2021年12月27日月曜日

闇か光か

今朝の稽古は3人で行いました。
そして休憩時間にKさんからこんな質問を受けました。

「気功をやる上でどんなことに気をつけたらいいですか?」
「気の流し方とか解らなくて・・」

答えました。

「気の流し方よりまず先に姿勢と脱力を徹底的にやったほうがいい」と。

そうなんです。
どんなに気の流したかが解ったところで姿勢が悪ければ気が上手く流れないし、力みがあれば気の流れがそこで滞ってしまいます。

又、力みをとらなければならないのは体だけではなく頭もです。
体も空っぽ、頭も空っぽ。

そんな風に説明すると、
「どうしても雑念が沸いてしまって・・」とKさん。

そう、一番厄介なのが雑念です。
雑念が妄想となり、どんどん悪い方向へと思考が傾いてしまいます。

人間、頭でごちゃごちゃ考えるとロクなことになりません。
どんどん闇の方向に引っ張られてしまうのです。

まだ眉間に皺を寄せてますか?
このことに何のメリットもないし、ただただ時間を浪費するだけです。

だから、まず何も考えず頭を空っぽにして体を動かしてみる。
そうすれば、必要な情報が天から降りてきます。

必要な情報を得たいから必死で考えようとしてるんですよね?
逆です。
必要な情報を得たかったら、心を鎮め何も考えないことです。
すると自分に必要な情報、進むべき道が指し示されます。

私はこれに従って行動し間違った方向に進んだことは一度もないし、
それどころかどんどん運を引き寄せているようです。

いつもコップの中の水で例えていますが、
コップの中の腐った水を捨てなければきれいな水を入れることは出来ません。
だから捨てることが大事なんです。

そうはいっても、
捨てられない人がどれほど多いことでしょう。

そんなに大切にしていても、もし火事になればすべて燃えてしまうし、
洪水になればすべて流されてしまいます。
もっと言えば、その捨てられないモノって死ぬときに持って行けるものでしょうか?

死ぬ時、肉体はなくなり骨と魂だけになってしまいます。
今大切にしようとしているものは骨壺に入るものでしょうか?

その魂を鍛えるのが太極拳なんです。
魂は死後も生き続けます。

死後の世界は解りませんが、これまで何度か経験したトランス状態(幽体離脱)では自分で自分を上から見ている状態になります。
この状態になると霊体の自分が現実の自分を操ることが出来、
更に、次に起きることも解るようになります。

まるで仮想現実のゲームの世界のようです。
(この場合現実の自分が仮想であり、霊体と思われる自分が現実になりますが)

その時に霊体の自分が現実の自分に送る力はなんでしょう?
何かしらのエネルギーです。
それが気です。

結局、太極拳で鍛える気のパワーは自分を操る力を身に付け、その現実の自分は周りを操ることもできます。

ここまでの話は受け売りでもなく借り物の言葉ではありません。
すべて私自身が経験したことです。

もし死後の世界が幽体離脱と同じ状態なのであれば、死後も柵に囚われることなく、自由にのびのびと魂として生き続けることが出来ることになります。

結局、気功や太極拳で積んだ徳は死後に持って行けるということになります。

今日はそんな話をしていました。

とても太極拳とは程遠いような話に感じるかもしれませんが・・(笑)

とにかく、

姿勢を正す
極限まで脱力する
頭を空っぽにする

こうすることで自然と気の流れを感じるようになり、どことどこが繋がっているかも自分自身で解るようになります。

このような経験は私だけでなく、様々な分野の第一線で活躍をしている数多くの方が経験していることです。(口に出して話さないだけです)

太極拳を舞踊やスポーツとしてやるのも良いですが、
これほどまでに感動的なスピリチュアルな経験が出来るのも太極拳です。

それを武術として生かすのが太極拳の最大の魅力だと私は思っています。




2021年12月14日火曜日

渾元椿とは?

今回の試験で少し残念だったのが、若干名、最初の渾元椿(こんげんしょう)が抜けてしまったことです。

※渾元椿とは天地の間に杭のように立つことで、天地との融合を目指すもの。

双辺太極拳において、最初の渾元椿はとても重要です。
逆を言えば渾元椿なくして、双辺太極拳の力は全く出せないと言っても過言ではないでしょう。

双辺太極拳は天地の力を最大限に利用します。
沈む力と浮き上がる力。
渾元椿によって天地と繋がり、それによって双辺太極拳の全ての技が使えるようになります。

アクションヒーロー系の映画やドラマでも、強敵を相手にする時、闘う前に呪文を唱えたり、瞑想したり、天地のパワーを取り込むようなポーズをしたりといったシーンが見られますが、まさにアレです。

套路を始める時、なんとなく手を動かすだけの動作から入っても、それでは踊りの域を超えることは出来ません。
渾元椿の時点でどれだけ無駄な力を抜きし、瞑想し、空間と一体化できるかが大事なのです。

これまで幾度も気功と太極拳を分けてはいけないと伝えてきましたが、まだまだ分けて考えている方が多いようです。
気功と太極拳の間に境界線はなく、武術と気功の融合こそが太極拳なのです。

すべての動きに意味があると思ってください。

套路の中には実際、想像を遥かに超えるほどの秘伝の技が隠されているのです。
それを見せないようにしている套路もあれば、決して教えられることもない奥義があることも覚えておいてください。

渾元椿に始まり、渾元椿に終わる。
それが双辺太極拳です。

#渾元椿 #双辺太極拳 #99式太極拳 #九十九式太極拳 #正宗太極拳



2021年12月2日木曜日

合気道は武道、太極拳は舞踊?

