2016年8月26日金曜日

宗教から生まれた武術

昨日、ある公共施設内で立禅を行っていたら、ある若い女性が近くに寄ってきて座り込み
ずっと私のことを眺めている。
私が立禅を行っている時は、瞑想状態に入っているため、
周りで何が起ころうが気にならないし、逆に言えば気にすることも出来ない。

それに、ある意味、別の世界に入っているので、
人とコミュニケーションが出来る状態でもない。

私は話し出すと割合、喋る方なのだが、
こと立禅や太極拳等で気を練っている時は完全に周りとの気(人の気)は断ち切った状態になっている。

立禅を行い、太極気功で気を練り、一息つこうと思ったら、その女性が近づいてきて、「何教ですか?」と尋ねられた。

どうやら私は宗教の修行を行っているように見えたらしい。
無の状態からまだ戻ったばかりで、私は言葉をうまく出すことが出来なかった。

しかし、考えてみれば、太極拳は武術に気功の要素を取り入れ編み出されたものであり、
老子が伝える道教から生まれたと言われている。

傍から見れば、不思議なことをしている人に見えるのだろう。
しかし、私はそれが太極拳の一番の魅力だと思っている。

太極拳の美しい演武も良いが、私が太極拳に一番惹かれたのは演武ではない。
その神秘性だ。

見た目はやわらかくゆらゆら踊っているように見えるのに、
それが力となった瞬間強大なパワーに変わる。

多分その女性はその神秘性に興味を持ったのではないかと勝手に思っている。

私は自主練の時はストレッチや筋トレはほとんど行わない。
太極拳は柔軟性や筋力で戦う武術ではないから。

立禅により、脱力し、無になり、そして自然と一体化する。
その自然を味方につけて戦うのが太極拳。

いや、実際は戦わない。
戦っているのは相手であり、こちらはその力を相手に返しているだけ。
戦わずして自分の身を守れる太極拳。
言葉で言い表せないほどカッコイイ。

太極拳は道教から生まれたと言われる。
だから神秘性があって当然なのだ。

戦っているように見えないのに、美しく、神秘性があり、しかも強い。

そういう自分はまだまだ筋力に頼ってしまうことがある。
本物の太極拳に少しでも近づけるようこれからも更に修行を積みたいと思っている。