私に足りないことと言えば、勉強でしょうか。
正確に言えば、理論を学ぶための勉強です。
単純に、考えることが苦手なのです。
机に向かって参考書を広げても写真やイラストばかりに目が行き文字が入ってきません。
私にとってはどれも絵本になってしまうようです(苦笑)
その代わり感じることは得意です。
音、におい、見えるもの、味、触れた感覚等々。
私の武術人生は勉強することによって始まったのではなく、感じることから始まりました。
そしてそれは今も続いています。
師は言葉だけではなく、実際にそれを感じさせてくれる方です。
言葉で理解できないことも体で感じさせてもらえるので、深く理解することが出来ます。
もちろんその時点では理解だけで実際には出来ません。
もし最初に出会った師が、言葉だけの方ならすぐに辞めていたと思います。
冒頭で述べた通り、勉強が苦手だからです。
師が技を掛けて下さる時の感覚は誰よりも感じることが出来ますし、その中には膨大な情報が詰まっています。
その情報量は言葉の比ではありません。
手を触れた瞬間、本一冊分ぐらいの情報はあると思います。
逆を言えば、百の言葉より触れた一瞬の方が圧倒的に学びが多いと私は感じています。
過去にこんなことがありました。
他流推手交流会での出来事です。
ある相手と向かい合い1~2回手を回した後、相手はすぐにその手を止めてしまいました。
そしていきなり講演会が始まりました。
そしていきなり講演会が始まりました。
全く勝負しようとせずにです。
感覚人間である私に専門用語だらけの説明をされても異国語にしか聞こえません。
それでも話は延々続きました。
そして、ようやく長い話が終わりました。
多分15分ぐらいだったと思いますが、私にとっては1時間半ぐらいに感じました。
やっと真剣に手合わせしてくれるのかと思いきや、なんと言うことでしょう・・
話し終えたらさっさと私の元から去って行ってしまいました。
木枯らしが吹く寒い冬の出来事でした。
実はこういう経験は一度だけではありません。
何度かあります。
話している間に、数分でも推手をすればお互いにたくさん学べたはずなのに、一方的に話を聞かされるだけ。
しかも異国語で。
これほど退屈な時間はありません。
百の言葉より、触れた一瞬の方がたくさん学べます。
先程勝負と言いましたが、それは相手との優劣を決めるための勝負ではありません。
勝負することによってたくさん学べるからです。
ひょっとしたら、私が相手してもらえなかったのは、それにも値しないほどへたくそだと思われたのかもしれませんね(笑)
世の中には素晴らしい先生がたくさんおられます。
特に私が好意を持っている先生方は知識を自慢する方ではなく、実際に感じさせてくれる方です。
このような先生方は専門用語をほとんど使うことなく、解りやすい言葉を使って説明してくれます。
解りやすい言葉を使う先生は実践経験が豊富です。
言葉がイキイキとしているし、それが体にすーっと入ってきます。
「なるほど」と思える言葉は心で感じるのであって頭で感じることではありません。
たくさん体を動かせば心で感じることはたくさんあります。
それが武術の楽しさだと私は思います。
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※写真は第二道場である和歌山気功サロン近くのブリッジから見た外観です。