道場に来られる会員さんがたまにこんな風に驚かれます。
「太極拳って武術だったんですね!?」と。

太極拳は元から武術です。

太極拳といえば、よく話題に出るのが合気道です。
太極拳と合気道はとても良く似ています。

合気道は小柄な女性でも大男と闘える武道というイメージがありますが
なぜか太極拳は健康体操や舞踊というイメージ・・

実際、合気道の稽古を見ていると小柄な女性やご年配の方が体格の良い男性をぽんぽん投げ飛ばしとても格好良いです。

本来は太極拳もそのようなイメージになるはずなのですが・・

楊無敵と言われた太極拳が何故カタチだけの体操や舞踊になってしまったのでしょう?

このことを説明すると長くなるので別の機会にしますが、
ハッキリ言えることは、太極拳も合気道と同じです。
非力な女性や高齢者でも、大男と対等に戦える高度な護身武術です。

そして、誰もがこのような力を得たいと思っているはず。

今の太極拳はまるで牙を抜かれたトラに見えます。

そうこうしているうちに物騒な事件で、罪のない人々が次々と殺害されています。
こんな状況の中、牙を抜かれたトラのままでいいのでしょうか?

太極拳は本来のトラに戻るべきです。



2021年12月1日水曜日

硬さは何故生まれるか?

これまで指導して気付いたことは、体が硬い方がとても多いことです。

硬いといっても柔軟性ではありません。
体が緊張状態でゴリゴリなのです。
そして困ったことに本人がそれに気づいていないことです。

その硬さは力みから生じます。
いかに普段無駄な力を使っているかということになかなか気付けないのです。

体の硬さは心の硬さです。
心と体は同一です。

情報に溢れた今の複雑な世の中を柔軟に行きていくためには、
心の柔らかさが必要です。

とはいえ心を柔らかくするのは容易ではありません。

その気になれば1秒で柔らかくなることもできるのですが、
そのためには多くのものを捨てなければなりません。

結局「硬さ」とは捨てられない過去への依存心が生み出すものであり、
これに縛られている間は決して柔らかさを手に入れることは出来ません。

では手っ取り早く体をやわらかくする方法はないのでしょうか?

実はもっとも簡単な方法が体を柔らかくすることです。
柔軟性ではありません。
やわらかい力を使えるようになることです。

姿勢を正し、
体の力を極限まで抜き、
なにも考えないようにすることです。

いわゆる「禅」です。

当会では稽古で毎回、立禅を行います。
やわらかさを身に付け、自分の存在の意味や自分の進むべき道を知るためです。

やわらかい力は生活だけでなく人生も変えてくれます。

是非一度当会で立禅と太極拳を体験してみてください。

きっと探しているものがみるかるはずです。



伝統の到来

昨日は月一回の自立支援講座を当道場で行いました。

本講座では誰にでも気軽に参加してもらえるよう、ゆるい体操のような気功を行っていますが、
ある男性利用者さんが道場にあるミットを指さし「これ何に使うんですか?」と聞かれたので、「ちょっと持ってみて」といい、かるく暗勁(触れた状態で打つ)を入れてあげました。

すると目を丸くしてビックリ。

ついでに寸勁(3センチぐらいの距離から打つ)も打ってあげたら更にその威力に驚かれました。

他の参加者さんからもとてもウケが良かったので、攔雀尾(らんじゃくび)や如封閉閉(にょふうじへい)などの技を使い、早い突きや手を掴んでもらったりして少しだけ技を体験してもらいました。
利用者さんだけでなく職員の方も太極拳の凄さにとても興味を持たれました。

太極拳って舞っているように見えるんです。

なのに、ふわっと舞ったかと思えば、あっという間に技が掛かり、床に叩きつけられたり、吹っ飛ばされたりと驚くような技が飛び出します。

大人しくじっとしている生き物に、みたこともない動きでいきなり襲い掛かられると怖いですよね?(笑)

因みに舞うと言っても、太極舞(たいきょくまい)とは全く関係ありません。
太極舞はカンフーの動きを模したフィットネスダンスであり、
太極拳のように強靭な体を作ったり、気を練って生命力を上げたりするものではありません。

これまで似たような名称に釣られたことって多くないですか?
(かつて流行った海外疑似ブランドのように)
似せているのは商業的な意味があるのかもしれませんね。

代表である私はとことん本物志向ですが、本物を求めた結果今の師に出会い、それを皆さんに伝えたい一心で頑張っています。

この拘りは絶対に譲れません。

歴史を振り返れば解ります。
人は常に本物を求めており、
いずれ紛い物は見向きもされなくなります。

今後、間違いなく伝統太極拳の時代が到来します。

#太極拳 #護身武術 #禅 #太極舞 #フィットネスダンス



2021年11月13日土曜日

太極拳は弱い?

以前から私は「一人で練る時は相手を意識し、二人で練る時は相手を意識しない」ということを伝えてきました。

私は技を修得するために、イメトレだけで技を完成させています。
対練ならぬ単練です。
イメトレだけなら、手加減なしで思いっきり技を掛けることができます。
空気相手ですから相手を怪我させることもありません。

そして技の完成度が上がれば上がるほど、その技の威力を知るようになります。

逆に相手がいる時は、意識し過ぎて技が飛んでしまったり、動きが硬くなったり、連綿とした動きが出来ず勁が切れてしまったり、全く見当違いのところを打ったりといったことになりがちです。

「うまくやろう」と思ってませんか?

