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2023年11月5日日曜日

自分を知る

本日、新スタジオはフル稼働でした。

オンラインレッスン3つ
プライベートレッスン1つ

今日のオンラインレッスンでは・・

「人目を意識しないことの重要性」
「上達したければ大きな鏡を買うこと」
などを伝えました。

まず人目を気にしないというのは当たり前の話であって、
太極拳は本来武術であって人様に見せるものではなかったわけです。
人目を意識すると虚栄心やら恐怖心やら、
もうホント雑念だらけになり、それが良くも悪くも全て動作となって表れてしまいます。

伝統拳では人目を一切気にしません。
自分が気持ち良いように練ればいいのです。

あと、上達したいなら絶対に大きな鏡を買うべきです。

「鏡を見るな」という先生もおられるようですが、
私は鏡を見ることを強く薦めています。

なぜなら鏡は嘘をつかないからです。

今、目の前に映っているのはありのままの自分。
変わりたかったら鏡から目を背けず、よくない部分を直していけばいいのです。

或いは、折角誰もがスマホを持つ時代。
先生の動きを撮るのもいいけど、それより自分の動きを撮りましょう。

少なくとも私は毎回練習時に自撮りして自分の弱点を研究しました。
無様な動きだとしても落ち込んだりしません。
ただひたすら出来ていない部分を直しただけです。

「人目を意識しない」
「鏡を見る」

一件関連性のないことのように感じるかもしれませんが、
人目よりもまず「自分を知る」ことが大事ということです。

#全国 #気功 #太極拳 #オンラインレッスン #リモートレッスン



2023年10月8日日曜日

慌てない

何度やってもうまくいかない…

だからその部分を何度も何度もやり直します。
果たしてこの練習法は合っているのでしょうか?

太極拳の最も効率のよい練習方法は?

それは…
なるべくやり直しを減らすことです。

やり直すことは大事ですが、
何度も何度もやり直ししているとやり直し癖がついてしまい、
やればやるほど正しい動きからかけ離れていきます。

套路を練習している時、
「止まれ!」
と言われて、すぐさま静止することができますか?

いつでも静止出来る状態とは勢いに任せた動きではないということです。

即ち常に虚実がハッキリしており、
軸が安定し、
自由に動ける状態ということになります。

套路は站椿功(立つだけの練習)の連続動作なのです。

もしかして貴方はせっかちですか?

せっかちは太極拳の上達の妨げになるだけです。
「ダメだダメだ」の連続ではなかなか上達しません。

一度深呼吸して、ゆっくり動いてみましょう。

太極拳の最短上達法は徹底的にゆっくり動くことです。

楽器の練習と同じです。
速く演奏出来るようになりたかったら徹底的にゆっくり練習することです。

焦りは禁物。

このような心のゆとりが太極拳らしい心(人間性)を作り上げ、
その心が太極拳をより強く美しくします。

とにかく、ゆっくり動く。

この一言に尽きます。



2023年7月21日金曜日

頭を切り替える

なかなか上達しない。

そんなふうに思っている方も少なくないと思います。

上達が早い人とそうでない人の違いはなんでしょう?

もちろん練習量です。
練習しなければ上達することはありません。

仮にその場ですぐに出来たとしても
練習しなければ張りぼてのように簡単に崩れてしまいます。

上達する方法はただひとつ。

「上達する方法で練習すること」です。

間違った方法をどんなに繰り返しても上達しません。
それは歪んだクッキーの型できれいな形のクッキーを作ろうとするようなもの。
歪みを直さなければ決してきれいなクッキーは出来ません。

小学校の時、かきかたという授業がありました。
点線文字をなぞって文字のかきかたを覚えると言う方法です。

太極拳で最初にやることは、まずは正しい姿勢と動きを覚えることです。
かきかたでいう点線文字は先生の動きを見ること。
そしてそれをなぞる作業こそが見て覚えることです。
そしてその正しい姿勢や動き方をしっかり頭に入れ、それを反復練習します。

一度覚えたからと思って侮ってはいけません。

我流になっていることはよくあること。
何度でも先生の動きをみて、再確認すること。
私は10年以上経っても、その違いを見つけることが出来ましたし、
それはこれからも続くでしょう。

