2014年7月28日月曜日

気のシールドはできるのか?

当太極拳サークルでは気功を重視している。
その理由は一言では語りつくせないが、武術的に太極拳を極めて行くための土台となるからだ。
木で言えば根っこの部分。

根っこは土の下にあるから見えない。
この見えない部分をしっかり練習すると、それがやがて図太い幹になり、枝葉が出、そして美しい花をつける。

通常、太極拳の基本功といえば歩法練習である場合が多いと思うが、気功の場合は太極拳で絶対必要不可欠なゆるみが得られる。
それに、毎日気功を行ってきて、感じたことは、体の周りに目に見えないベールのようなものができてくる。
このベールに包まれるととても安らぎ感じ、勇気が得られ、しかも攻撃をうけた時のショックをも和らげてくれる。

これを気の鎧と呼んだり、気のシールド、気のベールと呼んだりしている。

気は意識すると集まってくる。
身体の中を巡ったり、身を包み込んでくれたり、それに筋力に頼らなくとも大きな力が得られるようにもなる。

その実験として、定期的に仲間と打ち合いの練習をする。
筋力に頼らない気の力を利用した勁力で相手を素手で打ち、そして、受ける側も気のシールドでそれを迎え入れる。
相手が突いてきても決して対抗しようとせず、そのまま受け入れる。
対抗しようとすると筋肉が硬直し、かえって皮膚表面が傷む。

実はそうもいいながら、昨夜入浴前、服を脱いだ時に胸のあたりに赤痣を発見。(汗)
言い換えれば筋肉を硬直させてしまった証拠が残っているということ。(笑)
こんなものが出来てしまうのはまだまだ修行が足りないってことだ。

いずれも気は、弱りかけた体に活力を与え、心を安らかにし、そして体を丈夫にしてくれる。
こんないいことを太極拳を始める前にしないのはあまりにももったいないと私は考える。

***

因みにサークルでは打ち合いなどしません。
美容健康のために気功を行います。

2014年7月22日火曜日

円転太極拳と双辺太極拳

昨日、仲間と円転太極拳なるものを少しやってみた。
私が尊敬するひとりである川村老師が考案された太極拳だ。

少しやってみてすぐに感じたことは、とてもリラックスした状態で動けるので、すぐに気を感じることができたこと。
とても気持ちがいい。
しかもこの後の散打にもその効果はすぐに表れた。

私は試合のために表演系の套路も練るが、こちらはある程度形を作らないといけないのでどうしても完全にチカラを抜くことができない。
というより、以前表演の先生に習った時は、脱力ではなく緊張感が必要だと教えられた。
確かに表演ではそうだと思った。

が、そのままの動きで相手を打とうとすると力が死んでしまう。
力みによってブレーキがかかってしまうのだ。

そして、今日は双辺太極拳を可能な限り力を抜いて行ってみた。
これまた気持ちがいい。
形を気にしない放鬆(ほうしょう)の世界は無我無心になれるし、瞑想状態にも入りやすい。
動きながらもスーッと気が落ちて行く感覚も得られる。

どちらの太極拳も形意拳と八卦掌の要素を含んだ、武術的要素の高い実践的な套路。

人目を気にしない太極拳は実に気持ちいいし、身体的効果も高いし、強さを身につけることもできる。

だが、私は人を楽しませる太極拳も好きだ。
数多くの中国武術を覚えるのも楽しみのひとつだろうが、
私の場合は一つの太極拳を2倍も3倍も楽しみたいタイプなんだと思った。

2014年7月15日火曜日

太極拳に終わりはない?

私は11年前に初めて太極拳を教わった。
今までに見たこともない先生の神秘的な動きに一発で魅了され、その後すっかり太極拳のとりこに。

私が最初に思ったこと。
「早く先生と同じように演武できるようになりたい」

だから、家に帰ったらすぐに習ったことを復習した。
いや、正確に言えば復習したというより体が勝手に動いていたという感じだろうか。

私の仕事はデスクワークだが、パソコンを操作しながらも気が付けば手が動いていたり、リビングでも廊下でもトイレの中でも太極拳をやっていた。
便座に座りながら雲手(うんしゅ)を行うとお通じがスムーズになることもその時発見。(笑)