最初は誰だって下手なのです。
だから上手く出来なくてもいいのです。

カッコいいところを見せようなどと決して思わないこと。
逆にどれだけカッコ悪く出来るか挑戦するぐらいで丁度いいのです。
別にアクション映画の撮影をするわけではないのですから。

それよりも、相手がいない時にどれだけ相手を意識して練習が出来ているかが大事です。

私の師の動きはまさにそれです。

演武力とか、そんな言葉すら出てこない全く別次元のカッコ良さがあるのです。
套路を練っている間、完全に見えない敵と闘っておられます。

その時、闘志を燃やすような雰囲気はまったくなく、
どちらかというとウトウトしているような感じに見え、それが怖いのです。

こんな話を思い出しました。

私の記憶が間違いなければ、
現役時代の落合選手の話だったかと思いますが、
当時ホームランを打ちまくった落合選手はバッターボックスに入ると脳波がα波になり、ホームランを打つ瞬間はΘ波になるそうです。

α波はリラックスした状態で最も願望をかなえることが出来る精神状態で、
それに対しΘ波はうたたね状態です。

いわゆる、うたた寝状態で超巨大ホームランを打ちまくっていたということになります。

私の師は、套路を練る時も、私に技を掛ける時もうたた寝しているかのような表情です。
技をうまくかけようとか、そんな意識は微塵にも感じられません。
それが例えようがないほど怖いのです。

会員の皆さんは套路というものを改めて見直して欲しいです。

伝統拳は音楽をかけて、踊る体操ではありません。
楽しみ方のひとつとして、それもいいと思うのですが、
当会が目指す太極拳ではありません。

当会で目指す太極拳は失われつつある伝統を守るために、武術としての太極拳を後世に伝えていくことです。

近代太極拳は舞踊化、スポーツ化し、武術の要素がほとんど抜けてしまっています。
政府認定の大きな団体もありますが、金メダルを取得している選手であっても、無名の武術家と闘ったら恐らく秒殺でしょう。

チャンピオンといってもプロレスやボクシングなどのチャンピオンとは異なり、いわゆる芸術性に優れたチャンピオンということになります。
それはそれで大変素晴らしいことだと思いますが、少なくとも伝統を継承した武術ではありません。

こう考えると太極拳は武術的見地からして進化どころか退化しているように見えます。

これも時代として捉えるしかないのでしょうが、
良き伝統の師と出会い、伝統畑で育った私としてはこれほど嘆かわしいことはありません。

こんな風に太極拳は弱体化してしまったから、他流の方々から相手にしてもらえなくなるのです。

ハッキリ言いますが、太極拳は想像を絶する程、素晴らしい武術です。

学生時代、空手と剣道を経験し、中国武術では少林拳、通背拳、八極拳なども少しだけ経験しましたが、その中でも太極拳は本当に強いです。
(一番ということではなく同等という意味で)

それは筋力を用いるのではなく、呼吸と気を用いた特別な武術だからこそです。

私は修行中の身ですし、まだまだ学ばなければならないことが山ほどありますので、身をもって証明するには十分ではありませんが、少なくとも私の師は正真正銘の武術家であり武道家で、圧倒的な強さを持っておられます。
師に対しては手も足も出ません。

伝統を守っていくためにも、会員さんはただ踊るだけの太極拳にならないよう、
敵を意識した動きになるよう日頃から心がけて欲しいと思うし、
私もその手本となるよう今後より一層修行を積みたいと思います。

***

念のためにお伝えしておきますが、
決して、舞踊やスポーツとしての太極拳を否定しているのではありません。
とても美しいと思いますし、見るのは好きです。
ただ、武術であるような言い回しをすると誤解が生じ、自ら太極拳の価値を下げてしまうということを知って頂きたいのです。

乱筆乱文お許しください。



2021年11月4日木曜日

套路中盤から起きること

水曜午前はM子さん以外は今年入会された新会員さんばかりで稽古しました。

しばらくお休みが続くとそのまま長期休会になってしまう会員さんもいる中、忙しい最中でも積極的に稽古に参加される会員さんもいます。
ある会員さんは、プライベートでいろいろあったらしく、そのことが頭から抜けず稽古に集中できなかったと話してくれましたが、逆にそんな状態でもよく来られたと感心しました。

世の中うまく行くことより、うまく行かない方が多いのです。
何故そうなるかは、自分が成長するために必然的に与えられた試練であり、それを乗り越えるからこそ自分を磨くことが出来るというものです。

人はうまく行かなくなると、「ついてない」とか「なぜ自分ばかり辛い目に遭うんだ」と思いがちですが、本当に何もしなければ辛いことは起きません。

映画でもゲームでも何も起きなければつまらないしストーリーも物語も生まれません。
辛いことが起きるからこそ成長出来るのであり、目標達成することが出来ます。

それなのに悲観的になり逃避したり人を傷つけたりする人が多いのが現実です。
その意味が解っていないからです。

辛いことが起きるのは良いことが起きる前触れなのです。

太極拳の稽古に行くのは成長したいからではないでしょうか?

