2021年11月13日土曜日

太極拳は弱い?

以前から私は「一人で練る時は相手を意識し、二人で練る時は相手を意識しない」ということを伝えてきました。

私は技を修得するために、イメトレだけで技を完成させています。
対練ならぬ単練です。
イメトレだけなら、手加減なしで思いっきり技を掛けることができます。
空気相手ですから相手を怪我させることもありません。

そして技の完成度が上がれば上がるほど、その技の威力を知るようになります。

逆に相手がいる時は、意識し過ぎて技が飛んでしまったり、動きが硬くなったり、連綿とした動きが出来ず勁が切れてしまったり、全く見当違いのところを打ったりといったことになりがちです。

「うまくやろう」と思ってませんか?

最初は誰だって下手なのです。
だから上手く出来なくてもいいのです。

カッコいいところを見せようなどと決して思わないこと。
逆にどれだけカッコ悪く出来るか挑戦するぐらいで丁度いいのです。
別にアクション映画の撮影をするわけではないのですから。

それよりも、相手がいない時にどれだけ相手を意識して練習が出来ているかが大事です。

私の師の動きはまさにそれです。

演武力とか、そんな言葉すら出てこない全く別次元のカッコ良さがあるのです。
套路を練っている間、完全に見えない敵と闘っておられます。

その時、闘志を燃やすような雰囲気はまったくなく、
どちらかというとウトウトしているような感じに見え、それが怖いのです。

こんな話を思い出しました。

私の記憶が間違いなければ、
現役時代の落合選手の話だったかと思いますが、
当時ホームランを打ちまくった落合選手はバッターボックスに入ると脳波がα波になり、ホームランを打つ瞬間はΘ波になるそうです。

α波はリラックスした状態で最も願望をかなえることが出来る精神状態で、
それに対しΘ波はうたたね状態です。

いわゆる、うたた寝状態で超巨大ホームランを打ちまくっていたということになります。

私の師は、套路を練る時も、私に技を掛ける時もうたた寝しているかのような表情です。
技をうまくかけようとか、そんな意識は微塵にも感じられません。
それが例えようがないほど怖いのです。

会員の皆さんは套路というものを改めて見直して欲しいです。

伝統拳は音楽をかけて、踊る体操ではありません。
楽しみ方のひとつとして、それもいいと思うのですが、
当会が目指す太極拳ではありません。

当会で目指す太極拳は失われつつある伝統を守るために、武術としての太極拳を後世に伝えていくことです。

近代太極拳は舞踊化、スポーツ化し、武術の要素がほとんど抜けてしまっています。
政府認定の大きな団体もありますが、金メダルを取得している選手であっても、無名の武術家と闘ったら恐らく秒殺でしょう。

チャンピオンといってもプロレスやボクシングなどのチャンピオンとは異なり、いわゆる芸術性に優れたチャンピオンということになります。
それはそれで大変素晴らしいことだと思いますが、少なくとも伝統を継承した武術ではありません。

こう考えると太極拳は武術的見地からして進化どころか退化しているように見えます。

これも時代として捉えるしかないのでしょうが、
良き伝統の師と出会い、伝統畑で育った私としてはこれほど嘆かわしいことはありません。

こんな風に太極拳は弱体化してしまったから、他流の方々から相手にしてもらえなくなるのです。

ハッキリ言いますが、太極拳は想像を絶する程、素晴らしい武術です。

学生時代、空手と剣道を経験し、中国武術では少林拳、通背拳、八極拳なども少しだけ経験しましたが、その中でも太極拳は本当に強いです。
(一番ということではなく同等という意味で)

それは筋力を用いるのではなく、呼吸と気を用いた特別な武術だからこそです。

私は修行中の身ですし、まだまだ学ばなければならないことが山ほどありますので、身をもって証明するには十分ではありませんが、少なくとも私の師は正真正銘の武術家であり武道家で、圧倒的な強さを持っておられます。
師に対しては手も足も出ません。

伝統を守っていくためにも、会員さんはただ踊るだけの太極拳にならないよう、
敵を意識した動きになるよう日頃から心がけて欲しいと思うし、
私もその手本となるよう今後より一層修行を積みたいと思います。

***

念のためにお伝えしておきますが、
決して、舞踊やスポーツとしての太極拳を否定しているのではありません。
とても美しいと思いますし、見るのは好きです。
ただ、武術であるような言い回しをすると誤解が生じ、自ら太極拳の価値を下げてしまうということを知って頂きたいのです。

乱筆乱文お許しください。