2017年10月6日金曜日

動中求静

太極拳十要の中ひとつに動中求静(どうちゅうきゅうせい)という言葉がある。
動いていても静を求めよということ。

私は学生時代とても大人しく、目立たない存在だった。
人と話すのが苦手だった。
自分が話したことで人を傷つけてしまったらどうしようと、
そのことばかり気にしてしまって言葉が出てこないのだ。

今でも根本的にそれは変わらないのだが、
学生時代よりは人と話ができるようになっただろうか。

まあ、そんな私なので話すのが苦手な人の気持ちがよくわかる。
大人しい人、口数の少ない人ほど物知りで、物事を冷静に見る力がある。
いわゆる心がリラックスした状態だから頭も体もリラックス状態。
物事を冷静に的確に判断する力がもっともある状態と言える。

このチカラは太極拳にはとても重要。

私が営業を頑張っていた時も、契約をたくさんとれた時は、
体は弾み動き回っているのだが、その反面内面はとてもリラックスしている。

先程話したように物事を冷静に判断できる状態。
相手が次に何を言ってくるかすべてわかる。
だから、その言葉に対し相手にどういう言葉を投げかければ
喜んでくれるか予め準備することができる。
いや、準備するというより、勝手に頭が準備してくれ、勝手に口が動いてくれる。

無論経験積まずにこのことは起きない。
経験の上に成り立つこと。

太極拳の場合はまずゆるんで立つことか始め、
次に套路を覚える。
そして推手と散手も同時に学習していく。

こうすることで始めてこの4つの関連性が見えてくる。

いずれもどの鍛錬法でも静を求められるということ。

立禅の時に雑念があってはならない。
套路を行う時も雑念があってはならない。
推手の時も同じ。
散手の時も同じ。
すべて「静」でなければならない。

先程も話したようにこの時こそ人間が一番力を出せる時だからだ。

指導している時、時折ぱっと後ろを見ると
力を使って手を動かしている人をみかける。
私は力を抜くようにと指導する。
実は力を抜いて欲しいのではなく、
力を使おうとする心をやめて欲しいとお願いしているのだ。

早く上達したい。
早く套路を覚えたい。
誰でもそう思うだろう。

しかしそういう焦る気持ちから太極拳を学ぶことはできない。
太極拳は単に体を動かす運動でもなければスポーツでもないからだ。

常に「静」を求める。
もし、「何度やってもうまくいかない」と苦しみもがいている自分がいるなら、
一度練習の手を休め呼吸を整え心を落ち着けてみよう。

その壁だと思っていることは本当に壁なんだろうか?
ただの妄想に過ぎないのではないのか?

実は壁だと思ってた壁は自分が勝手に作り出したものであり、
元々、壁などないということに気付くと思う。
あとになってみれば、「なんでこんな簡単なことが出来なかったんだろう」と。

動中求静

人間が一番力を発揮できるのは「静」の状態。

普段から静を求める人は太極拳が向いているし
太極拳が上達したいなら静を求めてみよう。