そもそも青空太極拳の意義は?
- 普段サークルで行っている練習の成果を出す機会として。
- 朝の部と夜の部の会員同士の交流の場として。
- 普段、時間の都合でできない気功に時間が掛けられること。
- 厳しい時間の制約がないのでゆったりと楊式太極拳を全套路通すことができること。
- 気功や太極拳を知らない人に体験してもらう機会として。
- ご家族、お友達と一緒に参加できる機会として。
- 野外で行うことで天と地、そしてその狭間にいる自分を感じやすいこと。
まだまだいろいろあるが、私が最近主眼としてるのは、「共に感じたい」ということ。
サークルでは気功や太極拳を基礎から指導しているが、それはこれらをやる上でとても重要なこと。
しかし、指導する側も指導される側も正確に行うことに意識が行くので、“感じる”ことは難しい。
自分の動きを気にしている間は本当の太極拳にはならない。
少なくとも「気」を感じるためには、完全に脱力し、邪念を捨て、自分の中の意識に集中せねばならない。
人は他人のことはよく見えるが、自分のことはなかなか見えない。
気功はそういう意味で自分を見つめ直す、いわゆる禅なのだ。
“己を知る”ということだろうか。
己を知ることが出来なければ本当の意味で他人を知ることは出来ない。
自分が痛い経験をしなければ人の痛みがわからないのと同じだ。
以前、雨に打たれながら青空太極拳を行ってから、確実に自分の中で目指そうとするものが変わった。
先ほども述べたように「共に感じたい」
だから、昨日は、「今日は指導はしないので、皆さん自分なりに感じてみてください」と伝えて始めた。
助言を与えることも大事だが、自分で探求することも大事。
だから、青空太極拳は目の前の大自然を眺めながら、大自然の空気を吸いながら、そして
美しい音楽だけに集中し気を沈め気を高める。
昨日は私も自分に意識を向けることができたので、パワースポットである石舞台で自然との融合を感じ、体の周りにジワジワというエネルギーに包まれる感覚を得ることができた。
その時感じたことは、心地よさ、安らぎ、そして勇気だろうか。