2013年11月20日水曜日

技の度に足を寄せる理由

楊式太極拳の套路を通す時、技と技との接続部分で必ず足を寄せなければならない。
一体なぜだろうと。

ここにきてようやく解った。
その答えは套路を套路としてでなく、技として使ってみるとわかる。

そもそも套路とは数ある技を真珠の首輪のように接続させたものだ。
戦術を編み出している間に数多くの技が生まれ、そしてそれを整理しなくてはならなくなった。
数ある技を忘れないようにする良い方法はないだろうかと。
それを套路として整理したのだと私は推測する。

套路を毎日行えば、技を忘れることはない。
それに、覚えるためにはひとつひとつの技をただ並べただけでは覚えずらい。
だから繰り返し動作を入れ、曲のように仕上げたのだと思う。

私は元々作曲をしていたので、套路が曲に思えてならない。
イントロ-Aメロ-Bメロ-サビ-Aメロ-Bメロ-サビ-間奏-Bメロ-サビ-エンディング
という具合に。
リズムが生まれると覚えやすいしグルーヴが生まれる。
そのグルーヴは腹から生まれる。
そう考えると、套路は技を覚えるためだけの暗記帳ではなく、丹田と勁力開発のためのプログラムだと考えられる。

私が制定拳から伝統拳に絞った一番の理由だ。
繰り返さなければ決して気を練ることはできない。
だから伝統套路は決して見世物ではなく、能力開発のための極めて精巧なプログラムだと考える。

すでに話が脱線しているので元に戻すとしよう。

技の度に足を寄せるのは、実際の技はそこから始まるからだ。
実際の戦闘では起勢、攬雀尾、単鞭の順番で技を使うなんてことは100%あり得ない。
私が知る太極拳の基本的な構えは、攬雀尾の始まりの部分だと師に教わった。
確かに、あの構えはどんな状況下でも臨機応変に対応することができる。

足を寄せているというよりは実際は片足立ちなのだ。
王さんの一本足打法と同じだ。
どんな球が飛んでこようが、体をどこにでも持っていくことができる。

套路では足を寄せるだけで実際つま先はつかない。
が、それは演武上での問題であって、実戦とは関係がない。
確かに表演の時、技の度に足をついていたのではあまり恰好いいとは言えない。

いずれも、技から技へ移行する時、足を寄せてから出すのは結構しんどい。
しかも惰性で足を出すわけではなくゆっくりと猫のように足を出す。

しかし、このしんどい作業をすることで普段あまり鍛えられないインナーマッスルを大きく開発することができる。
因みに私は特殊な訓練をしていないのに、座った状態から片足を前に出して片足で立ち上がることが出来る。
これは套路を練っているうちに勝手に身に付いた能力だ。

結論としては、足を寄せることは技を技として使うために絶対必要なことと考える。
だが、足をついて良いかどうかはどちらでもいいと思う。
サークルでも、どちらにするかは個人の判断に任せている。
膝が弱い人はついたほうが良いと言えるし、インナーマッスルを鍛えたい人はつかずに寄せてから足を出すのが良いだろう。

最近、試合のために短い自選套路ばかり通していたが、今日久しぶりに85式を2回通して、改めて伝統套路の凄さを実感した。
大会では時間制限があるので仕方ないが、太極拳を健康法、あるいは武術としてやっていくなら、やはり伝統套路を毎日やるのが良いと思った。