2014年2月1日土曜日

シンプルの美学

元々、私が太極拳に憧れたのはあのゆっくりとした動きに神秘性を感じたからだ。
どこを見渡しても、日常生活であんな動きをしている人はいない。

私は元々太極拳を武術だと思って道場を訪れた。
あの神秘的な動きから想像もできない不思議な技を教えてくれるのかなと。

が、初めて体験した太極拳は武術とは程遠く、どちらかといえば踊りに見えた。
その時、私が先生に言ったことは今でも覚えてる。
「これって本当に武術なんですか??」
隣で先輩が大笑いしていた。(笑)

しかし、実際に先生に技をかけられ床に叩きつけられた時、その一瞬の出来事に何が起こったかわからず、なぜ私は床に寝ているのか?という感じだった。
或いは、こちらから手を出したはずなのに、一瞬の間に先生の掌や拳が目の前まで来て凄まじい恐怖感を感じた。

穏やかで気さくな先生だが、それからは先生に近寄るのが怖くなった。(笑)

後に私は先生のすすめで形意拳を学ぶことになった。
が、正直形意拳にはあまり興味が湧かなかった。
かつて私が学んだ空手に似ており、しかもあまりにも単調な動きだったからだ。

が、今ではその形意拳にハマりつつある。
理由は単調に見えるのに実際にはとても難しからだ。

当時、私は八卦掌のように激しく動き回る拳法に憧れたが、今はそのシンプルな動きがたまらなく楽しい。
シンプルな動きは誤魔化しが効かないからだ。
それに、無駄がない。
呼吸も乱れない。

かく乱させたり、背後に回ったり、相手のバランスを崩したり、そういうややこしい動作がない。
形意拳の場合は相手が打ってきたら、ただただそのまま前進し迎撃するだけだ。
男心をくすぐる。(笑)

結果的にどんな練習方法になるかは、そのシンプルな一発にどれだけの威力は発揮させることができるか?
拳に命を吹き込むような感じだろうか。

表演的には見栄えしないかもしれないが、いずれシンプル美学としても完成させていきたいと思った。
威力だけでなく美も追及したいと。

邪道と言われるかもしれないが、実際、中国武術が世界的に人気があるのはその威力よりも動きの華麗さじゃないだろうか。
入りはそれでいいと思う。