2021年3月23日火曜日

太極拳をやりたくて始めたのではありません!

私が太極拳を始めたのは、太極拳をやりたかったからではありません。

IT革命と言われた2000年、当時私は最先端のビジネスをしていました。
電話とファックスのやりとりをやめ、通信手段をすべてEメールかチャット、掲示板等で行っていました。
グループチャットでミーティングすることを当時はサテライトミーティングと呼んでいました。

商談するために人と会うことをやめ、これらのツールをふんだんに使い自宅から一歩も外に出ず、20年前に年商5000万円を稼ぎ出していました。
今ではYouTube等で高額収入を得ている人もいますが、私は20年前に月収250万円だったこともありました。
別に自慢ではありません。時代に乗ったというだけです。

確かに金銭面では裕福になりました。
友人もたくさんいました。
しかしそれに引き換え大きな問題が発生しました。

腰と肩の激痛と、ひっきりなしに起きる激しい頭痛でした。
それにあれほど良かった視力がどんどん低下し、遠くの物が見えなくなってきました。
更に体力が著しく衰え、5分も歩くと立っていることすら出来なくなり、所構わずその場にしゃがみこんでいました。
ほとんど外に出ずパソコンに向かう時間が増えた結果です。

流石に危機感を感じました。
30代にして80代のような体になってしまったのですから。

それともうひとつあります。

対人恐怖症です。
人と会わなくなったので、人と合うのが怖くなりました。
それまでは毎日100件飛び込み営業し、講習会のゲストとして数百人の前でスピーチもしていました。
その私が、コンビニのレジで目も合わせられないほどになっていました。

さすがにこれではマズいと思いました。
そして同時に思いました。
かつての輝いていた頃の自分を取り戻したいと。

私は自分を取り戻すための方法を探しはじめました。
そして辿り着いたのが公民館の貼ってあった太極拳の張り紙でした。
私はそれを見てすぐに申し込みました。

太極拳がやりたかったわけではありません。
衰えた体力を元に戻したかったのです。

私は良い師に出会いました。
太極拳の型だけではなく、様々な技術や技を教えてくださる素晴らしい師でした。
私はどんどん太極拳に嵌っていきました。

気が付けば、腰痛、肩こり、頭痛も消え、人と接することが楽しくなってきました。
停滞していたビジネスも上向きになり、収入も安定してきました。

どうやら私は自分を取り戻したようです。
私は太極拳と師との出会いに感謝しました。


今でこそ私は太極拳の道場を2つ経営する会の代表になりました。
しかしそうなる8年前までは単なる一生徒でした。

私は太極拳をやりたかったから太極拳をはじめたのではありません。
そして先生になりたいから今の会を起こしたのでありません。

遠く離れた地で教わった師の太極拳を奈良でも一緒に出来る仲間が欲しいという小さな願いがありました。
2~3人でも良かったのです。
共に楊式太極拳をやる仲間が欲しかったのです。

なぜならその楊式太極拳によって私は生まれ変わることが出来たからです。
それを共有し合い共感しあう仲間が欲しかったのです。

その後、私の元に500人近くの人が訪れ、私の太極拳を楽しんでくれました。
師もそのことを心から喜んでくださりました。


人間は歳と共に老化し、体力が衰え、思考力が衰え、そしてたくさんの病気を抱え込むようになります。
私はそれに歯止めをかけたいと思いました。
30代にして80代を経験したからこそその気持ちが強くなったのでしょう。

太極拳を続けてきた今はどうでしょう?

老化が一切怖くないし、それどころか老化が楽しみでもあります。
体力と脳力が低下しても、そのことが逆に好転し、
無の力によって、今までにない大きな力を出すことが出来るようになりました。

太極拳を始めると老化は老化ではなく進化に変わります。

私の体験を読んで頂きどう思われましたか?

歳と共に衰え、何もできなくなる自分を悲観しますか?
それとも進化する自分を歓び、人生を謳歌しますか?

師が教えてくださった太極拳は、若返りの秘法だったのです。



2021年3月17日水曜日

一式の中に

太極拳は熟練者であればあるほど、套路をゆっくり練ります。
誰かから与えられるわけではなく、自然とゆっくりを求めるようになるという感じでしょうか。

それはきっと「覚える太極拳」から「感じる太極拳」を求めるようになるからだと思います。

覚えるだけの太極拳ならスピードはあまり関係ありません。
しかし感じようとするなら限りなくゆっくりを求めるようになります。

伝統楊式太極拳は全部で85式で成り立っていますが、
85を覚えることから、1式の中の情報をたくさん得たいと思うようになります。

例えば単鞭。
今の自分の単鞭にどれほど満足しているでしょうか?

