2016年8月18日木曜日

力では勝てない推手

推手は腕力では決して相手を崩すことはできない。
力いっぱい打とうと思えば、相手の体をすり抜け後ろ側にすっ飛んでしまう。

古い映画になるがゴーストという映画が好きだった。
死んで肉体を失ってしまった夫が奥さんを危険から守るために戦う。

ゴーストになってしまった夫が身に付けた力は、
肉体はないのに相手を打つ力を身につけたこと。
愛する奥さんが危険な目に遭っているのを、なんとか助けたくてその不思議な力を身に付けた。
ここが最初の感動シーン。

推手でも同じことが言える。
推手の熟練者に対し攻撃をしかけると、すでにそこに相手の体はない。
幽霊になったゴーストに対して思いっきり殴りかかるようなものだ。
そのまま打った方向にすっ飛んでしまうか、或いは力を吸い取られたかと思うや否や、今度は打ち返されて反対方向に吹っ飛ばされる。

ここで推手は腕力が通用しないということがわかる。

学生の頃、男子の中で流行ったのが腕相撲。
腕の力を試すのに腕相撲が一番わかりやすい。
病弱で華奢だった私は腕相撲はクラスでも下から数えたほうが早いぐらい弱かった。
そのため腕立て伏せを行い鍛えようと思ったこともあるが、いつの間にかやめてしまった。

いずれも力さえあれば腕相撲は強くなる。
しかし推手は違う。

同じ腕試しでも力を使うと逆に負けてしまう。
逆に言えば、腕相撲は力のハンデがある限り勝つことは出来ないが
推手なら誰にでも強くなることができるということ。

ここに推手の楽しさがある。

相手と手を合わせ、円を描くように手を動かす。
円を描くというより自然と円の動きになると言おうか。

その円の中で相手を感じ、攻撃を仕掛けてこられたらいち早くそれを察知し、
そして、その力を逆に利用する。

しかし、実際はそううまくはいかない。
こんなことを考えている暇はないからだ。

私が指導の時によく言うことは、「推手も禅」であるということ。
無にならなければ、相手を感じることは出来ないし、またその力を逆利用することもできない。
考えていては絶対に間に合わないのだ。

これもまた推手の楽しさのひとつ。

以前、私は推手全国大会準優勝の方と手を合わせる機会があったが、
やはり2位まで登りつめられただけのことはあり、圧倒的に強かった。
腕は柔らかくも重くも変幻自在。
打てばスルリといなされ、また、油断すると何メートルも吹っ飛ばされる。

決して腕力ではない。
勁力なのだ。

いわゆる、推手なら、老若男女問わず誰でも強くなることができるということ。
仮に相手が怪力の持主だからといっても、
推手の達人であれば老人であっても勝つことができるところがおもしろい。

当会では来年には会内で推手大会を行う予定をしている。
楽しい推手を通して様々な方と交流を図って頂ければと思うからです。