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2018年4月16日月曜日

套路にすべてが詰まっている

套路を漫然と通してる人をみかける。
順番を覚えたら嬉しいし、通すことが楽しいと感じる。

しかし、熟練者の套路を練る姿を見ていると、明らかに何かが違う。
一目でわかるのは目。

その目には目的意識と、内面を見て感じようとする意識を感じる。

套路を通すことが出来るようになったら、そこが大事だと思う。
少なくとも私はそうしている。

今、套路を通している時、「なんのため?」と聞かれてすぐに答えられるだろうか?
おそらく大半の人が「上手くなりたいから」と答えるだろう。
「ではなぜ上手くなりたいのか?」
ここで答えが二つに分かれると思う。

ひとつは人に評価されたいから。
もうひとつは自分の可能性を知りたいから、
と。

私はどちらかと言えば、
どちらも(笑)

しかし、普段鍛錬するのは自分の可能性を知りたいからであり、人に評価されたいからではない。
別に格好つけて言ってるわけではなく、
実際に他人に自分の練習を見られたくない。
だから最近人目のつくようなところで練習しなくなった。

さっきどちらもと答えたが、
自分の可能性に挑戦し、その過程で人から評価されるのは素直に嬉しい。
しかしそれは目的ではなく自分にとって副産物的なもの。

話を戻す。

套路にはすべてが詰まっている。

套路は準備運動であり、
気功体操であり、
立禅であり、
站椿功であり、
気を練る練功であり、
技を練る鍛錬でもある。

私が普段行っている体をほぐすための抜筋骨にしろ、そのまま足も動かせば套路になる。
立禅も同じ。
套路を途中で止めればどこでも立禅になり站椿功になる。
意識することで動きながら気を流すことも出来るし、技のイメージトレーニングにもなる。

もちろん初心者は準備運動からしっかりやったほうがよい。
体が出来てくるまでは十分曲げ伸ばしやほぐしを行う。
冷えた体のままやると筋を痛めたり、関節を痛めたりしてしまう。

しかし10年、15年経ってくるとさすがに体ができてくる。
それに立ち上がりが早くなる。

パソコンに置き換えると、安いパソコンは起動に時間が掛かるがハイスペックモデルならあっという間に起動が完了する。
そんなふうになる。

それに脱力して套路を練れるようになれば套路中に体をほぐしていくこともできる。
もちろん体に過度な負荷をかけないことが鉄則。

ここで大事なことは、
ただ漫然と套路を通すのは順番を忘れないための作業だと思った方がいいということ。
死んだ目のまま套路を通しても套路で得られる恩恵の数パーセントも得られないだろう。

なんのために套路を練るのか?
まず考えよう。

姿勢が崩れないようにするため?
正しい動作ができるようになるため?
力みのない動きができるようになるため?
氣を練るため?
技を練るため?

それによって套路の内容が変わってくる。
それは本人にしかわからない。

目的と対策。
結果を決めてから原因作りをする。

特に最近伸び悩んでいる方は、ここが大事だと言いたい。

2016年12月7日水曜日

15秒で体はほぐれる

私が稽古中によく言うこと。

「心がゆるめば体がゆるむ」

なぜなら体は心が支配しているから。

逆を言えば体がゆるめば心もゆるむ。
体と心は繋がっているのだ。

気持ちが固くなってると動きも固くなる。
動きが固いと心まで固くなってくる。

だから私は稽古中の雰囲気づくりに気を払っている。

緊張した空気は心を委縮させ、体を委縮させてしまう。

稽古にイライラを持ちこまない。
私が一番許さないこと。

放鬆放鬆!と怒鳴っている先生がおられる。
失礼だがその先生は放鬆の意味を知っておられるのだろうか?
怒鳴っているあなた自身が放鬆していないのに、
生徒が放鬆できるはずなどない。

言葉だけでは伝わらないのは
心が伴っていないから。

その気になれば15秒で体はほぐれる。

ゆっくり手を広げながら、ゆっくり息を吸う。
ゆっくり手を降ろしながら、ゆっくり息を吐く。
これだけで体はゆるゆるになる。

大事なことは、「気持ちいい」と感じること。

体は心が支配しているのだから。

2013年12月25日水曜日

練習順を変えてみる

自主練の時、私の場合いつも準備運動、抜筋骨、立禅、太極気功、操手、套路という順序で行っている。
しかし、毎回この順序で行っているとマンネリ化し、中身のある練習というより惰性でやるようになってしまう。(少なくとも私は)

膝を回したり肩を回したり等の準備運動は必ず練習前に行った方がいいが、あえて気功をやらずにいきなり套路の練習をやってみる。

すると、あることに気づく。
気功の重要さだ。
もちろん体に気をめぐらせながら套路を練ることもできるが、やはり違う。

気功は立禅で行った方が断然集中できる。
動いてしまうと動作の方に気が行ってしまうので、気をめぐらせるという意識がどうしても薄れてしまう。

いずれもたまには練習順をシェイクしてみることはとてもいいと思った。
明らかに脳が活性化するし、ひとつひとつの重要さを再認識することもできる。

2013年10月10日木曜日

ストレッチについて

かつて私は煙草をやめるために、ヨガを毎日行っていたことがあるが、
久しぶりに昨夜、ヨガマットを敷いて4つのアーサナをやってみた。
久しぶりにやると気持ちいいですね。

日常生活では絶対とらないようなポーズでゆっくり呼吸をする。
痛がっている筋肉をなだめるよう自分の肉体と会話する。
眠っていた肉体が覚醒するような感覚。

そして、やり終えた後、滞っていた血がうわーっと流れるよう妙に体がスッキリする。
短時間でこれだけのリフレッシュ感が得られるからこそ、ヨガはこれほど世に広まったんだろうと思った。

一方、太極拳でも教室によってはストレッチを行うが、こちらは正直言うとあまり気持ちよくない。(苦笑)
同じように筋を伸ばしているのだけど、呼吸や対話がない。
取り組み方によってこんなにも違うものかと思う。

因みに私は自主練の時、圧腿(あったい)という股関節の筋を伸ばすストレッチを毎日行っている。
しかし、前ほど効果を感じられなくなった。

そして今理由がわかった。(笑)
呼吸を無視し、ただただ、1、2、3・・と数を数えているだけ。
しかも肉体と対話をしていない。

私がもっとも柔軟性効果を感じた時は、圧腿の時に数を数えてなかった。
というより、痛いと思うと筋肉は伸びることに反発しようとするから筋は余計に硬くなってしまう。
全く意味がないのだ。
どんなに長時間やっても筋が反発しているのでは効果がないと思われる。

私が効果を感じたのは、数を数えず、圧腿しながらゆっくりと呼吸する。
そして痛みを感じながらもじわじわと上体を倒していく。
痛みに反発するのではなく「受け入れる」という感じだろうか。
そして最後は自分の身体を「信じる」ということになると思う。

「自分は硬い」「無理だ」「出来ない」って思うと筋が余計に硬くなってしまう。
何を隠そう、私はいつもそのようにぼやいてしまう癖があるから。(笑)

ということで、今日から圧腿の時に数を数えるのを止め、
痛みが気持ちよさに変わるまで、ゆっくり呼吸しながらという形に戻そうと思う。

たまに自問自答することって大事だなと思った。