部屋の中だけではない。
習い始めて半月ぐらいで公園でも練習した。
しかし、まだ型を覚えて間もないので単鞭(たんべん)までとか、十字手(じゅうじて)までとか。

私の場合、少々目立ちたがり屋なところがあるので、覚えたことをすぐにでも人に見てもらいたかったというのもあった。
無論、その頃の演武なんて無様で見れたもんじゃない。(汗)

ところで、私の上達は早かっただろうか?
自分ではわからないが、先輩方からも先生からもその上達の早さに驚かれ、気が付けば先輩方を追い越し、そして周りからも認められるようになっていた。

でも、それは何故だろう?
一言で言えば夢中になっていたということだろうか?
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるが、まさにそんな感じだったように思う。

とにかく先生にくっついてまわった。
全員で演武する時はいつも先生の一番近くに行ってそのパワーをもらおうと思ったし、演武しながらも盗めるところは盗みたいと思った。
 個別練習の時も、「先生早く来てくれないかなぁ~」と待ち遠しく、耐え切れず先生を呼んでしまうことも。(笑)

先輩方もそんな私のことを気遣ってか、食事会の時も常に先生のすぐ隣の席を譲ってくださった。
今思えば私は先輩方に恵まれていたと思う。

その後、引っ越しのために教室を移らざるを得なくなったが、その教室でも同じだった。
練習開始時間より30分早く練習場に行き、部屋の照明を入れ、夏は冷房、冬は暖房と、先生が来られる前に部屋の準備を済ませ、そして先生が来られる前に自主練しまくった。

稽古中も先生にくっついてまわり、2年目には先生と二人きりで共演もさせて頂いた。
先輩方からも将来有望と褒めて頂き、そこでも食事会の時は先生の隣の席を譲って頂いた。
本当のことを言えば食事会の時まで先生のそばにいるというのは恥ずかしかったのだが、今思えば先輩方も私のやる気を買ってくださっていたのだと思う。

隣県の道場に通っていた時も同じ。
常に先生に密着しまくった。
お茶会でも先生を質問攻めにし、帰りの電車ではその日覚えたことを思い出す限りノートに書き出した。
無論先生に対しての礼儀も忘れなかったし、お礼のメールも欠かさなかった。

そして今の私は?
一応、去年からサークルで教える立場にもなったが、まだまだ修行中の身。
11年やってきて、本当に気持ちのいい演武ができたのは自分の記憶の中では2~3回程度。
常に自問自答しながら日々練習している。

恐らく太極拳に終わりはないんだろうなと感じた。
逆に、これこそが太極拳の醍醐味といおうか。

2004年8月

2014年7月7日月曜日

全日本反省会

全日本を終え、昨夜バスで帰ってきた。

結果は審判の方々に良い点を頂け、去年に比べ順位も上がったが、自己採点は非常に厳しい。
自分が腹立たしくて仕方ない。
ベストコンディションで挑んだはずなのに、本番ではいつもより気が上がってしまい、それを最後まで引きずってしまった。

実はいろいろ心配ごとがあった。
ここで書くに値しないほどつまらない理由なので割愛するが、
やはり試合の時は試合だけに集中できるよう、準備を整えておきたいと思った。

試合はもちろん、気功でも太極拳でも大事なこと。
無我無心の状態をつくること。
ざっくり言えば、頭の中を空っぽにすること。

頭の中に余計な情報が入っていると、試合に集中できないし、神気も宿らない。
いわゆる考えながらやったのでは、本来の力が出せない。

次に、心を鎮めること。
今回はちょっと気持ちが浮ついていた。
理由は解らないが、気が散漫になっていたので心がそのまま心臓にあるという感じだった。
本当は足の裏、いや地中にまで落としたかったのだが。

陳式太極拳では、型の最初の方に震脚(しんきゃく)があるが、今その理由がわかったような気がする。
最初の時点で気を地中に沈めておけば、その後、心も体も安定し、良い状態で演武が続けられる。

以前習っていた陳式の先生が仰ってたが、
「地球の真裏まで振動が伝わるように」という教えが今になってその意味がわかったという気がした。

それに振脚によって一瞬で邪気を払うこともできる。
物事がうまくいかない時や腹が立った時、地面や壁を思いっきり蹴りたくなるが、あれは人間が本能的に行う邪気を払う動作なのかもしれない。
確かにその後気分がスッキリする。

楊式太極拳である以上、振脚は出来ないが、本番前ならできる。
頭の中をクリアにし、気を地面に沈める。

8月の伝統大会ではこのことを踏まえ自分でも納得の行く演武ができるようになりたいと思った。