2021年3月9日火曜日

大事が見えてくるひとこと太極拳

今年からTwitterを再開しました。

今まで、何の目的意識もなく息抜き代わりにつぶやいてきましたが、
なにか人のためになることを始めようとずっと考えていました。

そこで思いついたのが「大事が見えてくるひとこと太極拳」でした。

弟子のTwitterなどを見ていると、いろんな方がアドバイスをしてくださいます。
大変ありがたいことなのですが、
当然の如く弟子のことをよく理解しているのは師である私です。

一度にいろいろ伝えても人間が吸収できる許容量は決まっています。
だから、実力に応じ、いつもその時必要なことだけを伝えるようにしています。

最近では頭に入りきらないことを「お腹いっぱい」という表現がよく使われますが、
本当にその通りだと思います。
胃袋の許容量は決まっており、それ以上に食べると具合が悪くなるばかりか体によくありません。
よかれと思ってたくさん食べ物をあげるのはよくないということがわかります。

さて、
今年2021年1月24日から始めた「大事が見えてくるひとこと太極拳」ですが、今お話ししたことと少し関連があります。
なぜなら私は自分が会得したことを教えたくなかったからです。

会得した知識や情報はそれ相応の時間、労力が掛かっています。
推手の秘訣ひとつとっても、私は自分の足でそれ会得してきました。

ある時は電車で2時間かけ、
ある時は新幹線で4時間かけ、
またある時は仲間と朝から日が暮れるまで練習し続けて得たこともあります。
それにより様々なことを修得してきました。

私はお酒を飲まないし、夜遊びもギャンブルもしないので、
これまで手持ちのお金をためらうことなく武術修得のために注ぎ込んできました。
だから私にとって武術で得た感覚や知識は貴重な財産なのです。

また、師が教えてくださる秘訣等も同じく努力によって得られたものです。

そんな貴重な財産を無料で教えることなど出来ません。

私が持っている知識は決して借り物の言葉ではなく、
すべて自分自身の努力によって得てきたものです。

それに、先ほどお伝えした通り実力に応じ指導しなければ、学ぶ側は消化不良を起こし困惑するだけです。
よって私は求められもしない他人様に対しアドバイスすることはありません。

仮に求められたとしても、その方の実力も解らなければ師からどのようなことを教わっているかも解りません。
教えたところでその知識を実際に活かすことが出来るでしょうか?

情報とは与えられるものではなく、自ら捕りに行くものです。
捕りにいってこそ自分のモノになり、一生の財産になります。

そんな私が、長年の努力で得てきた知識を公開しようと思ったのは、
もっともっとたくさんの方々に太極拳の素晴らしさを知って欲しいと思ったからです。

誰にでもわかる身の回りの言葉を使えば少しでも興味をもってもらえるのではと考えました。

いわば自分の宝をすこしずつお裾分けするような気分で毎日Twitterで配信しています。

「ひとこと過ぎてよくわからない」と思われる方もいるでしょう。
しかし、それは今解らないだけであって、何年後かにその意味がわかる時がきっとくるはずです。

専門用語を並べても決して心には響きません。
響く言葉は身の回りに溢れているやさしい言葉ではないでしょうか?

心に残る言葉は「ひとこと」であることが多いです。

ひとことによって、
一人でも多くの方に太極拳の楽しさが伝われば幸いです。

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中馬青吾Twitter 「大事が見えるひとこと太極拳」