本日は和歌山道場で稽古を行いましたが、
ここに足を運ぶたびに和歌山が好きになっていきます。
今日も夕日がとてもきれいでした。
週に1度しか見れないのが残念な程、ここからの夕空は息を飲むような美しさです。
奈良への帰り道、
高速を走りながらこんなことを考えていました。
「春日伝統太極拳が他の教室と違うところはなんだろう?」
現在、当会は2つの道場を有しており、
これはかつて私が理想としていたが形であるわけですが、
これはあくまでも環境であり、実質的なものではありません。
では何が違うか?
それは「当会でしか学べないこと」でしょうか。
どこでも学べることなら近くの教室に行けばよいわけで、
わざわざ遠くまで足を運ぶ必要はありません。
しかし当会は、他府県から通われる会員さんが多く、
実際、地元の会員さんより他府県の会員さんの方が熱心です。
これらの会員さんは、「ここでしか学べない」という理由で当会を選ばれたのだと思いますが、これこそがやはり一番嬉しいことです。
私自身こうして迷わずここにここに辿りつけたのも、はじめて太極拳を教えてくださった師とのご縁があったからこそです。
当時は、太極拳が楽しくてどんどんのめり込みましたが、のめり込めばのめり込むほど謎が増えて行きました。
その謎解きのためにあらゆる文献を引っ張り出しては調べましたが、肝心なことが全く書かれていません。
特に太極拳の教科書を手にした時は、動作の方法しか書かれておらず、読み進めば進むほどモヤモヤが積もり、その場で教科書を放り投げてしまいました。
私が知りたかったのは動作ではなく、「なぜその動作になっているか」だったからです。
これを教えてくださる先生は極めて少ないです。
私はかなりの運動音痴ですが、それでも学生時代は剣道、空手、水泳などをやってきました。
そしてどの先生も動作だけではなくその意味もきちんと教えてくれました。
しかし、どういうわけか太極拳に限っては動作の意味を教えてくれる先生がほとんどいないのです。
これには政治的な理由も含まれるのでここで述べるのは差し控えますが、
この煮え切らない気持ちこそが私の原動力になりました。
それからというもの太極拳の謎を解き明かすための旅に出かけました。
文献だけに頼らず、実際に自分の足を使ってあらゆる道場を訪れたり、先生方が集う交流会に参加させて頂いたりしました。
実際に手合わせをして頂くというものでしたので、当然ながら怪我(打撲、脱臼、出血等)もありました。
しかし怪我の功名とはよく言ったもので、怪我から得たものはとても大きかったです。
河原で練習をしていたら通りがかりの人に試合を申し込まれたこともありました。
(後で調べたら実力派の先生であることが解りました)
(後で調べたら実力派の先生であることが解りました)
私が楊式太極拳を極めたいと思ったのは、これらの経験があったからこそです。
結局、春日伝統太極拳にしかないものを作り出すためには、普通に太極拳を習っているだけでは決して手に入れることが出来ないものを経験することが私がすべき仕事でした。
「教科書に載っていない太極拳が学べる道場」
それが春日伝統太極拳だと思います。
套路のレパートリーを増やすのもいいですが、それより一つの技を徹底的に極めてみませんか?
それだけでも気がストンと腹に落ちます。
そのようなわけで、
これからも太極拳の謎を探るための研究に努力を惜しまず更に精進したいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。