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2025年4月6日日曜日

簡化太極拳はむずかしい?

簡化太極拳について、
「むずかしい」という意見が多いようです。

私もそう思います。

一番難しく感じるのは、下勢~金鶏独立の動作が左右両方あるところでしょうか。
この部分が高齢者にとって一番の難関ではないかと思います。

因みに伝統套路には右下勢はありません。(套路とは型のこと)

「なぜ片方しかないんですか?」
と聞かれることも多いですが、必要がないからです。

技はできるだけシンプルにしておいた方がいい。
たくさん覚えたところで実戦では使いこなせないですからね。

下勢は上段突きや上段蹴り、回し蹴りなどの対処に有効です。
しかしこれらに有効な技は下勢の他にもたくさんあります。
いわば他の技で補えばいいのです。

因みに私は簡化太極拳を1週間で覚えました。
それは土台に伝統楊式太極拳があったからです。
すべて知っている技ばかり。
あとは順番と後座(簡化太極拳の歩法)を覚えるだけです。

当会では応用として太極拳を実戦で使える稽古もします。
その時に気づくのが自然と伝統の動きになるということです。

簡化太極拳は、「武」を意識した動きではなく、
「動きやすい動き」に作り変えられているため、
実戦では簡化太極拳の動きにはなりません。

「簡化太極拳は実戦でも使える」という説もありますが、これに関しては両説あります。
そもそも簡化太極拳は健康目的で編まれた套路であるため、
実戦で使うには無理があることが容易に想像できます。

当会では西大寺教室と花吉野教室で、
伝統套路でありながら覚えやすくシンプルな8式太極拳を練習しています。

この套路は実戦でそのまま使えるものばかり。
しかも下勢~金鶏独立のようなハードな動きはありません。
初心者がいきなりこれをやると膝腰を痛めます。

それより太極拳の根幹である「八法」をしっかり身に付けるべきで、
これらをとても短い套路で学ぶことが出来ます。

体力に自信のない人、高齢者におすすめです。


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2023年1月27日金曜日

簡化太極拳は使えるか?

このような議題が出ることが多いですが、
そもそも簡化太極拳は中国政府が健康のために制定した太極拳であり
武術として制定されたものではありません。

但し、武術として太極拳を修行している者であれば
簡化太極拳であっても技や勁を使うことができます。
それは簡化太極拳でなくとも
ラジオ体操ですらも技や勁を知るものなら武術として使えるようになります。

結論を言えば簡化太極拳だけを行っていても
護身術として使えることはありません。

護身術を少しかじっただけでもなかなか技が出てこないのに、
技の練習をせずに咄嗟に技が出ることはありません。

試しに仲間と、かるくスパーリングをやってみるといいでしょう。
恐らく殴る蹴るといった喧嘩スタイルになるのではないでしょうか。

さて、先ほどラジオ体操でも技になると言いましたが、
当然、太極拳で行う準備運動や抜筋骨(気功体操)ですら技になります。
立禅も技になります。

逆を言えば勁を身につけてしまえば
技にならないものはないと言っても過言ではないでしょう。
そして日常生活の動さ全てが技になります。

勁とは、触れることによって相手の力を無力化したり、
ダメージを与えたり、崩すことのできる力なので、
華麗な技は必要ありません。
手にナイフやスタンガンを持っているのと同じです。

もし護身のためにこれらの携帯を義務付けられても私なら恐らく断るでしょう。
勁が使えればその必要がないからです。
これらを携帯したり、電池切れを心配したり、バッグから取りだしたりするのも面倒です。

この勁を手に入れるための鍛錬はそれに特化した特殊なトレーニングが必要です。

それが立禅です。

「立っているだけで強くなれるのか?」
ほとんどの人がそう思うでしょう。

しかし太極拳を武として修行している者ならいずれ立禅(站椿功)の重要性に気付き重視するようになります。

「立っているだけなんて意味ない」
「体を動かした方がいい」
という輩もいますが、そんな方に限って体を壊しています。

伝統太極拳は実におもしろいです。

当会の道場ではこのように勁を鍛えるための練習を楽しみながら稽古しています。







2018年4月6日金曜日

簡化太極拳は難しい

以前、2年程ついて習っていた中国のJ老師が仰るには、
簡化太極拳(24式太極拳)は難しいと仰った。
過去2年ほど簡化太極拳を習っていた私もその通りだと思った。

どこが難しいか?

