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2021年6月29日火曜日

太極拳と形意拳のふしぎ

週明けは午前クラスと午後からは3つの個人レッスンでした。

来月から月曜午前クラスを隔週から毎週にしますが、午前クラスは清々しくて気持ちがいいです。

7年半前この会を始めた時は会員全員が楊式太極拳をしていましたが、今では武器や形意拳など同じ空間で様々な稽古をしています。
ようやく当会も内家拳の武術道場らしくなってきたなぁと感じる瞬間です。

午後からは楊式剣の指導をしましたが、
「なぜ刃を立てるのか?」
「なぜ刃を寝かせるのか?」
そのようなことをレクチャーしながら稽古しました。

「あんなペラペラの剣でなにが出来る?」と嘲笑う者もいましたが、そうやって油断させることも戦法の一つなのでしょう。

自分が信じるものに固執するあまり、他のものを柔軟に見ることが出来ないことがありますが、どの流派も強い者が強いと私は思っています。

また、人は知らないことに対し恐怖感を感じるので、知っていることの枠に入れて考えようとしますがそれも危険です。
知らないものを知らないと素直に受け入れることが大事であるということはこれまでの人生で何度も経験してきました。
「知らないことを格好悪い」という定義は自分が勝手につくり出しているものであり、それによって確実に成長を止めてしまいます。

夜は形意拳を中心に稽古しました。

いつも言うことですが中国武術に於いて座ることは大事です。
私が武術をはじめて一番最初に驚いたのはそこでした。

今までに見たこともない不思議な歩法、
そして、立っているのに座るような姿勢。

その美しさにも魅了されましたが、それと同時にどんな意味があるのかという好奇心を掻き立てられたものです。

そんな中、龍形拳の蹴りの威力を知りたいという好奇心が湧いたので、
ミット打ちでそれを検証してみました。
かつて空手を少しやっていたので、前蹴りと龍形の蹴り技の威力を比べてみました。

こういう実験は実におもしろいです。
どちらも威力があるのですが明らかに威力の質が違います。

戦車で例えるなら前蹴りは大砲で打ち砕く感じで、龍形は車体そのもので体当たりする感じでしょうか。
華麗に見える前蹴りに対し、一見野暮ったく見える龍形の蹴りは見た目以上のパワーでした。

最後のレッスンは扇通背(せんつうはい)を中心に稽古しました。
これに関しては手の動きと形がなかなか難しいです。
しかし太極拳戦闘理論に基づいた用法が解ればその動きの意味を知ることが出来ます。

形を丸暗記するのもいいですが、
形の意味を知れば太極拳はもっと楽しくなるし、もっと修得が早くなります。

これからも私自身が「太極拳がすごく楽しい」と思えることを伝えていきたいです。





2018年10月29日月曜日

自然に逆らわない力 『ええかっこすると勁力落ちる?!』

最近、普段の鍛錬に表演用の練習を加えて練習をしているが、
前からも思っていたが、やはり確実に勁力が落ちる。

表演は見た目を重視する。
それは見ている人を感動させるためだが、
それはそれで素晴らしいこと。

しかし、見た目を重視すると必ず装飾的な動作や
派手な演武をしようとするためにアウターマッスルと使って演武することになる。

アウターマッスルを使うことが悪いことではない。
驚くようなアクション、美しい演武は見ていて楽しい。

しかし勁力とは別物。

ではここで考えてみよう。
どうして勁力が落ちるのか?

そもそも勁力とはとことんまで脱力してはじめて出せる力。
いわゆる脱力することで地球と一体化するということ。

人間完全に力を抜くと、起きていることすら出来なくなる。
寝ている状態とは、いわば生きながらして死んでいる状態(?)