常に「師の動きを見る」ということです。

「YouTube観たから、それでできてる」なとど思わない方がいいです。

逆に自分の動画をYouTubeにアップしてみてはどうでしょう?
どんな反応がくるでしょう?
応援してくれる人もいるでしょう。

しかし、ダメ出しされたり、マウントをとられたり、
酷い言葉で罵られることもあるでしょう。
動画が出せない人はそれが怖いから出さないのかもしれませんね。

私の場合は最初の頃からSNSに動画を出しまくって、
これらをすべて力に変えました。

当時の私はダメ出し、マウント大歓迎でしたから。

今の自分が「出来ている」と思いあがりたくなかったからです。
褒められればそれを励みにすればいいし、
悔しかったらそれをバネにすればいい。

人の反応を怖がっていて上達などありません。
人は好き勝手言いますし、本当のことも言ってくれます。

話を戻します。

上達する方法は練習量です。

しかし間違った練習を10時間やっても100時間やっても上達はありません。

「今の自分が間違ってると気づくことが大事なのです」

先生の動きを見る。
それをなぞる。
それをひたすら繰り返します。

これだけです。

もし上達しないと悩んでいるのなら、今日から頭を切り替えましょう。

見て、真似て、繰り返す。

そうすれば間違いなく上達します。
是非頑張ってください。



2022年8月9日火曜日

ストレッチはやるな!

いきなり乱暴なタイトルになりましたが、
そもそも圧腿(あったい)の目的はなんでしょう?

ある会員さんから「前は稽古の時してましたよね?」と言われたので、
あえてこの話題に触れてみました。

因みに圧腿とは股関節を柔らかくするためのストレッチです。

結論から言えば不要です。

私は鍛錬する時、圧腿は一切やりません。
同じ時間があるなら站椿功か套路に時間を掛けます。
套路と言っても形を整える方ではなく氣を練る方です。

競技に出ていた時は、ある選手からすすめられ毎日実践し、
確かに足が上がるようになりました。

しかしそれだけです。

そもそも膝が伸びた脚は、武術的視点から見ると技を掛けられやすい状態となります。
技がきれいに決まると、関節が外れその時点から立てなくなるほど危険な技です。
だから当会では膝を伸ばすことを禁止しています。

圧腿の目的は股関節を柔らかくすることです。
しかし、この「やわらかい」が伝統では違うのです。
伝統でのやわらかいは力みのない状態であり、競技で言う柔らかいは可動域の広さを指しています。

ではこの可動域を大きくするために圧腿は有効でしょうか。
答えは有効でもあれば有効ではないとも言えます。

なぜなら必要ないからです。

股関節の可動域を広げるために無理やり筋肉や筋を引っ張るのではなく、
逆にゆるめるのです。

もしそれでも股関節の可動域が狭いと感じるのであれば、それは心の問題です。
心が固くなっているから可動域が狭くなるのです。

心と体は同一です。
だからほとんどのことはイメージ通り(想像以内)に起きます。
「無理」と思ってしまうと無理な結果になるのは当然ですね。

ではどうすればいいでしょう?
もうわかりますよね?

因みに私にとっての分脚や踵脚などの技は足の発勁動作であり、
下勢などの低い動作では敵の視界から消えることをイメージして動いています。

その動作の目的は技であり、動作ではありません。
「足を上げる」とか「低い姿勢をとる」というのは目的ではなく、
目的のための動作に過ぎないということです。

今一度、自分の練習法を見直してみることをおすすめします。

意味のない練習にどれだけ時間を掛けても武の功夫は身に尽きません。
時間を掛けることも大事ですが、毎日なにをやるか?が一番大事なのです。

今行っている練習を10年続けると何が出来るようになるでしょう?
時間は取り戻すことが出来ません。

だから「今」何をやるかが大事なのです。



#圧腿 #ストレッチ #分脚 #踵脚 #下勢













2021年3月17日水曜日

一式の中に

太極拳は熟練者であればあるほど、套路をゆっくり練ります。
誰かから与えられるわけではなく、自然とゆっくりを求めるようになるという感じでしょうか。

それはきっと「覚える太極拳」から「感じる太極拳」を求めるようになるからだと思います。

覚えるだけの太極拳ならスピードはあまり関係ありません。
しかし感じようとするなら限りなくゆっくりを求めるようになります。

伝統楊式太極拳は全部で85式で成り立っていますが、
85を覚えることから、1式の中の情報をたくさん得たいと思うようになります。

例えば単鞭。
今の自分の単鞭にどれほど満足しているでしょうか?

単鞭には、それに求められる膨大な情報が詰まっており、
更にその用法も無限大にあります。

当て身、崩し技、関節技・・
軽いジャブ程度の技から、死に至らせるまでの恐ろしい殺人技まで、
単鞭には限りない情報が詰まっています。

ここにカツ丼があるとします。
最初はカツ丼がおいしいかどうかを意識すると思います。
しかし徐々に舌が肥えてきて、カツ丼全体のおいしさから、米一粒の味にこだわるようになると思います。

太極拳も同じで、ごはん一粒一粒を吟味したくなるように、一式一式を大切にするようになります。

熟練者であれば起勢ひとつとっても全然動きが違います。
さらに言えば、立ち方からして全然違います。

それはひとつひとつの動作に拘った結果なのです。

漫然と套路を通しているだけでは決してその動きになることはないし、たくさんの宝が詰まっていることにも気づけないでしょう。

太極拳には宝がいっぱい詰まっています。
それを発見できるかどうかは套路の練り方次第です。

普段歩いている道の下にたくさんの宝が埋まっていたとしたらどうでしょう?

