私が師匠から学ばせてもらったのは氣です。
一般的に人は人を見る時どこを見るでしょう?
恐らく本人そのものではないでしょうか?
私の場合は人を肉体の存在としてみることはあまりありません。
その人から出ている光や煙をみています。
一般的に言われるオーラですね。
「そんなものを見ていては学べないじゃないか?」と言われそうですね。
こう考えてみてはどうでしょう?
人の形や動作を見る時、アウトラインを見ているはずです。
いわゆる外側です。
しかしオーラを見ていてもラインを見ることは出来ます。
そうです。インラインです。
オーラを見れば、オーラも見え、体の形もぼんやり浮かんできます。
そうやってみることで、全体の動きが見えてきて、
しかも気の流れなども感じることが出来ます。
私が師から学びたかったのは、師の気の体です。
いわゆる雰囲気をまず真似ようとしました。
その結果どうなったかというと、確かに雰囲気が似てきて
先輩方からは「先生みたい」と言われるようになりました。
その一方、動きが滅茶苦茶になりました。
見えているオーラが大きかったので、それをそのまま再現しようとしたのでしょう。
動きが大きくなりすぎて大きく乱れてしまいました。
先輩や師からそのことを指摘された時は、ショックでしたが、
受け入れるしかありませんでした。
それからは師の動作を細かく見るようになりました。
そして徐々に正しい動きを身に付けました。
さて、これは遠回りだったでしょうか?
いいえ、そうは思いません。
この順番で合っています。
人から影響を受ける時って、
その人そのものより、その人から出ているオーラだと思います。
だからオーラを真似ようとすることは自然な流れだと思います。
もし最初の時点でそれをやろうとしなければ、
時間と共に師は単なる先生になってしまいます。
憧れの存在ではなく、教えてくれる人になります。
そうなるともう師のオーラ(氣の体)を見ようとはしなくなるでしょうね。
それどころか動作さえ見なくなることすらあります。
いわゆる依存です。
私は未だに当時、師が放っていた氣をハッキリと覚えています。
そして「あの体から放たれている氣はなんだったんだ?」と今でも自分に問いかけます。
動きもカッコよかったけど、
出ている氣がカッコよかった。
あの感じに近づきたい。
そんな気持ちで今も修行に励んでいます。
***
2021/1/1撮影