氣の力を最大限にしようと思ったら、
生死の境に入ることでその力を出せると私は考えている。

「人間死ぬ気になればなんでもできる」と言うではないか。

いずれも勁力が最大限に発揮できるのは極限まで脱力している時。
その状態は表演武術とは全く別の世界だし、
意識も使う力も違う。

演武力を高めようと勁力を意識される方がおられるようだが、
私の経験上、勁力を意識すると演武力が落ちる。

実際に実験してみた。
人生が掛かっている大会だというのに、
引退試合でもある最後の大会は勁力を意識した演武をした。
実験というか、最後ぐらい「自分らしく」やりたかったのだ。
そして過去最低の点数がつけられた。

悔しかったが、想定もしていた。
なぜなら、全く派手さがないのだから、審判にしてみれば良い点数のつけようがない。

タイトルを「ええかっこすると勁力が落ちる」としたが、
派手に見せよう、美しく見せようとすると、自ずと勁力とは関係のない筋肉を使い、
柔らかく見えても、自分の中では硬い動きになる。

もしこんな力で推手をし、打たれたら
恐らく木の葉の如く吹っ飛ばされてしまうだろう。

このことは最近、表演を意識して八卦掌の練習をし始めたことで改めて確信した。
かっこつけようとすると脱力でなくなる。
よって、私が目指す八卦掌ではなくなる。

だから、見る人には申し訳ないが、華麗な演武は捨てることにした。
やってやれないことはないのだが、自分を偽りたくない。

素直に生きたいと思って武術をはじめたのに、
嘘をつきたくない。

誰が認めてくれなくとも、私は脱力した演武を自分自身でとても気に入っている。

伝統武術=無骨 と思われがちだが、
私は全くそんなこと思わないし、
それよりも、
川のせせらぎや風になびく木の枝葉や草花、舞い落ちる雨や雪。

そんな自然界にある動きを目指したい。


2018年8月7日火曜日

得意技

「あなたの得意技はなんですか?」
と、聞かれたらなんと答えるだろう?

正直まだ太極拳修行始まったばかり。
まだ満足に得意と言えるものなんかない。

でも、好きな技はある。

楊式太極拳なら、提手上勢(ていしゅじょうせい)

好きな理由はシンプルな割に効果絶大だから。
護身術としても真っ先におすすめしたい技だ。

双辺太極拳なら単鞭(たんべん)だろうか?
これはシンプルというより、僅かな力で大きな効果が得られるから。

形意拳なら、崩拳(ほうけん)
これもまた実にシンプルで、尚且つ破壊力が大きい。

八卦掌に関してはまだ研究段階なのでわからないが
あえてあげるなら黄竜反身(こうりゅうはんしん)だろうか?
これまたシンプルかつ相手に与えるダメージが大きい(と思われる)

こう考えてみると、私は派手な大技より、
地味な技の方が好きなようだ。

好きな理由は体をほとんど動かすことなく大きな効果が得られるからだが、
一番の理由は疲れないのがいい(笑)

本来、闘うということは非常にパワーを使うもの。
口喧嘩でも疲れるのに、殴り合い(スパーリング)などもっと疲れる。
風邪をひいて、寝込んでる時も体がウイルスと闘っている時は物凄く体力を消耗する。

出来れば、手を触れずに自分の身を守ることができたらどんなにいいだろうと思う。
そんな馬鹿げた夢を本気で叶えようと思っている。

私は映画観賞も好きだが、もっぱら洋画を好む。
武術やってるのだから、カンフーアクションが好きだと思われるかもしれないけど、
実は言うほど観てない。
ブルースリーの映画もほとんど観たことないし、
ジャッキーチェンにしても全部観たわけではない。

洋画を好む理由はいろいろあるが、
簡潔に言えばシンプルでハッピーエンドだからだろうか。

早い話がシンプルが大好きなのである。

最近観た映画ではカウボーイ&エイリアンズというちょっとふざけた感じのタイトルだが、
まあ、中身もそこそこという感じで、
それよりも主役であるダニエル・クレイグが町を仕切っている大佐のドラ息子が町の住民に銃を乱射しながら悪ふざけしているところを、たった金蹴り一発でのしてしまうというシーンが実に爽快でよかった。
特に、表情ひとつ変えずよそ見しながら倒したことが気に入ってしまった。