今後もっともっとたくさんの宝を見つけるため
毎日ゆっくりゆっくり套路を練っていきたいと思っています。



2020年10月19日月曜日

最短!太極拳の套路の覚え方

套路がなかなか覚えられないという人はちょっとした工夫でサクサク覚えられるようになります。

因みに私は24式太極拳を3日で覚えました。

套路は太極拳の総合鍛錬法なので順番や動作は早く覚えてしまいましょう。
その後、姿勢、呼吸、脱力を心がけながら心と体と技をじっくり錬磨していきます。

さて、套路の覚え方です。

①ボイスレコーダーを使って套路名称をゆっくり音読で録音する。(十分間隔をあけて)
②繰り返し聴く。
③レコーダーを再生しながらそれに合わせ覚えたところまでの動作を繰り返し練習する。

これだけです。

この方法なら暗記が苦手な人も、自分で読み上げた套路名称を繰り返し聴くだけで覚えられます。
掃除しながら、料理しながら、洗濯しながら、お風呂に入りながら・・

因みに他人の声より自分の声の方がいいです。
他人の言うことは聞けなくとも自分の言うことは聞けますよね?(笑)
今や誰もが持っているスマホのボイス機能を活用しましょう。

套路名称が頭に入ったら、それに合わせて動いてみましょう。
こうすることで、動作と名称を同時に覚えることが出来ます。

***

因みに当会では套路名称はすべて日本語読みしていますし、日本語読みを推奨します。
理由は、カタカナ中国語で覚えても中国人には通じないし、自分でも意味が解らず、合理性に欠けるからです。

太極拳の套路名称は比喩が使われていることが多いので、日本語で読めばパッとイメージしやすくなります。

私は24式太極拳を中国人の先生に習いましたが、テキストに書かれているカタカナ中国語と、先生の発音とは全く聞こえが違いました。
(ある生徒さんがカタカナ中国語を使っていましたが、その時、先生は怪訝そうな顔をされていました;)

例えば、「ドンジャオ」は「トゥンチャオ」と発音しますが、そもそもイントネーションが違います。
ドンジャオ(→→)と発音しても通じません。
トゥンチャオ(⤴⤵)と発音します。
日本語のように棒読みでも通じるのではなく、中国語や英語はイントネーションで聴きとっているからです。

ドンジャオでは太極拳を知らない日本人にも中国人にも通じません。
蹬脚(とうきゃく)と読めば「あー、脚を上げる動作だな」とすぐに解ります。

今や太極拳は世界中に普及していますが、英語圏では英語名で読んでいます。
例えば、単鞭はSingle whip
これを「シングルホイップ」などと読んでしまうと笑われてしまいます。
「センゴゥウェッ」という感じで発音します。

とまあ余談が長くなりましたが、
とにかく套路はこの方法でサクッと覚えてしまいましょう。

そこから細かな動作を覚え、丹田がグルグルと動き出し、内から外へ膨張感を感じるようになるまで徹底的に練り上げます。

覚えるまでは頭のトレーニング。
覚えてからは心と体のトレーニングになります。

是非やってみてください。



2018年12月14日金曜日

脚を上げるのではなく下ろす?

踵脚(太極拳の蹴り動作)の時、
上げている方の脚が実なのか虚なのか考えてことがあるだろうか?

踵脚の時、上げている方の脚が虚であり、
片足で支えている方の脚が実である。

虚実でいうならば、意識しなければならないのはどちらかといえば実の方。
もっと正確に言えば、実を意識してから虚に行く。
しかし脚を上げる時9割がた以上の人が虚の方に意識が向いてしまう。

※実とは意識が向いている状態や重い状態のことであり、虚とは空とか無の状態で、重さでいえば軽い状態。

エレベーターが上がる時は実は下がっている。
一番上に滑車がついていて、エレベーターが上がる時、錘が下に降りているのである。

エスカレーターも同じ。
昇りのエスカレーターは降りている。
見えていないだけで、昇っているステップの下で降りている。

ロケットは上に上がるが、上に引っ張っているのではない。
ロケットエンジンを下方向に噴射して、それによってロケットが上がる。
つまりロケットは下方向へ力が働くことによって宇宙まで飛び立つことができるのである。

観覧車は上からの景色を眺めたいから乗るものだが、
観覧車は昇ると同時に降りている。

当り前といえば当たり前のことなんだが、
なぜか踵脚になると、ほとんどの人が上げる脚の方ばかりに気がいってしまう。

例えばバスケットボールを床に打ちつけると跳ねかえって上がる。
シュートする時ジャンプするが、ジャンプするためには下方向へ力を加えねば上がることはできない。

何が言いたいか?

