アインシュタインの相対性理論の方程式を武術的に捉えると?
E=mc2
この式は以下のことを意味する。
エネルギー=質量×光速度の2乗
容易く言うと重力のあるもの程エネルギーが強いというものだ。
これは質量の高いものほどエネルギーが強いとも言える。
なんだか余計ややこしくなってしまったが、
今回のタイトル通り"重さは力なり"ということ。
以前書いたことのあることだが、
勁というのはまず心から始まり、それが意識を生み出し、気を通し、それが勁となって力となる。
いわゆる、心>意>氣>勁という順になる。
私の勝手な解釈では心とは頭脳ではなく魄であると。
勁力というのは脳の指令によって作り出されるものではなく、魂のパワーそのものだと私は思っている。
そのひとつの理由として、考えてから打った力はあくまでも筋力であり、
その筋力には表面的な衝撃を与えることができても貫通力がない。
これは直接師に勁を打ってもらったり、ミット打ちなどで何度も経験してきたこと。
ところで、意識とはなんだろうか?
これを医学的、物理的に解釈するなら一種の電気信号。
電気はほぼ光の速度で伝わる。
これを気功的に解釈すると?
氣というのは意識したところに集まる性質がある。
これを意気相連という。
体を極限までゆるめると体に氣が充満してくる。
この時の感覚は体がずっしりと重くなったような感じるが、
だからといって体重計に乗って実際に体重が増えるわけではない。
ここが氣の不思議なところ。
いずれも意は光の速度で伝わり、それが氣を生み出す。
無論体を硬直させていては氣をたっぷり体の中にめぐらせることはできない。
ふわっとしたスポンジはたっぷり水や空気を含むことができるのと同じで、
体をゆるめなければ体の中に気を充満させることはできないということ。
いずれも、氣をたっぷり集めることが出来れば、
後は意識の速度でそれを勁というパワーとして出力することが出来る。
先程もお話したが、意=氣 なのだから、
言いかえれば氣は光の速度で進むことになる。
因みに氣は目に見えない。
しかし空気(空間)を歪めることはできる。
氣そのものは見えなくとも空間の歪みとして見ることはできるし、少なくとも私は何度も見てきた。
水面に石を落とすと波紋が出来るが、それが空間で起きる。
太極拳は力で戦う武術ではない。
はっきり言ってしまえば宇宙の力を使うのが太極拳。
宇宙と同化するには極限までゆるめること。
邪念も力みもなにもかもすべて放出し
体の中に氣を充満させるためのスペースをつくる。
信じる信じないの話ではなく、
それを科学が証明しようとしている。