確かに以前は延々と繰り広げられるバトルシーンを観るのも好きだったが、
今は観ているだけで疲れてしまう。

そんなこんなで、今武術修行しながら、
いかにラクに技を使えるかということを研究している。
箸をとって置くぐらいの力で倒すことが出来ないだろうかと。

こんなふうに考えると力ではなく勁力を鍛えようと思う。
勁力というのは筋力を鍛えるのとは訳が違う。
心を鍛え、丹田を鍛えなくてはならない。

この行いは禅そのもので、
こんなふうに自分の目標が、健康や長寿に繋がり、
これを広めていくことでその人々が病を避け幸せに過ごせることになればと思う。

2018年3月13日火曜日

内家三拳

私が頻繁に使っている施設では利用する前に利用者名簿に名前と種目を書くのだが、
その種目でいつも困る。

その日によって練習内容が変わるからだ。
太極拳だけの時は太極拳とだけ書けばいいが、形意拳や八卦掌をやることもある。
だからまとめて内家拳と書いている。

私が形意拳をやり始めてから数年経った頃、八卦掌はやらなくてもいいかなと思っていた。
太極拳と形意拳だけでも一杯一杯なのに、八卦掌まで入る余地がないと思っていたし、
くるくると舞って踊っているかのようにみえる八卦掌にあまり魅力を感じなかった。(感じた時期もあるが)

そんな私が八卦掌をやり始めたのはやはり師の影響が強い。
師がされることは全てカッコいい。
だからやりたくなる。
実に単純な理由(笑)

そして今、この内家三拳をやっていて良かったと思える場面がある。
それは自由推手や組手などの時。

太極拳は相手の力を無効化するのに有効。
相手にとっては、打てでも打てども空を打つことになり、それを返されてしまう。
しかし、ノーモーションで発勁されると聴勁や化勁が間に合わない。
(単に私のレベルがまだまだ未熟なだけだが)

その時に八卦掌の歩法が役立つ。
八卦掌は相手をかく乱させ、隙をなくすことに役立つ。
相手に打つ機会を失わせ、歩きながら突いたり倒したり・・
しかし、大きな破壊力に欠けるように思う。
(これもまた私が未熟だからだが)

形意拳は圧倒的な破壊力がある。
相手が打って来ると同時に飛び込むようにして打ち込む。
カウンターになるわけだが、そこに跟歩が入るから、相手が受ける衝撃は相当なものだと思う。
しかし形意拳もまた護身武術。
静止した状態で相手の出方を待つ。
いわゆる聴勁が遅れると自分がやられてしまう。

結局、内家三拳をやっておくことはとても便利だということに気付いた。

双辺太極拳はこの内家三拳すべての技をまとめてあるが、改めてこの太極拳が実に実戦的であるかがわかる。

とまあ、こんなことを考えていても一生使う場面はないのだが、
戦術を練ることは練習のひとつだと私は思っている。
それをモチベーションに稽古に励むことが出来るし、身の詰まった練習をすることができる。

それにより体も心も鍛えられ、病気しない丈夫な体をつくることができる。

またもや前回と同じ締めになってしまうが、
内家拳は健康法として最高だと思う。

2017年9月17日日曜日

事故はなぜ起きたか?

その後も徐々に回復に向かっており、
あとは左股関節の痛みだけが残っている。

いずれも動けない今、
今回の出来事を振り返ったり
本を読んだり、
今後のことを考えたり。

今回の事故は何故起きたのか?
ということを考えてみた。

いくつか答えがあがってきた。

ひとつは前回もお話したように、
この事故がなければ私はこの先でもっと大きな事故に巻き込まれていた。
だから災難ではなく私は救われたと思っている。

あと、救急で運ばれてから1週間と2日が経つが
私はサークルを立ち上げてから、こんなに休んだことがない。
休んでもせいぜい1日。

今まで心身共に溜まっていた疲れがすっかり癒え、
今までにないやる気がふつふつと湧き出している。

この身体的な事故が起きるまで心の事故続きだった。
私が大切に思い、そしてその人の将来を楽しみにしていた人から
次々と退会届が私の手元に届いた。

一人二人ならまだしも、この2か月間で6人。
自然退会ではなく退会届が送られてきた。

もちろん覚悟はしていた。

実は私は過去事業で500人のビジネスパートナーに一斉に辞められたことがある。
理由はそのグループリーダーの急な意欲喪失。
残念でならなかったし、売上的にも大打撃だった。