単鞭には、それに求められる膨大な情報が詰まっており、
更にその用法も無限大にあります。

当て身、崩し技、関節技・・
軽いジャブ程度の技から、死に至らせるまでの恐ろしい殺人技まで、
単鞭には限りない情報が詰まっています。

ここにカツ丼があるとします。
最初はカツ丼がおいしいかどうかを意識すると思います。
しかし徐々に舌が肥えてきて、カツ丼全体のおいしさから、米一粒の味にこだわるようになると思います。

太極拳も同じで、ごはん一粒一粒を吟味したくなるように、一式一式を大切にするようになります。

熟練者であれば起勢ひとつとっても全然動きが違います。
さらに言えば、立ち方からして全然違います。

それはひとつひとつの動作に拘った結果なのです。

漫然と套路を通しているだけでは決してその動きになることはないし、たくさんの宝が詰まっていることにも気づけないでしょう。

太極拳には宝がいっぱい詰まっています。
それを発見できるかどうかは套路の練り方次第です。

普段歩いている道の下にたくさんの宝が埋まっていたとしたらどうでしょう?

今後もっともっとたくさんの宝を見つけるため
毎日ゆっくりゆっくり套路を練っていきたいと思っています。



2021年3月13日土曜日

套路の練り方を変えれば技が変わる

転身は単なるターンではありません。

昨夜の形意拳クラスで、ある会員さんが単なるターンのような転身をしていたのを見て、説明していなかったことに気付きました。

敵は常に前から攻めてくるとは限りません。
背後から攻めてくることもあります。
だから転身は単なるターンではなく立派な技なのです。

形意拳の型を学んでいく上で、十二横捶という型がありますが、その中には横拳の連続技があります。
前、後ろ、前という風に、連続して前後の敵を倒す技です。

或いは、転身崩拳という技もあります。
敵に注意を逸らせ油断させて打つという技です。

太極拳の型もそうですが、何一つ無駄な動きはありません。
予備勢から収勢までずーっと技なのです。
型をつなぐための通過動作や接続動作はありません。

だから毎回伝えるように、套路は最後の最後まで気を抜かず丁寧に練って欲しいのです。
それが出来ていれば、散手の時にあたふたすることはなく、スっと技が出て来るはずです。

もし「套路を毎日通してます」という人いたとしても、それ自体はあまり意味がありません。
「套路を通した」ということより、「套路をどう通したか?」が重要なのです。

見ていると、気功の時もぼんやりやっている人をたまに見受けます。
実に勿体ないと思います。

すべて、超能力を手に入れるためのスーパーエクササイズだからです。

超能力といっても、スプーンを曲げたり、物を宙に浮かせたりといった能力ではなく、今の自分の能力を超えた能力を出せる力です。

当会で行っている稽古の内容はなにひとつ無駄はありません。
寧ろ、もっとやりたいことがたくさんあるのですが、それをかなり削って最低限のことを行っているのです。
いわば、新しい能力を導き出すための凝縮されたエクササイズなのです。

目の前に並べられた料理をフードファイターのように、ただ胃袋に流し込むような食べ方はして欲しくないです。
一つ一つじっくり味わって食べれば、その料理の有難みも解ることでしょう。

是非そんなふうに稽古に取り組んで頂きたいと思います。



2021年3月10日水曜日

続・大事が見えてくるひとこと太極拳

前回の続きです。

「大事が見えてくるひとこと太極拳」の実例をあげます。

例えば「ピンチがチャンス」
よく言われる言葉です。

しかし太極拳ではその逆もあります。
「チャンスはピンチ」

解る方には解ると思いますが、
初心者にはなんのことだか解りませんね。

いずれも、これにはかなり深い意味があります。

もしこの言葉を専門的に言えばこんな風になるのでしょうか。

推手の時、相手の攻めを化勁によって捌き、その後拿勁を用い発勁を行う。
相手はそれを走勁と引勁によって引進落空させ、その後直ちに強い発勁に転じてくる。
それを聴勁によって化勁を用い突きを捌くが、相手の掤勁によって軸をとられ崩れることとなる。