つまり踵脚などで脚を上げるということは、
脚を下ろすということ。

そう、実の脚(片足で支えている方の脚)に。

脚を上げようとするのは間違い。
脚を上げるのではなく実の脚に全体重を落とす。
それによる気の跳ね返りで脚が上がる。

上げようと思ったらダメってこと。

数々の例を出したが、上がるためには下への力(沈む力)が絶対必要。

これからは上げる方の脚ではなく、
十分脱力して支えている側の足裏に意識を向けてみよう。
そうすると全身の重さが足裏に落ち、それが地面から跳ね返ってくる。
その結果脚が上がる。

上げるのではなく
ゆるめて沈む。

今日から意識して套路を練ってみよう。

2018年10月26日金曜日

ピントをぼかす

太極拳がなかなか覚えられず伸び悩んでる人は、
一点にピントを合わせ過ぎているためだと思う。

私が師の動きを見て覚えようとする時、
どこかにピントを合わせることはしない。

なぜならピントを合わすと他の部分がぼけてしまい
結果見なかったことになってしまう。

最近、加齢によって老眼が進み、物を見る力が弱ってきた。
本を読む時や標識などを見る時は苦労するが、いいこともいっぱいある。
ぼけて見えるからこそ発見できることもたくさんある。

最近のデジタルテクノロジーは物凄いスピードで進化しているが
例えば動画の画質がどんどんよくなってきている。
本物よりリアルなのでは?と思うほど。

しかし私はあまり画質に拘らない。
今の画質でも十分だと思うし、
あまりにもリアルに見えてしまうと、見たくないものまで見えてきそうで怖い。

話が脱線しないうちに戻そうと思う。

太極拳を最初に覚える時は、まずはざっくりと覚える。
木彫りと同じで、まずはざっくり削って、その後じっくり彫刻刀で彫って行く。
細かなことはあとでやればいい。

だから、見て覚えようとする時は、
あまり先生の近くに寄らず、少し離れてぼんやりと見る。
こうして見ると、姿勢や全体的な動きが際立って見えてくる。
最初にしっかり学ばないといけない部分だ。

最初はどうしても手ばかり見てしまう。
そうすると手だけしか覚えられず、姿勢や歩型がめちゃくちゃになる。
これはよくない。

手品師はこれを逆手にとって、相手の目を手に惹きつけ、タネが見えないようにする。

太極拳の場合は、そのタネ(基本原理)である姿勢と動きが大事。
これを見るにはピントをぼかすこと。

ぼんやりみて、とにかく真似てみる。
これが一番の上達法だと思う。

2018年9月21日金曜日

人間は1本足で歩いてる

人間は二足歩行しているが、実際歩いている時は1本足で歩いてる。
もし二本足で歩くとすればそれはうさぎ跳びになる。

つまり、人間は立って歩けるようになってからずっと1本足で立てるということ。
そのようなバランス機能が備わっている。

ところが太極拳で分脚(ぶんきゃく)や踵脚(とうきゃく)になるとぐらぐらしてしまう。
何故だろう?

