮にすらすら覚えたとしても、きっと忘れるのも早いでしょう。
だから腰を据えてゆっくりゆっくり覚えて行けばいいのです。
その方が確実に潜在意識に刻み込まれていくから。
人間は潜在意識に逆らうことはできません。
潜在意識に支配されているのです。
逆を言えばその潜在意識を利用すればいいということ。
潜在意識は繰り返しに弱いので、ただただ何度も何度も繰り返し練習すればいいのです。
先日、仲間とちょっとした組手を行いました。
隙を見て間合いを詰める実験。
私が攻撃側で、隙を与えないよう相手の動きを見ながら突きや蹴りでけん制する。
しかし、次にどのような動きをしようかと考えていると、気がつけば相手は目の前に。
いわゆる考えることが相手に隙を与えてしまうということ。
実戦の場面では決して考えてはいけない。
無心になることが大事。
相手に技が決まるのは考えた技ではなく、いつの間にか出た技。
いわゆる得意技。
打ち合いの練習でも、私の突きの威力を相手に最も感じてもらえるのは無心で打った時。
威力を出してやろうと考えるとパワーが死んでしまう。
そう考えることが力みを生み、本来持ってる勁力を妨げてしまう。
前回の記事で弟子に胸を打ってもらった話をしたが、
そのMさんの気功歴は約2年。
毎日毎日行っていると言う。
その2年前と比べ驚くほど勁力が上がっていた。
その掌打には、か細い腕から繰り出されるパワーとは思えないほど重い衝撃が私に伝わってきた。
しかもその衝撃は震動となって体内にまで入ってきた。
因みにMさんは普段、突きの練習や筋トレを行っているわけではない。
ただただ、毎日気功を行い、楊式太極拳を練ってきたのだ。
そういうMさんも学生時代勉強と運度が苦手だったということ。
最後に
太極拳に求められるのは頭脳でも運動神経でもない。
太極拳に求められるのは
日々の鍛練
そして、何も考えないこと。
無心こそ最強と言えよう。
2014年9月23日火曜日
筋力を超えるパワーとは?
先日仲間と勁力の試し合いをした。
片方が受けて片方が打つ。
私はなんとなく拳をひょいっと突き出した。
すると受けようとしていた仲間がまるで車にでも跳ねられたかのようにすっ飛んだ。
正直ビックリした。
まあ、車に跳ねられるというのは大袈裟かもしれないが、とにかく想像以上に飛んだ。
私がしたことは、何も考えなかったということと、自分を信じたということだけだろうか。
今までは打とうとして打っていた。
しかし私にはほとんど筋力がない。
突きの練習や、腕叩伏せなどそういうトレーニングは全くしていない。
だから打とうとしても所詮知れている。
実は私は好き好んで体を鍛えることをしないでいる。
体を鍛えてしまうとついつい筋力に頼ってしまい勁力が出しずらくなるからだ。
丹田も意識しずらくなる。
いずれも私の体系はひょろひょろ。
ただ、試合のために足腰だけは強くなるよう少々トレーニングしている。
あと、器械を自在に操れるようになるために少し重めの木刀で練習したりもする。
それ以外の筋トレは一切しない。
というより、立禅や太極拳そのものが未知の力を引き出すための特殊な筋トレだから。
それにしても筋力を使わずどうして相手を飛ばしたり、動いたりできるだろう?
私にもよくわからない。
自分ではない何者かがスっと入ってきて自分の腕を動かしているような感覚。
手で打とうとしても自分の筋力を超えるパワーは出せない。
が、丹田を使うとそのパワーは筋力を超えていくらでも増大する。
科学では証明できない分野だと思う。
そしてひとつだけ言えるのはこれはコツではないということ。
毎日ひらすら鍛錬あるのみだと思う。
片方が受けて片方が打つ。
私はなんとなく拳をひょいっと突き出した。
すると受けようとしていた仲間がまるで車にでも跳ねられたかのようにすっ飛んだ。
正直ビックリした。
まあ、車に跳ねられるというのは大袈裟かもしれないが、とにかく想像以上に飛んだ。
私がしたことは、何も考えなかったということと、自分を信じたということだけだろうか。
今までは打とうとして打っていた。
しかし私にはほとんど筋力がない。
突きの練習や、腕叩伏せなどそういうトレーニングは全くしていない。
だから打とうとしても所詮知れている。
実は私は好き好んで体を鍛えることをしないでいる。
体を鍛えてしまうとついつい筋力に頼ってしまい勁力が出しずらくなるからだ。
丹田も意識しずらくなる。
いずれも私の体系はひょろひょろ。
ただ、試合のために足腰だけは強くなるよう少々トレーニングしている。
あと、器械を自在に操れるようになるために少し重めの木刀で練習したりもする。
それ以外の筋トレは一切しない。
というより、立禅や太極拳そのものが未知の力を引き出すための特殊な筋トレだから。
それにしても筋力を使わずどうして相手を飛ばしたり、動いたりできるだろう?
