2020年12月30日水曜日

カッコ悪さを心掛ける

普段私が心掛けていることです。

といっても今は習慣化していますが・・

因みに格好悪さを目指し始めたのは武術を始める前からでした。

例えば人前でスピーチする時など完璧にやろうとするのではなく、「どれだけ不完全にできるかやってみよう」と心がけていました。

ハードルを足元まで下げるんです。
こうすることでリラックスすることが出来、すらすら喋ることが出来ました。

このことは武術にも取り入れています。

カッコ良くやろうとは絶対に思いません。
そんなことを思って自撮りすると、とんでもない映像を目の当たりにすることになります。

カッコイイというのは結果であり、目標ではないと思うからです。

カッコ良くなるためには、カッコ悪いことをどれだけやったか?

これに尽きると思います。

因みにカッコよくやろうとするとどうなるでしょう?

ガチガチの動きになります。
勁力落ちます。

良いことはひとつもありません。

動きが滑らかで勁(ちから)が出せる状態は自然体です。
もっと言えば超自然体です。

超自然体の中に人目の意識はありません。

逆を言えば人目を意識しなくなれば、動きが滑らかになり勁力が上がるということになると思います。

目指すはカッコ良さではなく、超自然体です。



2020年12月24日木曜日

動中求静の次は静中求動

動中求静の次は静中求動を目指す。

そもそも動中求静とは雑念のない超脱力状態で、天地と繋がりながらゆっくり動くことを意味していると私は解釈しています。

私は風と水が大好きですが、風に吹かれたり、波にゆられたりしていると、ずっとでもそうしていたくなります。
その時の心の状態は雑念がまったくなく、とても安定しています。
上がることも下がることも自由自在にできる状態といいましょうか。

太極拳ではまず套路を覚えます。
できるだけ早く覚えてしまいましょう。

太極拳はゆっくり長く続けることが大事といわれますが、套路をゆっくり覚えるということではありません。
套路を覚えた段階ではまだ太極拳の力の半分も出せていないということが後に解るようになります。

套路を覚えたら「覚えなきゃ」という気持ちを捨てましょう。
なんなら忘れたっていいのです。

私は忘れてもいいように、自撮りした動画を保存してあります。
忘れたらそれを見て思い出すようにしています。

なかなか覚えられないという人は目標を立てていないのではないでしょうか?

「いつまでに覚える」と決めるんです。
そうすれば覚えられます。
逆に覚える気がないなら10年経っても覚えられません。

とにかくさっさと套路を覚えてしまいましょう。
なぜならその後にやることが山ほどあるからです。

歌に例えると、歌の歌詞を覚えただけでは歌にはなりません。
単なる棒歌いになってしまいます。
歌詞を覚えたら気持をこめて歌えるよう心と技術を磨きます。

太極拳も同様に、套路を覚えたら、心で動けるよう技を磨きます。
心を磨くために技を磨き、技を磨くために心を磨きます。

因みに技だけ覚えてもなんにもなりません。
DVDや動画サイトを見ながら技を覚えても、その技は使えません。
覚えただけの技は自分より上手の相手に利用されてしまうだけです。(経験談)

本題に戻しますが、
動中求静は套路を覚えてしまわないと意識できないことです。
静中求動はもっとです。

雑念のない超リラックス状態で動くには、なにがなんでも套路を覚えてしまわなくてはなりません。
忘れたくとも忘れられないぐらいに。

そして次に、止まっているかのように見える動作の中で、呼吸、脱力、気の流れ、重さの流れなどを意識するステージに上がります。

この世界は実に素晴らしいです。

手足ビリビリし、体が風船のように膨らみ、体の中を気が突き抜ける感覚、空間に溶けて行くような感覚、不安も恐怖もまったくない心が膨れ上がったような感覚、体全身が光体になったような感覚・・

もし太極拳を始めて数年でこのような感覚があるとしたら、それは嘘かもしれません。
知識が先行し架空の真実を作り出すことがあるからです。(私は何度も騙されました)

信じることも大事ですが、疑うことも大事です。
「未来を信じ今を疑う」という感じでしょうか?