そもそも套路の組み方が極端過ぎること。

踵脚のすぐ後に下勢が2回も続く。
伝統で育った私から見ると、膝を痛めないだろうか?と心配になってしまう。
この組み方はどう考えても高齢者にはきつい。

それに太極拳は攬雀尾(らんじゃくび)が基本なのに、最初に出てくるのはなぜか野馬分宗(のばぶんそう)。

攬雀尾には太極拳の基本技である8つの勁がすべて含まれ、しかも応用技が豊富。
しかし野馬分宗の技はその逆で、野馬分宗で使う勁そのものが攬雀尾に入っている。
なぜ野馬分宗から始まるのか不可解でならない。
まあ、動きが一番シンプルだからだと思うが。

それに簡化太極拳は細かな要求が多い。
わずか24式で組まれた太極拳なのにそのテキストは大きくずっしり分厚い。
それを正確に出来るようになって何が得られるのだろうか?

武術として少しでも護身に役立つのならいいが、
そもそも簡化太極拳は護身のためにつくられた太極拳ではなく、中国政府がつくった健康体操。

あくまでも私の推測だが、簡化太極拳の初期の頃はもっともっとシンプルだったはず。
動作の説明も簡単で、専門用語も少なく、それこそ誰もがすぐに始められそうな内容だったはず。

それがなぜ今これほどまでに複雑になったか?

人間心理学から見るなら「物足りなかったから」と推測する。

自慢ではないが私は24式太極拳を5日で覚えた。
順番も覚え、一人でできるし、それを先生に見てもらったがダメ出しひとつもらわなかった。
もしかしたら酷過ぎたからかもしれないが・・(苦笑)

いずれも伝統楊式太極拳を練ってきた私にとってはあまりにも簡単過ぎて物足りなかった。
やり終わっても充実感も得られず、体がすっきりするといった効果もなかった。

しかし簡化太極拳を教えている教室はそれを何年も何十年もやるわけだから、
教えることがなくなる。
そこで始まるのが粗さがし。
今までなかった用語や、指導項目がどんどん増え、今やテキストの文字数は爆発寸前。

たまに簡化太極拳を指導されている風景を見ることがあるが、
わずか一言で済むことを、4つも5つも数多くの言葉を並べて指導されている。
そして教えられる側はパニックになる。
現に私がそうだった。

日米を跨いでビジネスしてきた私の経験で言わせてもらうなら、
日本人は簡単なことを複雑にするのが得意な人種。
またその複雑なことをこなせるのも日本人。
日本人は頭がいい。

逆にアメリカ人の頭の構造は日本人のそれとは違う。
常にいかにシンプルに出来るかを考える。
計算をするにしても引き算は使わず足し算だけで計算しようとする。

アメリカ人の頭はシンプルだから行動が早い。
日本人は複雑に考えるから行動が遅い。
アメリカ人は物事をシンプルにとらえるから物を覚えるスピードが異様に早い。
日本人は時間がかかる。
シンプルなことを難しく考えてしまうからだ。

それに、日本語は文字や言葉が膨大にある。
ひらがな50音、カタカナ、無数にある漢字・・
しかし英語はアルファベット26文字だけ。

英語版のパソコンは26文字のアルファベットだけで処理するからワンランク下のスペックのマシンでも驚くほどサクサク軽快に動く。
しかし日本語をぶち込んだマシンはハイスペックマシンでも重く、時間の経過と共に頻繁にフリーズし動かなくなる。

マシンに置き換えても解る通り、
日本人は簡単なものを難しくする天才なんだ。
それが日本の技術力に繋がっているのだろう。

しかし簡単な簡化太極拳まで難しくしてはいけないと思う。
習う側としても常に新しい要求をされ、いつまでたっても気持ちの良い太極拳になっていかない。

伝統太極拳にテキストはない。
ただただ師の動きを見て盗めというスタイル。
人間の動きやその場の雰囲気や温度、空気、言葉に出来ないことは山ほどある。

ライブに行けばぶっとぶほど興奮するのに、
同じ曲をCDで聞いてもライブほどは興奮しない。

太極拳は文字で学ぶものではないと思う。
大切なのは感覚。

難しくするのは自由だが、ここで考えてみて欲しい。
本来の太極拳の目的意識から遠ざかってないかと。

気持ちいいと感じなければ心はゆるまない。
心がゆるまなければ体もゆるまない。
体が硬くなれば、気血のめぐりが悪くなり病気を引き起こす。

簡化太極拳が難化太極拳になってきている。
正しさを求めるあまり人間の心を置き去りにしていないだろうか?

