2022年7月23日土曜日

時間を変える

昨夜は中級クラスでした。

当会の中級クラスは一般的な上級クラスの部類に属すると思っています。

ではなぜ中級クラスという名称にするか?
それは、「まだ上がある」
ということを知って欲しいからです。

太極拳は套路を覚えたら終わりではありません。
太極拳は技を覚えたら終わりではありません。
それ以上になにがあるか?

見えない力です。

人は25歳を過ぎたら老化が始まります。
何もしなければこの流れを変えることは出来ません。
いわば死へのカウントダウンの始まりです。

毎日、同じ仕事をし、生活をし、たまに余暇を楽しみ、
こんな風に人生を消化していくことになります。

この流れを変える方法はないのでしょうか?

これこそが私が太極拳を続けてきた理由であり、一生続けようとする理由でもあります。

太極拳をはじめたその日から消化するだけの人生ではなく、進化がはじまります。

太極拳は人を進化させてくれるのです。

確かにいろいろ衰えてきました。
筋力、視力、聴力、記憶力、判断力、注意力、瞬発力等々。

しかしどうでしょう?

来年還暦を迎える私は、
前を走ってる学生を追い抜くほど速く走れます。
階段を駆け上がることが出来ます。
力でも若い人に負けません。(勁力です)
怪我してもすぐに治ります。(驚異的な速さです)
病気しません。(過労で倒れたことはありますが・・)
洞察力が上がります。
見ただけで人の考えていることが解ります。
人のエネルギーレベルやその流れが見えるようになります。

自分でも不思議に思います。

私はこれが解ったから太極拳を続けているし、
それを身を以て証明しようとしています。

人生これからです。
間もなく60歳になろうとしている私が本気でこのように思うのです。

それを教えようとしているのが中級クラスです。

入門クラス、普通クラスで教えているのは太極拳を覚えることです。
それを活かせるようにするのが中級クラスです。

気功、基本功、太極拳、八卦掌、形意拳、推手、散手、ミット打ち等々。

これらは覚えたことを活かすために行っています。

太極拳を始めると死ぬまで強くなれます。
亡き師父が残してくれた言葉です。

今、私が頑張れるのはこの言葉がいつまでも頭の中でこだましているからです。

太極拳は単なる高齢者向けの健康体操ではありません。
老化を進化に変えてくれる秘術なのです。



2022年7月22日金曜日

弱点を活かす

「見る力を養う」

見ることは聴くより大事です。

もちろん聴くことも大事なのですが、
教わったことを言葉に変換し、またその言葉を動作に変換するのでは効率悪くないですか?

本を読んで独習するならまだしも、
目の前に手本を見せてくれる人がいるなら、見たままやればいい。
まんまやればいい。

それでも、ある程度のレベルに達すると、形だけでは通用しなくなります。
どんなに奇麗な動きをしても奇麗でしかないものになってしまいます。

太極拳は武術です。
武を意識しなければ決して武術になることはありません。
(舞踊やスポーツとしての太極拳をするなら別です)

何を見るか?
姿勢や動作は散々見てきたはずです。

私が師を見る時は出ている空気を見ます。
いわゆる「氣」です。

どこに氣を集めて、
どこに発射しているか?

それを見ることによって、後々、動作や姿勢の意味を知ることができます。

「なるほど、だからこの姿勢なのか」
「なるほど、だからこの動きなのか」
といった具合です。

私は若い頃にバンドでロックをやっていたせいで耳が遠くなりました。
言葉があまり入ってきません。
だからその分見ようとします。

視力が弱い人はその視力の弱さを活かすべきです。
メガネやコンタクトを外し見てみましょう。
今まで見えなかったものが見えるのではないでしょうか?

少なくとも私が師を見る時は、わざとピントをぼかして見ます。
どこかに一点に焦点を合わせてしまうと太極拳の動きを見ることはできません。
なぜなら太極拳は気を用い体全身を使うからです。

自分の弱点を活かす。

もしかしたら見えなかったものが見え、新しい感覚が身につくかもしれませんね。



2022年7月10日日曜日

超リラックスが勁を生む

昨夜は超気功クラスと夜間普通クラスでした。
超気功クラスとは気感を強くするための特別プログラムで、それによって内家拳に必要な勁力を上げることを目的としています。

太極拳で物質的なことだけに囚われていては内家拳としての太極拳に近づくことは出来ません。
目に見えないものを見ようとしたり出そうとしたりすることは、力を出すこととは異なり、極限のリラックス状態と集中力が必要です。

では、力を抜こうとすることでリラックス状態に入ることが出来るでしょうか?
いいえ。
抜こうとすること自体が雑念なのです。

例えば湯船に浸かっている時やベッドで横になっている時に力を抜こうとするでしょうか?
何も考えなくとも自然とリラックス状態です。

いわば超気功クラスは脱力方法とすぐさま瞑想状態に入るための特別プログラムなのです。

今回のメンバーで一番強く気を感じたのはM子さんでした。
両手を出して目を瞑っているM子さんの掌に重い気を発射すると次第に腕が下がっていき、引きつける気を出すと手が吸い寄せられるようにどんどん上がっていきました。

M子さんは長年気を感じることが出来ないと落胆していましたが、今では気感も勁力も確実に上がってきています。
家庭では社会人になる息子さんにふざけて突きや蹴りを出されることがあるらしいですが、それらすべてをいなし時折当て身を入れることもあるそうです(笑)
なんとも頼もしいお母さんです。

普通クラスではIさんとNさんが武器術を順調にすすめています。
因みに楊式刀や剣ではこれら武器を矛として使うだけではなく盾としても使います。
体すべてを使うのが太極拳の考え方ですが、それがあの美しい動きを生み出します。

散手は単鞭(たんべん)を稽古しました。
どの技も同じですが特に単鞭は手だけでは技は掛かりません。
手足すべてを使うことはもちろん、気を通すことが大事です。

気の通った腕と、力任せの腕では全くパワーが違います。
技術ばかりに目を向けるのではなく、太極拳では見えない力を意識することはもっと大事です。