2017年4月13日木曜日

競うべからず

太極拳は自分と家族の身を守るために編み出された禅を取り入れた武術。
人と競うために生まれたのではない。

伝統太極拳は体を養い活力が得られる。
競技太極拳は体を酷使し疲労がたまる。

同じ太極拳なのに、そのベクトルはまるで正反対。

伝統太極拳に出会い、伝統だけで鍛錬していた時は、
疲れ知らずの体を得た。
しかし競技に出場するようになり、肉と骨が悲鳴をあげ出した。

練習すればするほど体の中は疲労物質で充満し、
どれだけ栄養をとっても、どれだけ寝ても疲れが癒えることはない。

健康を取り戻し長生きしようと思って始めた太極拳。
このままでは寿命を縮めてしまうと危機感を感じた。
(長年予防医学を勉強し続け、様々な実体験もしてきた私の中での直感です)

そして今は気功中心の太極拳に立ち戻り、すっかり調子を取り戻した。
病気しない、怪我しない、
難病を克服し、怪我の治りを早めることのできる気功太極拳。

競わないということで言えば、推手も同じ。
競おうとするとうまくいかない。
簡単に崩されてしまう。

競うのではない。
許す。
受け入れる。

これにより心がゆるみ身体がゆるむ。

これは単に技術的なことだけを言っているのではない。
人間性も変わってくる。

競うことで生まれる優越感と敗北感。
このギャップにより決して良いとは言えない気を感じてしまうのは私だけだろうか?

太極拳はいわゆる武術なのかもしれないが、私は武道だと思っている。
術ではなく道。
生きる道であると。