太極拳は精巧なマシンをつくるのとは違う。
気持ちいいと感じる太極拳にするためには本来のシンプルな姿に戻すことが大事だと思う。

2016年9月13日火曜日

進化する伝統拳

太極拳は大きく分けて伝統拳と制定拳に分かれます。

伝統拳は創始者から伝わる伝統太極拳が親族、伝人、継承者、弟子によって受け継がれてきました。
ご存知の通り400年前にビデオなどあるわけもなく、師から弟子へと伝わってきたということになります。

特に歴史に残る名手といわれる武術家達は、師から技を盗みそれを何年もかけ鍛練し技を磨く者が多かったと言われます。
楊式太極拳の創始者である、楊露禅ですら最初は陳式太極拳の稽古風景を盗み見し、技を覚えたと言い伝えられています。

一方、制定拳は競技や検定用として制定された太極拳なので、姿勢や動作などきめ細かな指定があり、それによって誰が行っても動作が統一されるよう制定されています。
制定されていることによって審査しやすく、又、集団演武を行う際も全員の動きに統一性が生まれ見た目も美しいです。

さて、伝統拳と制定拳の套路(型)はずっと同じスタイルが守られているでしょうか?
いいえ。
私が知る限り伝統拳も制定拳も常に進化と退化を繰り返しています。

因みに、以前もブログでお話ししましたように、進化が良く、退化が必ずしも悪いとは限りません。

因みに伝統拳の進化とはどういうものでしょう?
それは師のお考えによって異なります。
健康を重視する師であれば、武術的要素を省き体に負担がなく覚えやすいものに変えていくでしょうし、逆に武術志向の高い師であれば、積極的に体を鍛え高度な技を練れるように変えていくでしょう。

このように伝統拳は受け継がれていくことによって進化と退化を繰り返しているのです。
健康効果を重視することが進化とするなら、武術志向の師にとっては退化と考えるでしょうし、
逆に武術的要素を重視することが進化なら、健康志向の師にとっては体に負担が掛かることを懸念し退化と考えるかもしれません。
いずれもこれらは私が解釈することではなく、師によって考えは異なるということです。

私はこれらがどちらに傾くことなく、健康効果を十分得ながらも、強く美しい太極拳であるよう研究し、しかも学び手が戸惑うことのないよう今の伝統スタイルを極力維持しています。
いわゆる私が勝手に套路に変更を加えたりすることはありません。

仮に多少ぶれたとしても最小限にとどめていますし、どちらが正しいとか間違いというものではなく、どちらも武術的視野からみれば正しいのです。

但し、今後設立予定の武術班ではその理念や目的に従い、進化していく太極拳を行う予定で、
いわゆる強く美しく生きた太極拳を目指します。


ところで制定拳はどうでしょうか?

制定拳は基本的に武術的要素よりも、どちらかといえば健康効果を狙ったもので、先程も話したように採点しやすいよう細かく制定されています。(少なからずとも制定拳を経験した私の勝手な解釈です)

とはいうものの、年々変わっているのも事実です。
高齢者の愛好家が多いことから、体への負担を最小限にしようという配慮でしょう。

又、最近では勁力を養うため内面も重視しながら極力ゆっくり動くようにと指導しているようです。
これらのことから察するに制定拳もまた伝統スタイルに近づけて行こうという動きがあるように感じています。

いずれにしても、時代と共に変化していくのはごく自然なことです。
伝統拳も制定拳もその時代にあったスタイルを求めそれを広めようという動きがあります。

だから、「套路を覚えたからもういい」ということはないのです。

人も時代も太極拳も常に進化しているのです。

2014年3月21日金曜日

伝統拳と制定拳

最近、ある理由で32式太極剣を独習し始めた。
ひとまず一昨日11式まで覚えたので、恐らくあと2日程で覚えられると思うが
ひとまず11式まで通して思ったことは、流れが滞らないよううまく編成されているなと感じた。
42式剣のように発勁動作もないので、動きもひたすら連綿とした流れになっている。