それならば、無心で稽古に打ち込むことをおすすめします。
雑念だらけでは稽古に身が入らないし、腕を磨く機会も失います。

私が太極拳の套路を練る時は、無になります。
肩の力を抜き、全身の力を抜き、頭を空っぽにします。
すると套路中盤に入る時、必ずあることが起きます。

「気づき」です。

どうしていいかわからない時は考えることをやめるのが最良の方法です。
考えても答えが出ないからわからないのであり、考えても無駄なのです。
答えをみつけたいのなら、考えることをやめればいいのです。

考えなければ答えがみつからないじゃないか?
そう思う人もいるでしょうね。

瞑想状態で套路を練っていると、ある瞬間からどんどん降ってきます。
私はそれを天からの授かりものだと思っています。
そしてそれに従うようにしています。

こうして道を外したことは一度もありませんし、必ず願望が実現します。

因みに、このような気づきが得られるのは伝統太極拳だけです。
表演や競技用太極拳とは違います。
伝統の套路は人に見せることを目的としたものではなく、心と技と体を磨くための鍛錬法なのです。

同じビルの2階にヨガ教室が入りました。
当会の道場は3階ですから、階段を上がって2階を通る時、いつも部屋から張り上げる声が響いてきます。
言っては悪いですが、決して心地よいものではなく、人をイライラさせる波動を放っています。

ヨガのことを勉強したことがありますが、本来ヨガは7つのチャクラ(霊的センター)を覚醒させ、三昧に至り、悟りを得ることが目的です。
太極拳と同じです。

2階でどのようなヨガをされているのか解りませんし、私には関係のないことですが、最近の太極拳もヨガも本来の目的を失っているのではと感じることが多々あります。

当会ではそういった人の欲望や欲求によって作り出された時代に干渉することなく、本来の目的を全うし、一人でも多くの人々に太極拳の素晴らしいものを得て欲しいと思います。



2021年11月2日火曜日

負け方

昨夜行った双辺太極拳クラスでの稽古で感じたことですが、
まだまだ楊式太極拳との切替がうまくいかないようです。

確かに力の出し方が全然違います。
楊式太極拳は丹田を使って風を起こし、 双辺太極拳は体内の水を動かして力を出します。

「どちらか一方ではいいのでは?」
と思うかもしれませんが、
私はこの二つを学んで良かったと思っています。

ここで漫画拳児の最終章を思い出します。

拳児は敵に自分の拳法が通用しないと感じ、次々と戦法を変えて闘いました。
実は私も交流会で同じような経験をしたことがあります。

相手の攻撃があまりにも早く、いなそうにも間に合わないのです。
何発もボディに掌打を喰らいその都度大きく吹っ飛ばされました。

実は何度も吹っ飛ばされたのはその技を分析したかったからです。 相手にも「打ってきてくれ」と頼みました。
練習試合ですから勝ちを取りに行く必要がないし、他流を学べるまたとないチャンスです。

私は「負けることで学ぶ」というのをこれまで何度も経験してきたし、
武術に限らず常日頃から結果オーライ主義です。

最後に勝てばいいのです。

そして、その後私は戦法を変えました。
楊式太極拳から八卦掌、形意拳に。
効果がありました。

ひとつの技だけで何人も倒せればカッコイイでしょうし、
そういうのに憧れはしますが、
私にとって自分らしい武術は「状況に応じ変化する」のが自分のスタイルだと思っています。

楊式太極拳はそれなりに解るけど、
双辺太極拳はよくわからない・・
と、匙を投げる前に、もっともっと感じようとしてみてはどうでしょう?

「勝ちをとりに行かない」
「打たせる」
「負ける」

「勝ち方」は武術本にいくらでも書いてあるでしょうが、
「負け方」は書いていません。
しかしその本を出している先生方は負け方を知っているからこそ勝ち方を覚えたのだと思います。

「損をして得をとる」
有名な言葉ですが、これを教えてくれたのは武術の先生ではなく、
夜の店のバイトをしていた時のオーナーでした。

これは武術にも通じることで、これこそが一番学びを得る最良の方法だと私は思っています。 もっともっと損をしよう。




2021年10月3日日曜日

ポンポン弾き飛ばす力

長い一日が終わりました。
今日は朝から和歌山サロンへ。
プライベートレッスンを90分行いました。
本日受講者のTさんはわずか8回のレッスンで気功と楊式太極拳一段を全て覚えられました。
(素晴らしい!)
いつものごとく套路をやりながら、動作の意味や太極拳の力の出し方を稽古しました。
ところで「掤勁」(ほうけい)とはどんな力なのでしょう?
掤とは意図して作り出す力ではなく、体そのものが掤の状態になるということです。
掤(ほう)と按(あん)は混同しがちですが、按は意図して打ちますが、掤は触れると自然と働く力です。
自分の体がゴムまりになったようにイメージするといいでしょう。
近づくものをポンポン弾き飛ばしてしまいます。
掤は中国語で「ポン」と発音しますが、
掤はポンポン弾き飛ばす力と覚えておきましょう。
ところでこの力はどのようにして出すのでしょうか?
出そうと思って出せるものではありません。
先程も説明した通り、長年太極拳を練っていくと自然と体が掤の状態になるのです。
形ばかり真似ようとしても出せるものではなく、10年やろうが20年やろうが意識しない限り決して身に付かない力です。
結果、套路ばかり練っていても太極拳で言う「一番おいしい力」を得ることは出来ないと言うことです。
オンラインレッスンでもやはりこの「掤勁」の説明が中心になりました。
受講者のOさんは先に進むことよりも基本をじっくりやりたいとのことで、今日3回目の楊式一段を行いました。
何度繰り返しても新たな発見があるのが太極拳の楽しさです。

