2021年11月4日木曜日

套路中盤から起きること

水曜午前はM子さん以外は今年入会された新会員さんばかりで稽古しました。

しばらくお休みが続くとそのまま長期休会になってしまう会員さんもいる中、忙しい最中でも積極的に稽古に参加される会員さんもいます。
ある会員さんは、プライベートでいろいろあったらしく、そのことが頭から抜けず稽古に集中できなかったと話してくれましたが、逆にそんな状態でもよく来られたと感心しました。

世の中うまく行くことより、うまく行かない方が多いのです。
何故そうなるかは、自分が成長するために必然的に与えられた試練であり、それを乗り越えるからこそ自分を磨くことが出来るというものです。

人はうまく行かなくなると、「ついてない」とか「なぜ自分ばかり辛い目に遭うんだ」と思いがちですが、本当に何もしなければ辛いことは起きません。

映画でもゲームでも何も起きなければつまらないしストーリーも物語も生まれません。
辛いことが起きるからこそ成長出来るのであり、目標達成することが出来ます。

それなのに悲観的になり逃避したり人を傷つけたりする人が多いのが現実です。
その意味が解っていないからです。

辛いことが起きるのは良いことが起きる前触れなのです。

太極拳の稽古に行くのは成長したいからではないでしょうか?

それならば、無心で稽古に打ち込むことをおすすめします。
雑念だらけでは稽古に身が入らないし、腕を磨く機会も失います。

私が太極拳の套路を練る時は、無になります。
肩の力を抜き、全身の力を抜き、頭を空っぽにします。
すると套路中盤に入る時、必ずあることが起きます。

「気づき」です。

どうしていいかわからない時は考えることをやめるのが最良の方法です。
考えても答えが出ないからわからないのであり、考えても無駄なのです。
答えをみつけたいのなら、考えることをやめればいいのです。

考えなければ答えがみつからないじゃないか?
そう思う人もいるでしょうね。

瞑想状態で套路を練っていると、ある瞬間からどんどん降ってきます。
私はそれを天からの授かりものだと思っています。
そしてそれに従うようにしています。

こうして道を外したことは一度もありませんし、必ず願望が実現します。

因みに、このような気づきが得られるのは伝統太極拳だけです。
表演や競技用太極拳とは違います。
伝統の套路は人に見せることを目的としたものではなく、心と技と体を磨くための鍛錬法なのです。

同じビルの2階にヨガ教室が入りました。
当会の道場は3階ですから、階段を上がって2階を通る時、いつも部屋から張り上げる声が響いてきます。
言っては悪いですが、決して心地よいものではなく、人をイライラさせる波動を放っています。

ヨガのことを勉強したことがありますが、本来ヨガは7つのチャクラ(霊的センター)を覚醒させ、三昧に至り、悟りを得ることが目的です。
太極拳と同じです。

2階でどのようなヨガをされているのか解りませんし、私には関係のないことですが、最近の太極拳もヨガも本来の目的を失っているのではと感じることが多々あります。

当会ではそういった人の欲望や欲求によって作り出された時代に干渉することなく、本来の目的を全うし、一人でも多くの人々に太極拳の素晴らしいものを得て欲しいと思います。