私にもよくわからない。
自分ではない何者かがスっと入ってきて自分の腕を動かしているような感覚。
手で打とうとしても自分の筋力を超えるパワーは出せない。
が、丹田を使うとそのパワーは筋力を超えていくらでも増大する。
科学では証明できない分野だと思う。
そしてひとつだけ言えるのはこれはコツではないということ。
毎日ひらすら鍛錬あるのみだと思う。
昭和38年大阪生まれ。学生時代、剣道、空手(剛柔流、極真)、旧日本陸軍の団体訓練を受ける。2002年に太極拳始めその後武術の研究を続ける。専門種目:気功、楊式太極拳、双辺太極拳、形意拳。2013年より指導を始め2020年に橿原神宮前に本部道場開設。一条伝統太極拳・綿拳内功研究会主宰
2013年10月30日水曜日
なんとなく始める
昨日は仲間と約8時間に及んで練習した。
無論、休憩を入れてだが。
お蔭でかるい筋肉痛。(笑)
昨日は、目瞑り推手をやってみた。
これが結構おもしろかった。
感じたことは、目を開いていても目を閉じていても、あまり変わらないということだろうか。
といいつつ何度か飛ばされてしまったが。(笑)
あと、目瞑り組手というのもやってみた。
これは病み付きになりそうなほどおもしろかった。
もちろん手は触れてないとダメだが、目を瞑りながら相手の攻撃をかわし、そして隙あらばこちらからも攻撃を加える。
いずれも少しでも手を触れていれば相手の動きをある程度読むことが出来るが、蹴りが飛んでくるとさすがにわからない。
いや、空手の蹴りのような大きなスイングがあればわかるだろうが、立身中正のまま蹴りが飛んで来るとまるでわからない。
目を瞑りながらも静かな蹴りを読むことが出来るかどうかは今後の課題になりそうだ。
あと、ミット打ちで思ったことは、考えてから打つとまるでパワーが半減する。
何も考えないで打つとスバーン!!という音とともに相手が吹っ飛ぶ。
やはり打つ時は「無心で打て」ということなんだろう。
ところで、何か始める時にあまり意気込むといい結果にならない。
昔は何でも「気合い気合い」といったもんだが、私の場合は気合いを入れるとその後ボロボロになる。
何も考えないで、なんとなく始める。
朝ベッドから起き歯を磨くような感じで。
そうすると型もうまくいくし、推手や組手もいいコンディションで臨める。
今使っているシェアルームで最近ブレイクダンスのお兄さんと一緒になることが多いのだが、先日この話題で話が弾んでしまった。
ダンスバトルでも、あまり意気込むとうまく行かないらしい。
それに、見てくればかり気にすると柔らかい動きにならず結果いい動きにならないという。
それは太極拳にしても同じ。
見てくれを気にして演武するとロクなことにならない。
中から動く。
自分を信じ、自分の中から沸き起こる力で体が動かされる感覚と言おうか。
といいつつも、練習中も本番中も邪念がよぎることがよくある。
まだまだ修行が足りんようだ。(笑)
無論、休憩を入れてだが。
お蔭でかるい筋肉痛。(笑)
昨日は、目瞑り推手をやってみた。
これが結構おもしろかった。
感じたことは、目を開いていても目を閉じていても、あまり変わらないということだろうか。
といいつつ何度か飛ばされてしまったが。(笑)
あと、目瞑り組手というのもやってみた。
これは病み付きになりそうなほどおもしろかった。
もちろん手は触れてないとダメだが、目を瞑りながら相手の攻撃をかわし、そして隙あらばこちらからも攻撃を加える。
いずれも少しでも手を触れていれば相手の動きをある程度読むことが出来るが、蹴りが飛んでくるとさすがにわからない。
いや、空手の蹴りのような大きなスイングがあればわかるだろうが、立身中正のまま蹴りが飛んで来るとまるでわからない。
目を瞑りながらも静かな蹴りを読むことが出来るかどうかは今後の課題になりそうだ。
あと、ミット打ちで思ったことは、考えてから打つとまるでパワーが半減する。
何も考えないで打つとスバーン!!という音とともに相手が吹っ飛ぶ。
やはり打つ時は「無心で打て」ということなんだろう。
ところで、何か始める時にあまり意気込むといい結果にならない。
昔は何でも「気合い気合い」といったもんだが、私の場合は気合いを入れるとその後ボロボロになる。
何も考えないで、なんとなく始める。
朝ベッドから起き歯を磨くような感じで。
そうすると型もうまくいくし、推手や組手もいいコンディションで臨める。
今使っているシェアルームで最近ブレイクダンスのお兄さんと一緒になることが多いのだが、先日この話題で話が弾んでしまった。
ダンスバトルでも、あまり意気込むとうまく行かないらしい。
それに、見てくればかり気にすると柔らかい動きにならず結果いい動きにならないという。
それは太極拳にしても同じ。
見てくれを気にして演武するとロクなことにならない。
中から動く。
自分を信じ、自分の中から沸き起こる力で体が動かされる感覚と言おうか。
といいつつも、練習中も本番中も邪念がよぎることがよくある。
まだまだ修行が足りんようだ。(笑)
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組手
昭和38年大阪生まれ。学生時代、剣道、空手(剛柔流、極真)、旧日本陸軍の団体訓練を受ける。2002年に太極拳始めその後武術の研究を続ける。専門種目:気功、楊式太極拳、双辺太極拳、形意拳。2013年より指導を始め2020年に橿原神宮前に本部道場開設。一条伝統太極拳・綿拳内功研究会主宰
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