2024年12月28日土曜日

ただ真似る

昨夜中級クラス無事終わりました。
中級クラスでは、普通クラスの次へのステップとして用意されているクラスです。
普通クラスで行っている4種目に対し一定以上の力をつけたら参加出来ます。

私が太極拳を始めたばかりの頃、同様に4種目の稽古を行っていました。
先輩方の楊式剣の演武を見て「これやってみたい」と思ったのが当時最も意欲を掻き立てられた出来事でした。
同時に師に太極拳の技を掛けて頂いた時の感覚は、20年以上経った今でも鮮明に覚えています。
その不思議な技に驚き、完全に魅了されました。

その後は無我夢中で練習しました。
「早く先輩に追いつきたい」「早く先生に近づきたい」という一心で。

私は約半年で楊式太極拳の全套路を覚えました。

何をしたか?
実に単純です。

師の動きを真似る。

これだけです。

稽古に来るたびに「見ては真似見ては真似」の繰り返しでした。

太極拳をやっていると思わぬところで壁にぶつかることがあります。
しかしその壁は自分自身で作り出していた幻想であることに後で気づきます。
そもそも壁などないのです。

ある程度太極拳を経験した人はどうしても途中まで作った粘土細工に手を加える形で直そうとします。
その形が間違いであっても。
だから抜け出せなくなるのです。

ダメならやり直す。

これでいいのです。

これは逆を言えば「失敗を引きずらない」ということにもなります。

もし、今思わぬところで壁にぶつかっていると感じているなら、
ダメなことを引きずっていませんか?

ダメなものはダメなんです。

さっさと諦めて、また先生の動きをみて真似ればいいのです。
実に簡単なことなのです。

それなのに、どうしてハマってしまうのか?

それは自分を捨てらないからです。
今まで頑張ってきた自分が可愛いばかりダメな部分も残しておきたいという妙なトリックに引っかかってしまうのです。

もう一度言います。

ダメならさっさと諦めてやり直す。
師の動きを真似る。

これだけのことです。

そうすれば日々進化することができます。
時間を節約出来ます。
太極拳の世界がどんどん開けてきます。

そして同じ動きが出来るようになったら次は「師の空気を真似る」です。

太極拳で一番楽しいのはここからです。

2024年12月1日日曜日

光と影

私が師匠から学ばせてもらったのは氣です。

一般的に人は人を見る時どこを見るでしょう?
恐らく本人そのものではないでしょうか?

私の場合は人を肉体の存在としてみることはあまりありません。
その人から出ている光や煙をみています。
一般的に言われるオーラですね。

「そんなものを見ていては学べないじゃないか?」と言われそうですね。

こう考えてみてはどうでしょう?

人の形や動作を見る時、アウトラインを見ているはずです。
いわゆる外側です。

しかしオーラを見ていてもラインを見ることは出来ます。
そうです。インラインです。

オーラを見れば、オーラも見え、体の形もぼんやり浮かんできます。
そうやってみることで、全体の動きが見えてきて、
しかも気の流れなども感じることが出来ます。

私が師から学びたかったのは、師の気の体です。
いわゆる雰囲気をまず真似ようとしました。

その結果どうなったかというと、確かに雰囲気が似てきて
先輩方からは「先生みたい」と言われるようになりました。

その一方、動きが滅茶苦茶になりました。
見えているオーラが大きかったので、それをそのまま再現しようとしたのでしょう。
動きが大きくなりすぎて大きく乱れてしまいました。

先輩や師からそのことを指摘された時は、ショックでしたが、
受け入れるしかありませんでした。

それからは師の動作を細かく見るようになりました。
そして徐々に正しい動きを身に付けました。

さて、これは遠回りだったでしょうか?

いいえ、そうは思いません。

この順番で合っています。

人から影響を受ける時って、
その人そのものより、その人から出ているオーラだと思います。
だからオーラを真似ようとすることは自然な流れだと思います。

もし最初の時点でそれをやろうとしなければ、
時間と共に師は単なる先生になってしまいます。
憧れの存在ではなく、教えてくれる人になります。

そうなるともう師のオーラ(氣の体)を見ようとはしなくなるでしょうね。
それどころか動作さえ見なくなることすらあります。
いわゆる依存です。

私は未だに当時、師が放っていた氣をハッキリと覚えています。

そして「あの体から放たれている氣はなんだったんだ?」と今でも自分に問いかけます。

動きもカッコよかったけど、
出ている氣がカッコよかった。

あの感じに近づきたい。

そんな気持ちで今も修行に励んでいます。

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2021/1/1撮影