なぜ、いきなり32式剣を始めたかは、親しい武術仲間が大会出場を目指すことになり、私も何か力になることができないかと考えたから。

私は頑張る人が好き。
あまり練習しないで大会に出ようとする人もいるようだが、悔いが残らないよう出来る限りの努力をしようとする人が好き。
なぜなら自分がそうだから。

話は変わるが、昨日サークルでこんな話をした。

伝統拳といえど、先生によってはそれにアレンジを加えたり独自のやり方を盛り込んだりする方がおられるようだが、私はそれはしない。
理由はひとつ。
それを作った方に対して失礼だと思うからだ。

長い歴史によって練り上げられた研究と努力の結晶を簡単に変更を加えて良いものか。
今は情報化社会で様々な情報が手に入るが、その分人間の勘のようなものが鈍ってきているように思う。
要するに単に情報を組み合わせて作り変えただけのものでは意味がないし、本当の太極拳は失われてしまうと考える。

それはお経や祝詞、聖書を自分の都合のいいように書き換えてしまうのと同じこと。
その時代でなければわからなかったこと、気付けなかったことが必ずあるはず。
それを現代流に勝手に書き換えることは歴史や創始者の意向を冒涜することになると。
そう思えてならない。

当会では独自にアレンジを加えない古来から伝わる伝統拳にこだわり、歴史を重んじ、それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思っている。

2014年3月17日月曜日

10を覚えるより1を極める

かつての私は套路のレパートリーを増やすことに喜びを感じていた。
が、今はその逆。
誰にも負けないものをひとつ極めたいと。

私の場合は伝統楊式太極拳だが、まだまだぜんぜん納得がいかない。
日によってムラがあるし、うっかりするとバランスだって怪しくなることもある。

いずれ目を瞑ってても空間に溶け込むような演武がしてみたい。
まあ、こうなると武術ではなく、もはやスピリチュアルな世界になるが。

私は制定拳を3年程習ったが、それは確実に私にとって大きな財産になっている。
伝統畑で生まれ育った私は制定拳を学んでいる頃はずっと煮え切らない気持ちだったのだが、今ではほんとうに良かったと思っている。

何が良かったかといえば、言葉にするのは難しいが、少なくとも制定拳では伝統拳ではおざなりになっている部分を丁寧に教えてくださる。
まあ、そのおざなりになる理由もわかるのだが。(笑)

そんなこんなで、昨夜から24式太極拳を再度練り直した。
一度覚えた套路なので、すぐに思い出すことができたが、改めて24式太極拳の良さみたいなものを再発見した。
それは、身体に過度な負荷が掛からないようにつくってあるということと、危険な武術的要素をそうでない技に置き換え、見た目の美しさを重視していること。
今までは簡化太極拳をひたすら毛嫌いしていたが、これはこれでいいじゃないかと。(笑)

ひとまずいろいろ経験してみることは大いにアリだと思う。
その中からこれぞ!というものを極めていくのが良いのではないかと。
少なくとも、ただただ套路をたくさん覚えるだけでは全く身にならないし、それより一つを徹底的に極めた方がよほど応用が利くと思った。

2014年2月21日金曜日

通過動作に隠された技

制定拳を習っていた頃、しばしば先生から通過動作というものを教わった。
簡化太極拳や総合太極拳などなど。

が、本当に通過動作なんだろうか?
いわゆる、技と技をつなぐための単なる接着剤のようなものなんだろうか?