その答えは・・

意識しているから
更に正確に言うならば意識し過ぎているから

ぐらぐらする人のほとんどが、足を上げよう上げようとしている。
その上げようとしている意識が軸感覚の邪魔をしているということになかなか気づけない。

では、なぜ教室までぐらつくことなく歩いてこれたか?
意識しながら一歩一歩踏み出して歩いてきただろうか?
多分そんな人はいないはず。

足を上げる度にぐらぐらするのは、意識するということのスパイラル(悪循環)から抜けられなくなっているケースがほとんど。

ここでひとつアドバイス。

上達するということは上達の妨げになることを切り捨てて行くことでもあるということ。

うまくいかない方法を何度繰り返しても、決してうまくいかない。
寧ろそのことを学習しなさいというメッセージ。

もしぐらつくことで悩んでいるのであれば、
今日からでも「変わろう」と考えて欲しい。

うまくいかない方法に固執するのではなく、
うまくいかない方法はバッサリ切り捨てる。
ゴミ箱に捨てる。

そしてその固執している時間をうまく行く方法を探すことにあてる。

いつも言うことだが、
上達するには素直になること。
素直こそ最強であり無敵であるということを知って欲しい。

もう一度思い起こして欲しい。
人間はいつも1本足で歩いている。
つまり1本足で歩くことのできることに長けている。

それにもうひとつ。
私が指導する際にいつも言う事だが、
足を上げようとしないこと。
上げるのではなく放つ。

分脚の時は爪先から、
踵脚の時は足裏から、
氣を発射する。

足を上げようと力を入れてはいけない。
バランスを失うばかりか氣の通りを阻害する。

実際に蹴ってみるとわかる。
力んで蹴ろうとするのと脱力して蹴るのとでは脱力して蹴る方が圧倒的にパワーがある。
脱力することで氣が流れるからだ。

「できない」
という気持ちをゴミ箱に捨てる。
そして、
「できる」と信じる。

これだけで、自分の太極拳がぐんと変わるはず。

2018年6月8日金曜日

忘れるために書く

私は師に稽古をつけて頂いた後、
まず真っ先にすることはノートをつけること。
情報はただではない。

情報はお金であり、時間であり、力だ。
情報には努力がたくさん詰まっている。

それに、師が貴重な時間を割いて教えてくださったことを簡単に忘れるわけにはいかない。
教えとは自分にとって宝物。

その宝を放置するわけにはいかない。
その方法がノートをつけるということ。

ところで、ノートをつけるという行為。
皆さんはどう捉えておられるだろう?
私にとってノートをつけるという行為は忘れるため。

なぜ忘れたいか?

それは、次の新しい情報や知恵を入れたいから。
一旦頭を空にしないと入らないということ。

覚えておくという行為は、新しい情報が入り辛いということでもある。
なぜならそれを入れてしまうと、さっきまで覚えていたことを忘れてしまうから。

だから、常に頭を空にすることはとても大事。

情報だけではない。
空にすることで天から教えを授かることもできる。
いわゆるインスピレーションや閃きと言われるもの。
更には悟りを得ることも。

ノートをつけることにこれほど深い意味があると、どれだけの人が認識しているだろう?

忘れるために書く。
そして頭を空にする。
無になる。

そして、宝物である師の教えは世界でたった一つの自分だけの教科書として残る。

2018年5月27日日曜日

嫌いこそ物の上手なれ ~最初の2年をどう使うか?~

先日、稽古中にこんな話が出た。
「早く套路を覚えるより、長く基本を積んだほうが結局早い」と。

太極拳を始めるとまず套路を早く覚えたくなる。
そして套路を覚えると新しい套路を覚えたくなる。
特に師から基本を積めと指示されない限り、ほとんどの人がそうだと思う。

実は私の中で妙なことが起きている。

私は太極拳が好きで太極拳を頑張ってきた。
そして太極拳で実績を得たいと思って頑張ってきた。

しかしどういうわけだろう?
苦手な形意拳ばかりが評価される。
実際、私の手元にある賞状やメダルは形意拳ばかり。

太極拳の評価にしても決して悪くはない。
楊式太極拳では県大会2位、全国10位。
しかし入賞した種目は形意拳だけ。

苦手意識を持っているだけに、入賞した時はいつも嬉しさよりも先に驚きがあった。
なぜ苦手な形意拳が?と。

その後になってようやくその謎が解けた。

基本を積んだ期間が最も長いのが形意拳だったからだ。
最初の2年は三体式站椿功(立つ鍛錬)と
劈拳、鑚拳、崩拳の3本だけを毎日打ち続けた。
炮拳と横拳をやり始めたのはその後。

三体式站椿功は片足15分、両足30分を毎日行った。
五行拳に関しては広さ100メートルの広場で往復200メートル。
これを毎日5~10往復ぐらいしたから距離にして1000~2000メートルは打ったことになる。
因みに最高記録は1日5000メートル。
とにかく毎日、立ちまくり、そして打ちまくった。

確かに歴で言えば太極拳の方が圧倒的に長い。
太極拳歴15年に対し、形意拳歴6年。

しかし太極拳の基本功をやり始めたのは大分経ってから。
実は最初の太極拳はあまりにもぐちゃぐちゃで、
先生やそのまた先生からもダメ出しをもらったほど。
それぐらい私の太極拳は酷かった。
太極拳に関しては15年経った今ようやく腰を落ち着けて基本に取り組むことが出来ているように思う。

結局、基本を飛ばして套路ばかり覚えても結局基本に戻らなくてはならないということ。
それに後からやる基本は最初にやる基本よりずっと時間がかかる。
なぜなら長年染みついた悪い癖を直す作業から入るから。