***
さて、和歌山での稽古はあと残すところ一回のみとなりました。
何度来てもこの空間は最高です。
手放すのが惜しくてなりませんが、今月最後の稽古は気持ちを整理すべく心して指導したいと思います。

#春日伝統太極拳 #和歌山マリーナシティ #気功 #太極拳 #掤勁


2021年9月25日土曜日

間違えてはいけない「太極八法五歩」

最近、「太極八法五歩」なる套路が新たに制定されたようだが、
この套路に関しては正直心配がある。

太極八法五歩とは本来、太極拳で使う勁であり、套路の名称ではない。

私が懸念するのは、この套路を覚えたことによって八法が使えるようになったと勘違いする輩が増えるのではないかということ。

8年間指導してきて、私が一番手を焼くのが知識先行型の生徒を指導する時。
知識だけは立派なのだが、それが姿勢や動作、技に全く反映されていない。

それ故に、どれだけ懸命に指導しても、本人は解ってるつもりになっているから、知識フィルターによって指導したことが除去されてしまう。
これが一番厄介なのである。

間違えてはいけないのは
「知ってる」と「使える」は全然違うということ。

私の場合、太極八法の「掤勁」は20年近くやってきてようやくその感覚を掴み始め、その可能性はまだまだこれからだと感じている。

「履勁」に関しても同様。
名人は触れずに相手の攻撃を無力化することが出来るからそれに比べれば私などまだまだ。

「擠勁」はかなり難しい。
私の知る限りでは力で打っている人がほとんど。
本当に擠勁を使える人は100人に1人もいない。それぐらい難しい。

次に「按勁」これも難しい。
触れた状態で相手を数メートル吹っ飛ばすパワーがある。
それだけのパワーを出せる人がどれだけいるだろうか?

そもそもこの「四正」(掤捋擠按)に関しては4つの異なる性質のものではない。

すべて掤勁に上に成り立つものであり、掤が使えなければすべての勁は使えない。
その掤勁の感覚を掴むのに20年近く掛かかると言うこと。

だから、もし「出来た」と思ったら「出来ていない」と思った方が良い。


四隅に関してはどうだろう?

採挒肘靠だ。

因みに「採勁」と「挒勁」は同時に使うことが多いので、本来であれば「採挒勁」と考えるべき。
手を掴むだけの動作というのは基本的に太極拳にはなく、必ず他の勁と組み合わせる。

「肘勁」と「靠勁」はその名の通り、肘打ち靠打ちだが、これも力を使って打つのではない。

何度も手本を見せながら繰り返し指導するのだが、それでもまともに肘勁と靠勁が使える人はごくわずか。

更に五歩に関しても単なる前後左右だけの動きではない。
足を前後左右に動かすだけなら、犬でも猿でも出来る。

そこには体幹の使い方や気の流し方、呼吸法などが必要になってくる。

太極八法の勁を出すにはこの五歩が絶対必要であり、この五歩を使える人は私が知る限り1000人中1人いるかどうか。

そもそもこの「五歩」で体内に流れる気のエネルギーや、それを頭頂まで意識出来ている人がどれだけいるだろうか?


本題に戻るが、こんな風に太極拳の勁を修得するには毎日鍛錬しても何十年もかかると言うこと。
それを太極八法五歩を覚えたからといって修得したと思うのは間違いである。
套路を覚えたいだけなら、それはそれで良いと思う。

そうではなく、本人が修得したと勘違いしてしまうと、どんなに教えても全く入らなくなってしまうということ。
(ここまで話しても気付かない人がほとんどです)

太極拳武術家に天才はいません。
裏技やコツもありません。

太極拳の技を使えるようになるには日々の鍛錬しかないのです。

誤解を招きやすい套路名称によって、これ以上勘違いする人を量産しないで欲しいと言うのが本音です。

なぜなら太極拳の修行によって得られる素晴らしい体験や可能性を遠ざけてしまうから。

太極八法五歩という言葉に安心したり踊らされないこと。

動かない車の鍵を渡されたようなもので、
その車にはエンジンもミッションも搭載されていない。

本当にこれらの勁を使えるようになりたかったら、勁が使える師につき、正しい指導を受け、ひたすら毎日鍛錬を行うのみで、これこそが太極拳の醍醐味です。

暗記力や計算力が速い人、運動神経が優れいている人が早く修得できるわけではないということは、
太極拳は誰にとっても平等な武術であると言うことです。


#太極八法五歩 #掤捋挤按採挒肘靠 #進退顾盼定 #十三勢



2021年9月4日土曜日

太極拳でどこまで身を守れるか?

最近刃物で殺害されるという事件が多発しています。
もし、自分の目の前に刃物を持って襲ってくる人物がいたらどうしますか?
災難は突然訪れるものです。

このようなニュースを目にする度に自分ならどうするだろうか?と考えます。

最近広島の駐輪場で起きた殺傷事件は無残としか言いようがありませんが、
被害に遭われた方には心からお悔やみ申し上げます。

この事件に関しては、突然刺されたのかどうかは今のところ解っていませんが、
もし抵抗出来たのなら、辺りの自転車を押し倒し犯人が怯んだ隙に逃げるか、刃物を奪うか。
女性であってもその気になれば自転車を持ち上げ投げることぐらいはできるはずです。
石やバッグを投げたり、傘や杖で突くということもできるでしょう。
相手が男性なら急所を狙いましょう。
太極拳には奪凶器術もありますが、それは最後の最後に使うべきです。
相手が十分怯み丸腰状態になった時点で技を使うべきだと思います。

とにかく殺気を感じたら一目散に逃げることです。
ヘッドホンで音楽を聴いたりスマホに集中するのはやめましょう。
格好の的になってしまいます。

ここまでお話した暴漢から身を守る方法をまとめてみます。

「殺気を感じる」「逃げる」「物をぶつける」「物を投げる」「傘や杖で突く」「急所を狙う」「技を使う」

まず太極拳で身に付く力は「殺気を感じる」力です。
長年やっていると数十メートルぐらい離れていてもドアや壁越しでも嫌な空気を感じるようになります。
その時点で防衛準備に入ることが出来ます。

