いつも思ってることは、
武術性も追求していきたいと思う傍らで表演にも力を入れていきたいと。
理由は単純に太極拳は美しいと思うから。
だからといって、表演だけに専念しようとも思わない。
私が初めて体験した太極拳はその意外な強さに惹かれたから。
ところで、套路を練る上での気構えというか心構えと言うか、
目的に応じて全く異なる。
当然それは演武にも表れる。
試合の為
表演の為
瞑想する為
気を練る為
鍛錬の為
技の習得の為
基本動作の模範を見せる為
等々。
もしここに検定は入ればそれもまた違うものになる。
因みに試合と表演も違う。
試合は審査対象となる演武をしなくてはならない。
時間の制約や、制定された形式や動作。これらを踏まえて演武しなくてはいけない。
一方、表演は芸術性をテーマに細かな制約なしに自由に演武できる。
この套路は鍛錬のためでもなく気を練るためでもなく、魅せることで人に感動を与えるのが目的になる。
瞑想に入るためや気を練るための演武は制約を忘れ、放鬆を重視した演武となる。
見せることを目的としないので、見た目の演武は美しいというより気持ちよさそうに見えると思う。
鍛錬のための演武は、極めてゆっくり行う。
足腰を鍛え、軸感覚を養い、武術性を高めるための基礎をつくりあげる。
流れが一定しないのであくまでも自分の鍛錬のための演武となる。
決して見ていて楽しいものではないと思う。(無論本人は楽しい)
身体がつくられていく喜びがある。
技の習得のための演武は、技が技でなければならない。
だから、実戦性の高い練功法となる。
イメトレを伴うので本人は楽しいが、動きはゆっくりでも荒々しいものになる。
そして基本動作の模範。
実はこれが一番つらい。(笑)
合同練習での動きを合わせるため基本動作を踏まえ正しく動くことが重要になる。
己を捨て徹底的に基本を全うしなければならない。
つらいと言ってもこれはとても大事。
教える立場として適当な演武をしていては滅茶苦茶になってしまうし、動作を正確に覚えることは後にそれはすべての目的の演武につながるからだ。
当会では、何かに偏ることなく、芸術性も武術性も健身性も重視し、どのような目的でも、どのような場面でも対応できる太極拳を行くことをテーマにしている。
いずれも、同じ套路を練るにしても目的に応じて内外共に全く異なる演武になるということ。
そのためのスイッチングはとても重要だ。