どうでしょう?
シーンを連想しながら用語を使って書いてみました。

専門書を読むとこんな風に書いてあると思います。
仕方ありません。
文章で説明しようとするとこのように書くしか方法がありません。

これを読み解くのも楽しいでしょうが、
実践で行うとものの3秒で終わってしまいます。

ひとことで言えば、「油断するな」ということになり、
それを「チャンスはピンチ」と表しました。

そもそも専門書の言葉通りを頭で考えながら実践しても、隙をつくるだけです。
考えること自体が隙を生み出しますから。

何度も何度も繰り返し実践で練習し、こういうことを肌で感じ体で覚えて行きます。
そして失敗の度に「チャンスはピンチ」ということを覚えていくでしょう。

これはあくまでも一例ですが、
こんなふうにたったひとことでも太極拳の秘訣を表すことはできます。

現在、手元のネタ帳には170近くのストックがありますが、
目下の目標は1000であり、次に1万を目指そうと思っています。

繰り返し伝えますが、
引用や借り物の言葉ではありません。
その証拠に専門用語をほとんど使っていません。

実体験によって得られた感覚を、わかりやすい言葉で伝えています。

専門用語を使わなくとも専門的な内容に傾くこともありますが、
その都度、太極拳を知らない人にも解るような言葉になるようなるべく軌道修正しながら配信していきます。

そもそも太極拳の秘訣は人生において生き方に通じるところがたくさんありますから。

太極拳を全く知らない方にも楽しんで頂ければ幸いです。



2021年3月9日火曜日

大事が見えてくるひとこと太極拳

今年からTwitterを再開しました。

今まで、何の目的意識もなく息抜き代わりにつぶやいてきましたが、
なにか人のためになることを始めようとずっと考えていました。

そこで思いついたのが「大事が見えてくるひとこと太極拳」でした。

弟子のTwitterなどを見ていると、いろんな方がアドバイスをしてくださいます。
大変ありがたいことなのですが、
当然の如く弟子のことをよく理解しているのは師である私です。

一度にいろいろ伝えても人間が吸収できる許容量は決まっています。
だから、実力に応じ、いつもその時必要なことだけを伝えるようにしています。

最近では頭に入りきらないことを「お腹いっぱい」という表現がよく使われますが、
本当にその通りだと思います。
胃袋の許容量は決まっており、それ以上に食べると具合が悪くなるばかりか体によくありません。
よかれと思ってたくさん食べ物をあげるのはよくないということがわかります。

さて、
今年2021年1月24日から始めた「大事が見えてくるひとこと太極拳」ですが、今お話ししたことと少し関連があります。
なぜなら私は自分が会得したことを教えたくなかったからです。

会得した知識や情報はそれ相応の時間、労力が掛かっています。
推手の秘訣ひとつとっても、私は自分の足でそれ会得してきました。

ある時は電車で2時間かけ、
ある時は新幹線で4時間かけ、
またある時は仲間と朝から日が暮れるまで練習し続けて得たこともあります。
それにより様々なことを修得してきました。

私はお酒を飲まないし、夜遊びもギャンブルもしないので、
これまで手持ちのお金をためらうことなく武術修得のために注ぎ込んできました。
だから私にとって武術で得た感覚や知識は貴重な財産なのです。

また、師が教えてくださる秘訣等も同じく努力によって得られたものです。

そんな貴重な財産を無料で教えることなど出来ません。

私が持っている知識は決して借り物の言葉ではなく、
すべて自分自身の努力によって得てきたものです。

それに、先ほどお伝えした通り実力に応じ指導しなければ、学ぶ側は消化不良を起こし困惑するだけです。
よって私は求められもしない他人様に対しアドバイスすることはありません。

仮に求められたとしても、その方の実力も解らなければ師からどのようなことを教わっているかも解りません。
教えたところでその知識を実際に活かすことが出来るでしょうか?

情報とは与えられるものではなく、自ら捕りに行くものです。
捕りにいってこそ自分のモノになり、一生の財産になります。

そんな私が、長年の努力で得てきた知識を公開しようと思ったのは、
もっともっとたくさんの方々に太極拳の素晴らしさを知って欲しいと思ったからです。

誰にでもわかる身の回りの言葉を使えば少しでも興味をもってもらえるのではと考えました。

いわば自分の宝をすこしずつお裾分けするような気分で毎日Twitterで配信しています。

「ひとこと過ぎてよくわからない」と思われる方もいるでしょう。
しかし、それは今解らないだけであって、何年後かにその意味がわかる時がきっとくるはずです。

専門用語を並べても決して心には響きません。
響く言葉は身の回りに溢れているやさしい言葉ではないでしょうか?

心に残る言葉は「ひとこと」であることが多いです。

ひとことによって、
一人でも多くの方に太極拳の楽しさが伝われば幸いです。

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中馬青吾Twitter 「大事が見えるひとこと太極拳」