制定拳はともかく、伝統楊式太極拳では通過動作と思われる動きが最近そうでないということが解ってきた。
例えば、攬雀尾から単鞭へつなぐ動作。
その部分には名称がない。

が、これが実に使える技であることを最近発見した。
無論、攻防一体技。
しかも相手に与えるダメージは相当大きいと思われる。

ただ、そのままオリジナル通りに行ったのでは技にならない。
乱用しないように技を隠したのか?
それとも、表演用として美しくつくりかえたのか?
それは解らない。
手の動きをちょっと変えると、とても恐ろしい技に変わるのだ。

楊式太極拳を始めて11年目になるが、未だ飽きるどころかどんどんおもしろくなる。
こんなに面白みが増してくるのではまだまだ簡単には死ねないと思った。(笑)

楊式太極拳というと“やわらかくゆったりとした太極拳”というイメージがあるが、
それはゆっくり演武した時の話であって、実戦レベルの速さで行うと、恐ろしい技の集大成であることがわかる。

陳式太極拳や呉式太極拳も本腰を入れて行おうと思っていたが、それどころではない。
まだまだ楊式太極拳を吟味したいと思った。

2013年5月17日金曜日

簡化太極拳について

簡化太極拳に関しては様々な意見があり、賛否両論だが、
私はと言うと、今はまだ結論は出さないことにしている。

理由としては、私自身が目指す太極拳を未だ到達していないからであり、そこまで到達した時に改めて簡化太極拳について考えてみたいと。

因みに私が求める太極拳は最終的には瞑想状態で行う太極拳で、自分の体が消えていくような感覚を得、同時に悟りを得たいと思っている。

もちろん、その経過として武術としての太極拳もきちんと身に付けて行きたいと思っている。
見せかけだけの武術ではなく、使える武術だ。
実際に組手をしてみて、その力を出せるようになりたいと。

初めて簡化太極拳を教わった時の感想は、「何故これほど形ばかりにこだわるんだろう?」でした。
伝統太極拳から入った私にとって太極拳は禅であり武術だからです。
いずれもリラックスすることよりもフォームをつくることを徹底され、それがとても窮屈に感じました。

それに演武時間が短いので、気持ち良くなりかけたところで終わってしまうという・・
サビ前で歌をやめてしまうような、
メインディッシュが出る前に食べるのを止めてしまうような、
そんな感じです。。

「楽しいか?」と聞かれれば決して楽しいとは言えませんでした。
クルマの運転に例えるなら、私は車の運転方法を教えて欲しいのではなく、運転の楽しさを教えて欲しいというタイプですから。

少なくとも私は、まだまだ未熟ではあるけれど「太極拳ってこんなに楽しいんだよ」「こんなに気持ちいいんだよ」ということを伝えていきたいなと思っています。

2013年4月24日水曜日

弓歩より虚歩の方がツライ

こう思ってるのは私だけだろうか?

制定拳の教室では、とかく弓歩(きゅうほ)でつま先より膝が出ないようにと教えられる。
伝統拳では特にそのような注意を受けたことはない。
が、楊式太極拳でも呉式太極拳でも、かつての中国の老師の写真を見ると結構膝が出ている。

そもそも、膝とは曲げたり伸ばしたりするための関節だ。
例えば、仆歩(ぼくほ)の時は否応なく膝がつま先より出る。
不思議なのが、なぜ仆歩の時の膝の出っ張りは良くて、弓歩がダメなんだろうかと。

問題なのは、曲げたままでの滞留時間の長さなのではないかと思った。
普段の生活で、膝がつま先より出ることは頻繁にあるはずだ。

それより、良くないと思われるのは膝のねじれ。
つま先と膝の方向を一致させることはすごく大事だと思う。
なぜなら、これをしなかった頃はしょっちゅう膝が痛かったから。(苦笑)

特に内側のねじれはダメージが大きいようだ。
膝は曲げ伸ばしする関節であって、回転する関節ではないんですよね。

ところで私が簡化太極拳をしていて、一番ツライと思ったのは虚歩。
伝統での楼膝拗歩(ろうしつようほ)ではそのまま前進するが、簡化ではつま先の方向を変えるために一旦下がる。
この虚歩(きょほ)の状態の時に後ろ足にかかる負荷がかなりツライ。

足を曲げた状態でその上に座る感じになるが、弓歩よりこの虚歩で膝を壊してしまうことの方が多いのではないだろうか。(と私は思うのだが・・)

ただ、形意拳の三体式(さんたいしき)を毎日やっているとこの虚歩に強くなる。
しんどかったことすら忘れてしまうほど、ラクラクと虚歩が出来るようになる。

三体式は地味で退屈な練習だが、これをやる特典はかなり大きいと思った。(笑)