いずれも今回の退会者の続出はそれに比べればかすり傷。

その後は月収50万から数万円へ。
無論生活できるわけもなく
サラ金にまで手を出さなくてはならないまでに陥った。
時間問わず容赦なく取り立ての電話が鳴り響く毎日。
私はそれ以来電話の着信音が完全トラウマになってしまった。

事業が破綻し首を括る者もいるだろうが、私はそう簡単に諦めない。
その後また一からグループを作り直した。
ひとりひとり誠意をもって声をかけていった。

すると今度は誠実な人ばかりが集まり始めた。
売上はどんどん上がり、グループ人数こそ少なかったが、意欲的なパートナーが増え
売上も急上昇。
その後、破綻前よりも収入が増え月収70万円に。

実は私の事業意欲は交通事故から始まった。
交通事故は本当に怖いし後々まで心の痛みが残る。
幸いにも死者が出なかったが、それでさえも奇跡。
一度死にかけた者は強いというが、それは本当だった。
私のその交通事故から1年ほどで、最初の事業に成功した。

今度の交通事故も実はある程度予期していた。
辛いことが続くと更に辛いことが起きる。
何度も経験してきた。

しかしピンチはチャンス。
今後、会はもっともっと素晴らしくなるというビジョンが見える。

それとあともう一つ。

武術に対する考えが少し変わった。
いや目標はなにも変わっていないのだが
今行っている武術に対する捉え方が変わった。

本当に武術が誕生した理由が解った気がした。
それは今まで何度となく唱えてきたことだが、
「つながること」

これが私の最終目的。

最近ネット環境もどんどん進化して、
クラウドや、それを共有できるコンテンツも出始めている。

化学は目に見えないものを解明しようとしているが、
化学はようやく神の域に近づき始めた・・
いや、言い換えれば、同じ方向に向かおうとしていることがわかる。

人間はインターネットによって全世界がつながった。
わからないことがあればウィキペディアで調べればすぐにわかる。

しかし、インターネットが発明される前から人類は皆繋がっていたのだ。
何百年、何千年も前から。
ウィキペディアがなくとも、人間は全人類の知性を手に入れることができる。

別に信じなくてもいい。

少なくとも私はそれを経験してるし、
世の中のしくみが全て理解でき、そして未来に起きることすら予知できた。

雨が降ると思うと降りだし、止むと思えば止む。

高速で料金を支払おうと思ったら、きっちりその小銭が料金分だったり、
時計や距離メーターを見るといつもぞろ目。
ぞろ目以外の時は見ないのに、なぜぞろ目の時だけ見るのか?

欲しいと思えば、数日中に一銭も使わず手に入ってしまう。
不思議なのは私がそれを欲しいと絶対知らない人からそれが届けられる。

相手が話す前から話すことがわかる。
だから相手がどんなにビックリするようなことを言っても驚かない。

初対面なのに合う人全てが懐かしいと思ったり・・
相手は自分で自分は相手という感覚。

こんなことが連続して起きるものだから、毎日が鳥肌立ちっぱなしだった。

とにかく話つくせないほど不思議な体験を今まで何度もしてきた。

話が長くなってしまったが、私は今後も太極拳も形意拳も八卦掌もやっていくが、
どの流派も気功を重視して行こうと思う。

これら内家拳はすべて気功を元として生まれた流派であり、
気功なくしてこれらの武術は成り立たない。
それでも、力とテクニックで武術をしようとする方もおられるようだが、
それはそれで人それぞれ捉え方が違うのは当たり前のことだし、
私は私の思う内家拳を極めて行こうと思う。

皆が幸せになれる武術。

人生をもっと楽しく、
そしてもっと幸せになれるということを証明しながら実践していきたい。

そんなことをこの9日間考えていた。

私に何ができるか?
出来ることから始めて行こう。