2016年8月9日火曜日

重いは強いなのか?

推手を行う上で、相手と手を合わせると熟練者ほど腕がずっしり重い。
まるで砂袋のようだ。

でも、重ければいいのか?

私は違うと思う。

何人かの先生方と推手をしたことがあるが、
熟練しているからと言って重いわけではない。
正確には「重くもできる」ということ。

私の場合、もし重い腕の相手と推手する時は、それに負けじと重くしようとはしない。

気は自分の意識によって、
固体にも液体にも気体にも自在に変化させることができる。
更に、光やプラズマにも。

砂袋に対して砂袋で対抗しようとしてはいけない。
臨機応変に対応できなければ意味がないということ。
少なくとも私はそう教わった。

鉄にもなれば、水にもなり、空気にもなる。
打つ時は、鉄、水、風、その他****

私が師と推手した時に感じるのは重さではない。
その真逆。

触れている感覚がない。
もっと言えば手が触れていなくとも操られてしまう。
身動きとれなくなる。

そして、次の瞬間、腕が別のモノに変化する。
突風だったり、水圧だったり、鉄の棒だったり、**だったり。

重い=強いというイメージがあるようだが
少なくとも私が最も強いと思うのは、その重さをもない〝無”の状態。

あると思っている腕は実際はないのだ。
物質を量子(素粒子)レベルでみれば、「ない」のと同じなのだから。