私が地味な形意拳の基本功を頑張れたのは、先生の適切なご指導のお陰であることはもちろん、
それより大きな理由は形意拳が嫌いだったから。
なぜその嫌いな形意拳を頑張れたかと言うと、
それをやらないと一番やりたい八卦掌に行きつけなかったから。
いわば八卦掌というニンジンに喰いつきたいがために形意拳を我武者羅に頑張った。

結果的にはその先生の元で八卦掌に行きつくことは出来なかったが、
2年間基本功をしっかりやらせてもらえたお陰で、自信をつけることができたし、
何よりその後、武器も含め23種もの套路(型)をサクサク覚えることができた。
基本が出来てるから、形を覚えるだけ。
そして覚えればすぐに完成されてしまう。
(あくまでもそのレベルでのことだが)

もし私が基本をないがしろにし套路ばかりを追っていたら今の自分はなかっただろう。
ぺらぺらの形意拳になっていただろうし、
相手を圧倒させるような突きも満足に打てなかっただろう。

ところで、嫌いだった形意拳。
今では?

大好きになってしまった(笑)

八卦掌がやりたくて頑張ってきたのに、八卦掌より形意拳の方が楽しく、
練習もついつい形意拳にウエイトを置いてしまう。

ということで、
嫌いなものに打ち込むというのも悪くない。

基本は絶対大事だし、どうせ後でやることになるのだから
最初にやっといた方が絶対にイイ!と声を大にして言いたい。
最低でも最初の2年は基本だけに費やすべき。


2018年5月26日土曜日

上達のために心掛けたこと

結論から言うと、
上達したかったら師を見ること。

そんなの当り前と思われるかもしれないが、
意外とこれが盲点だったりする。

当会の会員さんに陰口を言う人は一人もいない。

お互い尊重し合い、励まし合い、協力し合うとても素敵な人ばかり。
それが唯一の私の自慢だろうか。

「あの人の〇〇が出来てない」
「あの人の〇〇が良くない」
「あの人がなぜ認められてるのか?」
「あの人より私の方が上」

こんなことを考えて上達できるだろうか?

そもそも人の粗探しをするのは自分が努力したくないことの現れ。
上達する人は人の粗探しなどする暇もなく時間さえあれば練習する。

人は誰でも人より優位に立ちたいと思う。
しかし、人の粗探しをして仮に自分の方が優れてると思えたとして
それが一体何のメリットになるだろう?
そんなことをしていたら、いずれ自分が取り残される羽目になりかねない。

どの世界でもそうだが、この世界でも慢心したらおしまい。
人より自分が優れていると思った時点で負けていることになる。
なぜならそう思うことはブレーキを踏むのと同じことだから。

前を向いて歩こう。
仲間のことを自分の比較対象にするのではなく、
お互いに同じ目標をもって頑張れる仲間として思えばもっともっと楽しくなる。
困っていたら助けてあげよう。
それが本来の人間のあるべき姿だと思う。

上達したかったら、人の粗探しをやめること。
こんなこと当り前過ぎて書いている自分ですら恥ずかしいが、
とにかく言いたかったことは、
上達したかったら見るべきものだけを見るということ。

人は見たものに影響される生き物。
良い手本を見れば良くなるし、
悪い手本ばかり見ていると知らず知らずと自分の腕を落とすことになる。

私が駆け出しの頃、
最初から最後まで先生の動きばかりを見ていた。
だから他の人が出来ているかどうかというのは今でもほとんど覚えていない。
何故なら見ていなかったから。

といっても、先輩や仲間は本当に有難い存在。
先輩や仲間がいるからこそ頑張ってこれた。

いずれも上手くなりたかったら上手い人だけを見る。
腕を上げたかったら腕のある人だけを見る。
強くなりたかったら強い人だけを見る。

自分より劣る人を見て安心することは
ブレーキをかけているのと同じことだということを忘れないように。

2018年4月16日月曜日

套路にすべてが詰まっている

套路を漫然と通してる人をみかける。
順番を覚えたら嬉しいし、通すことが楽しいと感じる。

しかし、熟練者の套路を練る姿を見ていると、明らかに何かが違う。
一目でわかるのは目。

その目には目的意識と、内面を見て感じようとする意識を感じる。

套路を通すことが出来るようになったら、そこが大事だと思う。
少なくとも私はそうしている。

今、套路を通している時、「なんのため?」と聞かれてすぐに答えられるだろうか?
おそらく大半の人が「上手くなりたいから」と答えるだろう。
「ではなぜ上手くなりたいのか?」
ここで答えが二つに分かれると思う。

ひとつは人に評価されたいから。
もうひとつは自分の可能性を知りたいから、
と。

私はどちらかと言えば、
どちらも(笑)

