2017年9月6日水曜日

逆らわない受け入れる

私にとって推手はテクニック(技術)ではなく
メンタル(精神)が8割を占めると考える。

確かにテクニックでいなしたり崩したりも出来るだろう。
しかしその技術がどこまで通用するだろう?

今まで仲間との練習でいろいろ研究してきたが
私の場合、新しい方法を使って相手を崩すことができると、
私はすぐにそのテクニックを相手に教えるようにしている。

要するに手の内をすぐに明かすということ。
なぜならそのテクニックに依存したくないからだ。

テクニックだけにすがってしまうと、予期せぬ攻撃が来た時に対処できない。
無論またそのテクニックもあるのだろうが、
こうなると山のようにテクニックを覚えなくてはいけない。

暗記は私の大の苦手ジャンル。

私が使えるテクニックは数えるぐらいしかない。

聴勁化勁発勁
粘連随拈綿走
引進落空
四正四隅
長勁尺勁寸勁分勁零勁
明勁暗勁
大極十要
捨己従人

などと推手にまつわる用語だけでも数限りなくある。

しかしそれらを全部まとめると、ひとつの答えが出てくる。

その答えが、タイトルに書いたとおり
「逆らわない受け入れる」だ。

逆らわず受け入れることが
テクニックを超える最高のテクニックと私は考える。

推手の時間、いつもいつも口癖のように、
「逆らわない受け入れる」と言う。
しかし、少しでも押そうとするとほとんどの人が逆らおうとしてしまう。
そしてそれが表情にもしっかりと表れる。

無駄な力を抜くことが難しいように
逆らわず受けれいるといことも難しいようだ。

どちらも、いわゆる力を使わないという意味では同じ。
なぜか人間は本能的に力を使う方を選択してしまう。

無駄な力を抜き柔らかくなるということは、心を柔らかくしなければならない。
心が体を動かしているからだ。
心を柔らかくするとはやさしい心を持つこと。

今日、何度教えても逆らおうとする弟子に対し、
手を掴むことを禁じてみた。
さらに力を使って対抗しようとすることも禁じた。

さあ、なにが出来るか?

力を使えないのだから
受け入れるしかない。
その時に始めて、化勁の意味を感覚的に知ることになる。

弟子はどうやら感覚を掴んだようだ。
表情も全く違う。

今までは「崩されてなるものか!」としっかり顔に書いてあったが、
それがとても柔らかい表情に変わった。
実に楽しそうだった。

今まで様々なテクニックを教えてきたが、
それでもこちらが少しでも打ち方を変えると、
とたんに険しい顔になり力で対抗しようとする。

どんなにテクニックを覚えても
心が変わらなければ推手の上達は頭打ちになるということ。

推手は頭でやるものではない。
心でやるものなんだ。