2014年3月21日金曜日

伝統拳と制定拳

最近、ある理由で32式太極剣を独習し始めた。
ひとまず一昨日11式まで覚えたので、恐らくあと2日程で覚えられると思うが
ひとまず11式まで通して思ったことは、流れが滞らないよううまく編成されているなと感じた。
42式剣のように発勁動作もないので、動きもひたすら連綿とした流れになっている。

なぜ、いきなり32式剣を始めたかは、親しい武術仲間が大会出場を目指すことになり、私も何か力になることができないかと考えたから。

私は頑張る人が好き。
あまり練習しないで大会に出ようとする人もいるようだが、悔いが残らないよう出来る限りの努力をしようとする人が好き。
なぜなら自分がそうだから。

話は変わるが、昨日サークルでこんな話をした。

伝統拳といえど、先生によってはそれにアレンジを加えたり独自のやり方を盛り込んだりする方がおられるようだが、私はそれはしない。
理由はひとつ。
それを作った方に対して失礼だと思うからだ。

長い歴史によって練り上げられた研究と努力の結晶を簡単に変更を加えて良いものか。
今は情報化社会で様々な情報が手に入るが、その分人間の勘のようなものが鈍ってきているように思う。
要するに単に情報を組み合わせて作り変えただけのものでは意味がないし、本当の太極拳は失われてしまうと考える。

それはお経や祝詞、聖書を自分の都合のいいように書き換えてしまうのと同じこと。
その時代でなければわからなかったこと、気付けなかったことが必ずあるはず。
それを現代流に勝手に書き換えることは歴史や創始者の意向を冒涜することになると。
そう思えてならない。

当会では独自にアレンジを加えない古来から伝わる伝統拳にこだわり、歴史を重んじ、それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思っている。