しかし、普段鍛錬するのは自分の可能性を知りたいからであり、人に評価されたいからではない。
別に格好つけて言ってるわけではなく、
実際に他人に自分の練習を見られたくない。
だから最近人目のつくようなところで練習しなくなった。

さっきどちらもと答えたが、
自分の可能性に挑戦し、その過程で人から評価されるのは素直に嬉しい。
しかしそれは目的ではなく自分にとって副産物的なもの。

話を戻す。

套路にはすべてが詰まっている。

套路は準備運動であり、
気功体操であり、
立禅であり、
站椿功であり、
気を練る練功であり、
技を練る鍛錬でもある。

私が普段行っている体をほぐすための抜筋骨にしろ、そのまま足も動かせば套路になる。
立禅も同じ。
套路を途中で止めればどこでも立禅になり站椿功になる。
意識することで動きながら気を流すことも出来るし、技のイメージトレーニングにもなる。

もちろん初心者は準備運動からしっかりやったほうがよい。
体が出来てくるまでは十分曲げ伸ばしやほぐしを行う。
冷えた体のままやると筋を痛めたり、関節を痛めたりしてしまう。

しかし10年、15年経ってくるとさすがに体ができてくる。
それに立ち上がりが早くなる。

パソコンに置き換えると、安いパソコンは起動に時間が掛かるがハイスペックモデルならあっという間に起動が完了する。
そんなふうになる。

それに脱力して套路を練れるようになれば套路中に体をほぐしていくこともできる。
もちろん体に過度な負荷をかけないことが鉄則。

ここで大事なことは、
ただ漫然と套路を通すのは順番を忘れないための作業だと思った方がいいということ。
死んだ目のまま套路を通しても套路で得られる恩恵の数パーセントも得られないだろう。

なんのために套路を練るのか?
まず考えよう。

姿勢が崩れないようにするため?
正しい動作ができるようになるため?
力みのない動きができるようになるため?
氣を練るため?
技を練るため?

それによって套路の内容が変わってくる。
それは本人にしかわからない。

目的と対策。
結果を決めてから原因作りをする。

特に最近伸び悩んでいる方は、ここが大事だと言いたい。

2018年1月18日木曜日

考えるのをやめよう

練習をしている時に考えるのはやめよう。

考えたってなにも答えは出ない。

習ってもいない漢字をどんなに考えても読み書き出来ないのと同じで、
套路を練る時も推手や散手をしている時もすべきことは考えるのではなく
"見る"
"感じる"
だ。

考えながら動くと動作がギクシャクする。
それもそのはず、
手足、体すべてを脳でコントロールしようとしても、とても間に合わない。
車の運転を、イチイチ考えながら操作していたらとても危険なことになる。

習うより慣れろ。
考えるより真似ろだ。

赤ちゃんが言葉を覚えたり、立って歩けるようになるのは、
考えて喋ったり立とうとしているのではなく、
親がしていることを真似ようとしているだけ。

子供の頃は大人のしていることが羨ましく、自分も早く大人になりたいと思った。
そして懸命に親の真似をしようとする。

先程言ったように、
真似る、
そして、それを何度も繰り返す。
それだけ。

私が太極拳を始めたばかりの頃は、とにかく先生の動きを真似た。
始めたばかりのころ、先生と自分が演武している動画が残っていて
久しぶりにそれを見ていたら、自分の動きがまるで先生と同じだった。

カメラの位置から時折重なって見えるのだが、
それでもその重なった部分からほとんどはみ出すことなく動いているというのを見て改めて驚いてしまった。
確かに当時の私は先生に憧れ、とにかく先生の真似をしようとした。

先生が動きを変えれば自分も変えた。
そのことを先生に尋ねると「常に進化しているから」とのことだった。
覚えても覚えても先生は進化していき、ついていくのがやっとだったが
当然のことながら、そのことに対し不満を漏らしたり文句を言ったことなど一度もない。

先生が変われば自分も変わる。
先生が進化すれば自分も同じく変わることで進化できるということ。

自分で言うのもなんだが
私はこういう自分の素直なところが好きだ。

考えながら動こうとするのをやめよう。
先生というのは教える人ではなく手本を見せてくれる人なんだ。

2017年9月28日木曜日

中から?外から?