「逃げる」ことに関してですが、太極拳をやっていると自然と立つ力だけでなく速く走る力が身に付きます。
普段からランニングやダッシュなどしていないのに、これが太極拳の不思議なところです。

「物をぶつける」「物を投げる」というのは太極拳の技そのものです。
長年鍛えた体幹の力(インナーマッスル)で大きな力を出すことが出来ます。

「傘や杖で突く」は太極刀や剣、棍の技が使えます。
打つ、いなす、突くなどのコンビネーションで相手を無力化することが出来ます。

「急所を狙う」に関しては太極拳で狙うのは急所がほとんどです。
どこを打てば大きなダメージを与えることが出来るか、当会では技の稽古の時に指導しています。

「技を使う」は、怯んだ相手が襲ってきた時に使えます。
攔雀尾の太極八法五歩を使えれば十分です。
最近、「太極八法五歩」という套路が制定されましたが、これは技ではなく初心者用の套路です。
この套路を覚えても技は使えませんのでお間違いのないよう。

因みにこの太極八法五歩を巧みに使えるようになるには毎回稽古で推手と散手の稽古をする必要があります。
型だけ覚えても技は全く使えないということを覚えておきましょう。

いずれもこれら心無き殺人者によって罪のない人々が殺されるという報道を見る度に居たたまれない気持ちになります。
災難は突然やってきます。
そして警察が駆けつけるのは事件が終わってからです。

災難から身を守るため、護身術によって備えることは生きて行く上でとても大切なことだと思います。

#太極拳 #太極八法五歩 #攔雀尾 #護身術 #奪武器術 #奪凶器術 #殺傷事件 #殺人事件








2021年9月2日木曜日

氣は重い?軽い?

氣を説明する時、私はエネルギーと説明します。

エネルギーは私たちが生きて行く上で絶対欠かせないもの。
それが失われていくと心身共に衰え、ゼロになると死に至ります。

結局、氣とはなんでしょう?

例えば電磁波で目で見ることが出来るのは可視光線のみです。
赤外線や紫外線、ガンマ線、X線などは目で見ることはできません。
しかし確実に存在します。

地球上にはこれら目にみえない電磁波や磁場、重力など、常に身の回りに存在します。

これらを人間が機械を使わずコントロールできたら?

これらの力を瞑想によってコントロール出来るのが気功です。

私がこれまでの修行の中で体感することが出来たエネルギーを全て書き出します。

熱、磁場、磁力、電気、光、気圧、風

さて、氣は重いのでしょうか?
それとも、軽いのでしょうか?

正解は、
どちらもです。

重いと思えば重くなり、軽いと思えば軽くなります。
意によってコントロールします。

私はこれを太極拳に活かしています。

相手の動きを感じ取ったり、予知したり、相手を身動きとれないようにしたり、
攻撃する場合は、手が自分の意識したものに変化します。
鉄球、ハンマー、刀、剣、ナイフなど。

化勁を使う場合は、水、煙、ゼリー状の液体、風、磁石などに変化します。

なんだか信じられない話かもしれませんが、信じる必要はありません。
単に体感すればいいだけのことですから。

気を操ることが出来る仙人は、寿命を延ばしたり、生き返ったりする力だけでなく、敵に襲われた時は腕が剣に変化したと伝えられます。
なんともファンタージな話ですが、
私はこれを師から体験させて頂いています。

本当に腕が剣になるわけではありません。
しかし腕が剣や刀などの刃物のような硬さと切れ味に変わります。
そこに触れるとこちらが刃物に触れるかのような感覚があります。

このような力を出せるようにするためのトレーニングが当会の超気功クラスです。

型を覚えて動いているだけでは体操や舞踊と変わりません。
太極拳を武術として使えるようにするなら気功は決して切り離すことは出来ません。

型を覚えたら、その型の使い方や力の出し方を知りたくありませんか?

私が太極拳の修行を続けるのは型のレパートリーを増やしたいからではありません。
型だけ覚えても何にもなりません。
型を100%使えるようにし、更にはその形さえも超えたいと思っています。

太極拳は手品でもいかさまでもありません。
それを証明すべく本当の力を引き出すための太極拳を追求し日々研究しています。

失われつつある伝統太極拳を再び繁栄させるために。



2021年8月1日日曜日

教科書に載っていない太極拳

本日は和歌山道場で稽古を行いましたが、
ここに足を運ぶたびに和歌山が好きになっていきます。

今日も夕日がとてもきれいでした。
週に1度しか見れないのが残念な程、ここからの夕空は息を飲むような美しさです。

奈良への帰り道、
高速を走りながらこんなことを考えていました。

「春日伝統太極拳が他の教室と違うところはなんだろう?」

現在、当会は2つの道場を有しており、
これはかつて私が理想としていたが形であるわけですが、
これはあくまでも環境であり、実質的なものではありません。

では何が違うか?