とにかく、素晴らしい世界に入るためにも套路をさっさと覚えてしまいましょう。

早く覚えるための方法はひとつ。
目標を定めること。

是非、共に素晴らしい太極拳の世界を楽しみましょう。

※まとまりのない文章になり申し訳ありません。



2020年12月11日金曜日

ゆらぎ

大河の流れの如く。

楊式太極拳ではこのように例えられることが多いです。

他にも
繭の糸紡ぐように。(引き出すように)
金魚をすくうように。

などの表現を使い指導していますが、毎回こんな風に伝えても実際やるとなるとなかなか難しいようです。

「頭ではわかってるけど体が言うことをきいてくれない」

よく聞きく言葉です。
実はこの言葉の中に答えがあります。

いわゆる頭で動こうとするからうまくいかないのです。
体に気が流れ、勁(ちから)生み出させる根源は「心」です。

だからどんなに考えても無理なのです。
もっと言えば考えてはいけないのです。
頭を空っぽにし、心に聞きます。

心の状態が安定していなければ連綿と動くことはできません。
逆を言えば心を鍛えるために体をゆっくり動かしているのです。

人間の行動は心が支配しています。
心の状態が大切ということになります。

指導中、落ち込んだり、自分を責めたり、イライラしたり、ムッとする人をその場で叱ります。
そんな心の状態ではうまくいくものもうまくいかなくなるからです。

今出来ないのは当り前なのです。

そしてうまく行かない時はこう考えて欲しいです。

「うまく行かない方法が解った」と。

うまくなるためには、うまくいかないことをたくさん知ることが絶対必要です。

私自身も常に新しいことに挑戦していますが、出来ないことで落ち込むことはありません。
落ち込んでいる時間がもったいないからです。

常に「今は出来ない」「ならどうすれば出来るようになるか?」
そう考えるだけです。

話を戻します。

楊式太極拳に求められる、大河の流れのような動きは、心の状態をそうすることが大事です。
荒波を立ててはいけません。

1/f ゆらぎをご存じでしょうか?
自然界にあるゆらぎです。
川のせせらぎ、風に揺れる草や木の枝、雨音、蝋燭の炎、などのゆらぎです。

このゆらぎは心をとても安定させる力があります。
いわば心を安定させる力は自然界にいくらでもあるということです。

ということは自然と一体化することが、最強の力を得ることなのかもしれませんね。

心を豊かに安定させるためにも、自然界のゆらぎのように途切れることなくゆっくり動いてみましょう。

この行いは自己開発や自己変革ともとれますが、
いわば心のルネッサンス(再生)であると私は思っています。



2020年12月2日水曜日

自分を恐れない

太極拳で上達するための最短方法はなんでしょう?

私なら迷わずこう答えます。

「自撮りすること」

もちろん、動作を覚えるための方法としてです。

動画は嘘をつかないんです。
しかも動画は過小評価してくれます。
とても厳しい採点をしてくれます。

動画にはオーラまでは映りません。
モニターに映っているのはただただ生生しい無様な自分の姿です。
※私自身のことです

「いい感じかも?」

本当にそうでしょうか?
そう思ってるのは自分だけでは?

大体そういう時に限って自撮りしてみると、地獄に突き落とされます(苦笑)

逆に、
「まだまだだろうな」

こんなふうに思った時に自撮りしてみると、割と良かったりします。

何が言いたいかと言いますと、
自己評価ほどあてにならないものはない!
ということです。

動画を撮って自分で見た時に、「先生が言ってたことは本当だったんだ」知ります。

「自撮りして見るのが怖い」
そう思ってるなら早速自撮りしましょう。

「もうちょっと上達してからにしよう」
その上達する方法が自撮りなのです。

自撮りを先延ばししていいことなんか一つもありません。

つい最近撮った動画でも自分自身の動きを見てガッカリしました。
駆け出しのころは毎回撮り、その都度どん底に突き落とされました。

もし動画を見てもそれがよく見えてしまうのなら、1年前に自分で良いと思った動画を見てみましょう。
或いは先生方の動きと見比べてみましょう。

どうでしょう?
見る力も実力と共に上がっていきます。

自分から逃げていては決して上達しません。
自分を恐れず立ち向かいましょう。

すべて私の体験談です。



2020年12月1日火曜日

練習場所がない!

本当にそうでしょうか?

練習する場所がない。
練習する時間がない。
こういう声をよく聞きます。

逆に私にとっては練習出来ない場所を探す方が難しいです。

家の中なら、居間、台所、廊下、洗面所、トイレ、お風呂、すべて私の練習場所です。

特にお風呂はおすすめです。
湯船に浸かりながら気功を行うと大きなリラックス効果が得られます。
辛いことが続き心が疲れ切っていた時もこうやって心の状態を回復させていました。

外でもどこでも練習します。
マンション住まいですが、外に出たらすぐに廊下があるので、そこで軽く崩拳を打ちます。

エレベーターで降りる時も密室なのでここぞとばかり龍形拳の站椿功を行います。
外に出たら他人に気づかれないよう八卦歩法で歩きます。

近くの公園、駐車場、路地、寺院どこでも練習します。

スーパーやコンビニの中でも練習します。
もちろん套路ではなく太極歩法や八卦歩法を他人に気づかれないようさりげなくやるのです。

実は「他人に気づかれないように」というのはとても大事です。

なぜなら太極拳は武術だからです。
相手に動きや技を見せてはいけないのです。

そう考えるとどうでしょう?
練習できない場所を探す方が難しくありませんか?

トイレに座っている時も雲手や起勢、攔雀尾などをします。
デスクで仕事中の時は座りながら全套路通します。

練習する場所がないと言っている人は単にサボりたい言い訳を探しているだけではないでしょうか?

家族の目があるから練習できない。
関係ありません。
家族がいるからこそ、興味をもってくれたらいいなと思いながら練習します。
最初は鬱陶しがられますがね(苦笑)

しかしここで怯んではいけません。
中途半端にやるから、鬱陶しがられるのです。

毎日続けてみてください。
「熱心だな」に変わります。

ということで、練習出来ないことなんてないのです。
練習を練習と思わなくていいのです。

なんとなくやればいいのです。

私は、映画Shall we dance(日本版)が好きで何度も観ました。
主人公が、仕事中、職場のトイレ、駅のホーム、夜中の公園で練習するシーンがありましたが、あれを見るとかつての自分を思い出し、なんとなくじわっときます。

映画ではハッピーエンドで終わりましたが、私も同じようにハッピーエンドで終わる人生にしたいと思います。

***

「何故、電話ボックスの写真が?」と思われるかもしれませんが、学生時代プロのトランぺッターになりたくて、練習場所に困り苦肉の策が電話ボックスでした。
あれほど大音量を発するトランペットでも練習できない場所はないのです。


















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