ある人が私に行った。
内功をしっかり練ってから套路を覚え技の使い方を研究したいと。

それはそれで人それぞれだから私は何も言うつもりはない。

しかし、私は中からより外から派だ。

まず形を作ってから中に魂を吹き込む。
これは何にでも通じると思う。

音楽活動をしていた時もそうだ。
まず曲をつくる。
何度も演奏し練習する。
そのうち魂が宿る。

仮に魄によって曲を作り詩を作ったとしても、
演奏するテクニックがなければそれを表現することはできない。

確かに曲はハイな状態の時に天から舞い降りてくる。
しかし演奏がダメなら天からの贈り物を表現することは出来ない。

絵も同じ。
デッサン力なくして、自分の心を絵に描写することはできない。

武術も同じ。
まず立禅で正しい姿勢を身につける。
そして套路によって正しい動きを身につける。
今度は途切れないよう連綿と動けるように套路を練る。
次に気を練りながら套路を練る。
最後に相手がいることを想定し気を流れを感じながら技を練って行く。

この流れが一番スムーズだし、
それになにより楽しいと思う。

まずはグラスを用意する。
そしてそこにおいしいジュースを注ぎ込む。
逆はあり得ない。
実に単純なことだ。

これはほんの一例だが、太極拳はまず形から覚えるのが良いということ。

ただ、だからといって形ばかりでも意味がない。
太極拳の修行とは形を覚え内面を練っていくことにある。
こうして初めて〝生きた太極拳”になる。

少なくとも私はそのようにやってきたし、
これからもそれは変わらない。

2017年8月30日水曜日

筋トレをやめれば太極拳は強くなる

太極拳を行うために筋トレを行う教室があるようだが、
私が教わってきた伝統太極拳で筋トレを行ったことは今まで一度もない。

そもそも何のための筋トレなのだろう?

套路を練ることそのものが筋トレであり、
套路のために筋トレを行うことは、筋トレのために筋トレをするようなもの。

腕立て伏せや腹筋、
バーベル上げ等。

その筋肉を一体何に使うのだろうか?

力では敵わない敵から身を守るために生まれた太極拳であるのに
筋力を鍛えることは全く真逆の鍛錬法である。

もしそれが、少林拳や査拳などの筋力で戦う外家拳であればわかる。

しかし太極拳では筋トレを行うべきではない。
筋力を鍛えれば筋力を頼ることになり、
逆に勁力を鍛えていくことができなくなるからだ。

私は簡化太極拳より伝統太極拳をすすめている。
理由は伝統太極拳には太極拳に必要な鍛錬すべてが含まれているからだ。

簡化太極拳は伝統楊式太極拳のダイジェスト版のようなものであり本編ではない。
だから現在簡化太極拳を練習されている方は、
そのルーツである伝統楊式太極拳を習得することをすすめる。
そうすることで初めて太極拳の本当の意義を知ることになる。

話を戻す。

結論として太極拳を始めるならば伝統太極拳を行うべき。
先程も述べたが、伝統太極拳には太極拳のすべてが詰まっているからである。

筋トレを行ってはならない。
筋力に頼る動きをして本物の太極拳には決してなり得ない。
コアを鍛えることもできない。

無駄に筋肉をつけると経絡を詰まらせ気の通りを阻害する。
それに過剰な筋トレは体内の活性酸素を増加させ老化を促進させる。
活性酸素は肌のハリ艶にも影響し、肌荒れやしわを増加させる原因になる。

長寿である仙人でムキムキの人をみたことがない。
私に伝統太極拳を教えてくださった先生方は
体格も小柄でやせ細っているのに想像を絶するパワーを持っておられる。
そのパワーは筋トレやストレッチで得られるものではない。

もう頭で考える太極拳をするのはよそう。

太極拳は理屈ではない。

じっくり時間をかけて伝統套路を通して行けば、
それによって得られるものを自然と知ることができる。

2017年6月1日木曜日

自撮りのすすめ

会員の皆さんには自撮りをおすすめします。
自撮りといっても、顔の写メを撮るのではありません。

自主練時、
立禅を行っている時、
套路を行っている時、
動画で撮影します。

機械は苦手で・・
という方もおられるでしょう。

しかし、何故私たちはこの時代に生まれてきたのでしょう?
人間は自分の意思で、この時代、この地に生まれてきたと言われます。
これを〝バースビジョン”と言います。

もし機械が苦手なら江戸時代、
いや原始時代に生まれてきたことでしょう。

それはともかく、
今は便利な道具がいっぱいあるのですからそれらを上手に使えば
上達を劇的に早めることができます。

だから積極的に使いましょう。

今はスマホを持っている人も多いでしょうから
以下のようなグッズを買って持っておくといいでしょう。

2way 卓上三脚+スマホホルダー


これは私のおすすめではありますが、
もっといいものもあるかもしれないので探してみてもいいでしょう。

動画は嘘をつきません。
動画を観ることで気づくことは多いと思います。

見るだけでも自分の太極拳が変わっていきます。
是非おすすめします。