それは「当会でしか学べないこと」でしょうか。

どこでも学べることなら近くの教室に行けばよいわけで、
わざわざ遠くまで足を運ぶ必要はありません。

しかし当会は、他府県から通われる会員さんが多く、
実際、地元の会員さんより他府県の会員さんの方が熱心です。

これらの会員さんは、「ここでしか学べない」という理由で当会を選ばれたのだと思いますが、これこそがやはり一番嬉しいことです。

私自身こうして迷わずここにここに辿りつけたのも、はじめて太極拳を教えてくださった師とのご縁があったからこそです。

当時は、太極拳が楽しくてどんどんのめり込みましたが、のめり込めばのめり込むほど謎が増えて行きました。
その謎解きのためにあらゆる文献を引っ張り出しては調べましたが、肝心なことが全く書かれていません。

特に太極拳の教科書を手にした時は、動作の方法しか書かれておらず、読み進めば進むほどモヤモヤが積もり、その場で教科書を放り投げてしまいました。

私が知りたかったのは動作ではなく、「なぜその動作になっているか」だったからです。

これを教えてくださる先生は極めて少ないです。

私はかなりの運動音痴ですが、それでも学生時代は剣道、空手、水泳などをやってきました。
そしてどの先生も動作だけではなくその意味もきちんと教えてくれました。
しかし、どういうわけか太極拳に限っては動作の意味を教えてくれる先生がほとんどいないのです。

これには政治的な理由も含まれるのでここで述べるのは差し控えますが、
この煮え切らない気持ちこそが私の原動力になりました。

それからというもの太極拳の謎を解き明かすための旅に出かけました。

文献だけに頼らず、実際に自分の足を使ってあらゆる道場を訪れたり、先生方が集う交流会に参加させて頂いたりしました。
実際に手合わせをして頂くというものでしたので、当然ながら怪我(打撲、脱臼、出血等)もありました。
しかし怪我の功名とはよく言ったもので、怪我から得たものはとても大きかったです。
河原で練習をしていたら通りがかりの人に試合を申し込まれたこともありました。
(後で調べたら実力派の先生であることが解りました)

私が楊式太極拳を極めたいと思ったのは、これらの経験があったからこそです。

結局、春日伝統太極拳にしかないものを作り出すためには、普通に太極拳を習っているだけでは決して手に入れることが出来ないものを経験することが私がすべき仕事でした。

「教科書に載っていない太極拳が学べる道場」
それが春日伝統太極拳だと思います。

套路のレパートリーを増やすのもいいですが、それより一つの技を徹底的に極めてみませんか?
それだけでも気がストンと腹に落ちます。

そのようなわけで、
これからも太極拳の謎を探るための研究に努力を惜しまず更に精進したいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。




2021年7月24日土曜日

一進一退

一進一退

昨夜の形意拳クラスはそれを感じる稽古でした。

「お!出来るようになった」
「おや?また出来なくなった」

これの繰り返しです。

私としては早く覚えて欲しい。
早く覚えてもらって一緒にやりたい。
だからなんとか頭を捻りながらあらゆる方向から教えようとします。

動作や力の出し方を手本を見せながら伝えたり、
棒やミットなど道具を使ったり、
ホワイトボードに図やイラストを描いたり、
最後には動画を撮ってあげたり、撮らせてあげたり・・

特に模範動作の動画を撮らせてあげるというのは私にとって最終手段です。

いつも言うことですが、教えてもらうことに慣れてしまってはいけません。
上達が早い人は私の言葉を聞き逃さないし、私の動作をよく見ています。

スランプもあるでしょうが、それは私も同じです。
しかしスランプなんて本当はないのです。
自分が勝手につくり出している妄想でしかありません。

真似る
盗む

これだけです。

自分の中だけでやろうとするのではなく、単に出来る人を真似る。

覚えるということは実はとてもシンプルなことなのです。

子供が立ったり、
歩いたり、
喋れるようになるのは、親の真似をしているのです。

これが最強なのです。



2021年7月21日水曜日

ひとこと太極拳について

いつもTwitterでのいいねやコメント、リツイート頂きありがとうございます。
皆様からの温かいお気持ちがひとことを生み出す原動力になっています。
本当に感謝しています。

さて、ひとこと太極拳について、
ほとんどの方が気付いておられるかと思いますが、
当方の「ひとこと太極拳」は文献等借り物の言葉や人からの受け売りではありません。
すべて自身の経験に基づいた内容です。
ですから勘違いや嘘はありません。

大した練習量ではありませんが、
少なくとも毎日平均3時間研究のために稽古時間を費やしているので
いろいろな気づきが得られます。

専門用語が少ないのはそのためです。
専門用語が先ではなく経験が先です。
専門用語は経験後に当てはめたものですから、どのひとことも経験からいくらでも説明することが出来ます。
とはいえ、それを理解して頂けるかどうかは受取り側にもよるかと思います。

ひとことにしたのは、Twitterの字数制限はもちろんですが、
経験による情報量が多すぎて短くまとめることができないからです。

健康効果に関しても自身の経験に基づいているので
数々の病気が治ったことも紛れもない事実です。
とはいえ、一言であるがゆえに取り違いもあるかと思います。

しかし短文からイメージを膨らますことも修行の楽しさのひとつだを私は思っています。
これからも頑張って配信していきますので、少しでも皆様の武術のお役に立てれば幸いです。

今後共宜しくお願いいたします。

中馬青吾 公式Twitter https://twitter.com/soyokazegafuku



2021年7月13日火曜日

食欲が凄い

太極拳をはじめて変わったことは山ほどありますが、
その中でもこの季節特に変わったのは夏バテしなくなったことでしょうか?

毎年この季節になると食欲が全く起きなくなり、何も口に入れたくなくなるほどでした。

それでは流石に死んでしまうので仕方なくそうめんを茹でて食べていましたが、これまた栄養不足で夏バテ増大。
体がだるくてだるくて仕方なく何の意欲も起きなくなっていました。

しかし今ではどうしょう?

食欲が凄いです。
食べても食べても食べられるし、食べないでいることも出来ます。
食欲をコントロール出来るので、食べすぎを控えることも出来るし、栄養が必要なら食べることも出来ます。

これを出来る人はなかなか少ないのではないでしょうか?

