2017年4月8日土曜日

稽古着は体の一部

昨夜の形意拳クラスでの稽古は異様に暑かったので上着を脱いで稽古した。
多分、私が半袖で指導するのは4年ぶりだと思う。

なぜ当時、稽古着を着ずに半袖や長袖のTシャツを着ていたかというと、
私はまだ講師ではなく皆と共に太極拳を楽しむ仲間なんだという意識だったから。

皆と接する時も講師というプライドを盾にするのではなく
共に太極拳をする仲間という感じで皆と接した。

私がそんなだったから、親しく接してくれる人もいれば、
それを逆手にとって横柄になる人もいた。
態度が悪いだけならまだしも、周りを巻き込み、悪い空気を振り撒こうとした時はさすがに呼び出してそのことを本人に注意した。

注意すると言っても私は感情的になることはない。
きちんと相手が理解できるように丁寧に説明しながら話した。

それでも逆ギレされ私の元を去って行った。
私はこれも縁だと思っているし、勉強だとも思っている。
態度は悪かったがその方々のお陰で今の私があり、今のサークルがあり、そして今の仲間と巡り合えた。
その方々には心から感謝の気持ちを述べたい。

ところで、私は今は常に稽古着を着て指導をしている。
これが私の仕事着だからだ。
スーツを着たり、白衣を着たり、作業着を着たり、
どの職種にもその仕事に適した服装や制服がある。

私は先生の稽古着に憧れ
10年間Tシャツとトレパンで下積み稽古を行ってきた。
いずれ先生のように稽古着に身を包み、カッコよく指導出来るようになりたいと夢見てきた。
(正確に言えば、演武服の商売をされている先輩にモデルになって欲しいと頼まれ、一時期稽古中その演武服を着ていたことはあるが)

だから、私にとって稽古着を着るのはそれまでお預けにした。
いずれも先生と同じものを着るわけにはいかない。
私は生徒であり、先生に教えを乞う立場だからだ。

昨夜はTシャツ一枚でで稽古していたが、暑さも感じなくなったのでまた上着を着た。
するとある会員さんが、出来れば上着を脱いで欲しいと。
手の動きが見たいからだということだった。
頑張っている生徒の頼みとあらばと、ひとまず要望に応えた。

しかし稽古着は私にとって仕事着。
着るとスイッチが入り誠心誠意指導しようという気持ちになる。
だから今後は脱いで欲しいと言われても多分脱がないと思う。
(要望に応えられず申し訳ないが・・)
やる気スイッチが切れてしまうからだ。

それに稽古着は私にとって体の一部。
刀や剣と同じ。
身に着けているものや手にする物には魂が宿る。

以前、飛び込みの営業の仕事をしていた時は、
ビシッとスーツに身を固め断られても断られてもめげずに頑張って営業を続けた。
そして遂には1日に10件以上の契約がとれるほどまでになった。
社長がとても驚いていた。無論会社では営業成績1位だった。

だから仕事をする時の服装はとても大事だと思う。
稽古着は私にとってそれほど大切なもの。