お陰で全く夏バテしないし意欲も落ちることがありません。
この季節熱中症になる方が多いですが、それもありません。

特に女性は汗を嫌いますが、一日一回、汗をかく時間を作った方が良いです。
汗をかくと言っても猛暑日に外を出歩くということではなく、
適度な運動をして汗をかくということです。

太極拳は息切れしたり疲れたりすることもないのに程よく汗をかきますが、
体の毒素を排出することが出来るので、邪気払いだけではなく体をとことんキレイにすることが出来ます。

太極拳によって変わったことは無数にあります。

「お腹周りがスッキリした」
「肩こりがなくなった」
「慢性的な頭痛がなくなった」
「腰痛が消えた」
「風邪をひかなくなった」
「肌のハリがよくなった」
「怪我の治りが早くなった」

あげ出したらキリがないほどです。

体調不良で休む方もいますが、その場合は無理をせず栄養を摂って休むのが一番です。
しかしそうならないための日頃の太極拳が大事なのです。

ラジオ体操もいいですが、その代わりに一日5分甩手(すわいしょう)だけでもしてみてください。
確実に今までの自分とは違う自分になります。

ということで、
夏バテ、熱中症を防いで楽しい夏を過ごしましょう。

#夏バテ #熱中症 #太極拳 #気功 #甩手 #スワイショウ

2021年6月29日火曜日

太極拳と形意拳のふしぎ

週明けは午前クラスと午後からは3つの個人レッスンでした。

来月から月曜午前クラスを隔週から毎週にしますが、午前クラスは清々しくて気持ちがいいです。

7年半前この会を始めた時は会員全員が楊式太極拳をしていましたが、今では武器や形意拳など同じ空間で様々な稽古をしています。
ようやく当会も内家拳の武術道場らしくなってきたなぁと感じる瞬間です。

午後からは楊式剣の指導をしましたが、
「なぜ刃を立てるのか?」
「なぜ刃を寝かせるのか?」
そのようなことをレクチャーしながら稽古しました。

「あんなペラペラの剣でなにが出来る?」と嘲笑う者もいましたが、そうやって油断させることも戦法の一つなのでしょう。

自分が信じるものに固執するあまり、他のものを柔軟に見ることが出来ないことがありますが、どの流派も強い者が強いと私は思っています。

また、人は知らないことに対し恐怖感を感じるので、知っていることの枠に入れて考えようとしますがそれも危険です。
知らないものを知らないと素直に受け入れることが大事であるということはこれまでの人生で何度も経験してきました。
「知らないことを格好悪い」という定義は自分が勝手につくり出しているものであり、それによって確実に成長を止めてしまいます。

夜は形意拳を中心に稽古しました。

いつも言うことですが中国武術に於いて座ることは大事です。
私が武術をはじめて一番最初に驚いたのはそこでした。

今までに見たこともない不思議な歩法、
そして、立っているのに座るような姿勢。

その美しさにも魅了されましたが、それと同時にどんな意味があるのかという好奇心を掻き立てられたものです。

そんな中、龍形拳の蹴りの威力を知りたいという好奇心が湧いたので、
ミット打ちでそれを検証してみました。
かつて空手を少しやっていたので、前蹴りと龍形の蹴り技の威力を比べてみました。

こういう実験は実におもしろいです。
どちらも威力があるのですが明らかに威力の質が違います。

戦車で例えるなら前蹴りは大砲で打ち砕く感じで、龍形は車体そのもので体当たりする感じでしょうか。
華麗に見える前蹴りに対し、一見野暮ったく見える龍形の蹴りは見た目以上のパワーでした。

最後のレッスンは扇通背(せんつうはい)を中心に稽古しました。
これに関しては手の動きと形がなかなか難しいです。
しかし太極拳戦闘理論に基づいた用法が解ればその動きの意味を知ることが出来ます。

形を丸暗記するのもいいですが、
形の意味を知れば太極拳はもっと楽しくなるし、もっと修得が早くなります。

これからも私自身が「太極拳がすごく楽しい」と思えることを伝えていきたいです。





2021年6月12日土曜日

太極拳は義務ではない

当会では頭ごなしに指導することはありません。

この場合の頭ごなしとは、
学び手がそれをやる理由が解らないのに強制するような指導をすることですが、
いわゆる義務教育のようなイメージでしょうか。

例えば、「手本を見せるからこの通りにやりなさい」

これはこれで良いと思います。

しかし、それをやる意味が解らなければ人はそれに対し本腰を入れてやろうとは思わないものです。

それでもやらせるために

「テキストに書いてあるから」
「試験で合格するため」
「試合で良い点をとるため」

もしかしたら、このような回答もあるかもしれませんが、
これでは答えになっていません。

それでは子供に「何のために勉強するの?」と聞かれた時に、
「良い大学に入るため」
それに対し「なんで良い大学に入らないといけないの?」と聞かれ
「いい会社に入るため」と答える。

答えになっていない。

私なら「自分のやりたいことをみつけろ」
そして「自分のやりたいことをやれ」と言うでしょうし、
私自身そうやって育てられました。

太極拳で得られることは、歳をとるほど強くなることです。
常識的に考えれば歳をとることは衰えることです。
しかしその逆となれば、人生もっと楽しくなると思いませんか?

だからといって強制はしません。

そのようになりたい方に対し出来る限りの指導をし、それに必要な練習もそれがどのような意味があるのか説明し納得してもらいながら稽古をすすめています。

「なるほど」と思える指導を心掛けていますが、
これこそが一番モチベーションになることではないでしょうか?

義務的な太極拳ではなく生きた太極拳を身に付けて欲しい。

それが当会の願いであり拘りです。